第3話 仕事と女子力と私
その週は、日帰り出張や社内研修があったり、また、それらで不在時に溜まった社内の雑務を合間の出社時に片付けたりと、程ほどに多忙な一週間だった。
出張とは、自分が属する部署の部長を連れて取引先のトップに会いに行くもので、出張前後には上司との打合せ、資料の準備、及び記録の作成がもれなく付いてくる。面談だけで終える事が出来るのならば特段何の負荷もかからないのだが、当然、会いに行くからには理由と成果を求められるものだ。しかも上司を連れて行くのならば、自分一人での面談よりもその意味合いは強くなる。
「2年前くらいのここの役員との面談記録にこの件の経緯書いてあったけどちゃんと読んだ?」
「この資料を持っていこうと思った理由は?この資料で何が言いたいの?」
「今ここの先と進んでいるビジネス、全部把握してる?」
「この記録の書き方だと、一番言いたいことが伝わってこないよ。」
現部署に異動してきてまだ数ヶ月の自分には、上司からの質問や指摘に対して咄嗟に答えられないものが多く、そのたびに気落ちする毎日。
ただ、社会人も10年目間近になると、自らの得手不得手や役割、上司の言いたい事や自分に期待されている事が、若手の頃よりはわかるようになってきた。こういった社会人の知恵や経験をありがたくも積ませてもらって、同年代の男性が会社の中で上手く振る舞えていない場面を見ては『もっとうまくやればいいのに』と思うたび、自分は女子としてどこへ向かっているのだろうという不安も積もってくる。
この後の人生で、仕事とプライベートを両立させたい気持ちはもちろんあるが、結婚と出産を考えるとどうしても仕事を優先できない場面が出て来るのは明白だ。
いつ来るのか目途もつかないそんな未来を、この先の自分のキャリアを考えるときに一体いつまで考慮に入れればいいのだろう。
その週の金曜日の夜、デスクワークにようやく終わりが見えた頃には既に20時を半分くらい過ぎていた。
この記録を作ったら帰ろうかな、そう思い携帯に目を移すと、メールが入っていた。開くと
「石野ちゃん、まだ会社?ご飯食べに行かない?」
前の部署で一緒だった仲の良い同期の女の子からだった。受信は10分前。
まだいるかな。
そう願いながらメールを返す。
「行く!そろそろ終わろうと思ってたとこ!なっちゃんもまだいる?」
メールはすぐに返ってきた。
「うん!あそこ行かない?こないだ言った、なめろうが美味しいとこ!」
「行きたい!でも金曜日だし入れるかな」
「今電話したらいっぱいだったー」
メールのやり取りの間にお店に電話してくれたらしい。彼女は相変わらず仕事が早い。
「あ、じゃああれは?こないだ同期会の候補になってたうちの近くのお肉のお店」
「取れた!」
ああ、あっちの反応を見たら今度は自分がお店に電話しようと思ってたのにまた先を越された。
電話してもらったお礼を送って後片付けをする。
「お先に失礼しまーす」
金曜日だからか、珍しく隣の部も含めてフロアには人が少なかった。
いや、これが普通だよ。働きすぎだよ、日本人。
この会社に勤めてから今まで何百回も思ったセリフを改めて思いながらエレベーターを降りた。
「おつかれー!」
会社を出たところで先ほど約束をした同期と合流し、タクシーで彼女が予約してくれたお店へ向かう。
同期の佐伯奈美子とは、前の部署で一緒になってから仲良くなった。同期といっても大量採用世代の私たちには星の数ほどの同期がいるため、仕事上か研修かで一緒にならない限りは知らない同期の方が断然多い。知り合っても、休日に遊ぶくらい仲良くなる同期なんてそのうちのほんの数人だ。
正直、前の部署に彼女が異動してきたときは、同期とはいえあまり話したことがなかったのと、かわいくてしっかりしていて仕事ができる彼女は自分とは少し違う人種だと思っていたため、こんなに仲良くなれると思っていなかった。先入観なく接してみると、誰とでも仲良くなれる要素はあるのかもしれないな、大人になってからよくそう思う。
「かんぱーい!」
「あの店員さんイケメンじゃない!?」
「このワインおいしい!どこのだろう?」
よく行くオシャレタウンの、前から行きたかったお店ではしゃぐアラサー女子二人組。
同期の佐伯奈美子は、女子中・女子高を出た後、都内の大学の英文学科というほぼ女子しかいない学科を出て、男性と話す経験が少ないまま総合職として銀行に入った。そして最初の研修で同じ班となった男の子と1日で恋に落ち、1年の交際を経て婚約するも、結婚準備期間中に価値観の違いに気づきどちらともなく結婚を取り止めたという、ジェットコースターのような人生経験の持ち主だ。私がのほほんと、社会人って大変だな、彼氏できないかな、とくだらないことに悩んでいた1年目の間に、そんな漫画のような波乱万丈な恋模様を送っていたのだと聞いたときは驚いた。その頃の彼女を考えると、今目の前で、程よく焼かれたシャトーブリアンを嬉しそうに口に運び、赤ワインを勢いよく飲みながら笑っている彼女も、色々と悩み苦しんでここまで大人になったんだな、そう思う。それから数年経った今、もともとのかわいらしさと頭の良さに加え、男性との距離感や付き合い方、恋と遊びの違い等、つけなくても十分生きていけるであろう経験と知識まで身につけた最強女子に、彼女はなりつつあるが。
そんな同期と二人、美味しいお肉とお酒を嗜みながら、そろそろ彼氏ほしいねと言い合う。けれど私たちはわかっている。お互い本気ではそう思っていないことを。彼氏がほしくないわけではないが、誰でもいいわけではない。誰でもいいから無理にお付き合いして結婚を目指すほど、私達は困っていないのだ。お金や、今の生活に。それでも、
「石野ちゃん、今度合コンあるから一緒に行かない?」
「行く行く!どこの人?」
自分たちのそんな本音とは裏腹に、いい年した独り身は自ら恋人を探さなければならないという世の中のプレッシャー(別名:婚活)に負け、合コンや知人の紹介といった伴侶探しの旅に出る。
合コンまでに痩せなきゃ。
目の前で、かわいく肉を頬張る彼女のスタイルの良さをまじまじと見つめながら、実行を伴わない緩い義務感に駆られて華の金曜日の夜は更けていった。
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