第43話 リアルネクタイ編(7)

日曜日。“鍛練”最終日の朝は、ジュンペイとヤナセの淡い期待を見事に裏切る、雲一つない絶好の移動販売日和となった。



二人は起きてハンモックから降りると、新たなユニフォームが入った巾着袋が二つ置かれていた。そして、恐る恐る中のものを取り出した。



「……よかったぁ~!」



「よかったですね、昨日のやつに比べたらだいぶマシになってますね」



そう言って二人は着替えると体育室に移動した。



「おはようございます! あれ、ヒメも同じ格好なんですね」



「私も“チーム花閣寺”の一員ですよ。体操の後、朝食を食べながら打ち合わせを行います」



今日はヒメもビデオ体操に参加した。三人はお揃いの鮮やかなオレンジ色のスウェット姿で、姿こそ団結していたが、肝心の体操は揃わずにバラバラであった。



三人は体操を終えると、食事室で朝食を済ませミーティングに入った。そして、ヒメが販売する場所を告げると、ジュンペイとヤナセは自分を守るべく、必死の抗議が始まった。



町中まちなかはまずいですって!」



ヤナセは声を張り上げて言った。



「何がまずいんですか。的確なマーケティングの結果です」



「確かに売るためには最適な場所ですけど、私たちの会社では副業は禁止されているんです。会社の人間に見られたりでもしたら、後々やっかいなことになりまして」



ジュンペイは自分たちの立場を分かってもらおうと、丁寧な口調で説明した。



「副業ではありません。これは“鍛練”です」



ヒメは聞く耳を持とうとしないといった言いかたをした。



「そんな簡単におっしゃいますけどね、何かあったら責任なんかとってくれないでしょう」



ヤナセは口調こそ穏やかではあるが、顔はむすっとしている。



「何かあったら私が責任をとります。時間がありませんのでそろそろ行きますよ」



ヒメは間髪を入れずに答えると、そそくさと先に行ってしまった。



「何かあったら責任はとるって言っていましたけど、どうするつもりなんですかね?」



「いや、今のは何も考えてないで言ったと思うぞ」



「どうしますか?」



「――まぁ、神様もそんなイジワルなことはしないだろう」



「――そうだといいんですけど。日本は広いですしね」



二人は口にすることによって、無理矢理に納得しようとした。




目的地へ到着して開店の準備が整ったところで、二人は土壇場にきて怖じけづいたのか、最後の悪あがきを試みる。



「十時前ですでにこの人だかりですよ。今さら止めようとは言いません。せめて、サングラスだけでも掛けさせていただけないでしょうか?」



ヤナセはすがる。



「あなたたち、“商売”をなめるんじゃありません!」



「“商売”って、“鍛練”じゃないんですか!?」



ジュンペイは言葉の隙を見逃さなかった。



「黙りなさい! なんですか男のクセに、人の揚げ足を取るようなマネして恥ずかしいと思わないんですか!?」



ヒメは少しも動じることなく、自分こそが正しといった、高圧的な態度で言った。彼女の圧倒的な言動は、ジュンペイとヤナセの正常な判断アンテナを狂わせた。



「すみませんでした!」



ジュンペイは早々に、理不尽の前に屈服した。



「すみませんでした! 今からは心を入れ替え、“チキン”を売りきることだけに専念します!」



ヤナセもいつのまにか、商売人のメンタルへと変化していた。



「それでは開店しますよ。ゴー! ゴー! ゴー!」



ヒメは右手をグーにして突き上げ、“チーム花各寺”を鼓舞した。



ジュンペイとヤナセもヒメに合わせて同じポーズをとったが、声は発しなかった。



「ゴー! ゴー! ゴー!」



ヒメはもう一度言い、二人に圧力をかける。



「ゴーゴーゴー」



「声が小さい! ゴー! ゴー! ゴー!」



「ゴー!ゴー!ゴー!」



三人の掛け声は、アルコールが入っているときのような、意味のなさないハイテンションぶりである。



「それではオープンです」



ヒメはそういうと、ボタン操作でシャッターを開いた。



「私は奥でチキンを揚げていますので、あなた達は接客をしてちょうだい」



ヒメはそう言うと、奥に引っ込んでしまった。



「……接客っていったってよ、どうすればいいんだ」



「ボクは接客業の経験がありませんので、どういうノリで言ったらいいのか全然分かりません。ヤナセさん、本場仕込みの営業でここはお手本をお願いします」



「営業と販売はまた違うんだよ。こういうのはコンビニの店員みたいに言えばいいのか? それとも市場的な感じなのか?」



「雰囲気はお祭りの出店に近い感じがするんですが――」



