第三章 リリスの記録

 ……全く、信じられないのであります!

 ワタシは巻き起こった砂煙が静まる前に、別の目標に目を向けた。先ほど粉砕した木造建ての家には目もくれず、ワタシは移動を開始する。

 指令書に記されていた捕獲対象がいると思われる集落を見た時、ワタシは愕然とした。

 あの集落は、よりにもよって『定期便』の通る道に出来ていたのだ。

『定期便』は無駄ないざこざが起きないように、とりあえず自分にあった方の街まで送るための仕組みだ。

 魔術生体や科学生体に追われて逃げ込んだ人を一応送り届ける努力はしましたよ、という姿勢を見せるためのものだ。

 街によっては『定期便』に『運搬屋』を付けるなどして安全を確保する場合もあるが、『定期便』の通り道に集落を作るのは前代未聞。

 魔術傾倒者の安全性を高めるためだけに、『定期便』の通り道を占拠しているようにしか見えない。

 有線のBMIネットワークから離れると動きが緩慢になるという体現者の欠点があるため、魔術傾倒者に『距離』を詰められるとそれだけで小競り合いが起こる原因に繋がる。

 全く、これまで付かず離れずで均衡を取っていたというのにっ!

 怒りに任せて、ワタシは家屋に向かって右足を蹴りあげた。ワタシの足が当たるよりも先に、家屋の外壁がごっそりと削れ落ちる。

「何だ、あれはっ!」

「弾丸? 弾丸が足の周りに飛んでいるぞっ!」

 魔術傾倒者が叫んだ通り、ワタシの足、それだけでなく体中を無線で操作した八発の弾丸が舞っている。操作していると言っても、送っている命令は単純。ただワタシの周りを、加速しながら飛び回るようにしているだけであります。

《追加した外部制御機能の調子はどうだ? リリス》

《順調であります。タイムラグも、ほぼないのであります》

 本来タイムラグが発生する無線での弾丸操作を容易にしているのは、出撃前にアップデートした外部制御機能のおかげだった。

 仕組みとしては単純。体を動かすワタシと、弾丸を動かすワタシを別けただけであります。

 ワタシはAI、プログラムだ。故に人間には不可能な、ワタシの体を動かすプロセスを親プロセスとし、弾丸を操作するプロセスを子プロセスとした並列処理(マルチタスク)が可能となる。

 無論、これを行う上で制約がないわけではない。自分の体を動かす処理に加え、弾丸を操作する処理を同時に実行する必要がある。そのため演算処理に、いつも以上の負荷がかかるようになる。

 しかし、ワタシは人間と同じように別の場所から体現者を遠隔操作しており、ワタシが本当に稼働しているのは「セラシエ」の本拠地に設置された、冗長構成が組まれた筐体(サーバ)の中。この程度の負荷なら、想定処理範囲内なのであります。

 と言っても、本来この外部制御機能は複数の体現者を完全並列操作するためのもの。弾丸の操作は、それを行う準備運動みたいなものだ。

 ……もう少し、速度を上げてみるでありますか。

 親プロセス(ワタシ)は子プロセス(ワタシ)に電子信号(意志)を飛ばす。

 加速し続ける弾丸はそれだけで鉄壁の盾であり、強靭な矛となる。弾丸駆け巡るワタシの体は、もはや人型のドリルのようなもの。体当りするだけで、家屋だけでなく周りの木々も粉々に吹き飛んでいく。

 しかしそれにしても、家屋の作りが甘い。もう少しの苦戦と抵抗を予想していたワタシは、眉をひそめた。

 ……そこまでしっかりした作りではないようでありますね。ここ二、三日でひとまず作った、というような。急ごしらえなのでありましょうか?

 だとしたら、計画がずさん過ぎる。これでは『定期便』の通り道を占拠するなんて不可能だ。科学側に接触したという捕獲対象の魔術傾倒者には、何か別の考えがあるのだろうか?

 やはり、魔術傾倒者の考え方はよくわからない。まぁそれでも、理解したいと思える人はワタシにもいるのでありますが。

「ここは俺たちに任せて、逃げろイブ!」

「イブちゃん、早く逃げて!」

 視覚機能に飛び込んできた単語に、ワタシは顔を上げた。

 イブ。今回の任務の、捕獲対象なのであります!

