§3-2 本物の魔法使いなの?
テストの結果は即日、保護者宛にメールで届くそうだ。
それぞれのクラスによって通学曜日や時間が変わってくるので、生徒ではなく保護者に直接連絡するらしい。
伯父さんに満足してもらえる結果だといいんだけど。
塾の自動ドアを出て空を仰いでいると、ぼんやり空腹を自覚した。バスに乗ってスーパーの前で降りて、晩御飯の買い物をするついでに何か食べよう、何かあったかい、肉まん的なものを。そして今夜はカレーだ。ルーと牛肉と野菜を買って帰る。
「若月さんも、バス?」
歩きだそうとしたところで長崎くんの声がした。
振り返ると、浅黒い顔でくすくす笑いながらあたしを眺め下ろしている。
肩から提げたバッグには大きなアディダスのロゴ。スポーツクラブに入ってたのかな。この時期だから大きな大会が終わって中学受験に集中することにしたのかも。
「よかったら何か食って一緒に帰らない? クーポン持ってるし」
彼が顎をしゃくった方角にマクドナルドの看板が見えた。
すごいなあ、長崎くんは。
同じクラスとはいえ今日はじめて認識したような女子を、ろくに会話したこともないような女子を、どうしてこんなふうにあっけなく「クーポン持ってるし」なんてマクダナルドゥに誘えるのだろう。
あたしがイエスと答えたら、いったい何の話をするつもりなんだろう。
どこに共通点があるのかわからない、友達でもない手探りの関係なのに。あたしはこのひとといったい何について語ればいいのだろう。
いや、友達ではないから誘うのか。
誘ってみて話をして、そこで気が合えば友達になれる。友達だから誘うのか、友達になるため誘うのか。卵が先か鶏が先か。
正直いって面倒くさい。
あたしは微妙に口角を曲げてみせた。うまく愛想笑い出来てるだろうか。
「もしかして用事あった?」
「う、うん、今から晩御飯の買い物に」
「ああそうなのか、メニューはなあに」
「え、と、とりあえずカレー」
「オレ、カレーばり好き。いつも唐揚げと目玉焼きを乗せてもらう」
「あはっ、ファミレスみたい」
「若月さんはカレーに何乗せる?」
「何も乗せないけど、リンゴのヨーグルトサラダは絶対欲しい。給食についてるやつ」
「あるある! それは絶対アリだ」
「でしょでしょ」
「本乗北町のデイバイデイってスーパー知っとる? 激安ってわけじゃないけどマニアックな食材も置いてるんだって。おかんはそこで香辛料も買うって言ってた」
長崎くんは、ふわっと話を膨らませるのが巧い。
頭の回転が速い。ひとつの単語を上手に展開させることができる、立方体を切り開くように。
こういう男子と会話するのは楽しいな。
「ありがと。行ってみるね」
だんだんと緊張が解けてくる。あたしはちょこんと頭を下げてみた。
長崎くんはいいひとだな。
警戒しないでもっと気軽に応じればよかった。ハンバーガーも一緒に食べてみればよかった。いつか真南に言われたとおり、あたしはちょっと中二病で自意識過剰だったかもしれない。
今からでも間に合うかな。
「長崎くん、あの、やっぱりあたし、よかったら、一緒にお昼を」
喉の奥から声を振り絞る。
とたん、長崎くんの顔がぱあっと輝いた。
「やっぱり若月さんって第一印象どおり、ちっちゃくて可愛い。君が森高としゃべってるところいつも見てたんだ、声がふわふわしてて可愛いなって思ってた。君すごく可愛い」
「あ、あは」
「そんな引きつって笑われても困る」
「いや、いやいやいやいや、いや、でも、そんな、フヒヒヒ」
思考がスライドして目の前が赤で染まる。ちょっと待って欲しいんだけど、あたしたちそんな話してたっけ? そういう会話してましたっけ? あたしが考えていたのは、友人関係の卵と鶏の話なんだけど? あれ、それも違う?
