第一章 グロッケンの記憶

 札を持った男が脳漿をぶち撒けながら崩れ落ちるのを見て、俺は満足気に頬を歪めた。狙い通り、一発目は無事着弾。走りながらの狙撃とはいえ、そこまで距離も離れていない。しかも魔術傾倒者様は白衣を着た半裸の少女にご執心と来た。この条件なら、目をつぶっていても当てられる。

 一方、男のそばにいた少女の頬には、彼の返り血が。彼女の褐色、というよりも黄色に近い肌に、鮮血という化粧が施されている。何が起きたのか、理解できていないのだろう。男の返り血を拭うこともせず、ただ呆然とその場に突っ立っていた。腰まで伸ばした濡羽色の髪と碧色の瞳が、彼女の不安を表すように大きく揺れている。

「誰だ!」

 仲間が死んだことに狼狽したのか、魔術傾倒者の一人が杖を振り上げながら叫んだ。その瞬間、杖の周りに無数の紫電が走る。あの杖を補助装置(アクセラリデバイス)として、魔術(ゴエティア)を発動させるつもりなのだ。

 決定的に進む道を違えてしまった科学傾倒者と魔術傾倒者は、それでも道を違える前まで全く同じ道(技術)を歩み(開発し)続けていた。

 その技術の名前は、バイオロジカル・マテリアル・インタフェース(BMI)。

 生体(バイオロジカル)とは、生物の体内に存在するタンパク質やそれを構成するアミノ酸などの化学物質の総称だ。その生体と有機・無機化合物である物質(マテリアル)の仲立ち(インタフェース)。

 人と機械の融合(マン・マシン・インターフェース)に留まらない、全ての生物が持つ生体と全ての物質を融合させるための技術。

 生物の電気信号(意志)を体外の物質に伝える仲立ち。それがBMIであり、微粒子に近いそれは他の物質に混ぜ合わせることで固体・液体・気体の三態に加工、散布することが出来るという特徴を持っている。

 そしてこのBMIの使い方の違いが、人類を科学傾倒者と魔術傾倒者の二つに分断することになった。

 例えば魔術傾倒者は、BMIを自分の肉体を拡張するために使う。イメージとしては、幻肢痛を逆手に取ったやり方と思ってもらったほうが理解しやすいだろう。

 幻肢痛とは、事故などにより手足が切断されて『なくなった箇所が痛む』という疼痛だ。痛みを感じている場所は既に切断されており存在しないため、痛み止めや麻酔も効果がない。これは脳に手足がなくなったという情報が『更新されていない』ことによって起こる症状だ。

 魔術傾倒者が行うのは、この反対。体外にある物質を、脳に自分の体だと誤認させる。

 人間の体が動くのは脳から手足を動かすように電気信号が送られるからであり、この電気信号をBMIを使って体外の物質に伝えることで、その物質を自分の体の一部として取り込むことができるのだ。

 そう。最初に殺した男が持っていた札も、今男が振り上げている杖も、魔術傾倒者が物質を操るためにBMIを加工し、使用者の意志を発現しやすくするための補助装置。

 皮膚を伝い、流れ出た魔術傾倒者の電気信号(意志)はBMIに伝わり、杖は既に使用者の一部となっている。

 かくして自分の腕を動かすように、男は杖から大量の水を生み出した。

 男が生み出した水は瞬く間に集まり、分厚い水の壁を形成する。第二の狙撃を警戒しているのだろう。魔術を発動させたのは死んだ仲間が倒れた反対側。つまり、銃弾が飛んできた方角だ。

 仲間の死体から狙撃した方角を割り出し、狙撃されたと思われる方角に魔術を展開したのだろう。

「こんな所で、死ねるかぁっ!」

 杖を持った男が、再度叫び声を上げる。すると杖から更に紫電が舞い散り、ただでさえ分厚かった水の壁はより一層厚みを増していく。この変化は、男が叫んだのと無関係ではない。

 プラシーボ効果という言葉がある。

 偽薬(プラセボ)が語源となっているそれは、例えば本来なら効果が無い薬を飲んで熱が下がる。目隠しをした被験者に熱した鉄の棒を当てると言い、代わりに『ただの木の棒』を当てるとその箇所が水ぶくれを起こし火傷する。といった、『自分の体だけ』に作用する完全なる思い込みによって引き起こされる効果のことだ。

 そしてその効果は、当然魔術傾倒者の『自分の体の一部』となった杖にも及ぶ。

 BMIである杖はあくまでも杖を持った男の電気信号(意志)を体外の物質に伝える仲立ちだ。では、男が意志を伝えたい物質とは何か?

 杖から生み出された水が何で構成されているかを考えれば、自ずと分かる。

「あぁぁぁあああぁぁぁああああっ!」

 自分の思い込み(意志)を強くするために、更に男が叫んだ。魔術傾倒者の脳から発せられたプラシーボ効果(思い込み)という電気信号(意志)はBMIで作られた杖によって増幅。その思い込み(効果)は杖から紫電となって空気に伝わり、空気中の酸素と水素を瞬時に結合、大量の水を生み出していく。

 生身の体で物質を掌握し、変化させる。これを魔術と言わずに、なんと呼べばいい?