二人は初めの第一声を前にして行き詰まってしまった。



「あなたたち! 全部売り切るまで帰れませんからね!」



奥からヒメのプレッシャーが飛んでくる。



ジュンペイとヤナセは恥ずかしさに勝てずに、第一声が出せずにいた。



「すみませ~ん! 二つくださ~い!」



二人が中でモジモジしていると、若い友達同士とおぼしき二人組の女性が来て注文した。



「はっ、はい、二個ですね。ふっ、二つ入りましたぁ~!」



ジュンペイは足に地が着かないといった接客ぶりだが、経理一筋で戦ってきた男としては頑張ったほうではなかろうか。



注文を受けて、ヤナセは慣れない手つきで保温機から紙袋に移すと客に手渡した。



「それでは三百万円になります」



ヤナセの寒い接客で場は微妙な空気になったが、なんとか一組目への接客は無事に終わった。



「恥ずかしそうに言うから微妙な空気になるんですよ。言うなら言うで思いっきり言わないとだめですよ」



ジュンペイは、自分の接客もそれに負けじとぎこちなかったことは棚に上げて、先輩に接客のイロハをたたき込もうとした。



二人は一度売ったことで肩の荷が下りたのか、その後は、さっきまでのぎこちなさが嘘のように、それとなく様になった販売員を演じた。



そして、陽が落ちて行き、空がオレンジ色に染まった頃、残りのチキンも両指で数えられる量になり、いよいよカウントダウンへと入った。



カウントダウン一人目のお客さんを見たとたん、二人は店員であることを忘れてしまうほど動揺した。



「あれ、二人でアルバイトでもしているんですか?」



恐れていた会社の人間との遭遇だったが、相手はアヤであったので不幸中の幸いといったところであろうか。



「――よかったぁ、残りもあとわずか、一つどうだい」



ヤナセは頭の中が混乱してしまい、とっさにしらを切った対応をすれば人違いだと思ってもらえるんじゃないかという態度をとった。



「やっぱり地元は狭いよね。嫌な予感はしていたけど、でもタカオカさんでよかった。買い物?」



ジュンペイは冷静に対応した。



「うん。気晴らしにでもって思って、とりあえず街に出てきちゃった。なんかお腹空いちゃった、一ついただけますか?」



「ちょっと待っててね」



そう言うとジュンペイは紙袋を手に取って準備に入った。



「このことは会社の人間には黙っていてもらえるかな」



ヤナセは右手で手刀を作り、顔の前にもってきてお願いした。



「もちろん誰にも言わないですよ。何か深い事情がありそうですね」



アヤは笑顔で言い、深入りはしませんといった態度である。



「お待たせ」



「ありがとうございます。この大きさで百五十円なんですね。出血大サービスじゃないですか」



アヤは満足げである。



「あら! お知り合いですか!?」



三人の会話を聞いていたヒメが奥から出てきた。



「会社でお世話になっておりますタカオカと申します」



「あら、そうなの。なかなかのべっぴんさんじゃないの。まぁ、若い頃の私ほどではないけれど」



ヒメは冗談っぽくではなく、シリアスな顔と口調であった。ジュンペイとヤナセはついうっかりと鼻で笑ってしまったが、どうやら気付かれてはいないようである。



それから少しの間雑談を交わした後、アヤは三人に「頑張ってくださいね!」と笑顔で言い、その場を去った。



それから三十分後、残りのチキンが三個となったところで、ヒメから閉店するとの言葉が告げられた。



「まだ売れ残っていますけど、いいんですか?」



ヤナセは少し不服といった様子である。



「最後の客は私たち三人です」



そう言うとヒメは残りの分を保温機の中から取り出し、紙袋に包んで二人に手渡した。



そして、自分の分も紙袋で包み手に持つと、三人はその場で食べ始めた。



「うめぇ~!」



ジュンペイは車の外に漏れるほどの声で美味しさを表現した。



「そういえば朝から何も口にしていないですから、より格別な味わいです」



ヤナセは冷静にこの美味しさの原因を分析してコメントした。



「二泊三日お疲れ様でした。帰ったら花閣寺から感謝の気持ちをさせて下さい。鍛練はここをもって終了とします」



ヒメがそう言うと、二人は“やっと終わったか”という後ろ向きな気持ち以上に、名残惜しさを感じていた。














































































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