 そう思いながらも、ワタシは辺りを索敵。ほとんどの魔術傾倒者は軽傷、及び無傷。重傷、死亡者はなし。

 二つ目の任務でる集落の殲滅は、ほぼ完遂したと行ってもいいだろう。ワタシの任務は集落の殲滅を受けただけで、そこに集まっている魔術傾倒者の殲滅まで請け負っていない。

 だから残り一つの任務を、速やかに完遂するのであります!

 ワタシは視線誘導で弾丸の位置を操作。自分自身を弾丸に乗せ、自分そのものを弾丸として打ち出した。

 弾丸の速度で打ち出されるも、ワタシの体は体現者。この程度では、傷つかないのでありますっ!

「きゃぁぁぁあああっ!」

 弾丸として飛び込んだ先には、イブと思しき女性の姿があった。巻き上がる土煙を手で払いながら、ワタシはイブに向かって歩き出す。

 ……さて、そのご尊顔を拝ませていただくのであります。

 そこにいたのは、一人の少女だった。うつ伏せに倒れているため、顔まではわからない。

 わかるのは、腰まで伸ばした綺麗な濡羽色の髪を江戸紫色のリボンで一つにまとめているということと、ワタシよりも一回りほど伸長が大きことぐらい。

 八つの弾丸はいつでも打ち出せるように自分の周りを迂回させ、ワタシは倒れている彼女に向かって、確認の意味も込めて声を投げかけた。

「アナタが、イブとやらでありますか?」

「……え?」

 ……え?

 一瞬、弾丸を操作していた子プロセス(ワタシ)が異常終了。すぐにリカバリー処理が走ったため、ワタシは弾丸を地面に落とすという失態を避ける事が出来た。

 だが、異常が起きても仕方がない。何故なら今、ワタシの聴覚機能に聞こえるはずのない、聞き覚えのある声が聞こえたのだから。これは聴覚機能の重大な障害だ。

 急いでシステムの正常性を確認。しかし、返ってくるのは正常の二文字のみ。

 おかしい。あり得ない。こんな所で、彼女の音声情報を拾うなどあり得るはずがない。

 ワタシが停止している中、イブがこちらに振り返った。

 振り向いた瞬間、揺れる膨よかな胸元を確認し、ワタシは一瞬安堵する。良かった。別人だ。そうに決まっている。やはりワタシは正常だった。彼女の伸長も体型も、ワタシとほぼ変わらないはずだ。

 しかし、何故だろう? あの碧眼も、褐色というよりも黄色に近い肌も、全てが彼女を連想させて。

 ワタシの演算処理も、どうしようもないほど目の前の彼女が『彼女』であるという結果を導き出していて――


「ポンコツ、さん?」

「ナ、ナシ、なのででありますか?」


 いつか、こんな日が来るのを待ち望んでいた。

「セラシエ」でも散々言われたが、ワタシが体現者の乗り換えを行わなかったのは、今の顔が変わって彼女に、ついでにあの運搬屋にもワタシを『ワタシ』と認識してもらえなくなるのが嫌だったからだ。

 だからこの体でいれば、この顔でいれば、次に出会った時きっとワタシを『ワタシ』とわかってくれると信じていた。

 でも。

 だからって。

 こんな形でトモダチと再開しなくても、いいではありませんかっ!

