第四章 イブの記憶
「イブ」
「あ、グロッケンさん」
声がした方に振り向くと、そこには仕事帰りだと思われるグロッケンさんがいた。
「修理が終わったばかりなのに、精が出ますね」
「ああ。俺には金が必要だからな」
いつもの物言いに、私は思わず苦笑いを浮かべた。
「具合は、もういいんですか?」
「改修屋の腕は問題ないが、付けたばかりの左腕(ロケットパンチ)を壊したのは、かなり怒られた」
「あははははっ」
笑いながら、私たちの足は自然と街の外に向かっていく。いい機会だと思ったので、私は以前から気になっていたことをグロッケンさんに聞いてみることにした。
「そういえばグロッケンさんの似顔絵って、どうして描こうと思ったんですか?」
「……気になるのか?」
「ええ。その、随分と独創的すぎて、その、本当に何で描いてるんだろうなぁ、って……」
怒られるかも知れないと思ったが、代わりに返って来たのは小さなつぶやきだった。
「願望だよ」
「え?」
「俺の中が空っぽなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もし俺の中が空っぽじゃないんだとしたら、描いているうちに何か意味のあるものが、描くという行為自体が意味のあるものになるんじゃないのかって。少なくとも、俺自身はそう思える時がくるんじゃないのかって。そういう、女々しい俺の願望だよ」
そう言ったグロッケンさんの横顔は何故だか寂しそうで、そんな初めて見る彼の表情に、私はどうしようもなく落ち着かなくない。
「そういえばイブ。お前、魔術は使えるようになったのか?」
話題が突然変わったのと、変わった話題があまり喋りたくない内容だったので、私はどうにもしどろもどろな口調になってしまう。
「あぁ、それは、その、からっきしで」
マツド・シティにある補助装置を使って見たものの、未だ魔術を発動させることは出来なかった。
「……だろうな」
「え?」
「最近、体調はどうだ?」
その言葉に、私の心臓が跳ねた。
「……気づいてたんですか」
「何故黙っていた。契約には、お前の身の安全も含まれている。不備があるなら、ちゃんと言ってくれないと困るだろ」
「ごめんなさい……」
私はグロッケンさんに頭を下げた。でも、どうしてだろう? 体調不良を隠していたことを咎められたのに、それに気づいてくれたことが、とても嬉しい。
どうしよう。顔が、熱いよ……。
「おい。大丈夫か。顔が赤いぞ」
「だ、大丈夫、大丈夫です! え、えーっと、そうだ、あれだ! 私、このまま魔術が使えなかったら、どうなっちゃうんでしょうね? ねっ!」
かなり強引な方向転換だが、グロッケンさんは呆れ顔になりながらも会話を続けてくれる。
「そうだな。いっその事、科学傾倒者に乗り換えちまう、っていうのはどうだ? それなら魔術が使えなくても――」
「それは、嫌です」
自分でも、思った以上に硬い声が出た。
「科学傾倒者になるって、あの揺り籠の中に入るってことですよね。今なら、前にグロッケンさんが言っていた意味がわかります。自分の目で見て、耳で聞いて、鼻で空気を吸って、口から美味しいものを食べて、誰かに触れた熱を感じて。例え魔術が使えなくても、自分の体で全てを、世界を感じたんです。感じたいんです! 感じていたいんですっ! 今みたいに! だからそれを今更他の何かを中継して、代替化されたものとして感じたくない。そんな事になったら、私の意志がどう在ればいいのか、わからなくなってしまいそうで……」
そこまで言って、私は自分の壮大な失言に気がついた。
グロッケンさんは科学傾倒者。つまり、あの揺り籠の中にいるっ!
「ご、ごめんなさい! 私、その、べ、別にグロッケンさんや科学傾倒者の方を馬鹿にしたわけじゃなくて、その、ええっと、何と言いますか、その、ごめんなさいっ!」
「いや、いい。気にするな。普通の魔術傾倒者から見たら普通の科学傾倒者は、そう見えるもんだ」
頭を下げる私に向かい、グロッケンさんはもう頭を上げろと手を振った。
「……すみません。私、」
「だからいいって。そうだよな。中途半端より、どっちかに寄っていたほうがわかりやすいからな」
そう言ってグロッケンさんは、いつものように皮肉げに笑った。でもその笑みは、何故だかグロッケンさん本人に向けられているようで、私の心はざわめいた。
彼の存在が、急に遠く感じる。今ここで手を伸ばさなければ、彼がどこかに行ってしまいそうで、もう二度と会えないような気がした。
胸に秘めた想いは今にも零れ落ちそうで、いや、零れさせたくてっ!
だから、だから私っ!
「グロッケンさんっ!」
気がついた時には、私は彼の背中に抱きついていた。実り、熟れ、枝から離れた果実(林檎)は、もう元には戻れない。
「……どうした。急に抱きついてきて」
「私、言いたいことがあるんです。グロッケンさんに、言わなきゃいけないことがあるんです」
背中を向けていた彼が、こちらを振り向く。その顔は、逆光でよく見えない。それでも彼が、何かを決意したことだけは、気配で伝わってきた。
「俺も、お前に言わなきゃならないことがあるんだ。イブ」
首から下げたお守りが、怪しく光る。
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