第四話:柳洞 豊の日常


「……本当に行くのか?」

「行く」

「寝てないだろ、お前」

「このくらい問題無い。よくあることだ」

「……クマがすごい」

「目立つだけだよ、色白だから」

「……外で活動するのが夜だからか?言われてみると確かに生白いな。ホワイトアスパラ的な……」

「黙れ。それより、一応鍵は置いていくが勝手に持ち逃げしたりするなよ」

「しない」

「金目のものも探しても無駄だからな」

「そんなことはしない。私の義理堅さを侮るな」

「……手放しに信じられるほど、まだお互いの事を知らないんでな。置いてある食べ物は好きに食べて構わない。夕方まで帰らないから、適当に済ませておけ」

「さっき見たらレトルトばっかりだった」

「文句を言うな」

「……こんなことを言いたく無いが、あんなものばかり食べていてはそのうち体を壊すぞ。……年中旅の私にこんな事を言われるのは、なかなかのものだと自覚した方が良い」

「俺を心配するな。やめろ、そういうのは。それに、カレーには人間に必要な栄養が全部入ってるから何の問題も無い」

「……単に好きなんだな、カレー」

「哀れんだような目で見るな。……じゃあ俺はもう出るからな。できる限り家を出るな、必要以上に部屋を荒らすな、火を扱う時には細心の注意を払え」

「子供扱いするな。心配要らない、任せておけ」

「それと……あと、タンスの、一番下の段」

「な」

「開けるな」

「何が」

「開けるな。いいな、絶対だぞ」

「……解った」

「よし……じゃあ、行ってくる」

「何処へ」

「さっき言ったろう。今からーー」





***




 ……学校に行くんだよ。



 そう言い残して家を出て30分。豊は泥のように窓際の自分の席に着席した。

 柳洞 豊は竜滅士である。現代社会の裏の更に奥、常識の外に潜む人外の魔物、竜人と呼ばれるそれを狩り、滅ぼすのが彼の職務だ。この街は、彼に任された当座の『勤務地』であり、豊はこの街で生活し、日常に潜む竜人達を狩る。

 日常に潜む竜人達を見つけ出すには、豊自身も社会に同化する方が都合が良い。

 ……故に、豊は学校に居た。昨夜から通して一睡もしないまま、命からがら登校していた。

 このような事が珍しい訳では無い。職業柄仕方の無い事だと考えているし、仕事の一環と考えれば苦でも無い。だが今、彼の家には竜人が居る。姿形は同年代の少女である。その少女を家に置いて、学校に来ていた。

 ……疲れていたのだと、豊は自分自身に言い聞かせる。大体昨晩会ったばかりの相手に鍵を預けるなんて、しかもその相手が他ならぬ自身の討伐対象、職務上殺さねばならない相手だとは。

