第4話

7月19日

午後4時15分、家を出る。4時半にアリシアと大久保駅北口で待ち合わせ。

静かな住宅街を抜けて大久保通りに出ると、ちょうど信号が青に変わった。

めずらしい。アリシアはすでに来ていて、駅前のスピード写真の横に立ち、こちらを見ている。

手を振り近づく。

「アリちゃん、早いね。」

「だってー、こんなに暑いだよ。早く飲みたいだよ。」

新大久保駅に向かって歩く。

すぐ後ろから、中年の韓国人男性同士であろうか、早口でケンカ越しな会話が、ひっきりなしに聞こえてくる。

アリシアが口を開く。

「ねえ、ミッちゃん、私決めたよ。」

「ん?」

「1月から5月まで、行ってくるよ」

「ヨーロッパ?」

「そう。最初にスペイン帰って、フランスから廻って、えーと、チリにも行くだよ。」

「チリ?」

「息子に会いたいね。」

「そっか、スバルくんには何年会ってないの?」

「2年。」

「楽しみだねー。でも、それよりまず、今日を楽しみましょ。」

「オッケー!」


新大久保駅では、カズミが待っていた。

カズミは元々アヤコのママ友なのだが、いつのまにかアヤコ抜きで、3人で飲みに行く事が多くなっている。

今春、4人で鎌倉に行った時も、例のごとく、小町通りでアヤコは、店を一軒一軒見始めた。

付き合い疲れた私達3人は、ランチ営業の居酒屋で待つことにしたのだが、アヤコが現れたのは2時間後で、当然のごとく3人は、いい感じで酩酊していた。

3人は、飲むことに関しては、このうえもなく、相性が良い。同じペースで飲む。そして強い。

カズミは、身内で建設業を営む家で、舅、姑、弟夫婦、総勢10人分の食事を、毎食作る。

今日は夕方から出かけるために、朝からずっと、一日中食事のしたくをしてから、出てきたのであろう。

誰もカズミの替わりは、してくれない。

歩きながらカズミが話しかける。

「今日はどこのお店に行くの?」

「ミッちゃんがイケメン見つけたから、見に行くだよ。」

「何て言う店?」

「そーいえば、お店の名前、わかんないや。」


その店は、どこに店名が表示されているのか、わかりづらかった。

店は、すいていた。店の奥にいたあの男が気付き、こちらへ向かって歩いてくる。

「いらっしゃいましぇ、3名しゃまですか?」

今まで何度か見かけたこの男を間近でみると、異常なほど若く見えた。

こんなに肌は白かったのか?20代前半か?

それよりも、初めて見た時と顔が少し違う。絶対に。

広い店内に、客は2組しか入ってなかった。

まだ5時前だ。金曜の夜だから、これから混むのだろう。

店の奥の4人掛けのテーブルに案内される。

「こっちがいいよ。」

アリシアが6人掛けのテーブルを指さす。

「いいですよ。」

一瞬、困った顔をしたように見えたが、男は笑顔で答えた。

「生3つ!」アリシアがすかさず注文する。

女の子が笑顔で、おしぼりとお通しを置いていく。

男が生ビールを持ってきた。

「はい、生ビールみっちゅですね。」

「ありがと」

カズミがジョッキを配る。

「かんぱーい。」

3人は同時に、一気に半分まで飲み干した。

「ミッちゃん、ガリガリだよ、あの男。」

アリシアが眉をひそめながら言う。

「なんか違うんだよね、前に見た時と顔が。」

「いじっただよ、多分。」

「そうかも・・・」

「何食べよっか?」

まったく興味を示さずに、カズミはメニューをめくっていた。

とりあえず、チャプチェとポッサム、チョレギサラダを注文し、飲み始めた。

あまりに若すぎて、もうあの男のことは、どうでもよかった。

しかし、それにしてもあの男はよく動く。とても働き者だ。混み始めた店内の客に、常にくまなく気を配って、動き回っている。

「すみません‼」

何杯目かの生ビールのおかわりを注文するために、カズミが女の子を呼んだ。

女の子がすかさず答える。

「生ビールですか?」

私達3人と女の子は笑った。

混雑のピークが過ぎ、店が空いてきた。

「そろそろ出る?次行ってもいいし。」

さすがカズミ。頼もしい。

お会計をする。

レジに置かれたプラスチックケースの中には、名刺が積まれていた。1枚取る。

あの男は、いなかった。

会計したのは、30才前後だろうか?短く刈り上げた金髪で、小柄な筋肉質なのだが、垂れぎみの小さな目が優しさを感じさせる男だ。

金髪男は、ガムを3枚差し出す。

「ねえ、なんか割引券ないの?」アリシアが聞く。

「えっと、キャンペーンもう終わったんで、無いです。」

私達3人は、店を出る。

あの男が戻ってきた。

「ありがとごじゃいましたー。」続けざまに金髪男に早口で喋りかける。

「何聞かれたんだ?」たぶん、そう言ってるのだと直感した。

名刺には、韓国料理トンフー 店長 チョン チフン と記されていた。

あの男の事だろうか?

名刺を財布にしまう。

レシートの生ビール33杯の文字だけが、浮き上がって見えた。



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