第5話要らない者共の像

「ふわぁ………」

 片手をそっと口に当て、ヒーア・ナイエヴァイトは大きな欠伸をした。

 歩く彼女の足元は白い石畳の道、頭上には晴れ渡る青い空。明るい栗色の巻き毛を揺らす風はそよ風の域を出ず、肌を包む気温は暖かくも寒くも無い。

 まるで調整されたように過ごしやすい、いつものようにいつも通りの朝。

 得意の嘆き節も出し飽きたのか、ヒーアは無言で欠伸をし、大きく伸びをした。

「はぁ………」

 退屈そうに、ため息を吐く。

 どうして、世界はこうも代わり映えしないのか。人間は進化し、進歩し、進行する生き物なのではなかったのか。こうして停滞していては、人はただただ腐るだけなのではないか。

 当て所のない、そぞろ歩き。非日常を探すヒーアの日常は、いつものように時を進める。そうして、彼女は見つける、いつものように。

「あら?」

 呟いた、ヒーア。

 その視線は、町の真ん中、広場に向けられていた。より正確には、そこにできた人だかりに、だ。

 人が集まるところには何かがある。ヒーアはその、猫のような眼を輝かせ、エプロンドレスのスカートをはためかせ、足早に広場へと向かった。

「ごきげんよう、皆さん」

「おや、ヒーアちゃん、ごきげんよう」

 文字通りの黒山の人だかりに、ヒーアは中央を見るのを諦め、輪の外側に居た初老の男性に声をかけた。顔の下半分を真っ白な髭で覆った男は、ヒーアを見下ろして微笑んだ。

「ねぇ、何があったの、お髭さん」

「ふむ、いやあ、不思議なことがあったのだよ、ヒーアちゃん。ヒーアちゃんも見てみるといい、きっと驚くよ」

 男の言葉に、ヒーアは栗鼠のようにその頬を膨らませた。

「そりゃあ見たいけれど、ここからじゃあ人しか見えないわ。あの人たちの頭の後ろに、何かビックリするようなものがあるのなら別だけれど」

「ほっほっほ、そうか、見えんかな。よし、ついておいで」

 ヒーアの不満を豪快に笑い飛ばすと、男はその身体を揺らしながら列の中へと進んでいく。その後に出来た隙間をなぞるように、ヒーアは輪の中心へとたどり着いた。

 そして、見た。

「………………?」

 見たが、よくわからなかった。

 一言で言えば、黄色い金属の人形。詳細を見た通りに言うとすれば、金属で出来た器やら剣の柄やら調理器具やら楽器やら、雑多な金物を適当に組み合わせて作った二本足で立つ人型の何か、といったところだろうか。集められた物には共通点などまるで無く、強いて探すとすれば、それは錫色の金属である、という点だろうか。

 より端的に言い表せば、『ゴミ』の一言で済むような、金属人形。大勢の人が囲むそれを、大勢の人と同じように眺めて、それから、ヒーアは一言呟いた。

「なにこれ」

「ほっほっほ、驚いたかね、ヒーアちゃん」

 いつの間に回り込んだのか、ヒーアの後ろで声がした。

「驚いたと言うか、なんて言えばいいかしら。この、えっと、ゴミみたいなのはなんなのかしら?」

 眉をひそめつつ言うヒーア。その遠慮のない言葉に男はもう一度笑う。そして、がっしりとした片手でその金属人形を指し示した。

「なんなのか、それはわからないよ。だが、これはここにあるのが驚きなのさ」

「どういうことなの、お髭さん?」

「簡単だよ、ヒーアちゃん。………これはね、昨夜はここには無かったのさ」



その日の朝――日も昇りきらず、霧が出ているような時間をそう呼ぶのなら――のことだ。

 一人の若者が、広場を通りかかった。彼の日課は、毎日そのくらいの時間に、誰も居ない広場を走ることであった。雨の日だろうが風の日だろうが、彼は毎日毎日飽きもせず、同じような時間に、同じ道を無理の無い速さで走るのだ。

 当然、この朝も、彼はそうした。手早く着替え、家を出て、安定した気候に満足げに頷き、いつもの日課を始めたのだ。

「そうしたら、あれがあったんだ」

 人だかりからわずかに外れたところで、ヒーアはその男に話を聞いていた。軽薄そうな顔立ちに軽薄そうな笑みを浮かべた若者は、自身の発見に注目が集まっていることに気を良くし、それをなんでもない風にしようとして失敗したような、微妙な表情を浮かべていた。話を聞きながらヒーアは、いっそ笑ってしまえばいいのに、と何度も思った。

 とはいえ、それを口にするのも失礼だろうし、代わりにヒーアは違うことを尋ねることにした。

「それじゃあ、昨日の夜から今日の朝、貴方が見るまでの間に、あれは置かれたのね?」

「いやいや、そうじゃあないんだ。それじゃあ不思議も半減さ」

 わざとらしい口調に、ヒーアは眉をひそめた。ニヤニヤとした笑いと得意げな彼の話し方で不思議がすでに半減している以上、これよりの減額はご免被りたい。

「どういうことかしら。ほかの人の話だと、貴方は朝、急にそれが現れているのを見たと聞いたのだけれど」

「あぁ、それはもちろん間違いじゃない。ただ、十分とも言えない、というだけさ」

 聞きたいか、聞きたいだろう?

