幕間――Ⅰ 語り部との出会い

 そして舞台は暗転し、ある場所へと視点は動く。


 ここはどこにも属さない場所。

 狭間であり、全てが交差する点に位置する。


 ゴシック建築の大きな屋敷が聳え立つ。

 鉄の門をくぐり抜け中庭を通っていく。天を仰ぐと、そこに広がっているのは漆黒の闇のみ。

 夜であり、雲一つ無いにもかかわらず、星が一切見えなかった。

 まるで深い深い穴の中にいるよう。

 階段をのぼり木製の扉を三度ノックすると、扉はひとりでにゆっくりと開いた。

 足を踏み入れると、屋内の明かりは電気ではなくランプの仄かな輝きのみ。

 こういう屋敷には豪華な絵画でも飾られていると思っていたが、周囲を見渡すとどこもかしこも本棚で埋め尽くされていた。

 その圧倒的な数に感嘆していると、一人の男がゆらりと音もなく現れた。


「お待ちしておりました。ようこそ。先ほどまで御覧いただいたのは、私が所有している物語の一つです。おっと、失礼しました。自己紹介がまだでしたね。はじめまして。私はこの記憶図書館の管理をしているロジャーと申します。これよりあなたをある物語の世界へ導かせていただきます」


 突如現れてロジャーと名乗ったのはシルクハットにテイルコート姿がよく似合う老人だった。

 老人と言ってもハリウッド映画で活躍していそうな、よく動ける元気な雰囲気を醸し出している。

 何よりもシルクハットやテイルコートが黒いためか、この屋敷が暗いからなのか、ロジャーの銀髪が余計に印象的に映る。

《記憶図書館》とロジャーは言った。図書館だからこれだけの本が収蔵されているのだろうと納得する。

 しかし、天井が見えない。

 それが暗いためなのか、本当に天井が見えないほど高いのかはわからないが、本棚は遙か高くまで続いていた。


「ふむ。この地の文というのは状況を説明してくれる分にはありがたいですが、私の科白が減ってしまうのが少々困りましたね」


 地の文。

 今、ロジャーは地の文と言ったのか。

 どういうことだ。何故――。


「何故、私がそれを認識できるのか、ですか? あなたも薄々勘付いているとは思いますが、私はあなたに語りかけているのですよ?」


 こちらに語り掛けているだと。

 ありえない。だって、物語を進行しているのは。


「あなただと思っているのでしょう? いえいえ、違います。この幕間の一つ前にご覧いただいた、序幕。あれをあなたに見せていたのは、この私です」


 ロジャーが見せていた。

 でも、そんなこといつの間に。まさか――。


「その通り、私は〝第四の壁〟を越える力を持っているのです。つまり、自分が物語の登場人物であること。あなたが物語の向こう側にいる存在であることを認識しているということです。この物語を展開させた瞬間、語り部としての主導権は私に委ねられたのです」


 第四の壁。或いはフォース・ウォールというのは演劇などで用いられる用語であり、所謂、観客と舞台を隔てている見えない幕のことである。

 観客からは当然、舞台で演じている役者が見えているが、役者が演じている登場人物たちには、そこに見えない壁や幕のようなものがあり、観客はいないものというわけだ。


「ご説明ありがとうございます」


 故に、とロジャーは大きく腕を広げ、まるで舞台の上で演じているかのように話を進めていく。


「フフッ。これでもブロードウェイで主演を狙っていたのですよ」


 こちらの説明に答えている。

 やはり、第四の壁を越えるのは事実なのか。


「ですから、そう言ったでしょう?」


 では改めて、とロジャーが言うと、どこからともなくロジャーに光が当たる。スポットライトのように。


「この記憶図書館では全て私の意のままです。いいですか? 私はこの記憶図書館の語り部として物語をご覧いただく方全員に話しています。あらゆる物語を読む上で覚えていてほしいのです。物語に登場する彼らにとって、そこが全てで、現実なのです。フィクションであろうとも、彼らにはリアルなのです」


 故に、彼らの想いは本物で尊いものである。

 ロジャーは片眼鏡をクイッと上げて、ボディ・ラングウィッジを織り交ぜながら雄弁に語っていく。


「そう、私は思うのです。さて……もう少し、あなたと語り合いと思うのですが、これは作品なので、そろそろ次の話を展開しないと、観客が退屈してしまいそうです。ということで、前置きはこのぐらいにしておきましょう」


 ロジャーがこちらを指差す。


「あなたがこの記憶図書館に来訪されたのは偶然ではありません。ある方が言いました。この世の全ては必然なのだと。今こうして私とあなた方が出会ったのもまた必然であり、何かに繋がるということです。この記憶図書館には本が収蔵されていますが、もちろん、ただの本ではありません。ここにあるのは全て、過去にあった出来事を完璧に記憶している本が収蔵されているのです。四方八方、床から天井に至るまで全て記憶の本で埋め尽くされています。本好きにはたまらないでしょう。喜びそうな女性を知っていますが……」


 そこでロジャーはコホン、と咳払いを一つする。


「失礼。それはまた別の話ですね。私が今手にしているこの本を、今回あなたにご覧いただきます。先ほど序幕をご覧いただきましたので、早速本編へと進みましょうか。では、彼らの物語を。いえ、彼らの生きた証をどうぞお楽しみください」


 ロジャーが本を開く。

 嗚呼、受け入れるしかない。こちらが語っていたと思ったが、いつの間にかロジャーの世界に囚われていたのだろう。

 暗い部屋が次第に光に満ちていく。

 ロジャーの言う通り、彼らの物語に戻るのだろう。

 いいさ。これもまた面白い。

 彼らの人生を思う存分堪能しようではないか。

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