「ええと。――え?」
リアクションに窮していたら、白い車が車道の脇に寄ってきてパンとクラクションを鳴らした。
あたしと長崎くんは同時にその車を見る。
白くて小さくて丸っこくてウサギみたいな車だ。そして妙におかしいのが、堂々と貼られた初心者マーク。
「何?」
あたしたちがその車を見つめていると、助手席の窓がゆっくりと開いた。
運転席から身を乗り出して「おい」とあたしに呼びかけたのは。
「あや、遅れてごめん。迎えにきた。寒いから早く乗って」
田端燎平だった。
「え、え?」
「乗るの? 乗らないの?」
何処から突っ込んで良いのか判らない。
どうしてこのひとがこんなところで出てくるのか、今日は車なのか、っていうかその車は何なのか、どうしてあたしがここにいることを。
「でもあたし」
「そっちの坊主頭も送ってやろうか」
燎平が長崎くんを指さす。相手が年下だからって人を指さすなんて失礼な男だ。最低だ、最低、田端燎平。
「いえ結構です」
長崎くんは即答してあたしの腕を優しく押した。あっやばい、今ナチュラルに長崎くんに触られてしまった。
どきどきする。
「若月さん、せっかくだから送ってもらえば?」
「あの長崎くん、あの、あのねこのひとは」
「学校に訪ねてきた親戚のお兄さんだろ? 君と森高が話してるのオレ聞いてたし。わざわざ来てくれたんだから、こういうのはご厚意に甘えるのが筋だよ。オレのことはまた、月曜日、学校で」
長崎くんはひらりと手を振り、「学校でね」と余裕の表情で念押ししてから背を向けて歩き出す。
あたしは何だか居たたまれなくて
「うん、月曜日……ね」
って小さく手を振ったけど、長崎くんは振り向いてくれなかった。
「おい、早く乗ってくれない?」
燎平の淡々とした声が憎かった。
あたしは助手席の窓から顔を突っ込んで吠える。
「何なの、ちょっと、何なの何なの何なの! 迎えにきてなんて頼んでないし!」
「はい乗って」
「やだ。高校生でしょ無免許運転でしょ、おまわりさん呼ぶ」
「免許は持ってる。夏休みにとった。おれ高校二年生だけど十八歳。他に質問は?」
これはもう逃げられないなと悟った。
そろそろ通行人の視線も気になってきたので、あたしはわざとらしいほど乱暴にドアを開け、シートに座ると力一杯閉めた。
「高校生のくせに!」
「うん。実は免許取得も運転も校則違反なんだよね」
開き直られたらもう罵声も思いつかない。それよりもこんなところで揉めているところをひとに見られたくない。
車は新しくて、小さなくせにふかふかで、いい匂いがして、そしてあたしの知らない洋楽が流れていた。
彼がアクセルを踏むと、車がふわっと走り出す。
対面するよりも並んでいるほうが喋りやすい。
あたしは少しだけ緊張の鎖をほどいてみた。
なるべく燎平の横顔を見ないようにして話そう。
「あたしがここにいるってどうしてわかったの? あたしの前に突然出てきたのは初めてじゃないよね?」
「おれはおまえの居場所ならいつでも何処でも判るし」
からかわれてるんだと判っていても言葉が喉で詰まる。彼はからかっている、でも嘘はついていない。
「真南に聞いたけど、留年してるってほんと?」
「うん。一回目の高校一年生のときにがっつりサボってた。魔法の国で修行してたんだよ、そう聞いただろ?」
「それって本当は学校でいじめられて不登校だったんでしょ? 今は大丈夫?」
燎平はくすくす笑う。
「どうして笑うの?」
「小六の女の子って世界がちっちゃくて考えることが単純だ」
バカにされてるから返事してあげない。
あたしは無言のまま窓の外を眺めた。
引っ越してきたばかりの道を燎平の車で走ってる。
このまま何処かに連れ去られたらどうしよう?
