第二章 ナナシの記憶

「それで、例の、なんだっけ?」

「『ルーシー計画』だろ? 死者蘇生とゼロからの人体生成を科学傾倒者より先に成功させて、自分たちこそが人間だと証明しようとしてる、ってやつ。それが、どうかしたのか?」

「ああ、そうそう、それだ! 何でも、もう試験体が七体程出来ているらいいぜ? あの噂の真偽も、もうすぐわかりそうだな」

「あの噂って、『そこ』に到達できれば人間だって証明される、ってやつか? 結局、『そこ』という場所に到達すればいいのか、技術的にある領域である『そこ』に到達すればいいのか、どっちなんだ?」

「そんなの、俺が知るわけ無いだろ? ただの噂だぜ?」

 同乗者から聞こえてくる声から意識を放し、私は『定期便』の外に目を向けた。周りは木々に覆われているが、舗道はちゃんとある。既にイケブクロ・シティを出発してから、それなりの時間が経っていた。

『定期便』は二十人ほど収容できる巨大な馬車になっており、乗っているのは私を含めて十三人。全て魔術傾倒者なのだそうだ。

 その馬車を、機械仕掛の二頭の馬が引いている。その馬を操作するのは二体の男型の体現者。その体現者を動かしているのは人間ではなく、ポンコツさんと同じようなAIらしい。

 ……ポンコツさんと同じ、といったら、また怒られてしまいますね。

 ここには先ほどまで行動を共にしていたグロッケンさんと、ポンコツさんの姿はない。私を『定期便』に乗せる手はずを整えると、挨拶もそこそこに二人はすぐに別の目的地へと移動を開始した。

 事前にここでお別れだとも聞いていた。それでもポンコツさんは私と友達でいてくれると言ってくれた。でも――

 ……それでも、やっぱり寂しいですね。

 そう思いながら私は後ろを、『定期便』が出発した場所、イケブクロ・シティがある方向に振り返る。イケブクロ・シティで唯一魔術傾倒者用の、私が使えるトイレを探している最中にグロッケンさんから聞いた話を、私は反芻していた。

 街には魔術生体、科学生体に抵抗するための仕掛けが整えられている。

 科学寄りの街には、科学生体の動きを阻害する大量の悪意(ウイルス)と、科学生体からのBMI供給が途絶えた所で魔術生体を物理的に滅殺する強力な銃火器。

 魔術寄りの街には、魔術生体の動きを阻害する大量の細菌(ウイルス)と、魔術生体の動きが鈍ったところで科学生体のBMIを完全に封殺する絶縁体。

 科学生体のBMIがなければ、魔術生体は魔術を使えない。

 魔術生体のエネルギー供給がなければ、科学生体は活動できない。

 街には寄生しあう魔術生体、科学生体のどちらか一方を確実に潰す手段を用意しており、それ故彼らは街に近づこうとはしない。こうした街を警備する仕事も、『運搬屋』が請け負うこともあるらしい。

 獣が近寄れば鏖殺されるとわかっている場所に近づこうとしないのと同じだ。奴らは過去の経験から仕掛けがどこにあるのか把握しており、勝算がなければ絶対に近づいてこない。

 逆を言えば、勝算があれば近づいてくる、ということなのだが。

「それより、嬢ちゃん。大丈夫だったかい?」

「……え? わ、私ですか?」

 突然声をかけられ、私は狼狽してしまう。私に声を駆けてきたのは、気のいいおじさん、という感じの人だった。

「どうやら見たところ一人みたいだし、科学傾倒者に、何か変なことをされなかったかい?」

 悪い人では、ないと思う。それなのにも関わらず、彼が口にした『科学傾倒者』という言葉には、どうしようもなく隠し切れないほどの嫌悪感が含まれていた。

 私は少しの気まずさを感じながらも、口を開いた。

「いえ、私は森で襲われてたところを、助けてもらって――」

「何? 科学傾倒者に襲われたっ!」

「何だって! あの引きこもりども、自分が傷つかないから他人を傷つけてもいいだなんて、やはりそんな意志の在り方、人間として間違っている!」

「そのくせ衣食住はいっちょまえに用意して、体現者(人形)に飯を食べさせたり、服を着せて遊んでいやがる! これが人間のすることか?」

「そうだそうだっ!」

「ち、違うんですっ!」

 一瞬で反科学傾倒者の思想に染まった『定期便』の中、声を上げながらも、私は猛烈な違和感を感じていた。

 何で、そんなに科学傾倒者を突き放すんですか?

