ガンバレ! ガストちゃん!

 部屋の空気を、一昔前の不良の間に流行っていたようなラッパの音と奇声が大きく震わせ続けていた。


「か、壁君。もう胃酸はいらないの!」

「うっせーよ! オラオラ! もっと出して、全部溶かし切るぜェ!!」


 リーゼントにサングラス、長ランを着た壁細胞の小人たちが、叫びのような雄叫びを上げると、また胃酸が溢れだしてくる。


「主細! なにモタモタしてんだ! もっとペプシ出せよ!」

「ひぃぃ……!! ご、ごめんなさいごめんなさい!!」


 怯えたように、ペプシノーゲンを壁細胞に渡す主細胞に、壁細胞はまた雄叫びを上げながら、ペプシノーゲンを出した胃酸に投げ入れペプシンに変え、それを部屋の中に落ちている物体にかけた。微かに物体は、形を崩したには崩したが、最初の時のような大きな変化はない。

 それもそのはずだ。確かに、ペプシンでタンパク質は分解できるが、それ以外は分解できない。つまり、どれだけ胃酸を分泌したところで、分解できないものはできないわけで、逆に自分を痛めつけるというのに、壁細胞はやめる気は全くないらしい。


「うぅ……」


 注意していたおかっぱ頭の女は、この胃区画を管理する胃であり、少しだけ青い顔をしていた。そろそろ、本体である胃に害を及ぼすレベルになってきているようだ。


「ガストさん!? 大丈夫ですか?」


 胃さんでは、この胃の機能の一つである胃酸と音が被って、わかりにくいということで、彼女はガストと呼ばれていた。


「ちょっと壁! やめなさいよ! これ以上出しても、意味ないでしょうが! また潰瘍起こす気!?」

「ア?」

「てめーらが働けばいい話だろうがァ!」


 胃には、胃酸が流れ出る分、それを守るための粘液を出す細胞も存在する。それが、壁細胞を注意している副細胞だ。


「やりすぎだって言ってるの!」

「なにがやりすぎだよ! こんなに残ってんだろォ!?」


 胃というのは、もちろん消化はするものの、主にタンパク質の分解だ。このあと、胆汁やら膵液が分解するため、結構、残る。

 つまり、これが残ってるのは正しいのだが、壁細胞は理解できてないらしい。おかげで、胃はよく炎症を起こしていた。


「け、ケンカはダメよ!」


 胃が叫ぶものの、小人たちには聞こえていないらしく、口喧嘩はどんどん白熱し始めていた。胃がどうしようかと困っている時、それは突然、上から降ってきた。


「なんだァ!?」

「食べ物……?」


 小人たちが、のぞき込めば、副細胞が悲鳴を上げ、壁細胞が一歩引きながらも、構える。


「ムリムリムリムリ! なに、そいつ!? キモい!」

「テメェなにもんだ!? いてこますぞ!?」


 叫ぶ小人たちの間を縫って、その落ちてきたものに胃が近づけば、


「ガストさん! 危ないですって!」

「怪我すんぞ!?」

「……大丈夫よ。この子、胆のうだもの」

「「……胆のう?」」


 胃が持ち上げたのは、小人よりも小さいというのに、目だけが異様に大きい生物。とても臓器には見えない。


「ガスト。胆のう落ちてこなかったか?」


 数分もしない内に肺がやってきて、本当に胆のうだというのだから、疑う余地はなかった。


「悪いな。肝臓が探しててな。一応、確認してみたら、案の定俺のところのやつが、蹴り落としてきたっていうもんでな」

「肺さんも大変ですね……」

「まぁ、胆のうが無事でよかった」

「胆のうちゃーん!」


 ようやくいつもの定位置に収まると、肝臓も安心したように息をつく。普段は一緒にいるものの、少し目を離した途端にいなくなったら心配もするし、周りは殺伐としている臓器が多い。単純に危険でもある。


「お疲れさまですッ!! 肝臓先輩!!」

「……へ?」


 突然、肝臓に頭を下げる壁細胞たちに、肝臓も含めて全員が目を丸くする。


「ど、どーいうこと?」


 訳が分からず、胃に顔を向けると、不思議そうに首をかしげているだけだ。


「肝臓先輩は、膵臓先輩とマブなんすよね!」


 そこまで聞いて、ようやく納得がいったらしい胃は、小さく声を漏らす。

 壁細胞は胃酸を出して消化の手伝いをする。それはタンパク質の分解が主で、膵液は、糖質、タンパク質、脂質の全てを分解することができるということで、それを分泌する膵臓はすごいのだと、妙に尊敬していた。

 だから、その膵臓と管を同じものを使っていて、仲がいい肝臓も、同様に尊敬しているというところだろう。


「……わひゃぁ」


 まさか別の管を使いたいなんて言われていると、微塵にも思っていないのだろう。それどころか、マブだなんて言われた日には、ただの腐れ縁だと必ず訂正してきそうだ。いや、むしろなんでも分解できる恐ろしい膵液を投げつけてくるかもしれない。

 そんな肝臓の考えを全て理解した上で、何も否定する言葉が思い浮かばず、肺はわざとらしい咳払いをすると、肝臓を見捨てて胃の方に目をやった。


「そんなに膵臓を尊敬してるなら、分泌しすぎは膵臓から注意してもらえばいいんじゃないか?」


 胃がよく壁細胞の張り切りすぎで、炎症を起こしていることは肺も知っていた。だからこその提案だったのだが、胃は申し訳なさそうに眉を下げる。


「?」

「肺ちゃん。肺ちゃん。壁ちゃんたちが張り切るタイミング」


 こっそり耳打ちすれば、すぐに合点がいったらしく、眉をひそめた。

 そう、胃が消化し、その先で小腸が吸収する。つまり、血糖値が上がる。膵臓には、毎回困らされている根性のあるニートたちがいるのだ。


「……そうだ。肝臓は? お前、シップに任せてるだろ? 少しくらい」

「前にやってもらったんですけど……」

「逆に張り来ちゃったんだよねー」


 気遣いと勘違いした壁細胞が、いつも以上に張り切ってしまったのだ。肺がどうしようかと頭を悩ませるが、答えは出ない。


「あ、ありがとうございます。考えてもらえただけで、十分です」

「す、すまない……力になりたいんだが」

「一応、膵臓ちゃんに相談しておくよ」

「ありがとうございます。でも、私だって胃なんです! がんばります!」


 2人は言葉にはしないものの、すごく心配だ。

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