 そう言いたげな若者の顔を、ヒーアは睨みつける。わかったわかった、というように、彼は両手を高く上げた。

「そう怖い顔をするなよ、わかったって。つまりな、お嬢ちゃん。俺があれを見たのは、帰り道だ」

 若者はその顔にニヤニヤとした笑いを貼り付けたまま、芝居がかった仕草で人ごみを、恐らくはその向こうの金属人形を指し示した。これまでに何度も話をしたのだろう、その仕草や語り口は流暢で、慣れ親しんだお家芸のようだった。

「わかるか?つまり、俺が最初にここを通って、走って、戻ってくるまでの間。そのわずかな間に、あのデカブツは現れた、ってわけだ」

 話を聞き終え、他のどうでもいい話題を振ってくる若者を置き去り、ヒーアは再び金属人形の前に立った。背後の方で若者がなにやら喚いていたが、どうでもよかった。

 すでに、人ごみは少なくなっていた。この金属人形がなんであれ、ずっと見ていて面白いものではないのだろう。それについては、ヒーアも同感だった。ずっと見ていたいとは思っていない――見るべきところが残っているだけだ。

 ヒーアは軽い足取りで金属人形に近づくと、躊躇いもなくその場に膝をついた。少なくなったとはいえ、周囲には多少の人出はあるのだが、少女がそれについて斟酌した様子はまるで無かった。

「………台座とかは、無いのね………ただ置いてあるだけみたい」

 這うようにして像の足元を調べてみると、土台となるようなものが何も無い。固定されているわけでもなく、恐らく誰かが挑戦したのだろう、引きずられたような跡が残っていた。持ち上げることは無理だとしても、ヒーア程度の力でも少しは動かせそうではある。

 立ち上がり、視線を像の身体に向ける。

 人の形に見えてはいるが、どちらかというのなら、適当に金物を集めていったら人のような形になった、と言われたほうが納得できるような、ぞんざいな造りである。試しに表面から飛び出ていたドアノブを引っ張ってみたが、びくともしない。接着はしっかりとされているようだ。

「誰が作ったにしろ、人の手は加わっているわね。ただ集めただけ、とは思えないわね」

 不恰好ではあるが、形を作ろうとしてはいたのだろうか。ぞんざいと言ったのは失礼だったかもしれないが、しかし、あながち間違いではないような気がする。

「どうかね、ヒーアちゃん。驚いたかね」

「あら、お髭さん。そうね、面白いわ」

 先ほどの髭の男性に、ヒーアは笑いかける。それに釣られるように、男も笑う。

「本当に、おかしなものね。まるでゴミのようだけど」

「ほっほっほ、いや、わしもそう思うよ、ゴミのようだ。けれども、まぁ、これも芸術というものなのだろうさ」

「こんなわけのわからないものが?」

「それが芸術というものだよ。わけのわからないものを、わけのわからない言葉で飾り立てた代物がね」



「それで、どうするんだね、ヒーアちゃん」

「そうね………」

 髭男の問いかけに、ヒーアは考え込んだ。これがなんにせよ、もう少し調べてみてもいいかもしれない。とりあえず、どうにか分解してみたい。

「ちょっと、壊してみようかしら」

「おっと、それは困るね、ヒーア嬢」

 不穏な言葉を呟いた少女の背後から、男がのしのし現れた。見覚えのあるその姿に、ヒーアはその裂けるような笑みのままで頭を下げる。

「あら、カオフマンさん、お久しぶりね」

「お久しぶりだね、ヒーア嬢」

「………少し痩せたかしら?」

 ここのところあまり見かけなかった雑貨屋の店主に、ヒーアは遠慮のない視線と忌憚のない意見を宛てた。カオフマンの特徴とも言えるビア樽のような体つきは、そのサイズを標準的な豚のサイズにまで落としていた。頬も、気のせいかもしれないが、少しやつれた気がする。