 グロッケンさんに言われた通り、私には情報が、知り合ってきた人間の数が少ない。それでも、私が記憶喪失というのを差し引いても、グロッケンさんとポンコツさんと話していた時間が、ここで私が素直に口を閉じるのを許してくれなかった。

「私が、魔術傾倒者の人たちに襲われていて、それで、グロッケンさんとポンコツさんが助けてくれたんです、私の事!」

 私が魔術傾倒者と口にした瞬間、『定期便』に暗い沈黙が下りる。しまった、私たちにとって魔術傾倒者は蔑称なんでしたっ!

 おじさんが、私を胡乱げに見つめる。

「……それは、嬢ちゃんが何か悪いことでもしてたんじゃないのかい? その科学傾倒者たちとさ。街の外じゃ、余程のことがない限り魔術生体や科学生体のせいに出来るからな」

「ち、ちがいます!」

 嫌な汗が、背中を滑り落ちる。何で? 理由は理由でも、彼らが私を助けてくれたことを、何でそこまで責められないといけないの?

「私は、今日お二人とお会いしました。グロッケンさんは『運搬屋』でポンコツさんはAIで、確かに変なところはありますけど、でも悪い人じゃありません!」

「何? 『運搬屋』だとっ!」

「あんな金にしか興味のない連中が、なんで……」

 騒然となる『定期便』の中、記憶のない私はこれが正常の反応なのか、それとも過剰な反応なのか、判断しかねていた。

「なぁ、あんた」

 すると、初老の女性が一人、私の前に歩み出てくる。

「あんた、魔術は使えるかい? 補助装置なしでさ」

「えっ!」

 何で急にそんなことを聞くの?

 何で今その話をする必要があるの?

 疑問が頭の中を駆け巡り、正直に使えないという言葉が私の口から出てこない。

 私の沈黙を見て、初老の女性は納得したかのように頷いた。

「最近魔術側と科学側でこそこそやっている奴がいるって聞いていたが、あんただったのかい」

「違います! 私じゃないっ!」

「そうであってもなくても、科学傾倒者だけでなく『運搬屋』と親しく出来る時点であたいらには胡散臭く思えてしかたがないのさ」

「魔術をうまく使えない人間は、科学傾倒者に憧れる奴もいるからな! それで俺たちの生活が壊されたらたまったもんじゃないんだよっ! このスパイがっ!」

「なん、ですか、それは……」

 異常だった。科学傾倒者と接触することにアレルギーを感じているかのような排他性を、魔術傾倒者たちは持っていた。そしてそれ以上に『運搬屋』を忌避していた。

 今私の目の前に広がっているのが、当たり前の世界なんだろう。その逆もそうだ。きっと科学傾倒者も、同じように魔術傾倒者と『運搬屋』を忌避している。両者の溝に、底はない。

 だからきっと、私が出会った彼らが特別だったのだ。

 既に別れた、私に名前をくれた人との会話を思い出す。


『人間なんかよりも、魔術生体と科学生体の方がよほど仲がいい』

『人間同士は、仲良くすることは、出来ないんですか?』

『あいつらみたいに、同じような場所で生活すれば、可能かもしれないな』

『なら、そうすればいいじゃないですか』

『科学傾倒者は、揺り籠という管理された安全圏から出る理由がない。外に出て、危険な目に会ったらどうする? 死ぬかもしれないんだぞ』

『なら――』

『一方魔術傾倒者にしてみればは、揺り籠という中身の見えない箱(ブラックボックス)に閉じ込められるのは、御免被りたいだろう。中に入って、体現者を操れないまま目覚めなかったらどうする? 死ぬかもしれないんだぞ』

『それは――』

『彼らにとって外が内で、彼らにとっては内が外。生まれた場所が違うだけで、わかり合えなくなるのが人間だ。目を覚まさなくていいなら目覚めたくないし、眠らなくていいなら眠りたくないのさ』


『運搬屋』であるグロッケンさんは、初めから科学傾倒者と魔術傾倒者、どちらの立場でもなかった。

 ポンコツさんは私を友達だからと、魔術傾倒者と呼ばず、人間として見てくれていた。

 私もあんな出会いではあったけど、グロッケンさんとも普通に喋り、ポンコツさんとも友達になれた。

 だからこそ、私は恐ろしかった。

 もし私が記憶を失っていなければ、あの二人と今のような関係を築けただろうか? 『定期便』の中にいるこの人達のように、彼らを罵倒せずにすんだだろうか?