 もはや水の壁は、最初に作ったものよりも五倍ほどの大きさへと成長を遂げていた。男の死にたくない、絶対に生き残りたいという強い意志が、弾丸の直進を阻む水による鉄壁の要塞を生んだのだ。

 だが――

「悪いが、そっちはハズレなんだ」

「なっ!」

 杖を持った男が聞いた俺の声と死を運ぶ弾丸がやってきたのは、彼の背後から。いかに強固な壁の後ろに隠れても、その壁がない場所からの攻撃は防げない。

 驚愕の表情を浮かべたまま俺の狙い通り心臓を撃ち抜かれ、男が仲間と同じように血溜まりのベッドに沈んでいく。銃声の余韻が森に浸透していく中、男が作り出した水の壁は弾けるように散らばり、その存在が幻だったかのように空気中へと消えていった。男からの意志が途切れたため、魔術が解除されたのだ。

 補助装置に意志を送る脳を潰すのと、その脳を動かすのに必要な酸素を送る心臓。この二つを狙うのが、魔術傾倒者と殺りあう時の鉄則だ。この二つのうちどちらかが潰れていれば、たいていの魔術傾倒者は魔術を使うことが出来ない。

 男の心臓もぐっすり眠っていることを体内のセンサーで確認し、俺は残りの一人に視線と銃口を向ける。手にした四十五口径の回転式拳銃(リボルバー)が朝日に照らされ、鈍く光った。

「お前、科学傾倒者か!」

「そうだと言ったら、アップルパイでも焼いてもてなしてくれるのか?」

 肩をすくめて戯けるように言いながら、俺はゆっくりと歩き出した。進行方向は、ローブ男と半裸の少女のちょうど中間。左目だけで少女に視線を送ると、腰を抜かしたのか尻餅を付いていた。右目はローブ男を見ており、その顔には何かに気づいた理解の表情。だがそれもすぐに悔しそうな苦渋の色に塗り替えられる。

「そうか。お前の体現者(アバター)から弾丸を遠隔操作(リモートコントロール)して、」

「悪い。その話、長くなるのか?」

 俺はローブ男の言葉を遮り、そう言った。彼の言おうとした通り、俺は狙撃を行うため拳銃に消音器(スプレッサー)をつけた状態で弾丸を発射。その後走りながら無線で弾丸を迂回させるように移動させ、目標(ターゲット)である札を持った男を狙撃したのだ。それが功を奏して杖を持った男は俺の位置を誤認し、今の状況へとつながる。

「悪いことは言わない。早いとこ、そこから移動した方がいい。死にたくなければ、な」

「……引きこもることしか脳のない科学傾倒者の分際で偉そうにしやがって! ぶっ殺してやる!」

 俺はローブ男の台詞を聞いて、思わず苦笑いを浮かべた。俺の親切心を無駄にしたその行為にではなく、科学傾倒者が引きこもりである、という事実にだ。

 科学傾倒者は、確かに引きこもりだ。なにせBMIが実用化されて以来、生まれて一度も外に出たことがないのだから。

 魔術傾倒者はBMIを自分の肉体を拡張するために使っているが、科学傾倒者は自分の意志を体外に送るために使っている。イメージとしては、大昔のネットゲームに近い。ユーザがゲームにログインし、自分の代わりとなるアバターを動かす。それを、現実世界で行うのだ。

 科学傾倒者は自分自身の意志そのものをBMIで作られた無線・有線のネットワーク経由で移動。BMIを加工した機械で作られた第二の体、体現者の上に乗せて(マウント)、遠隔操作している。

 体現者は視覚や聴覚だけでなく、嗅覚、味覚、触覚の人間が有する五感全てを数値として情報化し、操作している科学傾倒者に送っている。そのため科学傾倒者は体現者を遠隔操作しているにもかかわらず、体現者を通して生身の人間と全く同じ刺激を受けることが出来るようになっていた。その名の通り、体現者が科学傾倒者の体を現しているのだ。

 そのため科学傾倒者は脳からの電気信号(意志)を体現者にBMI経由で送るのに最も適している揺り籠(マトリクス)という施設の中で生まれ、揺り籠の中で育ち、揺り籠の中で死んでいく。

 たった一度も目覚めることなく、指一本動かさないまま、その生涯を終えるのだ。

「笑っていられるのも、今のうちだ! はぁぁぁあああぁぁぁあああっ!」

 俺の苦笑いを挑発と受け取ったのか、ローブ男が激昂する。その昂った感情に応えるように、ローブの周りに紫電が集まり始めた。魔術が発動しかける、その直前。

 ローブ男の額から、鮮血が吹き出した。白目を向きながら、男の体が崩れ落ちる。飛び散った血と脳症が男の周りに滞留していた紫電にぶつかり、異臭と黒い煙を発生させながら焼かれていく。

