第三章 ???の記録

 身動ぎすると、気泡が生まれた。

 ガラス張りの円柱の中身は液状のBMIに満たされ、その中に一糸まとわぬ一体の体現者、自分の体が浮かんでいる。

[基礎人格(OS)の正常起動を確認。外部制御機能(ドライバー)、追加(アドオン)。成功(クリア)。続いて、外部記憶装置に接続します。収集した経験値情報(パッチ)の適応、及び最適化(デフラグ)は実施しますか?]

[いいえ、その必要はないのであります]

[了解しました]

 状態確認を行う文字情報に、ワタシはそっけない返事を返した。相手はワタシと同じAI。体現者のチェックを行うのが彼、あるいは彼女の仕事だ。

 だが、そっけない返事を返された方は特に気にした様子もなく、既に次の作業に移っている。何千何万回と同じ仕事を繰り返し続けてきたため、過学習により体現者のチェックを行うのに特化し過ぎているのだ。

 そのため本来付いているはずの音声通信ではなく負荷が少ない文字情報で意思疎通をするようになっている。わざわざリソースを使って、そのチェック対象が何を考えているのか演算処理(考察)すらしようともしない。

[作業は全て完了しました。BMI排出後、速やかに退出してください]

 文字情報がワタシに届くのと同時に、円柱の床がずれ、排水口が現れた。排水口から流れ、吸い込まれていくBMIの音が、何故だかとても耳に障る。

《アップデートは、問題なく完了したのか?》

 全てのBMIが流れ落ちる前に、音声通信が届いた。ワタシを開発した組織、「セラシエ」のメンバーの一人だった。

 この「セラシエ」は、ある一つのプロジェクトの一旦を担っている。それは、死者蘇生とゼロからの人体生成を目指す「アルディ計画」。

 その計画で無数に創られた、人工的な意志(プログラム)の一つが、ワタシだ。

《はい。特に異常(エラー)も発生していないのであります》

 答えた後、ワタシは自分の失態に気がついた。音声通信は複数(グループ)通話になっており、このグループには「セラシエ」の全メンバーが登録されている。

 ワタシが反応したのを契機に、「セラシエ」のメンバーが口々に好きなことを話し始めた。

《その割に、体現者の顔面稼働率が五%程下がっているように見えるけど?》

《ちょっと! 表情が少なくなったって言ってよ!》

《ふむ。先の任務で、魔術傾倒者と戦闘を行ったのが原因か? 不快を示す信号が定期的に出ている》

《魔術傾倒者。いつまで経っても肉という制限に囚われた、あの原始人どもか》

《わざわざ人間の形状にこだわってまで火を出したり水を出したり、びっくり人間でも目指しているのかね?》

《移動制限がないというのは、少し羨ましいけどね》

《そういう不自由さに気づいて、こっちのやり方に嫌気が差したんじゃねーの?》

《魔術傾倒者に憧れている? 生身の肉体がないAIでは、魔術傾倒者になるなんぞ、考えるまでもなく不可能だ!》

《やろうと思えば、出来なくはないかもしれないぜ? 体現者にメインプログラムをまるごと乗せるとかな》

《だが、それでは結局生身の肉体がない、という点を解決出来ていないよ? 魔術傾倒者として不完全な存在になりたがっているってこと?》

《でも、確かにここ最近、体現者の乗り換え(モデルチェンジ)はしていないわね。どういう心境の変化なのかしら》

《うるさいのでありますっ!》

 老若男女の声が飛び交う中、ついにワタシは我慢できずに口を開いた。

《顔面の稼働率が低いのはわざわざここで愛想笑いをする必要がないからでありますし、これだけやかましくされれば誰だってイライラするのであります! それから、ワタシは魔術傾倒者になろうだなんて考えてもいないのであります。指摘があった通り、AIのワタシがそれを求めた所で中途半端な存在になるのは明白。科学側でも魔術側でもない存在だなんて、意志の在り方が定まっていない存在なんて、吐き気がするのであります!》