 安堵と不安で、私は自分の両腕を抱いた。

 ……記憶喪失のおかげでグロッケンさんやポンコツさんに酷いことを言わなかったのは不幸中の幸いでしたが、やはり私の記憶は変です!

 科学傾倒者や魔術傾倒者という単語、その両者が諍いを起こす起源も知っていて、言葉も喋れる。だが、その使い方がわからない。

 まるで強制的に意味の分からない数式を脳みそに書き込まれたように感じる。数式が存在することは理解できるが、この数式を何処で使えばいいのかわからないみたいだ。そして、その数式自体にも、所々穴が開いているように感じる。

 わからないから、魔術傾倒者の前で科学傾倒者と『運搬屋』を養護するような発言をしてしまった。その行動が間違いだとは思わないが、もう少し言葉を選べば、今のような状態にはなっていないはずだ。

『定期便』の同乗者は、私に疑心と敵意の視線しか返さない。どうやら、完全に科学傾倒者からのスパイだと思われているらしい。そもそも、何をスパイするのかもわからない。完全な濡れ衣だ。

「皆様、ご着席ください。『定期便』が、揺れるのであります」

 一触即発となる中聞こえてきたのは、『定期便』を運転している体現者の声。

 それに、魔術傾倒者たちは猛反発する。

「うるせぇ人形風情が!」

「さっさと『定期便』を止めて、このスパイを降ろせ!」

「それは出来ないのであります。この『定期便』はオウジ・シティへの直行便となっているのであります。途中下車は、認められないのであります」

「何を――」

「ご着席、願うのであいます」

 前を見ていた二体の体現者の首が百八十度周り、今にも飛びかかろうとしていた魔術傾倒者を睨みつけた。睨みつけられた魔術傾倒者の動きが、止まる。

 それを見て、体現者たちは口を開いた。

「ワタシたちの最大優先順位は」

「お客様を安全に目的地に届けること」

「ご着席願います」

「お静かに願います」

 動きを止めた魔術傾倒者は舌打ちをして、自分の席に腰を下ろした。

 私がほっと一息ついた瞬間、馬車の車輪が不自然な振動を伝えてくれる。それに気づいた瞬間、世界が、歪んだ。

「きゃぁぁぁあああっ!」

 横転する『定期便』の中で、私の悲鳴が乱舞する。『定期便』が止まるまでに、二人が外に放り出された。

「いった……」

 中にいた私たちは、何とか天井と床が逆さまになった『定期便』から這い出す。

 そこで私たちを待っていたのは――

「魔術生体!」

「しかも竜タイプじゃないかっ!」

 土色の無骨な鱗。まだ完全に癒え切っていない上顎、頬、下顎の傷。

 間違いない。今朝私たちが遭遇し、グロッケンさんが退けた竜だっ!

「皆様、先を急ぐのであります」

「ここはワタシたちが引き受けるのであります」

 乗客を守るという至上命題を与えられた二体の体現者が、果敢にも竜に向かって走りだす。

「おい! お前も早く手伝え! こいつを元に戻したほうが早く逃げれる!」

 振り返ると、残った全員で横転した『定期便』を元に戻そうとしている。

「助けて!」

「嫌だ、死にたくないっ!」

 駆け寄る最中、外に放り出された二人の絶叫が聞こえ、振り返る。私が振り返るのと同時に、彼らの声がした場所に竜の足が振り下ろされた。

 地面が私へ振動を伝え、空気が水をやり過ぎてトマトが盛大に割れたような音を伝えてくる。砂埃が舞い、素肌が痛い。

 目から何かが流れ落ちるのを痛みのせいだと強引に考え、私は『定期便』を助け起こす輪に加わった。

「あと少しだ!」

「動けっ!」

「せーのっ!」

 掛け声とともに『定期便』が動く。早くしないと、殺されるっ!