 少女の姿をしていたから良心が咎めた?否だ。その容姿が美しかったから下心で連れ帰った?笑い話にもならない、断じて否。

 ただ、なんとなく放っておけなかっただけ、それだけのこと。

 今朝から何度もそう自分に言い聞かせて、豊は登校した。なぜ放っておけないと思ったのか、その理由は、強いて意識の外へ押しやった。


「よっす豊! 相変わらず早いな」

「ああ、おはよう岸上さん」


 不意に背後から走り寄ってきたクラスメイトに背中を叩かれ、豊は眠気のせいで石を詰めたように重い頭を背後に巡らせた。

 ツヤの有る栗色の髪をポニーテールに結った少女。快活な笑み、勝気そうな目つき。名前は岸上 響子。

 挨拶に答える豊の表情にも声にも、昨夜 竜滅士として戦った際の冷酷さや刃のような鋭さは無い。学校での彼は真面目でそこそこ優秀な優等生もどきの目立たない生徒だ。

 本来の素性や本性を隠して人間の社会に溶け込む。自分もまた竜人めいているな、と豊は皮肉な思考に耽る。


「ん、なんだ、よく見たらすごいクマじゃんか。どしたん?」

「寝不足でさ」

「へー、珍しいね。真面目クンの豊が夜更かしするなんてさぁ」

「そうかな、別にそんなことも無いと思うけど」

「なにやってたのさ? もしかして人には言えない系?」

「はは……」


 ある意味正しい。夜な夜な怪物退治の為に街を徘徊して、挙句そこで拾った女を家に上げていたせいで寝不足だ、などとは口が裂けても言えない。

 豊はその表情にいかにも気弱そうな、困ったような笑みを浮かべる。


「まさか」

「うわあ……まさか豊がそんな……うわあ……」

「勝手に想像して勝手に引かないでよ」

「……豊が寝不足なのは、そう珍しいことじゃない」


 と、豊の少し離れた後ろの席から声がした。

 注意してそこを見なければ、そこに居る事にも気づけないような、希薄と言っても足りないような、曰く不思議な存在感を纏った少年がそこにいた。


「なんだ、居たんだジュウイチ」


 つなし はじめという一風変わった名前から、友人達は親しみを込めて彼をジュウイチと呼んでいる

 一見すればひどく失礼な響子の言葉も、当の十は特段気にした様子も無い。それが日常で、彼自身もそれを許容している証拠だった


「……ああ、居たさ。二十分ほど前からな」

「居るなら居るって言えよ」

「……お前は教室に居る友人に『僕はここに居るよ』なんて言う奴を見たことがあるのか?」

「そんなの無いけどさあ。なんか有るでしょ、挨拶とか」

「……生憎 発想が貧困でな、とてもじゃないが思いつかなかったよ」

「嘘つけ根暗インテリ本オバケめ」


 響子の罵倒の通り、十はいつも物憂げな顔で本を読んでいる。もともと希薄な存在感も手伝って、彼を積極的に意識する級友は少ない。しかし、俯いたその顔は、目立たないその印象とは相反するように、涼しげに整った美貌なのだ。存在感の希薄な美少年。名前だけでなくそのキャラクターにおいても、十 一は奇妙な男だった。


「アレ、なんの話だったっけ」

「……豊の寝不足について」

「ああ…………なんだそんなん。割と良くあるよね。たまにすごいダルそうにしてんの。知らなかったのジュウイチ」

「……ああ。勉強不足だったよ」

「まだまだだなジュウイチ」

「……ああ、ああ、本当にな」


 楽しげに会話する級友たちを見て、豊はぼんやりと「楽だな」と考えた。元来豊は会話が得意な方では無い。幼い頃から竜滅士として育てられ、同年代の人間と一緒に居た時間が極端に短いせいもある。或いは、寡黙で不言実行を地で行く師匠に育てられたからかも知れない。

 だから、拾ってきた竜人……銀柩 詠璃紗との会話には、実のところ苦心していた。

 別に仲良くなりたいわけでもないのだから会話が弾まないのも結構なのだが、それでも家に二人居るのに沈黙が続くというのも収まりが悪い。向こうも余り口数の多い方じゃないようで、必要以上には喋らないので沈黙が続く。かと思えば、寝不足なのを心配してきたりもする。妙な奴だ、と思う。なにを考えているのかいまいち掴めないアレと話すのに比べれば、放っておいても楽しげな彼らとの会話は、豊にとっては「楽」だ


「そんなにダルそうに見えるかな」


 せいぜい気弱そうに笑って、豊は会話に合流する。

 半分はそれとなく学校生活に溶け込むための、いつもの世間話の体だが、もう半分は切実な、職務上の不備に対する不信感である。そう簡単にクラスメイトに体調不良を見破られるようでは、今後の仕事に支障が出ないとも言い切れない。


「んにゃ? パッと見わかんないし、ぶっちゃけ気付いてんのはウチらだけだと思うよ」

「なんでバレたかなぁ」

「んー、なんか、なんでだろなあ。なんとなく?」

「なんとなく」

「うん。なんとなく、なんかそんな気がするんだよね。『あ、具合悪いんだな』みたいな」


 そう言って、岸上 響子は屈託なく笑った。

 思慮が浅いように見えて妙に鋭いというか、実はしっかりしてるというか、豊は、彼女の発言にヒヤリとさせられる事が何度かあった。もしかしたら、何かを知っているんじゃ無いのか、と


