§4 小さな箱
§4ー1 家族割
あたしが転がり込むまで、真南は十二畳分もある広い広い部屋をひとりで使っていた。
セミダブルのベッド、広い学習机とハイスペックのデスクトップパソコン。
壁一面の本棚と、贅沢すぎる大画面のテレビ。
テレビ台には行儀良く並んだ各種ゲーム機とブルーレイデッキ。持っているソフトはほとんどが深夜アニメのタイトルだ。
もともとこの部屋は子どもの数に応じて二分割できる造りになっていた。
ドアもふたつ。部屋の中心にはレールがあって、そこに間仕切りの板を通せば完璧な二部屋になる。この注文住宅を建てるときに建築士の匠がテレビ番組のアレみたいに夢いっぱいのギミックを仕込みまくったのだろう。
でもそうなると、部屋の中央を横切るテレビと本棚が不便な状態になってしまう。
それを真南が死ぬほど厭がったので、結局、あたしたちはひとつの広い子ども部屋をシェアすることになった。
本棚とテレビはふたりで使う。
学習机はふたつ並べた。
こうしてみるとあたしたちは本当の兄妹みたいだ。
部屋の隅にそれぞれ離して設置したベッドの周囲はぐるりとパーテーションで囲った。この空間がそれぞれの寝室だ。
でも、テレビの魔力があたしと真南を虜にしている。
下のリビングから失敬してきた卓袱台の上にみかんを装備したこともあって、あたしたちはプラバシーの尊重を謳いながらも常にふたり向かい合ってみかんを食べていた。
同居をはじめたばかりだというのに、初めの数日は大喧嘩ばかりしていたというのに、いつの間にかあたしたちはこの距離に馴染んでいる。生まれたときから一緒に育った兄妹のように、むかつくところも楽しいところも含めて自然に過ごせる。
「すげえ。完璧に直ってる」
絨毯の上に寝そべっていた真南はスマホの向こうから顔を覗かせた。
「履歴もフォルダも元通りだ」
燎平に言われた通り、あたしが真南の壊れたスマホを一撫でしただけですべてが元に戻った。
「あのひと、本当に本物の魔法使いなんだな」
「……うん。そうみたいね」
「今夜のカレー超うまかった。また作ってくれる?」
「うん。ていうか真南、いま話が飛ばなかった?」
「だっておまえ、さっきからひとの話聞いてないし」
真南は起き上がり、卓袱台の上に頬杖をついているあたしの顔を覗いた。あたしは口を尖らせる。
「ちゃんと聞いてるってば」
「あやのケータイ見せて」
あたしは真南にせかされて、買って貰ったばかりのケータイを出した。
休日出勤だった伯父さんが早く帰宅したので思い切ってねだってみた。そしたら善は急げということですぐに出掛け、車で五分の場所にあるショップであっという間に買ってもらえた。
真南と同じスマホってわけにはいかなかったけれど、初心者向けの薄いガラケーだ。
契約するときに「家族割」って何度も言われて、そのたびにあたしは勝手に照れた。あたしは若月家の家族の一員なんだ。そのお墨付きをもらえたみたいで嬉しかった。
「いいよなあ、いいよなあ、ぼくは新しいメカの匂いが好きだー」
真南、顔が近いってば。
あたしは彼の頭にみかんを乗せた。
そのままケータイを奪い返して、カメラのシャッターを切る。頭にみかんを乗せた真南は、カメラに向かって鼻の穴を広げて変な顔をした。バカ。
「ぼくは変顔をしてもイケメンすぎるのが難点だよなあ」
「何言ってるの。ねえ、真南はあたしを本当の妹だと思ってるの?」
「何いきなり」
「燎平から聞いたよ。妹を泣かすなって田端兄弟を殴ったでしょ」
「だってぼくはおまえのお兄ちゃんだから。父さんも言っただろ、ぼくとおまえはこれからは兄妹だって。部屋を共有することになったのはむかつくけど、ぼく、最初ほどおまえのこと嫌いじゃないし、その」
真南が頭を動かす。
みかんが転がり落ちる。
そんなふうにあっけなく返答されるとあたしは何と答えていいのかわからない。
「おまえの泣き顔って破壊力ありすぎ。妹属性者の脳髄を直撃する感じ」
ミカンはそのままテーブルから落ちて、さらに加速しながら部屋の隅まで転がっていった。あたしはそれを目で追う。
真南があたしを見つめているのが判る。
「妹属性って何。キモオタ用語?」
「やめろよそんな汚物を蔑むような声で言わないでくれ、いや、もっと言ってください」
「とにかくもうやめてよね、ああいう危ないことは」
あたしは壁に当たってようやく停まったみかんを拾う。掌で転がしてから、真南に投げた。