「言っただろ? 死にたくなければ移動しろ、って」

「なん、で?」

「遠隔操作している弾丸が一発だ、なんて言ってないだろ? 三発目に撃った弾丸だよ、お前のは」

 体現者は機械である特性を活かし、顔や体の部品(パーツ)だけでなく機能・性能面についてもカスタマイズ可能だ。当然体現者を通して意志を表現するために必要な、アプリケーションもインストールすることが出来る。

 俺も魔術傾倒者の心臓の位置を確認するためのセンサーと、弾丸を操作するための無線機能をつけていた。

 ローブ男の心臓が停止したのを確認し、俺は銃の円筒(シリンダー)をずらしながら、無線を使い二発目と四発目の弾丸を空気中に散布したBMI経由で操作。今も座り込んでいる少女の後ろから、二発の弾丸を呼び戻す。

 競うようにやってきた二発の弾丸を、俺は速度を落とすため四度自分の周りで迂回させ、滑りこませるように円筒へと収めた。無線で操作していた弾丸は、計四発。杖を持った男の心臓を撃ちぬいたのは、元々円筒に収められていた五発目の弾丸だ。

 新しい弾丸を円筒に込めながら、俺は今までの一連の騒動を全て見ていたであろう相手に連絡を取る。

 頭に思い描いたのは、連絡を取りたいという強い電気信号(意志)。それは俺の一番表現したい意志として、一つのアプリケーションという形となる。形作られたアプリケーションはすぐさま起動(スタート)し、BMIネットワークを通じて連絡を取りたい相手に向かって一直線に突き進む。相手は近くにいるため、すぐに接続(コネクト)は完了(コンプリート)。通信可能となった。

《終わったぞ。ポンコツ》

《誰がポンコツでありますかっ!》

 直後耳元で聞こえてきたのは、ヒステリックな少女の声。これは最も表現したい俺の意志が具現化し、事前にインストールしていた通話アプリが起動したためだ。

 相手の今見ている視覚情報や感じている味覚、嗅覚も共有できるアプリもあるが、今は仕事の完了報告を伝えたいだけ。そこまで通信量の多いアプリは必要ない。

 だが少女の声を聞くと、それなら音声情報ではなく文字情報(テキスト)でも良かったなと、俺は遅まきながら後悔した。

《いちいちでかい声で喋らなくても聞こえている。音量(ボリューム)設定がイカれてるんじゃないのか?》

《ワタシはイカれてなどいないのであります! そもそも、音量設定は自分(ローカル)側の設定なのでありますよ。音量が合わないのなら、アナタが調整すべきなのであります、運搬屋(ルータ)っ!》

 科学傾倒者は、体現者があれば何処にでも意志を乗せかえることが出来る。そのためBMIによるネットワークがつながっており、意志の受け皿である体現者が用意されている場所へなら、科学傾倒者は瞬間移動することも可能となった。ただ、意志の移し替えを乱立できないよう、BMIネットワークごとに接続出来る科学傾倒者の情報を登録しておくなどの安全対策(セキュリティ)が施されている。

 こうした利点から、科学傾倒者はありとあらゆるものを情報(データ)化、ネットワーク上に接続、保存(アップロード)。やがて科学傾倒者は生身の体を動かすことも、揺り籠から出ることもなくなった。

 しかしそれは同時に、どうしても情報化出来ない存在を浮き彫りにするという結果につながった。

 科学傾倒者と魔術傾倒者。極端に違った道に進みすぎた故の弊害。それは、情報化出来ないものの価値、つまり物価が急激に上昇した、ということだ。

 ネットワークに接続できる所にどこでも行けるということは、逆を言えばネットワークに接続されていない場所には行けないということでもある。そもそもネットワークに接続されていても、意志の受け皿である体現者の数が足りなければ、そこに体現者を運ぶ必要性が生まれてくる。

 それ以前に、生物が生きるためには食事も必要になる。更には重要なBMIの補充は何処から行う? この問題は、魔術傾倒者にとっても当てはまる。

 つまり、俺たち運搬屋にとって重要な需要、金儲けの手段が生まれたということだ。

 運搬屋である俺に言わせれば科学傾倒者も魔術傾倒者も同じ人間。需要も供給も発生する。

 この問題を自分の足と金で解決してやる。足りないものがあれば余っているところから。余りすぎているなら足りない所へ。

 それが俺の仕事(ビジネス)、『運搬屋』だ。

 そして今の俺の雇用主(パトロン)は、文句をつけてきたポンコツだ。苦笑いしながらも、俺は雇用主の言うことに従った。

 俺は通話アプリの音量を下げたい、という意志を発生させる。すると体の聴覚情報が起動している通話アプリをたどり、ポンコツからの音量を調節。元々通常設定だった音量が、更に絞られた。

