THE SUPERIORS ~PASS POINT~

うとなぴ/あしゆ

序幕

「あああああああああああ!」


 一四三一年五月三〇日。

 フランス、ルーアン。ヴィエ・マルシェ広場。

 一人の女性が衆人環視の前で絶叫している。

 広場の中央に設置された木製の舞台の上に縄で柱に縛られ、磔にされて燃え盛る炎の中で、自らの苦しみを声という音で訴えていた。


「殺せ!」

「何が聖女だ! この魔女が! 死んでしまえ!」

「卑しい女よ。私の夫もたぶらかしたのでしょ!」


 その声は周りに何百、何千といる人間たちの罵声。

 磔にされている女性の悲鳴をかき消す勢いで次々に悪しき言葉が投げかけられていた。

 彼らは見えていないのだろうか。人が燃えているというのに、それを気にもせず、ただ悪態を吐き捨てるなどと、狂気の沙汰ではない。


「いゃあぁぁあぁぁぁあああああ――ッ!」


 助ける者など誰もなく、炎はどんどん女性を燻り、燃やしていく。

 痛み、苦しみ、それ以外の感情もあるのかもしれない。

 女性の悲鳴は慟哭となって広場に轟いた。



 ――ヴィエ・マルシェ広場に続く森。


「そこをどけええええ!」


 波打つ櫨染色はじぞめいろの髪を振り乱しながら、男は自分に向かって来る騎士たちを薙ぎ払う。

 彼の耳には、遥か遠く広場で焼かれている女性の絶叫が痛々しく届いていた。

 左手の戦斧で向かってくる騎士を武器ごと叩き斬り、右手では騎士を鷲掴みにして投げ飛ばす。鋼鉄の鎧を握り砕きながら。

 その様はまるで獅子のようだった。


「キサマらの相手などしている暇はない! 俺は彼女の……彼女のもとへ行かねば!」


 男はその恵まれた体躯を極限まで活かして自分の目的を阻む敵を殺していく。

 殺すという行為に時間が取られてしまうため、途中からは殴りつけ、蹴り飛ばし、ぶちのめすだけで捨て置くようになっていた。

 つまり、止めを刺さないということだ。故に敵はダメージが回復すれば再び男を追いかけていく。

 それだけ騎士たちは広場で燃やされている女性を救い出させたくはないのだろう。


「俺は彼女を救うのだ! 救わなければ――ッ!」


 息が上がる。目が霞む。心が軋む。

 何故だ。何故こんなことになってしまったのか。

 男には理由がわからなかった。自分たちは国のために全力で戦って来た。

 民だけはない。国自体が彼女を〝聖処女〟。

 或いは〝ラ・ピュセル〟と呼び祀り上げた。

 にもかかわらず、キサマたちは彼女を殺すというのか。そんなこと――。


「許されるものかぁぁぁぁ!」


 獅子奮迅の戦いを繰り広げるがしかし、男はたった一人。

 ヴィエ・マルシェ広場には恐らく男のように、聖女を助けに来る存在がいると予測していたのだろう。

 尋常ではない数の騎士が男の前に立ちはだかる。


「ただの騎士が何人来ようとも俺には!」


 大地を踏みしめる。

 ひび割れ砕けた地面を蹴り、大きく跳躍した獅子のような男は振りかざした戦斧を大地に叩きつけた。

 衝撃は男を中心にして伝わり大地が陥没する。

 行く手を阻む騎士たちは穴に飲み込まれて瓦礫に潰され死んでいく。

 その隙に男は目的地へと急ぐ。

 こんな大立ち回りを何度もしてはいられない。

 彼にとって何よりも優先されるもの。彼女のもとへと急がなければ。


「ほう。さすがは彼女の側近だっただけはある。とても人間とは思えない」

「邪魔だあああああ!」


 戦斧を一閃させる。

 どんなものも砕き斬る、相手のことなど一切考えない無慈悲な一撃。

 しかし――。


「なっ、馬鹿な……」


 獅子のような男の渾身の一撃が目の前に立つ初老の男に止められたのだ。

 圧し斬ろうと腕に、脚に力を込めるが、どれだけ力を込めようとも地面が抉れるだけで、目の前の老人に刃が届くことはなかった。


「フッ、無意味なことはやめろ。お前たちの聖処女は異端審問の末に火刑が決まり、今まさに執行されている。聞こえるか? あの断末魔が?」


 聞こえないはずがない。

 彼女の声を聞き違えるはずがない。

 断末魔と化した彼女の声はかすれていた。血が溢れ、炎で焼かれているからだろう。

 彼女が苦しんでいる。救いを求めていることが獅子のような男には十二分に理解できた。

 