 だが、ワタシの怒りは彼らには届かない。

《おい、聞いたか!》

《誰だってイライラする、と自分を一般化したぞ!》

《AIである自分を、人間と同列に扱って一般化したのね。不機嫌という各個体ごとに不均一な閾値について言及しているのも、いいじゃない!》

《それよりボクは、科学と魔術の中間的存在になることを否定した点に着目したいね! これは自分の人格をどちらの立場に置くのかを明確にした、自己同一性の確立だよ!》

 あまりのかしましさに、ワタシは眉を潜める。ワタシはBMIが全て排水口に流れ落ちたことを確認し、円柱の一部に手を触れた。触れた箇所から円柱に一筋の線が入り、線はやがて長方形を描き、扉となった。

 扉をくぐり抜けると、こちらに近づいてくる人影が。人影が差し出したその手には、バスタオルが握られている。

「お疲れ様」

 ワタシにタオルを渡したのは、白髪交じりの髪に分厚い眼鏡をした男だった。と言っても、これは彼の体現者。白濁色の瞳をした白衣を着ている体現者を操作しているのは、ヨハネス・ハイレ。「セラシエ」の責任者であり、ワタシの管理者(マスター)だ。

「……直接会いに来るとは、珍しいのでありますね。管理者」

 管理者からタオルを受け取ると、背後で先ほどくぐった扉が締り、またガラスと同化した音がした。ワタシはその音を気にせず、タオルで体を拭う。

 そんな私を見て、ヨハネスは苦笑いを浮かべた。

「何だい? 私が会いに来ると、なにか問題があるのかい?」

「いえ、そういうわけではないのでありますが……」

 言いよどむワタシを気にした様子もなく、管理者は口を開いた。

「ちょっと気になったことがあってね」

「気になること、でありますか?」

「ああ。さっき、経験値情報の適応と最適化を拒否しただろ? あれは、一体何故なんだい?」

「そのことでありますか」

 経験値情報の適応や最適化は、体現者のチェックを行うのに特化したAIに任せておいたほうが効率がいいと、管理者は言いたいのだろう。ワタシは彼に向かって、首を振った。

「あの情報は、自分で収集した経験値情報は既に基礎人格に組み込み済み。適応の必要はないのであります。それに――」

「それに?」

「ワタシの情報のアクセス権はワタシ以外誰も読めない書けない実行できない(700)。ワタシの記憶に触れれるのは、ワタシだけ。ワタシ以外に、ワタシの記憶に触ってほしくないのであります」

 AIであるワタシも人間と同様に、外部記憶装置に自分の情報を保存している。もし今使用している体現者が全損したとしても、そこから記憶(ログ)を引き継ぐことが可能だ。そういう意味で、ワタシは記憶喪失とは無縁だった。

 そう言ったワタシを見て、管理者は満足気に頷いた。

「私は、私たち「セラシエ」はお前に共有しているものが少ない経験や記憶を収集を命じ(オーダーし)ている。それを管理者である私にも共有せず独占するとは、なんとも人間らしくなってきたではないか」

「当たり前なのであります。ワタシの最大優先順位は共有数の少ない貴重な情報収集。例え他人から奪うことになったとしても、必ずやワタシは『人間』になってみせるのであります」

「頼もしいな。他のAIに先を越されないよう、私たちも全力を尽くさせてもらうよ」

 そう言うと、管理者は思い出したかのように言葉を紡ぐ。

「そういえば、アップデートで外部制御機能が追加された。これでお前は演算処理と電源が許す限り、複数の体現者を操作することが可能となる」

「そうでありますな。では、近々試してみるのであります」

「その時、その体現者の乗り換えも行うのかい?」

 管理者のその言葉に、ワタシはハッとして顔を上げる。

「それは、」

《まぁ、いいじないかヨハネス(ボス)。計画は順調だ》

《それに、一つのものに固執するのも、ある意味人間らしくていいことでしょ?》

 接続しっぱなしだった音声通話から、声が聞こえる。向こうにも、ワタシと管理者の会話が聞こえていたようだ。

「……それもそうだな」

 頷く管理者を見て、ワタシは静かに安堵のため息を付いた。

 先程から指摘されている通り、ワタシはある任務から帰投後、自分の体現者の乗り換えを行っていない。それを不審に思った管理者は、ワタシに直接声をかけに来たのだろう。本当にワタシに聞きたかったことは、この事だったのだのだ。

 いい機会だったので、ワタシは五日前に完遂したその任務について、疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「そういえば、管理者。任務の集合場所をアキハバラ・シティにしなかった理由は、何なのでありますか?」