《さて、俺の方は追加で引き受けた依頼はしっかり完遂したぜ? 使った弾丸も、後で経費として請求させてもらうからな》

《……わかっているのであります》

《それで、いいのかい?》

《? 何がでありますか?》

《逃げちまってるぞ? お目当てのお嬢ちゃん》

 動揺から立ち直ったのか、半裸の少女が逃げるように走りだしたのを、俺の左目は捉えていた。自分を殺そうとしていた魔術傾倒者を一掃したとはいえ、彼女の方からすれば俺は得体の知れない科学傾倒者。その場からすぐに離れたいと思うのは当然だろう。少女は森の中を、木と木の間を縫うように、懸命に走り続けている。

 ポンコツは俺の報告を聞いて、慌て出した。まるでネットワークの向こう側から、彼女の動揺が伝わってきそうなほどの慌てようだ。

《な、何をやっているのでありますかっ! 早くあの魔術傾倒者を、彼女を捕まえるのでありますっ!》

《おいおい、俺が請け負ったのは魔術傾倒者からお嬢ちゃんを救う所まで。彼女の捕獲は入っていない》

《屁理屈をこねないでください!》

《屁理屈も理屈さ。まぁやってもいいが、更に追加費用が発生するぜ?》

《ですがっ!》

《第一、お前の最終目標は彼女を救い出すことじゃなかったはずだ。そしてその目標は、お前が動かなければ達成し得ない。それはわかってるんだろ?》

《……》

 返答は、アプリ越しでも歯ぎしりが聞こえてきそうなほどの沈黙。もう一押しか?

《ほら。急がねぇと行っちまうぞ? お前のことだから、どうせ彼女の逃げている進行方向を予測演算(シミュレート)して先回りしているんだろ?》

《……ええい、わかった、わかったのであります! わかったのでありますよっ!》

「ひゃっ!」

 ポンコツが叫ぶのと、半裸の少女が悲鳴を上げたのはほぼ同時。少女が悲鳴を上げた理由は、目の前に突然人影が現れたからだ。

 木々の間から飛び出してきたのは、銀髪金眼の少女。着ている漆黒のワンピースが、彼女の陶器のような白い肌をより強調している。

 背丈は、半裸の少女と同じくらいだろう。目を白黒させる彼女に向かい、ポンコツは偉そうにない胸を反らしながら腕を組んで仁王立ちをした。その動きに合わせるように、肩まで伸ばした髪がサラサラと揺れ、朝日に優しく照らされる。

「そこのアナタっ!」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 ポンコツは偉そうに少女を睥睨すると、こう言った。

「アナタは、今からワタシのトモダチなのです! 光栄に思うのでありますっ!」

「ひゃ、ひゃい?」

 そう言われた少女の顔に浮かぶのは、混乱、戸惑い、動揺、不安と、簡単にいえば何が起きているのかさっぱりわからない様子。目尻には涙もたまっている。

 それを見て拳銃をしまうと、俺はため息を付きながら彼女たちに向かって歩き出した。

「だからお前はポンコツなんだ」

「誰がポンコツですかっ! 何度も言うように、ワタシの名前は、」

「おい、お嬢ちゃん」

 長くなりそうだったのでポンコツの話をぶった切り、俺は半裸の少女に話しかけた。ポンコツが恨めしそうに俺を睨んでいるが、知るか。

「は、はいっ!」

「そう怖がるな、っていうのは、流石に無理があるな。知らない相手とは仲良く出来ない。なら、ここで知り合いになろう。俺の名前はグロッケン。お嬢ちゃんのピンチを救ったヒーローさ」

「ワタシの依頼なのに、よくもまぁぬけぬけと言えたものであります」

「お前はちょっと黙ってろ。それで、お嬢ちゃんのお名前は? スリーサイズまでは言わなくていいぜ」

 場を和ませるための冗談だったのだが、彼女は顔をうつむかせ、黙ってしまう。それを見て、俺の雇用主はまるで鬼の首を取ったかのような表情。それだけで、ポンコツが今何を考えているのか手に取るようにわかった。俺の冗談が滑ったのが、相当嬉しいのだろう。

「……覚えて、いないんです」

「覚えていない?」

 しかし彼女の口から紡がれた言葉は、どうやらポンコツが想像しているものとは別物のようだ。また彼女の深刻そうな表情から、どうやらスリーサイズの話をしているのでもないらしい。

