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「そんなの、同業者のあなたがよく分かっていることでしょう?」
予想の斜め上を行く回答に、私は一瞬思考が止まった。
「えっ、まあ、そうかもしれないですけど」
「時々、仕事が修羅場になって僕のところに泣きつくじゃないですか」
医師の言葉に、痛いところを突かれ、私は慌てて弁解する。
「あ…れは違いますよっ。締め切りが重なって早く家に帰りたいのに先生が引き止めたりするから」私の言葉は上滑りする。矛盾している。家に帰りたくないほどの仕事を抱えた挙げ句、病院へ行って、そこから急に家に帰りたがる人がどこにいるのだろう。
特に私のような職業は、家が職場だから、家が慌ただしい現実に変貌することだってよくあることだというのに。ある日突然、潤いめいた場所が消えてなくなってしまう。すべてが砂漠になるのだ。
医師は得意顔で言う。「僕は至極真面目にお体のことを考えて、こうやって仕事に当たっているのです」
ああ、もう、早く診察を切り上げて薬もらって表参道に行きたいのに。
私の心の声を見え透いたかのように医師はさらに続けた。
「何でもかんでも薬に頼ったりするとかえって悪化するから、僕は親切心とプロ意識であなたの仕事を阻止しているんですよ?」
「それが迷惑だったりするじゃないですか」
「んなっ…」
勝利。
本格的に怒られる前に、私は話の退路を断ち切ろうと、上着と鞄をまとめて立ち上がった。
「ではこれで。ああ、確かにすっきりしましたよ。ここ最近、無言で籠りっきりなスケジュールでしたから」私はふふん、と鼻を鳴らした。「久しぶりの会話、久しぶりの外出。しかも表参道」
え、表参道?
長時間椅子に座っていたのか、高いヒールのブーツを履いていたことを忘れ、少しよろめいた。くそ、スマートに退出したかったのに。
診察室のドアを引くとき、後ろで医師が椅子から立ち上がる音がした。
うわ、また何か言われる。まあ確かに言い過ぎたかな。
「すごくどうでもいいんですけど」と、眼鏡を直しながら医師は言った。口調はいつも通りに戻っている。私は振り返らなかった。
「仕事が大きければ大きいほど、夏南さん装いが豪華になりますよね」
気づけば、わりと近い距離にまで医師が近づいていた。
「危うく僕、惚れそうになりましたよ」と、反応を試すかのような言い方。
「良いことじゃないですか」
「道を踏み外すという意味で」
「失礼しましたー」
私は今度こそ診察室を出て、ドアをぴしゃりと閉めた。ただ、乱暴に閉めても最後に自動的に速度がゆっくりになるという、あのタイプだったので、あくまでも、気持ちだけ。
ゆっくりと閉まる瞬間にできる、僅かな隙間に腕の一本や二本、伸びてきて、引き止めてくれたっていいのに。表参道?デートですか?仕事なんて嘘でしょ。
締め切ったドアを見つめながら、そこまで考えて、私は自嘲した。最近、本当に仕事が修羅場だな、と。日常の思考回路に支障をきたしている様子。何度もそういう感覚は経験しているはずなのに、どうも慣れない。
未開の地に踏み込んだ時の、何かが壊れる不安と、全く新しいものが生まれる期待のようなもの。私はこれから、そんな気持ちを抱えて表参道に行く。
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