「ほ、本当に? 本当に、ポンコツさんなの?」

「アナタこそ、ナナシなのでありますか? ですが、背丈が、」

「ああ、これ? 成長期、ってやつかな? おっきくなっちゃった」

「そんなわけ、ないでありましょう」

 そう言ってワタシたちは、互いに笑いあった。

 疑問はあった。聞きたいこともあった。それでも。

 それでも、間違いない。何千何万の演算を重ねるまでもなく、彼女はナナシ。ワタシの、トモダチだ。

 立ち上がるナナシを見ながら、ワタシは弾丸の速度を落として自分の背後に控えさせる。

「あ、そうだポンコツさん。私、今イブって呼ばれてるんだ。ナナシは流石にないだろう、ってマツド・シティの人たちに言われて」

「それは、正しい判断なのであります。後、ワタシの正式個体名称は『か弱くも光り輝く人間性』。リリスと呼んで欲しいのであります」

「そっか。なら私もイブって呼んでください。それじゃあリリスさん。改めて、よろしくね」

 ナナシ、いや、イブがワタシに向かって、手を差し伸ばす。その手を取ろうと、ワタシも手を――

《対象とは接触したようだな、リリス》

 差し出すことが、出来なかった。

 差し出そうとした右手が一瞬跳ね、口から出かかった、こちらこそよろしくであります、という言葉を飲み込む。

《リリス。状況を伝えろ》

《……管理者。今回の任務の正当性を再度確認――》

《お前の最大優先順位は何だ? リリス》

 ワタシの言葉は、管理者のその一言で完全に封じ込まれる。

《……少ない貴重な情報を収集し、『人間』になることであります》

《そうだ。お前の成すべきことは、任務(情報収集)だ。それがお前の、何よりも優先される意志、最大優先順位だ》

 その通りだ。管理者の言う通り。管理者の言うことが、絶対的に正しい。

 ワタシの基礎人格も、それを成すべきだという演算結果を導き出している。

 ワタシの成すべきことは、任務(情報収集)の遂行。

「ポンコツ、じゃなかった! リリスさん?」

 手を差し出した状態のナナ、イブが、首を傾げている。

 ――今なら、確実に仕留められる。

 ワタシは背後に控えさせていた一発の弾丸を、イブの目の前に移動させた。イブの顔が、驚愕に歪む。

「リリスさん!」

「……これが、ワタシの成すべきことなのであります」

 大丈夫。この距離とワタシの弾丸制御なら、一発でイブを気絶させることが出来る。彼女が科学側と接触していたという疑惑も、「セラシエ」に連れて帰れば冤罪だとすぐにわかるだろう。記憶喪失の彼女が、そんなことをするとは思えない。するはずがない。

 だから早く彼女を――

「……嫌、であります」

 気絶させないと、いけないのに。

 ワタシは自分のアクセス権を使い、体現者の行動を止めようと必死に抗う。

「……イブを、撃つのは、嫌、でありますよ」

 しかし、管理者(root)によって予め設定された優先順には抗えない。

 そして最大優先順位に従うのが、AIとしてワタシが取るべき正しい行動だというのも、理解していた。

 震える右手が、徐々に上がっていく。ワタシの右手が上がりきった瞬間、イブに弾丸が放たれるという知りたくもない事実を、ワタシの演算処理が導き出していた。

 それでもワタシは顔を引きつらせ、左手で右手を押さえつけ、必死に抗った。

 ワタシが解かなければならない問(行動)は明確で――

 嫌だ。撃ちたくないのであります。

 ワタシがその問を紐解く解法(手段)も明確で――

 嫌だ。右手を上げたくないのであります!

 ワタシが解を導く(正しい行動をする)までの時間すら必要なくて――

 嫌だ。正しい行動をするのは、嫌なのでありますっ!

 ワタシはっ――

「ワタシは、間違いたいのでありますっ!」

《だったら、間違えればいいじゃねぇか》

 管理者以外の音声通信?

 そう思った瞬間、ワタシは右脇腹から強烈な衝撃を受けた。AIなのにもかかわらず、痛覚機能があるこの体が恨めしい。

 二転、三転と転がる間、限界値に設定した痛み(電子信号)を抑止。体現者のシステムチェックを行いながら、八発の弾丸を呼び戻す。

 体を起こし顔を上げると、そこにはワタシを攻撃した相手がいた。

 そこにいたのは――

「圧縮した空気を使用し腕を弾丸として射出。射出した腕はワイヤーで回収。ロケットパンチとは、男の浪漫がわかっているじゃないか。あの改修屋」

「『運搬屋』!」

 運搬屋は左腕を回収し、懐から四十五口径の回転式拳銃を取り出し、皮肉げに笑った。

「さぁ、瑕疵保証の時間だ」

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