「……はい。名前も、私自身のことも、何も」

「それは、記憶喪失というやつでありますか?」

「……どうやら、そうみたいです」

 少女が悲しいというよりも、申し訳無さそうに顔を伏せる。彼女の話を聞いて、ポンコツは頭を抱えていた。

「あぁ、なんということなのでありますか! ワタシの栄えあるトモダチ第一号、その個体名称がわからないなんてっ!」

「え、えぇっと、その、友達って私のことなんでしょうか?」

「そうであります! 何を隠そうワタシ、」

「名前がないのは不便だから、ひとまずお嬢ちゃんのことはナナシと呼ばせてもらうぜ」

「最悪! ネーミングセンス最悪ですよコイツっ! そもそもワタシの名前だってポンコツではなく、」

「それでいいかい? お嬢ちゃん」

 またもやポンコツの話を遮り、俺はお嬢ちゃんに提案する。指を俺に向けているポンコツは怒りが抑えきれないのか、その指先は小刻みに揺れていた。

「わ、私はそれでいいです、けど」

「よかった。それじゃあナナシ、友情の握手といこう。それと、ついででいいんだが、こいつとも仲良くしてやってくれ。名前はポンコツだ」

「よ、よろしくお願いします。ポンコツさん」

「……運搬屋。少し話があるのであり、」

「ポンコツ、ちょっと黙ってくれ」

「もう、何なのでありますか!」

「いいから! センサーの性能は、俺よりお前の体現者がいいの積んでんだろ? 索敵してくれ」

 俺の言葉に顔色を変えると、ポンコツは両手を広げ、静かに目を閉ざした。視覚情報を切り、体現者のリソースを聴覚情報に割り当てているのだ。俺も同じようにして聴覚機能を最大限に使って辺りの様子を探っているが、何かが近づいてきているということしかわからない。

 ポンコツの索敵が終わらないと何とも言えないが、俺の脳が嫌な予感(意志)を感じている。

 ポンコツより先に目を開くと、ナナシが心配そうな表情を浮かべて俺を見上げていた。俺は彼女の頭に手を乗せ、心配ないというように、髪をなでた。ナナシが気持ちよさそうに、目を細める。

「……いちゃついている最中、申し訳ないのでありますが」

 振り向くと、索敵が完了したのかポンコツの両まぶたは開いていた。ただし、開いたのは半分だけだったが。

「羨ましいのか?」

「誰がでありますか! それより、早く移動するのを強く進めるのであります。最大優先順位(マキシマム・プライオリティ)でっ!」

 ポンコツの言葉を聞き、俺は舌打ちをした。どうやら、悪い予感が当たってしまったらしい。俺は現状を理解していないナナシを左腕で肩に担ぎあげると、すぐさま走りだした。俺を追って、ポンコツも並走してくる。

「ど、どうしたんですかぁ! 何が起きたんですかぁっ!」

 悪いが、今はナナシの悲鳴に応える暇はない。俺は再びポンコツとの音声通信を開始する。

《大きさは?》

《かなりデカイのであります!》

 ポンコツの言葉を証明するかのように、それは森の中から伸び出てきた。森から出てきたのは、巨大な顔。爬虫類にも似ているそれは、辺りの木々をなぎ払いながら、俺たちの全身を震わせるほどの咆哮を上げた。

「あ、あれは一体、何なんですかぁっ!」

 ナナシの疑問に、今度こそ俺は答える。

「あれは、魔術生体(マテリアルカオス)だ!」

 竜が一歩進むごとに土色の鱗が波のように蠢き、周りの木々がなぎ倒される。岩石のように無骨なそれで撫でられるだけでも、俺の体は粉微塵にされてしまうだろう。その脅威が徐々に近づいてくるのが、地面から伝わる振動でわかった。

 俺は思わず、ポンコツに愚痴を漏らす。

《しかも、よりにもよって竜タイプか!》

《見てください、運搬屋。口の中にも科学生体(バイオカオス)がウヨウヨいるでありますっ!》

 ポンコツに言われて振り返り、俺は視覚機能の倍率を上げた。確かに竜の口の中で動き、紫電をまき散らす鈍色の影が見える。魔術生体に寄生している、科学生体だ。

 BMIを完成させるまでの間、人類は数多くの失敗と挫折を繰り返してきた。その失敗と挫折の中には、研究、開発過程で、人間で試す前にそれ以外の生物を使った、大量の生物実験も含まれている。

 失敗した実験体たちの多くは破棄され、死亡した。しかし瀕死の状態であろうとも、あるいは瀕死の状態だからこそ生きようとする生物たちの電気信号(意志)は凄まじく、破棄された生物の幾つかは生き残った。

 科学生体は体現者の開発過程で作成された機械に生物の生存本能だけが移った生物だ。そのため生き残り、稼働するためだけに電源を求めて生身の生物に寄生。生物の電気信号と生物の体温(熱エネルギー)で動き、時には同じ科学生体や外部のBMIを取り込み、今まで生存を図ってきた。

 魔術生体は生物がBMI経由で魔術を発動させるために、散々中身をいじられた生物たちだ。そのためBMIを使い、周りの物質に影響を与えることが出来る。生物として生殖機能が残っているものは配合し、生態系の中に組み込まれていった。

 簡単に言ってしまえば科学生体は科学傾倒者の人間以外の生物であり、魔術生体は魔術傾倒者の人間以外の生物である。

 この二つの生体は、相性が良すぎた。良すぎた結果が、今俺たちを襲っている。

「な、何かあの竜の口、光ってますよ! グロッケンさんっ!」

 ナナシの言葉で、俺は機械の体であるにも関わらず、自分の背中に冷や汗が流れたと錯覚するほどの動揺を得る。直後、俺は肩に担いだナナシを胸に隠すように、その場に倒れ込みながら叫んだ。

