§7ー2 ペルセポネーは黄金の剣を携えて
「ところであたしたちどうしてこういうことになってるの?」
あたしは振り返る。
振り返ってから振り返ってはいけないことを思い出したけど、すでに燎平はくちゃくちゃのシャツとジーンズに着替えていた。本当に無頓着すぎて呆れる。
燎平は子どもと同じだと大岡梨佳は言った。
真実だと思う。
「おまえはおれが閉じ込められていた【雲】を一撃でぶっ飛ばしたんだよ、それで一件落着解散ってわけ。おまえにそういう能力があることを知ってるからHLNSはずっとおまえを欲しがってたんだ。おまえはHLNSの最終兵器だ。おまえの母親がそうだったようにね」
「その後であたし、過去の世界のこの部屋で六年前の燎平に会ったよ。十二歳の燎平があたしをここまで【跳ばして】くれたの。燎平はあたしのこと覚えてる? でもそのときに、ちっちゃい燎平は奈那さんのことを言ってた……」
「ああ。おかあさんとの約束を破っちゃう、みたいなこと言ったんだろ。昔のおれが」
「奈那さんは燎平に自分が死んだらあたしを殺せって命令してたんだね。あたしのせいで燎平の人生がめちゃくちゃにならないように、奈那さんは燎平をあたしから守るためにあたしの力を防いでた。燎平を守るためにあたしを殺そうと思ってた。でもできなかった」
あたしは肯定が欲しいのだろうか。
あたしは否定が欲しいのだろうか。
どちらでも傷つくからどちらでもいい。でも正解から逃げる選択はない。
「おれは奈那ちゃんからいつも言われてたよ」
「何を」
「おまえを殺さなければいつかおまえに殺される。【増幅者】と【減衰者】はね、一度手を組んだら【増幅者】が【減衰者】を消耗して死なせるか、逆に【増幅者】が【減衰者】の制御能力を超えるところまで暴走して自滅するかの二者択一だ。おまえの母親が死んだのは奈那ちゃんが制御できなかったからなんだ。そして奈那ちゃんは覚醒をはじめたおまえの力をすべてゼロにしようとして失敗して死んだ。なあおれの言ってる意味わかる?」
ずばり、ぽんと放り投げられた解答だった。
それはあたしの過去を突き崩すには充分すぎる一言だった。
「意味わかんないよ。でもわかる」
今までの大切なものや、価値観や、記憶がすべて偽りだとわかった。
愛情さえもその正反対のものだった。
あたしの過去はからっぽだった。
短い間だったけど、冗談みたいに楽しい日々だったけど。
「でも、たぶん、」
燎平は小さく言いよどんで、呟いた。
「奈那ちゃんはおまえの母親とおまえを本気で愛していたと思うよ」
ここで燎平は指を鳴らした。
仮の両手には瓶入りのサイダーが二本現れる。
「ほら、甘い炭酸。栓は自分で抜けるだろ、やってみな。他にも便利な裏技をいろいろ教えてやるから」
片方をあたしに差し出した。
あたしは黙って受け取る。たしかに栓抜きがなくても指先で触れたらポンと開いた。
あたしはもう昨日までのあたしではないということだ。
息を止めて飲んで、飲んで、それからげっぷした。
あたまがくらくらする。悪い気分じゃない。
「奈那ちゃんの葬式の日、HLNSはおまえを警護するためにIDイピゲネイアを配置してた。おれがおまえを殺しにいくのを察知してたからね。イピゲネイアを覚えてるだろう? おまえに【杖】を渡してた」
「喪服のおばさん……」
「ああ見えて有能なんだよあのクソババア、地球の北半分を仕切ってるし。覚醒した人間を組織にスカウトする方法もめちゃくちゃなんだ。おまえは友達を利用されただろう? おれは十二歳のとき似たような設定で翔馬を殺されかけたよ。あれじゃ誰だって【杖】を受け取るよな。ああいう鬼畜じみた強引な手腕がいいんだってさ、組織的には」
胸のなかで炭酸がはじける。
燎平はあっという間に飲み干して瓶を床に投げ捨てた。あたしは溜息をついてそれを拾う。
「小春のこともそうだけど、あたしが決めたのは、このままじゃ燎平が死ぬって言われたからだよ。あたしの力を吸った燎平がこれから死んでしまう、あたしが【杖】と契約して癒さないと死んじゃうって言われた。あたしたちは炎と水のような関係だって」
