第五章 リリスの記録

「何をやっているのでありますかぁぁぁあああっ!」

 絶叫した。咆哮を上げた。発せる音声機能を全開にし、声を振り絞った。

 鮮血とともに、一定間隔で躍動する桃色の固形物が、イブの胸から取り出される。イブの手から、お守りが零れ落ちた。

 取り出されたのにもかかわらず、それは躍動を止めることはない。むしろより一層躍動し、イブの体を取り込み、細胞の増殖を開始する。

「あああぁぁぁあああぁぁぁあああっ!」

 イブが叫びながら、管理者に向かって右腕を振るう。すると、彼女の腕が伸びた。いや、千切れた。千切れながら伸びている。

 筋肉が裂け、骨が伸び、裂けた筋肉が再生しながら増殖し、膨張した筋肉に耐え切れず折れた骨が肉から飛び出し、そこに肉が更に絡みついてく。

 肉の槍は一瞬にして管理者を突き刺し、壁に縫い止め、そのまま肉の中に埋もれていく。肉が蠢く度に血管が膨張、膨張しすぎて血管が弾け鮮血が飛び散り、そこを隠すかのように肉が覆いかぶさっていく。

 続いてイブは左手を振るい、ワタシを押さえつけていた竜の足を射抜く。竜がバランスを崩し、その隙にワタシは竜の拘束から抜けだした。

 あまりにも想定外すぎる事態だが、何とか危機は脱した。

「イブ! もういいのです! 管理者はひとまず排除しました! もうやめるのでありますっ!」

「ダメ! これ、止まらない! 何か他の、ここの中(『黄金の林檎』)に他の人の意志がいるっ!」

 言葉通り、イブの侵食は止まらない。竜が悲鳴を上げるが、その悲鳴を飲み込む勢いでイブの肉は膨張、伸縮し、竜を取り込んでいく。

 竜の中にいる科学生体も機械の悲鳴を上げるが、それもすぐに肉の壁に覆われ、聞こえなくなった。それだけでは足りず、肉は無数の触手となり、この部屋の壁に突き刺さり、突き破る。恐らく、この施設そのものを取り込もうとしているのだ。

 どうしてでありますか? 細胞が増殖するにしても、増殖速度が異常であります!

 そう思った瞬間、ワタシはグロッケンの記憶にあった、あることを思い出した。

『あいつらへの憎悪をこの身に滾らせ、『黄金の林檎』を握りつぶしてしまいそうになっていたことも、もはや遠い過去の思い出となる!』

 まさか『黄金の林檎』は、鳴門の科学側への憎悪(意志)も増幅していたというのでありますかっ!

 だとしたら不味い。この施設だけでなく、アキハバラ・シティそのものも鳴門の憎悪の対象となり得る。

「にぃ、げぇ、でぇ、でぃでぃず、ざぁん」

 かろうじて喋れるイブが、ワタシに撤退を促す。

 イブの膨張は留まることを知らず、後数時間もしないうちにこの施設は飲み込まれるだろう。

 鳴り止んでいた警報が、蜂の巣を突いたように再度鳴り響いた。もはやこの施設のセキュリティは機能していない。

 肉をまとわりつかせ、体現者を取り込み、魔術生体を取り込み、科学生体を取り込み、それでも何とか顔と呼べるようなものが残っているイブが、再度ワタシに呼びかける。

「でぃ、でぃずざぁん、だげでぇもぉ、ばやぐぅ」

「何を言っているのでありますか! イブを、トモダチを置いて逃げれるわけないのであります!」

 それにこのまま放置すれば、確実にイブは殺されることになる。

 だが、彼女を助け出す具体的な手段がない。

『やはり、お前はゴミプログラムだよ。リリス。理想と願望だけを口にして、解決策への具体性に乏しい。挙句、今この状況だ。一体どうやって、その暗闇の中から光を照らすというんだい?』

 管理者の言葉が、脳裏にフラッシュバックする。

 違う! ワタシはどうにかして、イブを――

「にげでぇ! でぃでぃずざぁぁんっ!」

 一瞬、弱気になったのがいけなかった。

 鳴門の悪意に導かれるようにイブから伸びた触手が、ワタシに向かって伸びてきていたのに気づくのが遅れた。

 ……避けきれないのでありますっ!

 そこに、一つの影が飛び込んできた。抱きかかえられたワタシは、唖然とした。

 何故ならワタシは、この感覚(情報)を知っている。

 おんぶはされたことがなくても、彼に抱っこをされた経験ならあったからだ。

 ワタシを触手から救い出した彼は安全圏まで移動。ワタシを下ろすと、

「お前が、ポンコツだな」

 グロッケンは、そう言うのだった。

「記憶が、戻ったのでありますか!」

 いや、それはない。確かに彼の、ワタシとイブに関する記憶は全て削除した。ワタシ自ら削除したのだ。その履歴も残っている。

 では一体、彼はどうしてここに?

 困惑しているワタシを怪訝な顔で一瞬見つめた後、グロッケンは後ろに振り返り、巨大な肉の塊とかしたイブを指さして、こう言った。

「そして、お前がイブだ」

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