 思いが通じたのか、『定期便』が再び天井を向いた。その横に、一体の体現者が吹っ飛んでくる。竜に戦いを挑んだ、体現者の一体だった。

 もう一体の体現者を探すために振り返ると、竜の口の中に人影が見える。竜の牙に、体現者の片割れが食い破られていた。

 体現者は機械で出来ており、科学生体の格好の餌だ。竜の口から唾液のように科学生体が現れ、節足動物を思わせる動きで体現者に急接近。体現者もまだ機能を停止していないため抵抗するが、振り上げた腕を振り下ろすまでの間に、無数の科学生体に取り憑かれる。死肉をむさぼる虫達のように、体現者は為す術もなく体を食い破られていく。

 私は吹き飛んできたもう一体の体現者に駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「……何を、しているのでありますか?」

「え?」

 助け起こした体現者は、私の向こうを、『定期便』を見つめていた。

「やっぱり、あんたが科学傾倒者とつるんでるスパイだったんだな?」

 振り返ると、そこには『定期便』の中で一番最初に私に話しかけてくれたおじさんだった。彼は憤怒の表情で、馬の手綱を持ちながら私を見下ろしている。

「ち、ちがいます! 私スパイだなんて、そもそも、一体何のスパイだって言うんですかっ!」

「しらばっくれるな! こうなったのも、お前が科学傾倒者と通じていたから、きっとこんなことになったんだっ!」

「いいか、早く出して頂戴! 馬は予め設定(インプット)された道にそって進むようにプログラムされているから、何とかなるはずよっ!」

 激高する男を、初老の女性が嗜める。

「……ダメです。それは、いけない。あれの目的は――」

「待ってっ! 私も乗せて行ってっ!」

「いいから、早くっ!」

 息も絶え絶えな体現者のつぶやきと私の絶叫は、激情にとらわれている二人には聞こえなかった。

 竜が再び地面を踏みしめる。砂埃が舞い上がり、顔を伏せた。

「ざまぁみやがれ裏切り者!」

「せめて囮として役立って頂戴!」

 ようやく顔を上げると、既に『定期便』は私の手の届かない距離にいた。

「……どうして」

 それは、何に対しての問いかけだったのか。

 今の自分の不幸に対してだろうか? 自分が魔術傾倒者であるにも関わらず、魔術傾倒者に憤りを感じているからだろうか? さっきまで行動を共にしていた二人を理解してもらえなかったことだろうか? それとも自分自身の確固たる意志が、自分の何処を探しても見つからないからだろうか?

「あなたも、早く、逃げるので、あります」

 悲痛な顔をした体現者が、私の顔を見た。

「逃げるって、『定期便』もないのに? 無理よ。竜相手に、人間が走って逃げるだなんて、余程のことがない限り――」

「違う、ので、あります」

 私の言葉を遮り、体現者は口を開く。

「あの魔術生体の、あの竜、の、目的、は、――」

 そこまで言って、体現者の目から光が消えた。

 機械の体、しかも乗っていたのはAIであるにもかかわらず、私は開かれたままの体現者の瞼を、そっと閉じた。

 そして、疑問を感じる。

 AIの乗った体現者の最大優先順位は、『定期便』の乗客を安全に送り届けることだ。それなのにもかかわらず、竜との戦闘後に体現者は『定期便』に乗るなと言った。

 ……体現者は、竜との戦いで何かを掴んだ、ということでしょうか?

 だが、この問に答える時間はもうない。先程から、地面から伝わってくる振動が強くなる。

 より強く。

 より強く。

 より強く。

 そして、止まった。

 見上げれば、そこには絶望がいた。口の中では更に無数の絶望が歓喜を示すかのように踊りまわい、その絶望を飼う主は黒檀色の目でこちらを睥睨している。

 絶望が口を開く動作をした所で、私は自分の死を悟った。ただ考えるのは、楽に死ねますようにという、その一文のみ。

 祈るように顔を伏せた瞬間、暴風と轟音が辺りに響き渡る。

「へ……?」

 振り返ると、そこには私をその強靭な脚力で飛び越え、『定期便』に噛み付いてる竜の姿があった。

 竜が顎に力を入れる度、『定期便』から空に向かって慟哭と絶叫、血潮に臓物が吹き上がる。機械仕掛の馬ごと竜に飲み込まれていく初老の女性は、絶望と困惑の表情を浮かべていた。

