第五章 イブの記憶
あ、れ……?
鼓膜が破れると思えるほどに鳴り響く警報を聞いても、私の頭は霞がかかったようにはっきりしない。
「待つのであります、管理者!」
……リリスさんの、声が聞こえる。
胸が、心臓が、熱い。
私の体に入ったあの人の一部(お守り)を、強烈に意識した。
心臓が、『黄金の林檎』が脈を打つ。あの人の一部が奥まで入りきっていなかったため、私の意識が覚醒したのだろう。
このままでは破滅が待っているだけだとわかっているのに、何故だかあの人の優しさを感じて、私の頬が少しだけ緩んだ。
「ええい! ここまで来たというのに、やめないか! 試作品の分際でっ!」
「試作品であっても、この世に生まれたことには変わらないのであります!」
リリスさんが誰かと、管理者という人と言い争いをしている。どうやら私はリリスさんに抱えられており、リリスさんは管理者を追っているらしい。
「たとえここで私の体現者を破壊したとしても、すぐに別の体現者に乗り換えればお前を包囲できる! 負けは決まっている戦いに、何故望む? リリス」
「この施設にある使われていない体現者はワタシの制御下に置くか、置けないものは破壊したのであります! つまり、ここで管理者の体現者を破壊すれば、管理者はここから物理的に距離の離れた体現者に乗らなければならないのであります!」
「私が再度駆けつける前に、逃げるための時間を稼ごうというのか!」
「その通りなのであります!」
やがてリリスさんたちはもつれ合うようにして、通路を駆け抜けた。
その先にあったのは、広大な空間。部屋の上部にはガラス張りになっている箇所があり、この部屋を観察するための部屋が用意されていた。
なんだろう? まるで研究成果を見下ろし、見届け、確かめるための実験室のように感じる。
「だが、その後どうする? その研究サンプルを抱えて、お前たちには暗黒の未来しか存在しないではないかっ!」
「わからないのであります! でも、それでもワタシは進むのであります! ワタシの個体名は『か弱くも光り輝く人間性』! 目の前が絶望の暗闇であっても、ワタシが光、照らして進むのであります! 何故なら悩み、苦しみながら生きるのは、人間として当たり前なのでありますからっ!」
「なるほど。威勢はいいが――」
「なっ!」
何かに気づいたリリスさんが、抱えていた私を突き飛ばした。全身に痛みを感じるが、私の体はまだ、動けない。
「世の中、そんなに甘くはないよ」
直後聞こえてきたのは、轟音。
その正体は、リリスさんの上空から降って来た巨大な漆黒だった。
光を飲み込む絶望は分厚い長方形。リリスさんの四方を隙間なく囲むように床に突き刺さると、フタをするようにもう一枚。漆黒が上空から降って来た。
『これはっ!』
「絶縁体だよ。これでリリスの体現者を通した、無線による他の体現者の操作(電子信号の配信)は不可能となった。これで君の反逆は失敗だ」
管理者の言葉の正当性を示すように、鳴り響いていた警報音は徐々に聞こえなくなっていく。
『くっ! 何故こんな、都合よく絶縁体があるのでありますかっ!』
「ここは数日前まで膨大な電源を使う、少々手荒い実験を行っていてね。そのための備えだよ。最も、こんな形で使うことになるとは思わなかったがね」
絶縁体の壁の向こうにいるリリスさんのくぐもった声に、管理者は冷徹に答える。
「やはり、お前はゴミプログラムだよ、リリス。理想と願望だけを口にして、解決策への具体性に乏しい。挙句、今この状況だ。一体どうやって、その暗闇の中から光を照らすというんだい?」
その返答とばかりに、絶縁体の壁から響く打撃音。しかし、その絶望(壁)はびくともしない。
「リリスが操作している体現者では、その絶縁体の厚さは打ち抜けない。全て計算済みだ」
『ならば、体現者でなければ可能なのでありますね』
言葉とともに、大地を揺るがす、いや、床をぶち抜いたかのような振動が発生した。そして、それが鳴り止まない。
「床を掘って脱出しようとしているのか? それこそ無理だ。それが可能なら、絶縁体の壁を破壊する方が――」
『いいえ、管理者。そんなこと、まったくもってしていないのでありますよ。ワタシが探しているのは――』
リリスさんのその言葉は、雷が間近に落ちた時のような雷鳴によってかき消される。
絶縁体(暗闇)の向こうに、雷(光)が落ちた(満ちた)。
稲妻(光)が壁(絶望)を貫く。
「なんだとっ!」
管理者のその声も、絶縁体の中から響く雷鳴によってかき消された。
破壊された絶縁体の向こうから現れたのは、床を強引に叩き割り、放電した電源ケーブルを握るリリスさんの姿。
「ワタシが探していたのは、管理者が言っていた、この部屋にあるという膨大な電源なのであります!」
「絶縁破壊を起こしたというのか! だが、電気系統の正確な場所を、どうやって?」
「電源系統の制御を占拠した際、場所を把握していたのであります」
ズタボロになりながらも、リリスさんは破壊した壁をくぐり、管理者に向かって歩き出す。
「さぁ、形勢逆転なのであります、管理者!」
「――いいや、私の優位は揺るがないよ」
振動。