「今から何か食べに行こう。行きたい飯屋があるんだけど、さっきの坊主頭が誘ってたジャンルとは違うからなあ。ハッピーセットはないけどいい?」
「そういうのやめてくれない? このまま送ってよ」
「パスタランチならつきあってくれるだろ? 小学生の幼女はみんなトマトソースのスパゲティが大好きなんだって大宇宙の法則で決まってるからな、これは童貞のおれでも知ってる」
またしてもバカにされてるから返事はしない。そもそもあたし、背は低いけど小六だし幼女じゃないって何度言えばわかるのこのクソバカ。
「反対意見がないようですので本案は可決されました」
燎平はおどけた口調でそんなことを言って、大きな交差点を右に曲がった。
どうやらあたしはこれからお洒落なレストランでこの六歳年上の不思議な男と一緒にごはんを食べることが「可決」されたらしい。
ひたすら流れている洋楽は何の曲だから知らないけれど、ノリノリの音楽に合わせて男のひとがヒィとかホゥとか動物の鳴き声みたいな叫び声を入れて歌っている。燎平が流ちょうな英語でそれに合わせて口ずさむ。
ヒィ!
ホウ!
クソだせぇ。
不機嫌なあたしに気づいたのか、信号待ちの途中でふいに燎平が言った。
「まさかとは思うけど、おまえ、マイケル・ジャクソンは知ってるよね?」
「そういうのムカつく。古い洋楽を知ってる俺ってイカしてるだろみたいな男前アピール、クサいし全然かっこよくない」
「なんでおれがおまえにハンサムアピールしなくちゃならないんだよ」
「あなたは本物の魔法使いなの?」
「そもそもマイケル・ジャクソンとビートルズくらいは……いま何て?」
さすがにあたしの質問は唐突すぎたかもしれない。
「あ、いや、あの、何でもないの」
「それじゃ逆に質問したいんだけど。おまえはおれの奇行をあれだけ見ていたくせに、それでもおれが普通の人間だと思ってたわけ?」
燎平が左手の親指で後部座席を指さす。
あたしが顔を逸らして背後を覗くと、そこでは彼の荷物や本の束がふわふわと楽しげに浮かんでいた。というかそもそも車の中が散らかりすぎ。
ここはまるで、スペースシャトルの中のよう。
「……お、弟のひとも、こ、こんなふうなの?」
「これは母親からの遺伝なんだ。おれは魔法の力を母親の奈那ちゃんから継いだ。でもおれだけだよ。弟の翔馬は悪運強いから絶対【発症】しない」
燎平がぱちんと指を鳴らすと後部座席の重力が元通りになる。
道をひとつ奥に入ると、ジブリの映画に出てきそうなヨーロッパ風の白いおうちが見えてきた。アルファベットの看板はたぶんイタリア語でレストランの店名を書いてあるのだろう。
燎平は駐車場に車を停めた。
あたしはすぐには動けない。
「奈那さんも……? 奈那さんもそうだったの?」
「でも日常生活には支障なかったろ? 一緒に暮らしてたおまえだってずっと気づかなかったくらいなんだし」
「そんな力があるならどうして、どうして、奈那さんは職場で突然倒れて、あたしは病院に呼び出されて、それから若月の伯父さんに電話して――」
「あいつはずっとずっと前から知ってたんだよ、自分の命が長く持たないこと。おれも知ってたけどさ。まあ焦るなよ、その話もおれの気が向いたら追々してあげるから」
「待ってよ!」
車を降りる。
燎平の背中を追って店に入った。
とても静かな温かいお店で、大きな声を出しそびれる。あたしは燎平の背中をつかんだ。
入り口のお洒落な黒板には、ランチコースが二千五百円と書いてある。
………ハハハご冗談を。
「ごめんあたしお金無い。貧乏って意味じゃないんだ、学校指定の本やら買っちゃって、今日は夕飯の買い物もしなくちゃいけないし、お小遣いが足りなくなったら伯父さんに相談する約束になってて、なんというか」
「奢るよ、最初のデートは紳士の奢りと決まってる。同じクラスの坊主頭とつきあったって、こんなところには連れてきてもらえないと思うけどね」
デートォォォォォ! ヤッベェェェェ!
からかわれてるのに背筋がびくんとなった。
土曜日の昼とあって、席は半分以上が埋まっている。
落ち着いた年頃の女性連れや、あとはやっぱりデート中の若いカップル。今このお店の中で子どもはあたしだけ。
なんだか場違いで、気恥ずかしくて、でもちょっぴり誇らしい。あたしは必要以上に胸を張って、燎平の半歩後ろを歩いた。
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