第21話

「ここの家賃は、いくら?」

「7万円でしゅ。」

「静かでいい部屋だね。」

「はい。静かなのが気に入って、この部屋に決めましたよ。」

チフンは、Tシャツと靴下を脱ぎながら答える。

Tシャツの下には、量販店で売られている、白いドライシャツを着ていた。

ハーフパンツのポケットから、黒いお財布を取りだし、フィギュアの横に置く。

その黒い長財布は、膨らんでいて、光沢もなく、端が少しくたびれていた。

「チフン、テーブルある?」

「はい、ありましゅよ。」

姿見の後ろから、小さな折り畳みテーブルを取り出す。

テーブルをセットし、チフンはベッドを背にして座った。

うな重とオードブルを広げる。

「食べよ。」

「いただきましゅ。」

うな重に貼られた値札を見て、チフンは、目を見張る。

「あ、そうだ、チフン。」

バッグから、銀行の封筒を取りだし、チフンの前に置く。

「何でしゅか?」

チフンは、封筒を見て、不思議そうな顔をする。

「お餞別。」

「ダメでしゅよ。受け取れないでしゅよ。」

チフンは、首を横に振りながら、封筒を押し返す。

「チフンってすごいと思う。決断して、すぐ行動に移して。オーストラリアで頑張ってほしいから。」

封筒をチフンの方に寄せる。

チフンは、頷きながら、だんだん笑顔になっていく。

「ホント、すごいことだから、心からのお祝い。」

「いえいえ、これは必ず返しましゅ。本当にありがとごじゃいましゅ。」

チフンは、頭を下げながら答えた。


「ミツコさんは、何歳でしゅか?」

「私?・・・33歳って言ったじゃん。」

チフンは、呆れたような笑いをもらす。

「・・・そうでしたね。ま、いいか・・・」

「チフン、これからは、ミッちゃんって呼んで。」

「ミッちゃん?」

「うん。」

「ミッちゃん?ミッちゃん・・・うん、いいでしゅね。ミッちゃん。」

「ねえ、オーストラリアに行っちゃったら、どうやって連絡とればいいの?」

「ミッちゃんは、スマホでしゅか?」

「ううん。」

「スマホのLINEがいいでしゅよ。電話も掛けられるし。」

「ホント?わかった。チフンは、彼女いないの?」

「今年の1月までいましたよ。」

「同じ店の子?」

「同じ会社の化粧品店の子でしゅ。」

「どうして別れたの?」

「えーと、束縛?」

「うん、束縛。」

「束縛されるのが、嫌だったでしゅ。いつも一緒にいなくていいでしゅ。何でも2人でやらなくて、いいでしゅ。」

「そっか・・・。チフンは、料理するの?」

「しないでしゅ。部屋でゴハン食べないでしゅ。」

「全然?」

「えっと、朝、コーヒー飲んで、パン食べるぐらいでしゅ。」

「あと、ラーメンね。」

「はい、そうでしゅ。」

「じゃ、ごめんねー。なんか、いっぱい食べ物持って来ちゃって。」

「いえいえ、大丈夫でしゅ。こんな事になっちゃったから、とても有難いでしゅよ。外でゴハン食べるのもったいないでしゅ。」


オードブルの残りを、冷蔵庫にしまう。

冷蔵庫には、大きなタッパーに、半分ほどのキムチが入っていた。

やっぱ、韓国人だね。

チフンは、45Lのごみ袋を広げ、食べ終わったうな重の容器を入れると、袋の口を縛って、玄関に置く。

そしてチフンはテーブルをたたみ、姿見の後ろにしまったあと、同じ場所から、粘着テープのローラーを取りだし、カーペットの上を転がし始めた。

ローラーで、座っている私の脚をつつく。

座ったまま、場所を異動する。

チフンは、再び私の脚をつつく。

異動する。

チフンの顔は、笑っている。

わざとやっているようだ。

「チフンは、きれい好きだね。」

「はい、掃除大好きでしゅよ。暇があれば掃除していましゅ。」

チフンは、ローラーを姿見の後ろにしまう。

「歯みがいてから、外でタバコ吸ってきましゅね。」

「うん、トイレ借りるね。」

「はい。」

チフンがトイレに入る。

改めて部屋を見渡す。

物は多いが、どこもきれいに整理されている。

女の匂いはしない。

女を感じさせる物も見当たらない。

歯をみがき終わったチフンは、タバコを吸いに玄関を出ていった。

トイレに入る。

バスも一緒で、少し狭い。

トイレは、きれいに掃除してあった。

ペーパーが、三角に折り畳まれている。

バスタブの中には、大きめのカゴが置かれ、その中には、ボディーソープ、シャンプー、リンス、バス洗剤のボトルと、そのすべての種類の詰め替え用が、1つずつ詰め込まれている。

シャンプー類は、ドラッグストアーの店頭で、普通に売っている類いのものだ。

洗面台には、カップが2つ。

その1つのカップには、歯みがきこと、2本の歯ブラシ。

青い歯ブラシは、濡れている。

使い込まれ、ブラシがかなり開いている。

もう1本のピンクの歯ブラシは、新品のようにも見えるが、何度か使ったようにも見える。

チフンが?友達?女・・・?


外からチフンが戻ってきた。

チフンは、ベッドに腰かける。

「タバコ吸うんだ?」

「はい、ずっとやめてたんですけど、ミンソがクビになった時、むかちゅいちゃって、吸いました。」

「社長って、どんな人?」

「まだ、若いでしゅよ。副社長の方が、年上でしゅ。でも、ダメでしゅよ。すごくお店が流行ってた時に、1日の売り上げの80万円を持って、赤坂のクラブへ行きましゅ。80万円をテーブルの上に置いて、お酒飲むんでしゅ。」

「チフン、行ったことあるの?」

「1回だけ連れて行かれました。でも、楽しくないでしゅ。」

「売り上げは、社長のお金じゃないよね。会社のお金だよね。」

「そうでしゅ。」

「もう、あそこの店は、行かないよ。他にどこがおすすめ?」

「大久保通りに、1年前にできた、ハンナビがいいでしゅよ。」

「わかった、ハンナビね。」

「はい。僕は、もう2度と新大久保には行かないでしゅ。僕とミンソのことがあって、何人か店辞めました。」

「ミンは?」

「ミンも辞めました。」

そしてチフンはベッドに横たわり、リモコンで部屋の電気を消した。

強い西日がカーテンを通して、部屋は、ほのかに明るい。

えっ、チフン寝ちゃうの・・・?

この状況って。

私はどうしたら・・・。

チフンは、体を窓際に寄せ、横向きになる。

私の方を見ながら、手前のあいたスペースを左手で2度軽くたたき、おいでおいでをした。

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