第20話

7月29日

午後0時10分。

高田馬場。銀行のATMで10万円をおろし、備え付けの封筒に入れる。

銀行を出てから、マキの店へ向かう。

強い陽射しが容赦なく照りつけるが、何故か、不思議と、暑さが感じられなかった。

「マキ、うな重取りに来たよ。」

「あー、おはよー。早いね。お昼ごはんに食べるの?」

「ま、そんなとこ・・・。」

マキは、私の全身に隈無く目を走らせる。

「なんかオシャレしてる?」

「ううん、別に。」

「・・・ま、いいか。」

JRに乗り、池袋で降りる。

百貨店に入り、食品を物色する。

サラダの専門店で、オードブル盛り合わせを買ったあと、入り口付近のパン屋で、日持ちのしそうなパンを、6個ほど買った。

両手をふさいだ荷物は、普段ならたいした重さではないのだが、デトックスの翌日からずっと、手のひらに力が入らない。

物が握れないし、タオルもしぼれない。

荷物を両肘にかけ、西武線の改札を抜ける。


午後0時55分。

1つめの椎名町で降りる。

久々に降りるこの駅は、いつの間にか改装され、すっかりきれいになっていた。

階段を上がり、改札を出た所で待つことにする。

1時になったが、チフンは現れない。

刻々と時間が過ぎていき、だんだん不安になる。

1時5分になった。

荷物をとりあえず下に下ろしてから、チフンに電話をする。

コールなしで、チフンの声がした。

「はい、今、どこでしゅか?」

「あ、改札口のとこ。」

「北口でしゅよ。北口で待ってましゅ。」

「わかった。今降りるね。」

そっか、何を不安になってたんだろ。

下に置いた荷物を肘に下げ、北口の階段を降りる。

チフンが立っていた。

太陽に照らされ、チフンは白く輝いていた。

白いキャップ、白いTシャツ、白いハーフパンツ、白いソックス、白いスニーカー。

全身、白を基調にしたファッション。

そして、白い顔。

久し振りの私服のチフン。カッコいい。

でも、バカだな。

あと2m後ろへ下がれば、日陰なのに。

チフンはすぐに私に歩み寄り、3つの袋から私の肘を開放する。

「ちゃんと1時の5分前から、待ってましたよ。」

「ありがとう。ごめんね、待たせちゃって。」

「行きましょ。」

両手をふさがれたチフンが促す。

「チフン、部屋に何か飲み物ある?」

「あ、ないでしゅ。」

「じゃ、何か買っていこう。」

すぐそばにあったコンビニへ入る。

「チフン、何がいい?」

「お茶とかお水がいいでしゅよ。」

「そうだね。」

500mlのお茶を4本持って、レジへ向かう。

お会計をして、店員から袋を受け取る。

すぐにチフンが手を伸ばす。

「重いから、いいよ。」

「大丈夫でしゅよ。貸してくだしゃい。さ、行きましょ。」

4つの袋を下げたチフンの後について、コンビニを出る。

懐かしいこの道。何度通っただろう。

2人の息子の中学受験の模試は、いつもこの先の私立中学で受けていた。

マッチが着いて来てくれることもあった。

思い出の道を、今、チフンと2人で歩いている。

「良かった。チフン元気そうで。」

「ミツコさんが連絡くれて、少し元気出ましたよ。」

「ホント?うれしい。でも、びっくりしたよ。先週の月曜日にね、銀座にまつ毛付けに行ってね、帰りに差し入れ持って行ったら、ミンが店長辞めましたって。」

「はい、突然でした。」

「もう、パニックになっちゃって、涙出てきて、4時間濡らしちゃダメって言われたのに、ボロボロ泣いちゃって、まつ毛ほとんど取れちゃったよ。」

「そうでしゅか。アハハハ・・・」

「あ、良かった。チフンの笑顔が見られて。」

「はい、この2週間、全然笑わなかったでしゅよ。考えることがいっぱいあって・・・お金ないから、部屋でずっとじっとしていました。」

「そっか・・・大変なのはこれからだものね。」

「はい・・・」

見覚えのある建物が見えた。

世話好きなマッチとの、思い出の曲がり角。

『ミッちゃん、この建物を右に曲がるんだからね。』

この建物を目印に、何度もこの道を通ったっけ。

「ここでしゅ。」

「えっ?」

「ここの2階でしゅ。」

チフンは、懐かしい見覚えのある建物を指さした。

こんな事ってあるんだ・・・。

チフンの後から、2階への階段を上がる。

203号室。特に表札のようなものはない。

チフンは、ポケットから鍵を取り出す。

ドアを開き、私を促す。

「さあ、どうじょ。」

「お邪魔します。」

玄関に入る。玄関には、何も置いてない。

たぶん、チフンのスニーカーが、ゆったりと6足ほど置ける広さであろう。

後ろ向きに靴を脱いで上がる。

右手にユニットのバス、トイレ。

左手には、小さな冷蔵庫と、小さな流しのスペースがある。

冷蔵庫の上には、新大久保の食材店でよく見かける、インスタントラーメンとアルミ鍋が置いてある。

突き当たりの部屋に入る。

6畳ほどの広さだ。

グレーのカーペットが敷き詰められている。

右手前には、パイプハンガーが置かれ、溢れるほどのたくさんの服が掛けられている。

長袖シャツや、冬のジャケット、セーターもある。

その隣には、どっしりとした、黒い机と椅子が置かれ、その上には、テレビとパソコンが乗っている。

左手前には、引き出しが5段ほどの整理ダンス。

その上には、たくさんのロボットのフィギュアが並んでいる。

「チフン、自分で組み立てたの?」

「そうでしゅ。1人でいる時、作ってましゅよ。」

タンスの横に姿見。

窓際に、黒いベッドが置いてある。

やや大きい。セミダブルくらいであろう。

下に収納の付いたものだ。

シーツ、枕カバー、掛け布団は、白で統一されている。

汚れていない。シワ1つない。

窓には黒いカーテンが掛けられ、さらにその上から、韓国の航空会社の名前が、英字で大きく染め抜かれた、薄紫色のパレオほどの大きな布が、掛けられている。

心地良いエアコンの風を受けて、布は、時おりさざ波のように揺れていた。


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