 ヒーアの言葉に、カオフマンは露骨に顔を曇らせた。

「どうにも最近眠れなくてね、しかも食欲もないんだ」

「あら、それはご愁傷様ね」

「なぜだろうね、病気でもしてるのかとも思うのだが」

「違うと思うわよ」

 言いながら、ヒーアはカオフマンの左の肩へと目をやった。より具体的には、その後ろ、歩くビア樽の肩から顔を出す、一人の痩せぎすの男へ、だ。

 男はまるで幽鬼の如き形相で、カオフマンを見ている。その顔は人間から皮はそのままで肉を抜いてしまったような、骸骨に皮を張ったような不気味な様子であった。

 ご愁傷様、と、ヒーアはもう一度呟くと、改めてカオフマンへと向き直った。

「それで?何が困るのかしら、カオフマンさん。私はこれを、壊して分けてしまいたいのだけれど」

「あぁ、そうだったそうだった。壊されては困るんだよ、ヒーア嬢。それは大事な”売り物”だからね」

 売り物?と首を傾げると、カオフマンはニヤリとした笑みを浮かべた。

「突然現れた謎の像だろう?こいつは、金になる」

「売るつもりなの?貴方の物でもないのに?」

 驚いた声を上げるヒーア。その周りで、他の住人たちもがやがやと騒いでいる。

 カオフマンは「うるさいうるさい」と腕を振り、巨体を揺らして像とヒーアの間に立った。像を守るように両手を広げ、居並ぶ野次馬を一瞥する。

「誰のものでもないのだ、誰が売っても構わないだろう」

「なら、俺が売ってもいいんだろうが!」

「もちろん、いいとも。買い手を見つけられるのなら、だが」

 野次を笑い飛ばすと、カオフマンは手にした札を像に貼り付けた。ヒーアの顔くらいあるその紙には、でかでかと『売約済み』の文字が書かれている。

「これは、すばらしい芸術品だ。それが解る方に買われるのが、こいつの幸せだ」

「幸せなのは、貴方でしょう?」

 ヒーアの指摘に、カオフマンは鼻を鳴らすだけで答えない。代わりに、人ごみへ向けて「さぁ、行った行った」と手を振っている。

 その横柄な態度に、住人たちは不満を浮かべている。それでも、やれやれとばかりに一人、また一人と群衆は去っていった。

「悪いね、ヒーア嬢。大人の世界はこういうものだ。早い者勝ちなんだよ、早く見つけた者じゃあない、早く売った者勝ちなんだ」

 そう言って笑うカオフマンの顔を、ヒーアは、呆れ果てたという眼で見た。彼の左肩からも、同じような視線が向けられていた。



「あぁ、ヒーア。ここに居たのか」

「あら、マハト」

 退屈しのぎを奪われた帰り道。

 薄暗くなりかけた町の片隅で、ヒーアは彼に会った。

 背の低い、矮躯の少年。肌は抜けるように白く、端正な顔立ちに儚げな印象を与える少年は、森の向こうの山の上にある、公爵夫人の城の召使だ。その名の通り、腕力は相当なものである。

「どうかして?こんなところまで珍しいわね」

 そこは町の中心部からは外れている。いくつかの住宅がある程度の、外れといえば外れのような場所だ。あまり彼がうろつくような場所ではない。

「ヒーアを探していた」

 少女の問いかけに、少年は端的に応えた。その簡素な言葉には、一切の感情がこもっていない。

「どうして?なにかあったのかしら?」

 十中八九そうだと思いつつ、ヒーアは尋ねる。マハトが町に来る用事の大半は、彼の主からの無理難題である。予想通り、マハトは頷いた。

「探し物だ。奥様が捨てたごみの中に、ゴミでないものを混ぜてしまったのだ」

「あら………………」

 それはまた、地味な難題である。どういった代物か知らないが、この町中のゴミを探すのは骨だろう。

 そう言うと、マハトは首を振った。

「いや、結構目立つものだ。探すのに手間はかからないと思う」

「あら、そうなの?」

「あぁ。ヒーアは見てないか?僕の二倍くらいある大きさの、金属の寄せ集めのような塊なんだが」

 マハトの言葉を聞いて、ヒーアは一瞬息を止めて、大笑いした。それを、マハトは無表情のまま、首を傾げて見ていた。



 次の日。

 忽然と現れた金属製の人形は、現れたときと同様に唐突にその姿を消した。

 住人たちは気味悪がり、その出所について様々な憶測を寄せたが、その真相はわからず仕舞いだった。

 毎朝の日課のジョギングの行きに、若者はそれに気がついて驚いた。

 とにかく日課を終え、帰りに広場を見るとやはり像はなく。

 ビア樽のような形の人が、呆然と座り込んでいるだけだったという。



「………それで奥様。これはなんなのですか?」

「ゴミ」

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