「目を閉じろ、ナナシ!」《視覚機能以外は全て切って翔べ、ポンコツ!》

 彼女たちの返事は、轟音と通信障害(ノイズ)で聞こえなかった。

 影という影は全て光に飲み込まれ、吐き気を催すほどの白が、俺たちの周りを支配している。

 やがてその光が収まると、次に見えたのは光に薙ぎ払われた地面と、焼けるのではなく蒸発した木々。抉れた地面は溶岩色に爛れ、残っている木も見える範囲にあるものはほぼ炭化していた。

 俺は切っていた機能を、一つ一つ戻していく。

 聴覚機能を戻した。そこら中から、極厚の生肉を、赤くなるほど熱した鉄板に無理やり押し付けたような音が聞こえてきた。

 嗅覚機能を戻した。そこら中から、死体を詰め込み、ぐつぐつ煮立った鍋の中に突っ込んだような悪臭がする。

 味覚機能と皮膚機能は、戻さない。土の味と激痛にのたうち回るのは、まだ後でいい。

 他の機能に異常がないかシステムチェックを走らせながら、俺はあまりの威力に脱帽するしかない。

 電源として生身の生物を求め、BMIを取り込む機能を持った科学生体。人類が科学傾倒者という一つの形に落ち着くまでに、人の手によって創り出された生物。

 生身の生物であり、BMIを使い魔術を発動することが出来る魔術生体。人類が魔術傾倒者という一つの形に落ち着くまでに、人の手によって創り出された生物。

 この二つが合わさった結果が、これだ。

 そもそも、あの竜のように巨大な生物が地上を縦横無尽に動けるわけがないのだ。あれだけの大きさがあれば、体重はかなり重くなる。鯨があの巨体で動けるのは、海という膨大な水により与えられる浮力と水圧で支えられているからだ。

 普通に考えて、あの竜、魔術生体は、地上では自重に耐えることが出来ず、動くことも困難なはずなのだ。しかし、奴は動いている。

 その無茶を押し通しているのが、科学生体が取り込んでいるBMIだ。科学生体が取り込んだBMIを魔術生体が使い、自分は自由に動ける、動かなくては死ぬというプラシーボ効果(思い込み)をBMI経由で全身の細胞に伝達することで、あのような無茶な動きができるのだ。

 BMIはその由縁通り、人間を含む全ての生物の電気信号(意志)を体外の物質に伝える仲立ち、というわけだ。くそったれ!

「おい、お前ら生きてるな? 死んでいても返事しろっ!」

「……何なのでありますか、その呼びかけは」

「……痛っ! たいけど、大丈夫ですっ」

 聞こえてくる二人の声に、俺は安堵した。立ち上がりながら、二人の様子を確認する。

 ナナシは白衣が破けて、半裸からほぼ全裸へ。だが俺がかばった効果か、幸い血も出るような怪我はしていないようだ。ポンコツを見れば、全身見るも無残に泥まみれ。だがワンピースを叩いて汚れを落としている動作を見ても、彼女の体現者が故障している様子はない。

「どうするのでありますか? 運搬物。あの竜が使ったのは、どんなに少なく見積っても魔術(テウルギア)でありますよっ!」

 自分の意志で物質に影響を与える魔術はゴエティア、マゲイア、テウルギアの順で強さに応じて種類が分けられている。ここでいう強さとは魔術の威力という意味もあるが、それは同時に思い込みの強さでもある。

 これは魔術を発生させるための引き金(トリガー)がプラシーボ効果(思い込み)という電気信号(意志)だからだ。そのため物質に対して自分がどう意志を表現したいのかという具体的なイメージと、それを実現させるための強い意志。この二つを伝えれば伝えるほど、魔術の効果が強くなる。

 そのため、魔術傾倒者の間でも使える魔術の強さにもばらつきが生まれ、強力な魔術を使える者ほど思い込みが激しく、人格破綻者や空想癖を持つものが多くなる。

 だが、魔術生体はこのセオリーにとらわれない。元々理性がなく、生存本能のみで動いているからだ。そのため奴らは補助装置がなくとも魔術が使え、その威力は電気信号を送る脳の大きさと、脳に酸素を送る心臓の大きさに比例して増す。

 そういう意味で、俺たちを襲ってきた竜は絶望的な強さと言ってもいいだろう。先ほど使った魔術も炎による魔術(テウルギア)なのか、雷を使った魔術(テウルギア)なのか、俺には判別することが出来ない。魔術が強力すぎて、ほぼプラズマ化していた。

 普通に戦って勝つことは、ほぼ不可能に近い。

「……とはいえ、俺の雇用主兼運搬物をこんな所に置き去りにするようじゃ、今後の仕事に影響が出ちまうからな」

「運搬物?」

「ポンコツ、お前のセンサーで次にあいつが魔術を発動するタイミングを計れるか?」

 ポンコツが訝しむような顔でこちらを見上げちるが、無視する。悪いが、今はこの場面を切り抜ける方が先だ。

「それは出来るのでありますが、何か策があるのでありますか?」

「俺の働きっぷりは知ってるだろ? 払ってもらった分の仕事は、きっちりさせてもらう。値段次第では『安全』だって運んでやるし、瑕疵保証(アフターサービス)だって万全さ」

