第四章 リリスの記録

《次の失敗は許されない。わかっているな? リリス》

《わかっているであります。管理者》

 ワタシは管理者の命を受け、再度イブの捕獲に向け出撃していた。援護(サポート)が結果的にワタシの足を引っ張ってしまったという前回の反省を踏まえ、操作する弾丸は全てワタシが所持しての単独任務。

 前回の撤退から今日の再出撃までの間、いや、今イブの元に向かっている間にすら、ワタシは考えていることがる。

 ……どうにかして、この作戦を中止出来ないものでありますか。

 前回失敗したのは数々の幸運が重なったのと、多少運搬屋の機転が効いた結果に過ぎない。今回も同じように幸運に頼るのは、流石に楽観的過ぎるというものだろう。

 何かしら抜け道がないか探したのだが、任務(情報収集)というワタシの最大優先順位を覆すことが出来なかった。

 自分の無力さに腹が立つ。何が人類有史以来最初の人工的に創られた人間(意志)だ。ある程度の自由は認められているが、肝心な行動は、自分の意志すら自分で決められない。ワタシは、所詮ただのプログラムなのであります!

 更に悪いことに、今回の任務では障害の完全排除も含まれていた。もしまた運搬屋が邪魔するようであれば――

 いえ、十中八九来るでありましょうな。

 ワタシはそう確信する。彼の性格は、以前共に行動した二ヶ月の間に把握済みだ。彼は払った分の仕事はする。そういう男だ。

《もうすぐ捕獲対象と接敵するはずだ。気を抜くなよ》

《わかっているであります》

 言葉と共に、ワタシは視覚機能を調整。木々の向こう。その前方に、寄り添った二人の人影を確認。

 ……ん? 寄り、添った?

 視覚機能の倍率を上げると、その人影がイブと運搬屋であることが確定。突如、ワタシの演算処理に急激な負荷がかかる。

 この負荷は一体? そもそもどちらに対しての負荷なのだろう? どちら? どちらとはどちら? イブ? それとも運搬屋?

 わからない。演算結果が出力されない(思考がまとまらない)。

 それでもワタシは、

「離れるのであります!」

 その叫びが聞こえたのか、イブと運搬屋の距離が離れた。だが、妙だ。二人の間に、橋がかけられている。

 真っ赤な、林檎のように真っ赤な橋だった。橋は運搬屋の右手から、イブの右肺と左肺の真ん中、つまり心臓の位置に突き立てられた何かを結んでいる。

 真っ赤な橋は、どんどん大きくなっていく。イブに突き刺さった何かから、一定間隔で勢い良く、橋の材料が噴き出しているのだ。

 それはどう見ても、運搬屋がイブの心臓にナイフを突き立てた結果にしか見えなくて――

「何をやっているのでありますかぁぁぁあああっ!」

 叫び声とともに、ワタシは手加減なしの飛び蹴りを運搬屋に見舞う。運搬屋はそれを両腕で防ぐも威力を殺しきれず、無様にも後方に吹き飛ばされた。

 運搬屋が吹き飛んだのと、イブが地面に倒れ込んだのはほぼ同時。運搬屋と接触した時に付着した赤い液体が誰のものかなんて、考えたくもないのであります!

「何をやっているのでありますか運搬屋! どういうことでありますか運搬屋! 何をしているのでありますか運搬屋っ!」

 何故、何故、何故と、無限ループが止まらない。何故なのでありますか運搬屋! アナタの仕事は、イブの安全を運ぶことではないのでありますかっ!

 それなのに、

「何をそんなに怒っているんだ? ポンコツ。お前がやろうとしていたことを、俺が代わりにやってやったんだ。感謝こそされど、文句言われる筋合いはないだろ?」

 コイツは、本当に何を言っているのでありますかっ!

 存在しない血液が、一瞬で沸騰する感覚。思考よりも先に、体(意志)が動いていた。左右に八発、計十六発の弾丸を射出する。

「ぶっ殺してやりますですっ!」

 この行動は間違っていないのであります。この思考は間違っていないのであります。何故ならワタシの任務はイブの捕獲であり、その邪魔者(運搬屋)は排除しなければならないのでありますからっ!

