§4ー2 あたしがうかつだった
「うわ、やった! あやちゃんケータイ買って貰ったの?」
あたしがきらきら光る淡いピンク色のケータイをお披露目すると、森高小春は地味な表情を一気にほころばせてポケットをさぐり、自身の白いスマホを取りだした。
小春が喜んでくれたから、あたしはなんだかくすぐったい気分だ。
「番号とメアド交換しようよ、スマホとガラケーで通信できるかな」
「よくわかんないからやり方教えてもらえるとありがたいんだけど」
携帯には伯父さんと真南の番号とアドレスが入っているけれど、これは伯父さんがてきぱきと設定してくれたものだ。燎平の番号とアドレスは自力で時間をかけて登録した。
それ以外のデータはまだ入っていない。
「ちょっと貸して。ええっと、メニューボタン、の」
小春はあたしのケータイを取り上げて勝手にいじりはじめた。べつに隠すようなデータなんて何もないし、あたしは抵抗しない。
「あ、これ」
小春が小さく呟いた。
「ん?」
「この写真なに?」
メニューボタンと画像ファイルを開くボタンって間違いやすいのだろうか。ちらりと不思議な気がしたけれど、べつにたいしたことではないと思い返す。
小春が見ていたのは、頭にみかんを乗せて変な顔で笑っている真南の写真だった。
「ああ、家で使い方を練習してたときに撮ったの」
「若月くんって家にいるときはこんな顔で笑うんだね」
「笑ってるというか本人は変顔のつもりみたいよ。鼻の穴こんなに広げちゃってバカだよねえ」
あたしが真南の写真を覗き込んで思い出し笑いすると、小春が、ぱたりと乱暴に閉じた。
「あやちゃん、あのさ、若月くんとは仲が悪いって言ってなかった?」
「え……」
ぴんと空気が張りつめた。
なんだか厭な予感がした。あたしは慌てて、うん、そう、そうなんだけど、と早口で説明する。
なぜか焦ってしまった。
「あの、最初はそうだったけど、やっぱり、一緒に生活しなきゃならないし、お互いに必要最小限のところで譲歩してる感じで。営業トークだよ!」
「そっかあ。べつにいいけど?」
小春は元通りにふわふわと優しく笑って、再びあたしのケータイを弄りはじめた。何やらボタンを押して、また顔を上げる。
「あやちゃん、このメールのひとだあれ? 『元気です』って、田端燎平って?」
だからメールの設定してくれるんじゃなかったのかよ!
思いっきり突っ込みたくなったけれどあたしは素直に答える。
「あ、それは、……こないだガッコに来たひと」
「躑躅丘の高校生? あやちゃんの遠い親戚って言ってたひと? でも何このメールしょっぼい。短いし顔文字もないしかっこわるい」
小春が甲高い声で笑いながら言う。
この子、こんな子だったっけ。
あたしに親切にしてくれたクラス委員の森高小春。
ふわふわした印象で優しくていつもあたしの傍に付いててくれる。そんな優しい小春だけれど、今、一瞬だけ別人のような冷たい顔つきになった。
ちょっと、怖かった。
「はい、私の番号とアドレス入れておいたよ。メールたくさん送ってね。私『ウキウキタウン』でブログやってるから足跡つけてね、たぶんガラケーも対応してたはず。毎日絡んでね。私の日記、読み逃げは超厳禁なの」
話題についていけずに戸惑っていると、小春はやっぱりあたしを見下したような別人の顔になった。そして、テレビでCMをやっているウキウキ何とかというゲームサイトに登録して、そこのマイページで日記を書いて掲示板では他のメンバーとメッセージのやりとりをしているのだとマシンガン口調でまくしたてた。どうやらあたしもそのゲームサイトに登録して毎朝毎晩ログインしなければならないらしい。
でも、新しい世界に対する好奇心よりも、面倒臭いという感覚のほうが強い。
「ごめん、あたしのケータイはいろいろ制限かけられてるし、小学生のうちはそういうところにはアクセスしないって伯父さんと約束したんだ。課金ゲームとかあるんでしょ?」
「あやちゃんそれはおかしいって。小学生だってみんなやってるのにっていうかほとんど小学生しかいないんだからヤバいよ、おじさんアタマおかしいんじゃないの」
「うーんやっぱりごめん。伯父さんにばれたら家を追い出されて施設に送られちゃうから」
伯父さんごめんなさい。
ケータイの使い方についてはあらかじめいくつか約束させられたけれど、それを破ったからと言って家を追い出されるとは思ってない。伯父さんはそんなひとではない。でもあたしはとりあえず、伯父さんの名を出してこの場を逃げ切ろうとした。ごめんねと小春を拝み倒す。