 お決まりのセールストークを嘯きながら、俺は懐から四十五口径の回転式拳銃を取り出した。

「……そこまでして、お金が欲しいのでありますか?」

「ああ、欲しいね」

 BMIが普及して以来、今の時代、科学傾倒者も魔術傾倒者も在り方は違えど自分の意志をどう表現するのかに重きを置く考え方が一般的だ。

 しかし、運搬屋にとっては意志なんてものは二の次、三の次。運搬屋になるやつらは俺を含めて例外なく、金のために仕事をしている。

 そのため運搬屋は運搬屋が生まれた時から科学傾倒者からも魔術傾倒者からも、かなり嫌われていた。俺たちへの高い依頼料、さらにその嫌っている運搬屋に頼らなければ自分たちが生活できないという事実が、より一層運搬屋に対しての嫌悪感に拍車をかけているのだろう。当然ながら、俺の雇用主様も運搬屋(俺)のことは大いに嫌っている。

 まぁ、情報化出来ない物を運ぶ俺たちも情報化出来ないんだから、高くつのは自明の理なのだが。

 そんな俺を、ポンコツが呆れた様子で見つめていた。

「……いいでしょう。払った分は、働いてもらうのであります!」

 一方ナナシを見れば、今にも泣きそうな表情。俺とポンコツの顔を交互に見て、たまに竜に視線を送っては、また俺の顔を見るという挙動を繰り返していた。色んな事が突然起こりすぎて、自分の脳で処理しきれていないのだろう。

 俺は苦笑いを浮かべながら、銃の円筒をずらした。そして三発目までの弾を全て別の弾に交換。円筒を元に戻し、右手で銃を構える。

「ナナシ」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「左手。開けてやったぞ」

 差し出した俺の手を、ナナシはまるで初めて左手を見たというように、不思議そうに見つめていた。

「ほら。早くしろ」

 催促して、ようやくナナシは俺の手を取る。それは、まるで生まれたての雛鳥に触れるような、そんな優しい触り方だった。

「あ、ありがとうございます……」

「放すんじゃないぞ」

「は、はいっ!」

 はにかみながら俺を見上げて、ナナシが笑った。

《……二ヶ月間一緒にいて、ワタシには一度も、そんなことしてくれなかったのであります。運搬物》

《握手より過激なことは、一杯しただろ? 抱っことか、おんぶとか》

《お、おんぶはされていないのでありますっ!》

 ポンコツとの通信を切りながら、俺は銃口を竜に向けた。

 銃口の先で、竜がちょうど顎を開いた。その口は奈落の底のように暗く、鈍色に輝く科学生体が節足動物を思わせる動きで蠢いる。

 今回のお届け物(デリバリー)は雇用主(ポンコツ)の安全と、瑕疵保証(ナナシの安全)か。タフな仕事になりそうだぜ。

「準静電界の発生を確認。BMIの使用による空間の歪みを計測。来るのであります、運搬物っ!」

 ポンコツの言う通り、竜の口から大量の紫電がほとばしりはじめる。それは俺に、獲物を前に涎を垂らす獣を連想させた。

 竜の魔術が発動する、その直前――

「いけぇぇぇえええぇぇぇえええっ!」

 俺は怒号を上げながら、引き金を引いた。微量の光の粒子をまとった弾丸が俺の意志を乗せ、矢のように一直線に竜に向かって突き進む。

 進行方向の空気を食い散らかすように進む弾丸がまとっている粒子は、遠隔操作に使うBMI。粒子はやがて溶けるように、空気の中に混ざっていく。

 弾丸はそのまま吸い込まれるように竜の口に飛び込み、発動直前の魔術に干渉し始めた。竜が発していた紫電が、一瞬止まる。その光景を見て、俺は更に二回、引き金を引く。

 無線を通して、魔術に干渉している弾丸が今の状況を俺に文字情報で教えてくれた。

[BMIネットワークを、感知しました。これより、接続を開始します]

 BMIネットワークを使うためには、事前に接続出来るよう自分の情報を登録しておく必要がある。無論、俺が弾丸を操った時に散布したBMIには、俺の接続許可設定を施してある。この安全対策は、科学傾倒者がBMIを他の誰か(魔術傾倒者)に乗っ取られないようにする、という意味もあり、必須の処理だ。

 そのため、科学生体が取り込んだBMIにもその処理が施されており、BMIをそのまま使うことが出来ない。ましてや、魔術生体が使えるわけがない。

 そこで科学生体は取り込んだBMIの安全対策を外し、魔術生体が使えるよう、誰でも使える状態(アクセスフリー)でBMIを魔術生体に渡しているのだ。

 それはさしずめ、魔術生体の体内に構築された閉じた(クローズド)BMIネットワーク。誰でも使える状態のそれは、しかし既に安全対策が施されている。外部から接続できない、閉ざされているという、絶対的な安全対策が。

 だが、もしそこに接続できたとすれば、どうなるだろう?