「うん。おまえはおれを暖めて負傷を癒してくれるけどそのうちじっくりと焼き殺してくれるわけだよ。それにおまえ自身だってそうなんだよ、おれという冷却水が常にいないとおまえはいつか自分で自分を暴走させてメルトダウンする。おれが【減衰】してあげないとね」
「そうなの?」
「うん。だからおれたち、こうして」
燎平は手を伸ばしてあたしの頭をぽんぽんと叩いた。
「こうして触れあった時点でもう互いに人生詰んじゃったわけだ。つまりこれが奈那ちゃんが怖れていた、おれにとっての最悪の状況」
ああなんて悲劇的な幸福。
あたしは燎平のもので燎平はあたしのものだ、これからもずっと未来永劫。
「ねえ燎平。あたし燎平が好き。すごく好きだ」
「うん。おれもおまえのこと嫌いじゃない。好きだよ」
「それじゃちゅーして」
「あ?」
「ちゅーして。ちゅーして。あたしにキスして。キスしたい」
「いやあそれは、なんていうか、えっ、ほんとに? 高校生男子が小学生女子にチューしたらおれがポリスにゲッチューされちゃうんじゃね?」
「して! 意気地なし!」
あたしが両目を閉じてぐいと迫る。
するとするりと気配が動いた。燎平があたしの頬ではなく左手をとる。
あたしは薄目を開ける。
燎平があたしの前にひざまずいて、あたしの手をとって、そしてあたしの指に唇をあてた。
「ちゅー、というか、ちゅーせいを、お姫様に忠誠を誓いまーす、なんて……」
「……」
「わー! ちゅーしたからな! ちゅーをしたからな!」
嘘みたい。
嘘みたいなヘタレだ。
ありえない。
でもいい。
まあいっか、今はまだこれでいいや。
燎平はそっとあたしの顔を伺った。
「──それでさ、もしもおまえが望むなら学校の連中の記憶を改竄してやるけど。森高小春のこともクラスの騒動も全部なかったことにできる。どうする」
「必要ない。このままでいい。あたしには必要な試練だ」
「試練って何言ってんだよ生意気な」
「燎平。これからあたしたちふたりに一番必要なものは何だと思う?」
「えっ、えっ、……そりゃ、おまえあれだよ、信頼とか、絆とか、あの、あ、愛、みたいな?」
「バカね、お金に決まってるでしょ」
大人の男のくせに頬を赤く染めている燎平の肩をあたしはひっぱたく。どうして肝心なところでこのひとはこんなふうなんだろう、だから童貞なんだよ!
「殺すとか殺されるとか死ぬとかそんな切迫した関係はいやだよ、そんなのいやだ。もっとシンプルに考えたい。あたしもあなたみたいに正義の味方になればいいんでしょう、自分を傷つけてぼろぼろになって誰かを助けたり何かを守ればいいんでしょう、そういう仕事をしたらたくさんお金が貰えるんだよね? たくさんお金が貯まったら手術を受けられるんだよね? そしたら普通の人間になれるんだよね? だからあたしたち一緒にがんばって戦わなくちゃ……待って、でもその手術の話って本当なの? 騙されてない? 証拠はあるの?」
「組織は嘘なんてついてない。手術は受けられる。証拠はある」
燎平はきっぱりと言い切り、しずかに三回深呼吸した。
それからもう一度あたしの顔を見る。
「奈那ちゃんの──おれの母親の莫大な遺産なんて存在しないんだ。はじめから存在しない。だってあのひとが自分のためにコツコツ貯めていた手術資金は、翔馬の手術で全部まとめて使っちゃったから」
「へっ」
喉の奥から変な声が出た。
それより他にどんなリアクションをとればいいのかわからなかった。
燎平はベッドの上で膝を抱えた。
あたしはその隣に座った。
「それ、いつ?」
「二年前だ。おれはすでにこんな躰で仕事もしてた。翔馬はおれがめちゃくちゃになってく様子をすぐ傍で見てたから自分もいつか同じことになるんじゃないかってずっと怯えてた。とうとうその兆候が現れたときに、奈那ちゃんが、ちょうど資金が貯まったからおれと翔馬のどちらかひとりなら助けてやれると言った。おれは翔馬を助けてやってくれと言った」
「どうして?」
「翔馬が死んだら梨佳ちゃんが悲しむ。梨佳ちゃんは物心つく前からずっとずっとずーっと翔馬一筋で愛しまくってるんだから、彼女から翔馬を取り上げるなんて酷なことはできないよ」
「それだけ?」
「うん。おれかっこいいだろ」