「やだよあやちゃん、せっかくマイフレンドの数が増えると思ったのにー」
「あたしも今は居候生活かかってるから。もうちょっと様子見て、伯父さんが油断した頃にこそっと登録するね」
「そういえば若月くんは中学生だからツイッターやってるでしょ。若月くんのツイッターID教えてくれるなら許してあげる」
「え……知らないっていうか今真南は関係なくない?」
真南を庇ったわけではなく、本当に知らなかった。部屋ではよくパソコンを触っているけれど、何をしているのかなんて知らない。
「じゃ、もういい。あやちゃんがそういう秘密主義の態度なら私も考えを改めるよ。私たち親友だって言ったのは嘘だったの? 嘘つき。最低」
小春は小さな声で唸ると、あたしの脇をすり抜けて自分の席に戻っていった。
「小春!」
呼んだけど、聞こえているはずなのに振り向いてくれない。
小春はスマホを出して、ものすごい速さで親指を動かしてボタンを叩いている。校舎内では電源を切ってバッグに入れておくのが決まりなのに。
先生に見つかったら没収されるのにな。
「おはよ。土曜はオツカレでした」
目の前に、ひょいと長崎くんの顔が出てきた。
「おはよう。うん、土曜はなんかごめんね」
「クラス分け結果の通知、来た?」
「伯父さんに聞いた。特進Aクラス」
「よかった、同じだ。じゃ今日から塾でも一緒だ」
土曜の気まずい別れ方があたしの胸に詰まっていた。燎平の車に乗ってしまったあたしを、長崎くんはどう思っただろう? あたしを小さいとか可愛いとか言ってくれたこと、本気だったのだろうか?
「森高と何かあった?」
長崎くんは急に声をひそめてあたしに尋ねた。彼と話している間もあたしが視線で小春の背中を見つめていたからだ。
「うん……。ちょっと、些細なことだけど」
「知ってた? このクラスで森高と君以外の人間はみんな、いつ君が森高にキレるか心配してたんだよ」
あたしは背伸びして長崎くんの顔を睨み上げた。
「何。どういうこと」
「だって森高って最低の女だし。そろそろ化けの皮が剥がれてきただろ? 性格最悪だし自己中だし平気で嘘つくし、作文の宿題が出たときはネットからコピペして先生に怒られてたし、見栄っ張りで、出しゃばりで、自分で立候補してクラス委員になったくせに全然仕事しないし、自分よりも立場が弱い奴にしか近寄らないし、オレたちはどうやって君を森高から救い出そうかと話しあってたところ――でっ」
長崎くんの言葉は、最後まで続かなかった。
なぜならあたしがその頬を張り飛ばしたからだ。あたしが真南のような運動神経を持っていなかったことを幸いに思うがいい。
「あたしの友達をディスんないでよ。小春はあたしに優しくしてくれたよ」
長崎くんは、左頬を撫でながら「話の続きは塾で」と言った。
その後も小春はあたしを無視しつづけた。
でもそれとは正反対に、今まで話をしたこともなかったような同級生たちが次々にあたしの席に訪れて話しかけてきた。
複雑な気持ちだ。
あたしの席にやってきた女の子たちはみんなきらきら輝く優しい笑顔であたしに話しかけて、あたしを宥めるように、ゆっくりと「大丈夫?」と訊く。
大丈夫ってどういう意味だよ。
安否を気遣われる理由なんて何処にもないのに。
そういえば、転入したばかりの数日はあたしのほうが結界を張っていた。育ての母親を亡くして親戚に引き取られることになったあたしの事情を皆は薄々知っていて、あたしに同情して、話しかけるのをためらっていたらしい。そうこうしているうちに森高小春があたしに近寄って、あたしの友達になってくれた。その瞬間からついさっきまで、あたしは学校にいるときには常に小春とぴったりくっついていた。
あたしはもっと早くに気づくべきだった。
どうして小春は、あたしに、クラスの他の女の子たちを紹介してくれなかったのだろう。
そしてあたしは訝しむべきだった。
あたしと常にべったり一緒にいる小春は、あたしが転入してくるまでは誰と仲良くしていたのだろう、その子とはもう一緒にいなくてもいいのだろうかと。
――あたしが現れるまで、小春は、クラスじゅうから嫌われて一人ぼっちだったんだ。
――あたしもそうだったんだよ、小春。
「もうあの女に我慢しなくていいよ、ほんと森高さんってサイテー。あたしたちが仲間に入れてあげるから」
女の子たちはそう言ってあたしの肩や頭を撫でてくれた。
あたしは何も我慢してなかったよ、初めから。
それでも脳味噌の片隅が疼く。
休み時間の間にそっとバッグからケータイを取り出すと、メール着信のランプが光っていた。
『なんで他人と話してるの???