至近距離から力を込めて投げつけたのに、あっさりと左手でキャッチされてしまう。やっぱり真南の運動神経は異常だ。
「燎平が超能力者だってこと、どうして真南は驚いてないの? あたしが嘘ついてると思ってる?」
「そりゃ驚いてるよ。でも、そうだったのかあって思っただけ。超能力ってわけじゃないけど、ぼくだって田端兄弟のところに乗り込むまで自分がこんなに戦闘的だなんて知らなかった。今までずっと体育は上の中くらいの成績だったのに、いきなり躰が軽くなって視界が広がって躰が勝手に動いたんだ。びっくりした。これも超能力みたいなもんだろう? ぼくが急に天才格闘家になっちゃったんだから、田端兄先輩が本物の魔法使いでも否定できないよ。そういうもんなのかなって思うし」
真南がそんなことを言うから、それもそうだと納得してしまう。
ちょっとだけ、気が楽になった、かもしれない。
「あや、テレビの傍に立ってるついでにテレビの電源入れて。ぼくは今から録画したアニメ観るから。おまえも観る?」
「深夜系の萌えアニメは苦手。あたしもう寝るから部屋の灯りを消してヘッドホン使ってくれる?」
あたしはテレビの主電源を入れ、床に転がっていたヘッドホンを取り上げて真南に渡す。
「はい、おやすみ」
「サンキュ、おやすみ」
テレビの画面は深夜の一歩手前の時間帯、ちょうどニュースが流れていた。
アナウンサーが淡々とした声で、地方の工場地帯で化学工場が炎上したことを伝えていた。
『これは本日午後三時頃の、事故直後の映像です』
怪我人が多数出ている大事故だ。ニュースでの扱いが小さいのは、事故直後に従業員が全員救助され犠牲者が出なかったせいだ。それでも何度も繰り返される空撮映像は迫力がある。
「わ!」
画面を見ていた真南がいきなり叫んだ。
「え、何?」
「あや、今テレビに映ってたの見たか? 田端兄が映ってた!」
「え、何処に」
「救急車の後ろ、一瞬だけ。たぶん、0.01秒くらい」
「そんなの認識できるのは真南だけだよ!」
「でも間違いない。腕と足に包帯ぐるぐる巻いてたけど、あんなところで何してたんだ、あのひと。エヴァンゲリオンの綾波レイみたいに大怪我負ってた」
包帯と聞いてあたしはもう一度テレビを覗き込む。
だけど、すでに火災の件は終わっていて、与党政治家の不適切発言がどうのこうのというニュースに変わっていた。
「奈那さんのお葬式のとき、初めて会ったときも、燎平は包帯を巻いてた……」
どうしよう。
電話してみようか。メールしてみようか。でももう夜遅い。それに何と言って切り出していいのかもわからない。
ベッドに潜り込んでから、手に入れたばかりのガラケーのボタンを押す。田端燎平の名前を探し出して、メールアドレスを選択。
件名は思いつかないから忘れたふりして空白のまま。ただ本文に、
『あやめです。ケータイ買ってもらいました。これは送信テストです。
元気ですか?』
と書いて送った。
それから五分間、何度も何度もメール受信を確認したけれど返事はない。
あたしは悶々としながら、結局、それ以上は何もできないまま眠った。
夢の中には今夜も奈那さんが出てきた。
『あたしたちが住んでいたマンションの部屋は、あたしの実家がきちんと片付けたから安心していいよ。渡さなくちゃいけないものは実家の人間がまとめて送付するから』
『奈那さんあのね』
『あやちゃん、あたしの息子たちと仲良くしてあげてね』
『奈那さん、燎平は大怪我してるの?』
『あー大丈夫大丈夫ぜんぜん大丈夫だから心配ない。燎ちゃんはばっちり訓練されてるから心配ない。燎ちゃんはあたしによく似てとっても優秀なんだよ。もう少し修行したらナイフとフォークもちゃんと使えるようになるから懲りずにまたデートしてあげてねぇ、カッカッカ』
奈那さん、燎平のこと燎ちゃんって呼ぶんだね。
夢の中であたしはくすくすと笑った。奈那さん大好き。あたしは彼女の手をつかんで振り回す、もっと燎平の話きかせて……
目が醒めて、やっぱり少し泣いてしまった。
まったく意味不明な夢。
ふと見ると、握りしめたまま眠っていた携帯電話がちかちかと光っていた。
――燎平だ!
ベッドに正座して開く。短い返信だった。
『元気です』
胸がぎゅうっとした。
だって燎平が嘘をついているような気がしたから。
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