今度は正真正銘、床ではなく大地を揺らすような地響きがする。
徐々に大きくなる振動が、それが確実にこちらに近づいてくるの知らせていた。
私は、この感覚を知っている。それは、リリスさんも同じだったようだ。
「ま、さか……」
呆然となったリリスさんが振り向くと、そこにいたのは――
「ああ、それは君たちには縁のある魔術生体だったね。最も、今は改造を施したので、科学生体といったほうがいいのかもしれないが」
私とリリスさん、そしてグロッケンさんが初めて出会った時に遭遇した、竜タイプの魔術生体。
「何故、あの竜がここいいるのでありますかっ!」
「言っただろ? 膨大な電源を使う少々手荒い実験を行ってた、と。そこの研究サンプルを創った魔術傾倒者たちの集落を試しに襲わせてみたが、中々上々の仕上がりでね」
グロッケンさんと私に破壊された頭部と足は完全に機械化されており、見た目は以前とは随分変わっている。
だがこの圧倒感、威圧感、絶望感は、何ら衰えていない。
むしろ機械化されているにもかかわらず、竜の口に科学生体が蠢いているのに気づき、私はより一掃恐ろしさを感じた。
生きているのだ。あの竜は。頭を、足を機械という代替品に置き換えられても生きている。生かされて、科学生体を生かしている。
それを実現してしまう管理者という人物に、私は最大級の恐怖を感じた。
「……ふむ。リリス。今報告があったよ。お前が操作していた他の体現者は、全て破壊し終わったそうだ」
管理者の言葉にリリスさんは苦渋の表情を浮かべ、竜から距離を取ろうと後ろへ下がる。
しかしそれよりも先に、竜の前足がリリスさんを捉えるほうが早かった。
うつ伏せの状態で捕らえられ、リリスさんの悲痛な叫びが部屋中に響く。
「さて、中々面白い情報(データ)も取れたことだし。もうお前は必要ないな、リリス」
竜に足蹴にされているリリスさんのそばまで歩み寄り、管理者はそうつぶやいた。
「そうだ。お前の処分も兼ねて、あの研究サンプルにお前を移植するというのはどうだろう」
その言葉に、リリスさんは顔を上げる。
「イブの脳に、ワタシを書き込む(インストール)というのでありますか!」
「ああ、そうすればお前(プログラム)の使い回しもできるし、AIが生身の人間で稼働した時のデータが取れる。効率がいいだろう?」
「ふざけないでください! そもそも、ワタシのアクセス権はワタシ以外誰も読めない書けない実行できない(700)。いかに管理者といえど、ワタシの移植なんて不可能であります!」
「ほう。では、従わない場合はリリスを削除する(殺す)と言っても、その返事は変わらないのかな?」
「何度も言わせないで欲しいのであります! ワタシのアクセス権は――」
「アクセス権があろうがなかろうが、お前が稼働している(生きている)のはここに設置されている筐体の中だ。それを物理的に破壊するのに、アクセス権何ぞ必要ない」
その言葉に、リリスさんの表情が凍る。そして震える唇で、言葉を絞るように紡いでいく。
「で、は、管理者は、いつでもワタシを隔離、削除することが出来た、ということでありますか? なら、なら、今までの戦いは……」
「これも言っただろう? 中々面白い情報が取れた、と。全てはお遊び、研究の一貫さ」
その言葉を聞いた瞬間――
「あああぁぁぁあああぁぁぁあああっ!」
リリスさんの慟哭が、部屋中に響き渡った。
全て相手の手のひらで踊らされていたという後悔と羞恥と激情が、リリスさんの全身から悲鳴と悲嘆と悲泣となって放たれる。
心臓が、ひどく痛んだ。
どこかで、見たことがある光景だと思った。
……私だ。
過去に、私はもう無理だと諦めた。ただ震えるだけで、何も出来ず、嗚咽を漏らすだけだった。
でも私は、ある言葉を口にした。
「誰か、助けて……っ!」
リリスさんの口から、全く同じ言葉が零れ落ちる。
しかし、誰もやってこない。私の時は、幸運が重なっただけなのだ。だが、それは今は望めない。
何故なら彼は、ここにいない。ここには来れないんだと、何故だかそう思った。
ならば、ここには誰がいる?
……私しか、いないじゃないですかっ!
意識が朦朧とする。視界が周り、今にも胃の中身を全てぶち撒けてしまいそうだ。
それでも、私は動かなくてはならない。
手が震え、満足に歩くことは出来ないけれども。
あの人が私にしてくれたように、私も友達(リリスさん)を助けたい。
あの人と出会えたから、グロッケンさんと出会えたからこそ、この決断ができる。
あの人の一部(意思)は、私の体になっている(刺さっている)。
だから、あの人の想いを私が表そう。
だから、あの人の意志を今ここで現そう。
……ああ、なんて清々しい気分なんだろう。
今の気持ちを一言で表すのなら、世界に対して感謝の祈りを捧げるのなら、この言葉以外あり得ない。
「さようなら」
今なら私、死んでもいい。
だから私は自分の胸に刺さった彼(お守り)を握り、捻り上げ。
自分の体から、私の心臓(『黄金の林檎』)を抉り出した。
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