§最終話 真逆の友は真の友
§最終話 真逆の友は真の友
「何しに来たの?」
ほとんど坊主頭っていっていいほどのベリーショートがびっくりするほど似合っている。
頭が小さくて表情が快活だ。それは彼女が着ているジャージのせいかもしれない。
胸にはあたしの知らない小学校の校章だ。
これがあの森高小春だなんて、二ヶ月前の彼女を知る者ならきっと全員が全力で否定するに違いない。
あれから小春は転校した。
両親と一緒に引っ越したわけじゃなくて、彼女ひとりが親戚の住む遠い町に移住した。親に愛想を尽かされて放牧に出される子ってだいたいこういうパターンなんだよねと小春は言った。
秋はもうすぐ冬になる。
この町はあたしが住んでいる町よりも、ずっと、寒い。
新幹線に乗らなきゃ遊びにいけない距離をあたしは一瞬で移動して、小学校の全校生徒が三十人ぽっきりという山奥の小さな町を訪ねた。
小春は放課後のグラウンドを走っていた。
意外すぎるほど美しいフォームだったからしばらく彼女に見とれてしまい声をかけるのを忘れたほどだ。
やがて小春があたしに気づいて駆け寄り、とくに驚いた顔もみせずに「何しに来たの?」と言った。
「あたし、まだ小春から謝ってもらってないんだけど」
「はあ? キモい妖怪の分際で何言ってるの。こっちはあんたのせいで死にかけたんですけど?」
声にも言葉にもまったく素晴らしく容赦がない。
山村の澄んだ空気は、森高小春を醜い嫉妬の塊から切れ味鋭い軍用ナイフに変貌させた。小春はねじくれた性格のままで美しくなった。小春はまったく更正しないまま真っ直ぐになった。
なぜか今の小春のほうがすごく小春らしい。
小春は帰れとは言わなかった。
あたしを誘って坂を上って階段を駆けた。
上り詰めた頂には小さな神社があって、景色の向こう側には夕暮れ間近の海が見えた。古い自動販売機で小春が水を買う。あたしは炭酸水を買う。
「サイダーなんて飲むの? ダサッ」
「炭酸飲料は魔法使いの燃料なの」
「ふうん。そのネタってネットで拡散してもいい? 今はネット環境を取り上げられてるけどそのうち復活するから。この町ってクソなんだ、まだ光回線もきてないんだよ」
「拡散はかまわないけど小春みたいなクソバカ女の言うことなんて誰も信じないよ。だってあんたの話は全部嘘なんだもの」
ハッ、と小春は肩と鼻で吐息する。
その横顔が大人びている。
「あれからもずっと素人魔法少女気取りで私みたいなクソバカを助けて説教して回ってるわけ?」
「おかげさまでちゃんとプロの魔法少女になったし、メインの仕事はバカの救助なんかじゃないし」
あたしがちらりと腕のブレスレットを見せる。
「そんなもん見せびらかしちゃって。相変わらずクラスで浮いてるんでしょ」
「まあね。小春はここに転校してからどんなふう?」
「ここでもめっちゃ嫌われてる。こんな山奥のクソガキなんてバカばっかりよ、全校生徒三十人で六年生の卒業までに大縄飛びの小学生記録に挑戦するとか言ってるの、バカバカしい。バカだと思わない?」
「あたしもそういうの大っ嫌いだよ」
あたしたちはふたりで声を揃えて笑った。ひとしきり笑ったあとで小春が言った。
「私とあやちゃんって、結局、友達ができないタイプなんだよ。何処で何をしても、私みたいな生まれつきの悪人であろうがあんたのような生まれつきの善人であろうが、本質はまったく同じってことなの」
「友達なんていなくていいよ。あたしには恋人がいる。小春もはやく彼氏をつくればいい、こんな田舎じゃ無理かもだけど」
「あやちゃんほんとむかつくわ。このドブス」
「フヒヒ」
それでもあたしは何故か心が安らいでいたし、きっと小春も安らいでいた。
本当は第一印象からわかってた。
この子はあたしの特別な存在になるって予感してた。それはとても良い意味とは言えなかったけれど、まあ、当たっている。
「ねえ、あやちゃん」
「ん?」
「もしかしてもうすぐ死んじゃうんじゃないの? それでわざわざ私に会いにきたんじゃないの?」
一瞬、見透かされて言葉に詰まった。
小春が手を伸ばす。
あたしはその手を払いのける。小春が意地悪く笑う。あたしもさらに意地悪く頬を膨らませる。
あたしが自分の心から小春の存在を切り離せないのはこれが理由だ。小春はあたしのすべてを知っている。小春はあたしの正体を知っている。小春はあたしの宿命を知っている。
だからあたしはときどき小春に甘えたい。
燎平には言えないこと、真南には気づかせたくないことを小春にだけ投げつけたい。そんなあたしを小春は察している。あたしが小春を察しているように小春もあたしを察している。
「そんなわけないし。小春が遠い田舎町でクズをこじらせてる様子を嘲笑ってやろうと思っただけだし」
許すこと、許されること。
友情、愛情、善と悪。
そんな些末なことは宗教に任せておけばいい。あたしと小春には関係ない。でもあたしは小春がまた何処かへ連れ去られそうになったら闇夜を引き裂いて救助する。きっと何度そうなっても何度でもそうする。