「……カンとその場のノリでのらりくらり生きてるような女の言うことだ。深く考えるのは損だぞ」

「褒めてんの?それ」

「……そう聞こえたなら残念だよ」


 またも思考を読まれたかのような言葉。つくづく自分の未熟さを痛感する。

或いは、この同級生達が度外れて鋭いのか


「参ったな」

「ウチらの前で隠し事は出来ないぜ、豊ぁ」

「……無理に暴き立てるつもりは無いさ、今 女で悩んでる相が出てる事もな」

「…………っ!?」

「……冗談、だ。言ってみただけ。なまじ素直に驚くから面白がられる」

「はは……本当参ったよ」


 ……訂正、級友と話すのも全然「楽」じゃない。

 深いため息を押し殺して豊が微妙な笑みを浮かべたのと同時に、始業時間を告げるチャイムが鳴った。

 今日も、滞りなく一日が始まる。

 一先ず、授業中に眠るような無様は晒せない。密かに気を引き締める仕草も級友に見透かされているのかと思うと、何やら肩身が狭いような気がした。




***




 放校。

 日中の授業を何とか乗り切って、豊は家路に着いていた。

 隣には岸上 響子。途中まで帰り道が同じなので、入学から半年、自然と一緒に帰る事になった。


「あー疲れた……なんて言ってる間にもう四時ッスよ。学生の辛いところね、これ」


 彼女がそう言う間にも世の多くの社会人、彼女の父や母だって働いている。彼女に授業していた教員達もまだまだ残って働くだろうし、豊にだって(響子は知る由も無いが)夜には竜滅士としての仕事が有る。

 それは、彼女にも解ってはいるのだろう。だがそれは理屈としてなんとなく理解しているだけで、その本質までは解らない。「なんか大変そうだね」と言うようなものだ。学生などというのは往々にしてそういうもので、特に高校生というのは、場合によってはそうやって無邪気に自分の幸せな境遇を嘆いていられる最後の期間かもしれないのだ。

 ……などと偉そうに考えながらも、豊にも本質的な事は解らない。竜滅士として仕事をこなしてはいても、その仕事以外の事は知らないという点では、響子やその他の学生達と何ら変わりは無い。結局は「そんなものだろうな」という程度に考えている。