 今ワタシたちのいるアキハバラ・シティは完全な科学側の街となっており、街に存在するものは空気以外、ほぼすべてがBMIで出来ていると言っても過言ではない。歩ける区画、開ける扉に至るまでDNAによる通過管理がなされており、張り巡らされた途中経路(キャリア・エクイップメント)は暴力行為などの危険な意志を除外する。無論、何事も例外があるため警備用のAIを搭載した体現者の数も多く、その体現者の役割は不正な行為を働いたものの破壊による排除だ。

 不正行為とは通行禁止エリアへの侵入であったり、暴力行為のことを言い、体現者には予め警告がなされ、それに違反すると処罰される。しかし当然、魔術傾倒者がそんな警告を受けれるはずもなく、気づいた時には既に処罰対象だ。

 つまりこのアキハバラ・シティは、魔術傾倒者が暮らすどころか訪れることを完全に考慮から外して建設された街であり、「セラシエ」の本拠地がある場所でもある。

 それなのにもかかわらず、前回の任務でこの街が集合場所として選ばれなかった。任務中の同行者も、この街に来るのは問題なかったはずなのであります。

 そう! あの同行者! 目的地に到達した途端、挨拶もそこそこに速攻消えるとは何事でありますかっ! もっと、こう、何かあるでありましょう? それをああもあっさりといなくなるなど――

「おや? また不快を示す信号が出てるよ?」

「それより! 理由を聞かせて欲しいであります! 管理者っ!」

「他に優先すべき課題があったからだ。今のようにね」

 管理者の言葉と同時に届いたのは、一通の指令書(メール)。

 ワタシは他の処理にリソースを回し、先ほどまで感じていたイライラの思考(タスク)の優先度を下げ、演算処理(思考)から遠ざけた。

「最近、こちら側の街に出入りしている魔術傾倒者がいるらしくてね。その身柄を拘束してもらいたいんだ」

 指令書には、一つの画像データが添付されていた。だが、画像が荒すぎる。かろうじて黒い髪をした誰かがいる、というところまではわかるが、それ以上は復元出来ない。

 どういうことだとワタシが睨みつけると、管理者は苦笑いをして肩をすくめた。

「向こうには優秀なナイトがいるみたいでね。他に得られた情報といえば、彼女がイブと呼ばれている、ということぐらいしかわからない」

「こちら側の方は、どうするのでありますか?」

 こちら側というのは、このイブとかいう魔術傾倒者が接触した科学側の人間のことだ。

「そちらは私の方で進めておこう。それより、彼女がどういう目的でこちらに接触したのかが気になる。場合によっては、先を越されるかもしれない」

 それは魔術傾倒者に、死者蘇生かゼロからの人体生成のいずれかを先に越されるということ。

 それは「アルディ計画」で生まれた、ワタシの存在を否定することだった。

「……大丈夫であります、管理者。このワタシに任せておけば、万事解決なのであります」

 BMIで出来た出撃用のスーツを手に取り、着替えながら指令書を再読。

 一文目には、対象の魔術傾倒者の確保。

 二文目には、対象が逃げ込んだ魔術傾倒者の集落の殲滅。

 顔を上げると、管理者と目があった。

「街の外に建てられた集落が魔術生体に滅ぼされる事例なんて、掃いて捨てるほどある事例だろ? これは、そういう任務(情報収集)だ」

 そうだ。管理者の言う通り。その事実に間違いはない。

 大丈夫。ワタシは正しい。正しいことをしているのであります。

 自分の存在意義を考えろ。ワタシは何のために存在している?

 大丈夫。問も明確で、解法も明確。解を導くまでの時間すら必要ない。そんなことは考えるまでもない。

 さっき誓ったばかりではないか。ワタシは情報を得る。得て、必ず『人間』になるのでありますっ!

 決意を新たにしたワタシは管理者に向き合った。管理者が、口を開く。

「お前は「アルディ計画」より「セラシエ」が生み出した、これから人間になっていくか弱い光だ。これから、より大きな光になっておくれ」

 その言葉に頷き、ワタシはゆっくりと口を開いた。

「個体名『か弱くも光り輝く人間性(little light humanity)』。略称、リリス(lilith)。出撃するのであります」

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