 怒りという純粋な意志により操作された弾丸は、愚直故に最短最速で運搬屋へと襲いかかる。

 だが運搬屋は、十六の弾丸を目の前にして引いた引き金は、たったの二回。

「単純な弾道計算なら、俺でも十分できる」

 運搬屋が撃ちだした弾丸はビリヤードよろしく、十六発の弾丸を全て弾き飛ばした。ここぞとばかりに、運搬屋が挑発をしてくる。

「どうした? 俺を殺すんじゃなかたのか?」

「その減らず口、二度と開けないようにしてやるのであります!」

 言い返した瞬間、運搬屋は新たに弾丸を放っていた。ええい、小癪な、でありますっ!

 どれだけ先に撃とうが、弾道計算が間に合えばワタシに撃ち落とせない弾はない。ワタシは自信を持って迎撃用の弾丸を放つ。

 ワタシの放った弾丸が、運搬屋の弾丸と接触。次の瞬間、華々しい紅雷が空中に咲いた。

「これは、CB弾! ワタシの弾丸の制御を乗っ取るつもりでありますか!」

「真正面からじゃ、勝てないのは目に見えてるからなっ!」

 掛け声とともに、運搬屋は新たに五発の弾丸を放った。どれかは確実にCB弾だ。選別してる余裕はない。今すぐ弾道計算して迎撃しないと、ワタシに直撃するのであります!

 演算が終わるのと同時にワタシは五発の弾丸を放つ。運搬屋の弾と、接触した。

 そして咲いたのは、五つの紅花。

「五発ともCB弾!」

「弾道計算に処理(リソース)を取られて、弾丸の制御維持にまで手が回ってなかったみたいだな! 奪わせてもらうっ!」

 運搬屋の宣言通り、空中に咲いていた紅雷は何事もなかったかのように収束。代わりにワタシが放った弾丸の弾頭が、ゆっくりとワタシの方を向いた。

 そしてその向こうには、新たに弾を込め直した四十五口径の回転式拳銃を握っている運搬屋の姿があった。

「多少歪んではいるが、相手を撃ち抜くというという点では十分効果を発揮できる。食らえっ!」

 ワタシが制御を奪われた六発、制御を奪うのに運搬屋が使ったCB弾が六発、そして新たに拳銃から六発、計十八発の弾丸が、ワタシに向かって牙を向く。

 ワタシに弾道予測をさせないためか、運搬屋は十八発の弾丸を変幻自在に動かしている。ならば――

「点で防ぐのが難しいのであれば、壁で防ぐしかないのであります」

 ワタシは新たに、二百発の弾丸を取り出した。

 運搬屋の目が驚愕で見開かれる中、ワタシは弾丸を扇のような形でまとめ、彼が差し向けた弾丸を一閃。凄まじい打撃音が響き渡り、運搬屋が操作する全ての弾丸を削るようにして無効化した。

