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駅から歩いて10分ほどのカフェに着いたのは、予定より30分前だった。我ながらスマートな着地だと思う。


普段、吉祥寺か新宿にしか出没しないので、滅多にいかない街のカフェにまでたどり着くのに、スマートフォンのバッテリーがおよぞ20%搾取された。未だにナビゲーションは、私を道なき道を歩ませようとする。

待ち合わせのカフェは地下で営業しているらしく、薄暗くて急な階段をゆっくりと降りて、ドアを押開ける。壁一面に極彩色の陶器製のタイルが張られ、天井の証明が涎を垂らしたようなデザインで、数もぽつぽつとある。節電?いや、ありえない。ここはスマートフォンを充電したり、パソコンを開くような場所ではなかった。


「やあ」


迎えに来た男性店員の肩越しで、恋人が手を振っている。待ち合わせで、と断って、私は彼の元へ向かった。


「待った?」

「ううん、全然。この店はコーヒーも美味しいし雰囲気も落ち着いてるから、何時間でもいられるよ」


普段からドトールかスタバしか行かない私には、この雰囲気は窮屈でしかない。飴を塗りたくったようにテカった木の椅子に座った。湿っているような気がして、最小限の面積にしか触れたくなかった。


クサクサした大人たちが密集して、素知らぬ顔をしてMacを広げたり、スマートフォンを充電したり、資料を開いたりするという目的がここにはない。無意味な時間体験を押し付けられているようで、落ち着かない。


しかも自分より5歳下の青年が、屈託なくそう言うのだから、彼の目の前で「大人の余裕」なんてものは通用しない。なので、基本的に彼の前ではあまり取り繕ったりはしない。


「ブレンドコーヒー下さい」


やって来た店員が、ドラクエの呪文のような長い名前のブレンドを勧めてきたが、「この820円のやつ」の一点張り。一番安いブレンド。彼はにやにやしている。


「ナナちゃんて、気強いくせにちょっと面白いよね」

「これが大人の自己演出だよ」

「ごめん、全然わかんない」


芸術品のような顔で、思い切りディスられても笑ってる許せるくらい、彼は容姿に恵まれている。学生だが、読者モデルもやっているらしく、そこそこ有名なので、この場所を選んだという。芸能人か。


「ナナちゃん最近仕事どう?」彼は子犬のような絶妙な角度で首を傾けた。


「いやー大変だよ。他の仕事もあるから常に締め切りに追われてる」と、私は嘘と本当を混ぜた回答をした。


今は宇和野に関する仕事一辺倒で、他の仕事は全部お断りした。退路を断ち切った選択だが、むしろチャンスでもある。これを機に、私の仕事生活にもある結論が出されるかもしれない。という変な期待もある。また、今までは生活のため、出された仕事をこなしていたが、これまでに強く「自分のため」に仕事はしたことはないかもしれなかった。


「宇和野くんは、大学忙しい?」私はコーヒーにミルクを入れた。「もう3年生だっけ?卒論とか就活とかあるんじゃない」

彼の表情が少し曇った気がした。

「また苗字」

「え?」

「真吾って呼んで」


ああ、忘れてた。彼とは仕事として会っているわけではないのだ。もう会ってから一週間は経つ。


「ごめん、真吾くん」

「いいよ、菜々」


周りから見れば初々しいカップルにでも見えるのだろう。いや、ひょっとしたら詐欺に騙されていたり、今はやりのレンタル彼氏を利用した女にも見て取れる。やっぱり私は真吾とは釣り合わない。別に釣り合うための努力はしないけれど。


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