 穏やかな、緩んだ空気が流れていた。


「はあ、学生にこんなに勉強させてどうするつもりなのかね。偉い人の考える事はわかんないわ」

「学生だから勉強するんじゃないの」

「そういうもんかね」

「そうなんじゃないかと思うよ」

「けどさあ、学生の間に勉強してさあ、学校出て働いて、私たちはいつ遊べばいいのかねえ」

「別に今だって遊んでるでしょ。それに、社会に出てからだって遊べないわけじゃない。大人になったら大人になったで、楽しいことってのも有るんじゃないかな」

「うーん……」


 10月の今、陽は落ちきっている。こうなっては、確かに「もう4時か」と言いたくもなるかもしれない。

 人通りの少ない道に、どうでも良さげな、適当な調子の二人の声が反響する。


「けどやっぱり、私は今がもっともっと楽しかったらいいなって思うんだよ」

「今が楽しければいいと思って適当やってると、先々苦労する事になるよ」

「大人みたいな事言うなよ……お前は私のママかなんかか?」

「いいや。けど間違ってはいないんじゃない」

「うーん。今苦労して後で楽するか、今楽して後で苦労するか、か……」


 人生は選択の連続だ。難解な問題集じみて、常に正解を選び続けなければならない。

 出てくる問題は揃って難問。選択肢は膨大でヒントは無く、おまけに時間制限もキツい。

 その中から絶えず正解を選ばなければならない。捨てるべき選択肢を天秤にかけ、選ばれなかったどちらか一方は、捨てなければならない。

 もっとも、この場合の最適解は「頑張りながら青春する」なのだろうが。


「そんなことよりさあ、今朝……ジュウイチと話してたじゃん」

「何を」

「その、女で悩んでる相が出てるって」

「ああ、してたかな」


 女で悩んでいるというよりは、悩まされている相手が女、という方が近いかもしれないが。

 響子は、急に俯いてガラにもなくモジモジと言いづらそうに続ける。


「その、なんていうかさ……」

「うん」

「私は、その……豊とは友達のままで居たいっていうか……」

「うん?」

「いや、豊の事は好きだよ?好きだけど、そういう好きとは違うって言うか」

「あの」

「ほんとごめん。私には……その、心に決めた人が……」

「岸上さん」

「今の自分の気持ちに、あんまり本気にならない方がいいっていうかさ……豊には私なんかよりもっと可愛い子が似合うっていうか」

「岸上さん!」

「うん?」

「多分、そういうんじゃない、と思う」

「え、あ……?」

「そういうんじゃ、ない」

「……勘違い?」

「そう」


 響子の顔が、急速に赤く染まる。火が点いたように、耳朶までも。

 響子は両手を大きく振って、オーバーに。


「な、なあんだ!き、気のせいなら気のせいって言えよお!」

「言ったよ」

「私てっきり……いやあ、あっはははは……」

「あはは……」


 互いに微妙に気まずい笑いを交換する。ダメージは等価。或いはほとんど無意味にフラれた豊の方が大きかったかもしれない。

 気まずい雰囲気になりながらも、それでもやっぱり二人は笑いながら歩いていた。



 ……この時、岸上響子は……否、この一瞬に限っては豊さえもが、根拠もなく確信していた。

 「こんなものだろう」と。こんな日常が、面白くもつまらなくもないまま、きっと永久に続くのだろうと。

 だが、この世界には存在する。

 その確信を覆すもの、日常の間隙に潜み、ーーーー



「ーーーーーーーーーーーーッ」


 対応は一瞬。

 響子がその存在に気づくよりも一瞬早く、豊はの接近に気付いた。

 闘争の場において、その一瞬は明確に生死を分ける境界線となり得る。豊は響子を抱えてをーー牙を剥いて飛び来る"雑竜"を、寸前で躱した。


「え、あ、なにっーーーー?」

「走るぞ!」


 響子を抱えて走りながら、豊は歯嚙みした。己の未熟を痛切に悔いた。

 ……竜人の戦いとは、即ち夜の闘争である。昼間の戦闘は、彼らにとって自らの正体を無闇に明かす事に繋がりかねない。正体を晒す事は、日常に潜む彼ら竜人にとっては死活問題だ。

 豊 自身が、その前提に縛られていた。素性を隠蔽する事については細心の注意を払っていた筈だった。ならば今ここで襲撃される筈は無いと、タカを括っていたのである。

 敵は、その前提を崩してきた。何らかの方法で豊の正体を特定した上で、リスクを冒してまで積極的に豊を排除しようと動いた


「クソッ!」

 

 大型犬を何らかの方法で使い魔として隷属させた異形の怪異。その刃のように鋭い爪牙を掻い潜り、豊は逡巡する。

 戦うべきか、否か。

 今、豊の隣には響子が居る。なにも知らぬ一般人が。

 戦えば、彼女に自分の異常性、血みどろの道を行く竜滅士としての本性がバレてしまう。だが、戦わねば、遠からず二人とも死ぬだろう。

 決断せねばならない。捨てるべきものを天秤にかけ、選ばれなかった一方を、捨てなければならない


(どうするーーーー!?)


 その時、一瞬躊躇した隙を突いて、"雑竜"の爪が響子を襲った。豊はそれを咄嗟に庇う。背を爪に抉られ、前方へ体感で3メートル程度吹き飛ぶ。


「豊っ!?」

「ぐッ…………!」


 畜生ーーと声に出す間も無く、敵に向き直った豊は息を呑んだ。道に投げ出され倒れる響子を"雑竜"が見下ろす。

 豊は立ち上がる。懐に収められた滅竜器【斬尽】に手を伸ばす。駆ける。間に合わない。"雑竜"が爪を振り下ろす。豊は叫ぶ。



 ーーーーーーーー刹那。



 何かが、横合いから"雑竜"を蹴散らした。

 響子は、恐怖に閉ざしたまぶたの隙間から、確かに見た。

 薄闇の中、淡く輝くガラスのような薄青い虹彩をーーーー

 

「立てるか」

「……え、はい」

「立って、向こうの男と逃げろ。走れ、急いで家まで行け」

「は、はい!」


 言われて、響子は走り出し、倒れる豊を助け起こした。その時豊の目と、乱入した少女……銀柩 詠璃紗の、目が合った。薄青く清んだ右目とは反対に、その左目は獲物を屠り殺す喜びに耽る、捕食者のそれだった。


「豊!大丈夫か!?」

「ああ……平気。大丈夫」


 そう言って二人がその場を立ち去るのを気配によって察して、エリザはわらわらとどこからとも無く集積してくる"雑竜"達を見渡す。

 異形に堕ちた左目が、憎悪の血を流す。


「……殺す」


 呟く者は、彼女一人。

 彼女は壮絶な、人間離れした笑みを浮かべ、嗤った



「貴様らは、一人も生かさん」



 

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