第8話
2月10日
男は店の前にいた。
人通りはまばらで、遠くからでも男の様子が、よくうかがえた。
店の入り口横には、餅菓子を売るコーナーがあり、1m四方のテーブルの上に、色とりどりの菓子が並べられている。
小柄な初老の女が、餅菓子を熱心に見ているが、男はその女には見向きもせず、無表情で、ただまっすぐ前を見つめている。
ずっとその男を見つめていればよかったのに・・・。
しばらく顔を反らして何気を装い、再び男に視線を戻すと、男は顔を少し上げ、はるか遠くを見つめていた。
しかし、その顔は先程の無表情とは違い、苦痛を感じさせる、こわばった表情だった。
歯をくいしばり、体をこわばらせ、必死に遠くを見つめているようだ。
男を見つめたまま歩き続ける。
男にあと3mまで近づいた時、男は限界に達したかのように、くるっと後ろを向き、初老の女に向かってかがみこみ、「いかがでしょーか?」と話しかけた。
驚き、そして緊張する女の横顔が見えた。
男の背中を見ながら通り過ぎた。
振りだしに戻る・・・か?
4月14日
今日も男は店の前に立っている。
しかし、いつもと様子が違う。男は光を放っているように見えた。
それは、雲一つない晴天であることに加えて、男がいつもの黒色ではなく、真っ白なシャツを着ていたからた。やはりシワ1つない。
男は、髪もやや明るく染めていた。
相変わらずの白い肌も、男にいっそう輝きを与えている。
男がこちらを見た。視線が合う。
男はゆっくり首を戻し、そのまま反対側に首を向ける。
男は、傍らに立っている、店のメニュー写真の看板に目を落とした。
次に男は、のけ反るように、看板の後ろを覗きこむ。
男は何かを探すような素振りで、狭いスペースへ体を滑りこませていく。
店の前を通り過ぎる。
男の体は、1m四方程の看板の後ろに、完全に隠れていた。
せっかくの白いシャツ、汚れなきゃいいけど・・・。
4月24日
前日、店じまいをしている時に、マキから誘いがあった。
「ミッちゃん、明日の定休日ヒマ?」
「うん、特には何も。」
「五反田で、秋物の展示会あるんだけど、一緒に行かない?午後からでいいんだ。」
「いいよ。何時?どうせなら、早めにお昼一緒にしようよ。」
「いいね。いいよ。じゃあ、新大久保でいいわよー。ミッちゃんのお気に入りのとこ。」
「うーん、お気に入りねー・・・。」
店の入り口と看板と男、餅菓子、初老の女が脳裏に浮かび、ぐちゃぐちゃに混ざっている。
今日も雲1つない晴天だった。
日差しも強く、気温も上がる一方だ。
半袖でよかったのに、失敗した。
店に着いた。
今日は、ミンソが店の前に立っている。
「こんにちは。」
「あっ、いらっしゃいませ。」
店の中を覗く。
レジにいたあの男が振り返り、目が合う。
今日も白いシャツを着ている。
男は、体をビクッとさせる。
再び前を向き、男はレジから出て、背を向けて歩いて行く。
男は、店の右側中程にあるトイレに入って行った。
「2名様ですね。こちらへどうぞ。」
ミンソが案内する。
店のちょうど真ん中にあたる席に通された。
男は、まだ出て来ない。
「あたし、スンドゥブ。」
メニューをチラッと見て、マキが即決する。
「じゃあ、私は・・・コムタンにしようかな。」
ユッケジャンと言いたいところだが、この暑さだし、辛い物を食べて、顔が汗をかくのを、あの男に見られたくなかった。
男がトイレから出てきた。約5分程入っていたことになる。
「すみません!」
マキが男を呼ぶ。
「はい、ミッちゃんどうぞー。」
男を見上げる。目が合う。
お互い無表情だ。
「えっと、スンドゥブとコムタン、あと、生ビール2つ・・・で。」
「はい、かしこまりました。」
男は、下がって生ビールを注いでいる。
「はい、ミッちゃん良くできました・・・・って、まるで中学生だよ。ううん、小学生。」
男が生ビールを持ってくる。
いつもの白い手が視界に入ると同時に、男を見上げる。
男の視線は生ビールに向けられていた。
マキと食事をし、お喋りしながら、何度も何度も横を通り過ぎる白い影を、横目で確認した。
あの男が立っているレジへ向かう。
お会計をする。
「ごちそうさま。」
まるで喉がつまったように、いつもの声が出せない。
「ありがとごじゃいました。」
お互い無表情で、それでも何故だろう、まったく身動きもせず、視線を合わせていた。
こちらから先に視線を外すことは、絶対したくない。
5秒程経っただろうか。
「はいはい、行きますよ。」
マキに急かされ、同時に視線を外した。
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