「ありがとうなんて言わないから。私から全部奪ったくせに。めちゃくちゃにしたくせに」
「本当はめちゃくちゃにしてほしかったくせに」
「バカにしないで。私はあやちゃんが思ってるほど寂しい人間じゃないよ」
あたしたちは互いに言葉の槍で互いの心臓を突き刺す。何度でも何度でも突き刺してこんなふうにして戦う。
「もしあやちゃんが自分のやっていることに迷ったり、これでいいのかなって不安になったり、やめちゃおうとかいっそ自殺しちゃおうって思ったらいつでも私のところにおいでよ。力の限り憎んで罵ってあげるから。好きよ」
「あたしも好き。小春」
「ん?」
「今夜のうちに出来るだけ多くのひとに声をかけて小学校の鉄筋ビルの中に避難して。今夜一晩だけでいい」
「どういうこと?」
「嵐がくる。すごく、すごく大きな。たぶんこの町でたくさんのひとが死ぬ」
あたしは静かに立ち上がりスカートについた土を払った。
空を仰ぐとすでに漆黒の【雲】が渦を巻いている。嵐が近い。災厄が近い。
あのときのあれと同じだ、と小春が小さく呟く。
あたしは頷く。
「小春。あんたの能力を、今、あたしが最大限に【増幅】させた」
「私の能力って何」
「決まってるでしょ、『嘘つき』の能力」
「うっわ最低」
「だから行って、あの【雲】のことは内緒にして、適当な嘘をついて皆を避難させて」
「──いいよ、今夜小学校の体育館にアメリカ大統領が演説に来るって伝えるから。こんなバレバレの嘘でも皆は私が言えば信用するの?」
「今だけだよ。調子に乗らないでね。さあ行って」
あたしは小春を立たせた。
「私もあやちゃんみたいな魔法少女になったらかっこいい彼氏が出来る?」
「出来るよ。でも死と隣り合わせだ。毎回何度か心臓が止まっちゃうの。血がダラダラ出るよ」
「あやちゃんはマゾだからいいんじゃないの」
小春は神社の階段を駆け下りる。
その途中で振り返ってあたしに叫んだ。
「がんばるな! 死ね! もう二度と会いたくない!」
風が吹き始めた。
「がんばるよ。生きるよ。またね」
あたしは両手を大きく振った。肩を回して虚空から【杖】を引き抜く。
吹く風はあたしの下僕だ。
歪む時空はあたしの闘技場だ。
「我はIDペルセポネー、生と物の理に背き神の掟に従う者。IDペルセポネーはこれより飛翔する。IDクリュサオル27」
呼べば燎平が現れる。
「我はIDクリュサオル27、黄金の剣はいつでも我が君のお傍に。戦闘者すべてが所定の位置で我が君の【増幅】を待っております。っていうかおまえそういう台詞喋るのほんと恥ずかしくない? おれはいまだに背中が痒い」
「さあ今日もじゃんじゃか稼ぐよ燎平。あたしを連れて飛んで」
燎平の手を握る。
彼は毎回ぼろぼろになる。毎回血塗れになる。あたしもぼろぼろになる。あたしも死にかける。けれどたいていは大丈夫だ。ぎりぎりの状態で生還する。あたしが自分と彼の自己治癒能力を増幅させているからだ。他の戦闘者たちもそう。あたしが加わることで戦闘力が増し、治癒力が増す。
あたしたちは病気を理由にした消耗品の汎用兵器だ。
皆がめちゃくちゃになる。
燎平がめちゃくちゃになる。
あたしがめちゃくちゃになる。
でも大丈夫。
「よかった」
彼が小さく囁く。
「ん?」
「よかったよ、おまえがあの子と仲直りできて。おれずっと心配してたから」
「仲直りなんてするわけない」
「うへえ、女の子って難しいな。おっかねぇ」
「童貞には難しいんだよ」
「この戦いが終わったらおれが童貞の本当の意味を教えてやるから」
「おまわりさん待機でね。その後は法廷で会いましょう」
「可愛いくない! 可愛くないのが可愛い! 結婚してくれ!」
燎平は大きな戦いに入る直前必ずあたしに結婚してくれと言う。あたしはもちろんいいよと答える。真南に話したらそれは恋する男にとって死亡フラグを折る大事な儀式だと笑っていた。
燎平先輩は心底あやに惚れて愛してるんだよ、ぼくにはわかると笑っていた。
あたしはひとりじゃないんだね。
視界が暗転する。
【杖】を弾く。
自分が、燎平が、あたしの力が及ぶ全ての者の力が【増幅】する。全員の戦闘力が跳ね上がる。
さあ、今日も死に向かって死を弄ぼう。
「IDペルセポネーは全員に命じる。一撃必中」
彼を導いた彼の母に感謝を、あたしを導いたあたしの母に勝利の祈りを。
あたしも燎平もあたしたちに関わってしまったすべてのひとも、生者も死者もそして小春でさえ、今は孤独ではない。息を吸う。いつかママが見た光景をあたしは見ている。息を吐く。いつか奈那さんがみた光景をあたしは見ている。何も怖くない。
畏れよ、見よ、あたしの指ですべては破裂する。
***
デメテルの娘メドゥーサの息子/完
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