「それなら猛烈に後悔したでしょ? きれい事で決めた覚悟って後からじわじわ後悔するんだよ」
「おまえほんっとオッサンみたいなこと言うよな。──そう。後悔した。めちゃくちゃ後悔した。だからおれ、嫌がらせのつもりで翔馬や梨佳ちゃんや太郎ちゃんの記憶を巻き戻した。とっくに手術を受けてるのに忘れちゃってるんだ、翔馬はクソジジイになって孫と曾孫に囲まれて安らかに老衰で息をひきとるその瞬間まで【発症】しやしないかと怯えて続ける。ハハッざまぁ。どうせそのときおれはとっくに死んでるもんね」
燎平はそう言って両膝に顔を埋める。
「でもすごく辛かったからしばらく家出した。それで留年した」
「何処に居たの」
「大西洋の沖で【雲】と戦ってた。破壊しまくってた。それでわかった。おれ戦うのが好きなんだ。戦闘大好きマシーンなんだ。世界の平和や平穏や安寧なんてどうでもいいんだ、おれ、ヤケクソで生きてる。それでいいんだ。それでよかったんだ、──おまえに会うまでは」
「うんと年上の男のくせにかわいいこと言ってくれるね」
あたしは燎平の頭を撫でた。燎平が手を伸ばしてあたしの手に触れた。
ああ、つながる。
あたしと燎平が繋がっている。
心が繋がる。
肉体が繋がる。指の先から溶けあってく。
「奈那ちゃんが死んだ。死ぬのは怖いって初めておれ思った。やだよ。おれ生きていたい。死にたくない。誰かに好きって言って欲しいし誰かに好きって言いたい。すごく言いたい。おまえが好きだ。若月菖蒲が好きだ。おまえがおれのことを知らない頃からずっと見てた。ずっと好きだった。斎場ではじめて抱きしめたとき胸がどきどきした。ぜったい手放したくないって思った。ごめん。おれ変態だ。ロリコンだ。ごめん。好きだ」
「燎平が好きよ。だからいつも傍にいてあげる。戦うときは傍にいるよ。あたしも戦闘マシーンになるよ。実は【雲】を破壊したときちょっといい気分だった。いい気分になってしまった自分を怖いと思った。でも今はそんなこと考える場合じゃないね。戦ってお金を稼がないと。ね、燎平、一緒にがんばろう。ボニーアンドクライドみたいにむちゃくちゃに戦おう、で、死ぬときも一緒にいよう。大丈夫よ、何も心配しなくていい。何から何まで全部あたしに任せていいよ!」
「くそっ、おまえは大天使か。おれをお婿さんにしてくれ」
「あたしが大人になるまで待ってて。それまで童貞でいてね」
せめてそれまでふたりで生きていよう。それが人生最初の目標だ。
じりりと左手首に熱がはしった。見ると金属の腕輪がついている。燎平がつけているのと同じものだ。
【IDペルセポネー、IDクリュサオル27と本部に急行せよ】
「わ、喋った! ペルセポネーってあたしのこと? ギリシャ神話の女神様の名前だぁかっこいい!」
「あいつらはたぶん面白がってわざとキラキラコードネームをつけてるんだと思う」
「そういえば燎平はクリュサオルだよね。これも神様?」
「いや……ペルセウスが……メデゥーサをやっつけたときに海から生まれた……」
「それ知ってる! ペガサスだよね!」
「いやペガサスじゃないほうなんだ……一緒に生まれた双子の……馬じゃなくて、生まれながら黄金の剣を携えた化物っていうか実はよくおれも知らない……黄金の剣なんて設定もうほんと無理っすよ恥ずかしいもん……とにかく行こう、むかつく入隊儀式はさっさと済ませた方がいい。帰るのが遅れたらおまえの兄ちゃん怖いだろ。おまえ専用警備員は相手がおれでも容赦なく殴ってくるからな」
「夕飯までには帰りたい」
「これからいろんな講習や約束事を聞かされるけどいちいち突っ込むなよ。特にあの、戦闘時の面倒くさくてキラキラしたこっぱずかしい名乗りとか! まあいいや。行こう」
燎平が視界をスワイプするみたいに片手を振って、あたしの人生も翻る。
本部では拍手で迎えられて、ああ、これであたしは正義に心臓を預けちゃったんだなと覚悟した。悪くない気分だったし、頑張って稼ごうと思う。
あたしは自分の人生も燎平の人生も諦めるつもりはない。
§7ペルセポネーは剣の男を従えて/了
最終話に続く
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