 そして二振り目。弾丸の壁に運搬屋の体が激突。体現者のフレームが軋み、歪み、砕ける音を出しながら、運搬屋の体は吹き飛んでいく。

 うまく受け身を取ったようだが、運搬屋は既に虫の息。息絶えそうな蟷螂が、自分を運ぼうとする蟻に必死に抵抗しているような、そんなか弱い動きしか、今の彼には出来ない。

「……取引を、しよう」

「まだ喋れるのでありますか?」

 吐き捨てるようにそう言うと、運搬屋は皮肉げに笑った。

「そういうな。何も、悪い話じゃない」

「アナタが、そんなことを決められる権利を持っているとでも思っているのでありますか?」

「イブは、生きている」

 運搬屋やから視線を外さぬよう、イブの状態を確認(スキャン)。確かに、呼吸も心拍もあるのであります。

 だが、確かに運搬屋はイブの心臓をナイフで突き立てたはず。

「……運搬屋、これは一体――」

「取引するのは、俺の記憶情報(ログ)全てだ」

「何を勝手に、」

 そう言いながらも、ワタシの体は勝手に運搬屋の方に歩みを進めている。

「な、何なのでありますか、これはっ!」

「お前、欲しがってたじゃないか。俺の、生(アナログ)情報を」

 ワタシの最大優先順位は、情報収集。それは、何よりも優先される意志。

「な、何の記憶情報でありますか?」

「お前と、イブに関する記憶情報全てだ」

 嫌な、演算結果が出た(予感がした)。

「そ、それなら、ワタシもほとんど持っているのであります! その情報に希少価値はありま――」

「譲渡する」

「……え?」

「共有ではなく、譲渡だ。俺が持っているお前とイブに関する情報を全てお前に渡し、俺の外部記憶装置から俺(オーナー)の権限を使ってその情報を削除する」

 しなくてもいい呼吸が、止まった。

 科学側の人間の記憶は記録となり、外部記憶装置に保存されている。

 逆を言えば、外部記憶装置に保存されている情報を削除すれば、経験や記憶は共有している人を減らせる。

 情報の希少価値が、高まるのだ。

「ま、待つのであります運搬屋! そんなことをすれば――」

 ワタシとイブの思い出が、全てなくなるのでありますよ?

 キューシュー・プリフェクチャからの二ヶ月間も。

 イブがナナシだった時のことも。

 全部、全部削除されて、なくなってしまうのでありますよ!

 そう言って、本当は彼の選択を止めたいのに――

 ワタシの最大優先順位は、共有数の少ない貴重な情報収集。例え他人から奪うことになったとしても、何よりも優先される意志。

 そして運搬屋の記憶がなくなれば、もう彼はワタシを邪魔することはない。今回の任務である障害の完全排除も完遂出来る。

「あ……ぁ……」

「どうやら、お前の意志(プログラム)は取引に賛同してくれてるみたいだな」

 ワタシは、傷だらけの運搬屋の体に触れていた。

「ダメ、ダメであります運搬屋……そんな、そんなことっ!」

 思考がまとまらない。

 運搬屋とイブが寄り添っていたことも。

 運搬屋がイブを刺したことも。

 運搬屋の記憶からイブがいなくなってしまいそうなことも。

 運搬屋の記憶からワタシがいなくなってしまいそうなことも。

 それがわかっているのに、運搬屋からワタシとイブの記憶を奪おうと行動しているワタシのことも。

 あまりにも色んな事が起こりすぎて、ワタシの演算機能では処理しきれない。

 でも、止まらない。

 ワタシの最大優先順位は、変わらない。

「……俺の記憶をいじれるようお前にアクセス権を付けた。確認してくれ」

「了解であります……」

 ワタシの中から、何かが零れ落ちる。

「アクセス権の、確に、んが、出来た、の、であり、ます」

 痛覚機能は異常を検知していないのに、瞼から頬にかけて焼かれたような痛みを感じる。

「おい、何を泣いているんだ」

 全く。体現者は、何故こんな所まで人間そっくりに作ったのでありましょう。涙を流したのは、初めての経験であります。貴重な情報でありますね。

「泣、いて、なんて、いない、のであ、ります」

 でも、泣くのがこんなに辛く、苦痛を伴うというのを知っていたら、そんな情報、ワタシは欲しくなかったのでありますよ。

 それでも涙を吹いてくれるこの手がこんなに暖かいだなんて、知りたくもなかったのであります。

 だが、泣いてばかりいられない。ワタシには、まだ仕事が残っていた。

「それで、取引の対価は、何に、するのでありますか?」

 取引というからには、やり取りが発生する。

 ワタシの最大優先順位を満たす運搬屋の記憶の譲渡には、ワタシの存在そのものを対価にすら出来る価値があった。

 それなのに、この男は――

「対価というか、願望だな」

「願望?」

「ああ。願望だ」

「……それは?」

「リリスが自分の意志で、生きたいように生きれますように」

 笑いながら、そう言ったのだ。

 瞬間、取引が成立。彼の記憶が、ワタシの頭の中に流れこんでくる。

 膨大な情報の中、ワタシはディレクトリからファイル、ファイルからディレクトリ間を駆け巡る。

 だが情報を渡り歩いている間に、ディレクトリとファイルの間を通り過ぎて行く間に、彼の過去に触れてしまう。

 彼の抱えてきたモノの余韻に浸る間もなく、ワタシとイブの情報を閲覧。削除。閲覧。削除。閲覧。削除――

 果てしない情報の濁流の中、ワタシはついに、彼の真意を垣間見た。

 グロッケン、アナタは――

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