「何、でぇ? あっでぃの娘の、ぼぉがぁぎょでぃが、近かった、はづぅなのにっ!」

 それは、私も同じ疑問を持っていた。

 二匹の馬を食い荒らし、竜が首を振る。『定期便』だったものが盛大に転がり、人間だったものの一部が先を競いあうように『定期便』の外へと吹き出した。もはや生存者はいないだろう。

 何故私よりも先に『定期便』を襲ったのかという疑問の答えは、単に竜の気まぐれだろう。実際、竜は『定期便』を食らった後、私に目を向け、ゆっくりと歩き出していた。

 振動が、伝わる。

 落ち着け、私。もう一度死ぬための決意をすればいいのよ。さっきできたんだから、絶対出来るって。

 振動が、伝わる。

 思えば、朝から散々な目にあった。記憶喪失の状態で魔術傾倒者に追い回され、よくわからないうちにポンコツさんの友達ということになった。友達に、なった。

 振動が、伝わる。

 でもここから、というところで出会った二人とは私を置いて、さっさと行ってしまった。そして今、このざまだ。

 振動が、伝わる。

 でも、ポンコツさんと、もう一度約束した。まだ、友達でいるって。そして私も言った。これからもずっと仲良くしていきたいです、って。

 振動が、伝わる。

「……やだよ」

 振動が、伝わる。

「……こんなの、無理だよ!」

 振動が、伝わる。

 しかし、それでも溢れる想いは止められない。

「ようやくだったんだよ。右も左もわからない記憶喪失の中、何とか友達も作れて、でも別れなくちゃならなくて、けれども先ではつながってるって、ちゃんと信じられたんだもん。それなのに、ここで終わりなの? なくなっちゃうの? やだよ。無理だよ! 一回死ぬんだって決めた後に助かっちゃったら、惨めになるほど生きたいって思っちゃうじゃん! 生きたい! 私生きたいよ! 自己同一性なんて形成されてなくたっていい! 同一性拡散でも構わない! 生きたいの! 私、今、どうしようもなく生きたいのっ! だからっ」

 私は竜に向かって振り返る。顎門という名の絶望が、そにはあった。

 けれども私は、何一つ持ってない。あるのは、ただただ流れ出る悔し涙と鼻水、そして直前に迫る恐怖に対する震えのみ。

 だから私はこの状況を打開できない。

 それでも私は生きていたい。

 だから私は、震える唇で、こう呟いた。


「誰か、助けて……っ!」


 そうつぶやいた瞬間、その願いは突如飛来した一発の弾丸によって叶えられることになる。

 弾丸の存在に気づいた竜は魔術(テウルギア)を急速展開。紫電がほとばしるも、その雷を弾丸が喰らい尽くす。絶縁体弾だ。

 だが、竜は気にした様子もなく魔術を続行。その度に絶縁体弾は雷を喰らい、喰らい、喰らい、絶縁体弾が、弾け飛んだ。

 弾けた弾丸が竜の口の中で即席の炸裂弾となる前に、私は横から強引に抱えられて、跳躍。私を抱えたその人は、竜との距離を一気に空ける。

 彼はひとまずの安全を確認すると、私を地面に向かって放り投げた。

「ここまで離れれば、後は自力で逃げれるな?」

「グロッケンさんっ!」

 そう、私を助けたのは、イケブクロ・シティで別れたはずのグロッケンさんだった。

 なら、ひょっとしてポンコツさんも……!

「悪いが、あいつはもうウエノ・シティに運搬済みだ」

 私の思考を先回りしたかのように、グロッケンさんは口を開いた。

「さっきも聞いたが、逃げれるな? ナナシ」

「は、はい」

 なんとか立ち上がりながらも、私はグロッケンさんに答える。

 それを確認した彼は懐から四十五口径の回転式拳銃を取り出し、皮肉げに笑う。

「さぁ、瑕疵保証(アフターサービス)の時間だ」

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