「邪魔だ。邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だあああああ!」


 獅子のような男は戦斧を一度引いて、再度力一杯に振り下ろす。

 何度も、何度も何度も怒涛の勢いで。

 しかし、いくら斬撃を浴びせても老人はかすり傷一つ負わない。

 まるで見えない壁でもあるかのようだった。


「気づかないのか? 今のお前の有様に?」


 老人の言葉で獅子のような男は一瞬、自らの体に視線を落とした。

 視界に入ったのは自分の体を流れている夥しい量の血。

 髪というよりも、本来は美しかったはずの男の櫨染はじぞめの鬣もまた血に染まっていた。

 いつの間に。どうして自分はこんな姿になっているのだろうか。まるで化け物じゃないか。

 獅子のような男は断末魔をあげている女性を救うために、

 ただひたすら突き進むことだけを考えていた。そこに自らを守る要素など微塵も介在していなかった。

 結果、獅子のような男は満身創痍。

 自分の状況を認識してしまったせいなのか、彼はその場に膝から崩れ落ちた。


「まさに異名に恥じない獅子の如く、お前はここまでたどり着いた。だが、いくらお前があの聖処女と共に戦った英雄であろうとも。いや、英雄だからこそか。お前の末路も決まっている」


 仰ぎ見たそこにいるのは獅子のような男が望んだ人物ではなかった。

 そこにいるのは彼女の名誉を汚し、心を犯し、意味を殺した者。

 憎むべき敵の姿。


「英雄は人間によって殺されるのだ」


 ◆


 ――そんな、夢を見た。


 男は目を開く。

 とても長い間、開かれていなかったためか、目が慣れるまでに時間がかかった。

 最初に視界に入ったのは満天の星空。

 闇夜を彩る美しき星々。

 だが、男は気づいたのだ。

 この空は違うと。

 かつて自分が、彼女と共に駆け抜けたあの世界の空ではないということに。

 空気の匂いも、風の感触も、何もかもがあの時と違っていた。

 強いて言うのならば。


「汚いな――」


 それは男が二度目の生を受けて初めて発した言葉。

 男には全て理解できた。

 先ほどまで見ていたあれは、夢ではなく紛れもない現実。

 今がいつで、どうして自分がここにいるのか何もわからない。


 だが、これは好機なのだ。

 全てはあの時の後悔を。あの時救えなかった彼女を再び救うため。

 神なのか、それとも別の何かなのか。それはわからない。

 けれど、自分はこうして再び世界に足を下ろした。

 記憶も、知識も、経験も。そして力すらも全てが整った状態で。

 ならば、やるべきことは決まっている。


「俺は今度こそ彼女を救ってみせる」


 目を閉じると、彼女の最後の想いが聞こえてくる。


『呪いあれ。わたしを、天の御使いを、神を信じない者たち。わたしは狂信者などではない。わたしは魔女などではない。わたしには声が聞こえたのだ。それを信じない者など呪われてしまえ。愚かで、最早救われないあなたたちに、呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあ呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い……呪われるがいい!!!!』


 彼女の想いが伝わってくる。

 禍々しく、こんなにも歪んだ感情が聖処女と呼ばれた者の想いなのだろうか。

 いや、歪んでなどいないのだ。

 これこそが彼女の本当の想い。

 彼女が最後に抱いた強き想い。


 その想いを心に刻む。

 それだけが獅子のような男の行動原理。

 櫨染色の鬣が風によって靡く。

 妖しく輝く満月の光に照らされる獅子のような男は、

 世界を振るわせるかのような雄叫びを一つあげ、

 自らの目的を成すために闇夜の街へと姿を消した。

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