今なら謝ったら許すけどあまり調子乗らないでね???
あやちゃんは性格が悪くてブスだから
前の学校でもイジめられてたんだと思うよ???』
小春からだった。
可愛い背景にキャラクター文字がぐにゃぐにゃ動いているキラキラしたメールだけど、内容は実に、切なく、そしてあたしの背筋を凍らせるには充分の迫力だった。
なぜなら同じ内容のメールが一分おきに二十通届いていたからだ。
三時間目の途中であたしは気分が悪くなり、トイレで少し吐いてから保健室に行った。
昼休みにはクラスのほとんどの子が見舞いに来て事情を聞きたがったけれど、あたしは何も言えなかった。
小春は、あたしにわざわざ授業で使うテキストを買ってきてくれた。
小春は、田端兄弟が学校に襲来したときに心配してくれて、あたしを守ろうと先生まで呼んでくれた。
小春はマンガとアニメとネットが大好きで、いつもそのどれかの話をしてる。機関銃のような早口で、そういうところは真南に似ている。
そうか。
小春は若月真南のことが、たぶん、すっごく、好きなのだろう。
あたしに声をかけてくれたのは、あたしに親切にしてくれたのは、あたしが真南のイトコだから。最初に真南のことを探って、あたしが真南のことを厭な奴だから仲良くないよと言ったら、嬉しそうに頬を染めていた。そしてますますあたしに優しくしてくれるようになった。
それなのにあたしが真南の写真を持っていたからキレたんだ。
あたしが悪かった。あたしがうかつだった。真南の写真なんてすぐに削除すべきだった。
――あたし、小春の誤解を解かなくちゃ。
その日の放課後は、塾の初登校日だった。送迎バスに乗ると長崎くんと一緒になった。
「朝、叩いてごめんね」
あたしは自分から長崎くんに話しかけた。
長崎くんは何もなかったかのように笑い、わざわざあたしの隣のシートに移動してきた。
「オレこそごめん。転校して最初に出来た友達のことをあんなふうに言われたら、怒るのは当たり前だ。若月さんちょっとカッコよかったよ、惚れ直した。ほっぺた殴られたのにこんなこと言ってるオレってもしかしてドMかなあ」
「からかわないでよ」
長崎くんは素直なひとだ。
ゆっくりと話しかけてきた女の子たちだって、みんな、悪人の顔ではなかった。
「どうしてクラスのみんなは小春を嫌ってるの? 性格が悪いだけであんなに毛嫌いしたりはしないよね、前に何かあったの?」
「うーん」
バスが揺れる。
カーブの重力に任せて、あたしは長崎くんの耳に言った。
「もう殴ったりはしないから安心して」
「そう願いたいけど、オレの口からはあまり言いたくない。森高は低学年のときから色々と周りと揉めてたみたいだし、ちょっと空気読めなすぎっていうか、去年はいっこ上の君のイトコとも何かあったらしいよ」
「うちの真南?」
「去年までずっと森高につきまとわれてて、森高が中学や高校も追いかけてきそうで怖いからって必死こいて勉強して中高一貫の私立を受験したんだって。森高はバカだから躑躅丘学園なんて絶対逆立ちしてもムリだし。そういうのは女子のほうが詳しいかも。森高って思い込みが激しいところがあるから、オレたちもべつにクラスぐるみで苛めてるってわけじゃないんだよ。ただヘンな奴だからさ、なんとなくおっかなくて接触を避けてるというか、みんなで監視しあってるっていうか」
厭な予感がした。
やっぱり、小春があたしに近づいた目的はひとつだったんだ。
「オレ、若月さんが今から大変なことに巻き込まれちゃうんじゃないかと思ったら、心配で、つい、忠告っていうか」
忠告ってなあに。小春を避けながら監視してたってどういうこと。
感じ悪い。
長崎くんは、たぶん悪いひとではないのだろうけれど、言葉が悪い。
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