 例えば、意志(悪意)を乗せた、一発の弾丸による接続とか。

[接続確認、完了しました。これより、ウイルス(悪意)を起動(発生)させます]

 そしてそれは、そうなった。

 着弾した弾丸から、紅色の雷がほとばしる。魔術が発生する前のBMIに、弾丸に乗せた意志(ウイルス)が干渉しているのだ。

 負けじと竜が咆哮を上げ、それに応じるように紫電がまた巻き起こる。BMIに紅(俺)と紫(竜)の二つの雷(意志)が流れ込んだため、意志の競合が発生しているのだ。

 BMIは生物の電気信号(意志)が流れることで、初めて周りの物質に影響を与える。逆に言えば、意志が流れきるまでBMIは誰の意志にも応えることはない。

 そしてBMIが応じる意志は、一つのみ。競合はこのBMIの実行権限を奪い合う、意志と意志との争奪戦なのだ。

 紅雷と紫雷がBMIの所有権を主張し、激しくぶつかり、火花を散らす。

《このままでは、押し切られるのでありますよ!》

 その光景を見ていたポンコツから、通信が入った。通信にしたのはこちらが不利だというを、ナナシに聞かれないようにするためだろう。

 やがてポンコツの言った通り、紅雷は押されはじめ、徐々に紫電の割合が増していく。理由は二つ。距離と質だ。

 竜は体内のBMIに電気信号(意志)を送るため、通信距離が短くて済む。一方俺は無線経由で意志を伝えているため距離が遠くなり、それがそのまま意志の劣化を招く。

 そもそも科学傾倒者が弾丸を操作する場合、揺り籠という物理的に距離の離れた場所から『体現者経由』で操作しなければならない。故に意志はより劣化し、科学傾倒者は魔術を使うことが出来ない。

 そのため元々BMIの実行権限の取り合いは、科学傾倒者が絶対的に不利。だからこそ科学傾倒者は、その対抗手段を用意している。

《心配するな。さっき追加で弾を撃った》

《CB弾のことでありますか?》

 人工無脳(チャット・ボット)弾は、単純な意志をプログラム化した、BMI弾の一種だ。劣化した意志を補うために開発されたそれは、一つの電気信号(意志)を擬似的な意志(プログラム)として記録。BMIに接続すると、その実行権限を奪い、記録されている意志を具現化しようとする。

 弾丸という大きさに込められるプログラム(意志)の強さには限度があるが、こいつは撃てば撃つほど、意志をBMIに流し込めるという利点がある。最初に撃ったのも、このCB弾だ。

 更に後から撃ったCB弾が竜の口に着弾。紅色の花が咲き、俺の意志が拡大する。

 だが――

《焼け石に水なのでありますよっ!》

 紅雷が勢力を拡大させたのは、ほんの一瞬。ポンコツの言う通り、徐々に紅雷は紫電に飲み込まれていく。

《だから、心配するなと言っているだろう。追加で撃ったのは、二発だ》

《あと一、二発CB弾が追加された所で、状況は変わらないのでありますよっ!》

 俺はそのポンコツの思い違いを聞いて、皮肉げに笑いながらこう言った。

《三発目は、絶縁体弾(インスレーター)だよ》

 言い終わるのと三発目の弾丸が竜の口に吸い込まれたのは、ほぼ同時。だが先の二発と違い、絶縁体弾が紫電を食らうように削りとっていく。

 絶縁体弾はその名の通り、絶縁体で出来た弾丸だ。

 意志を電気信号としてBMIに送っている以上、絶縁体には電気信号(意志)は通せない。俺は予め、紫電が集中している場所に絶縁体弾を放っていたのだ。

 絶縁体弾によって、紫電の勢いが弱くなる。その隙を見逃すような、ぬるいプログラム(悪意)は組んでいない!

 紅雷は紫電を飲み込み、次々にBMIネットワークを侵食。その勢力を拡大させる。

 また絶縁体弾が通ったことで、竜の口に滞留していたBMIネットワークが分断。紫色のネットワークから、紅色のネットワークが切り離された。

 二つに分かれたことで競合は解消。それぞれのネットワークを、俺と竜の電気信号(意志)が走り抜けていく。だが絶縁体弾の影響を受けた竜の意志よりも、俺の意志の方が走り抜けるのが早い!

 紅雷がほとばしり、二発の弾丸に込められたプログラム(意志)が具現化。竜の上顎を、頬を、下顎を突き破り、大量の氷柱が生成される。突き出た氷柱には桃色の肉片と鮮血がこびりついており、その熱で氷から湯気が上がっていた。

 弾丸に込められていたのは、凍えるほどの殺意。それが空気中の水分に影響を与え、大量の氷が生み出されたのだ。

 俺は悲痛の叫びを上げる竜には目もくれず、ナナシを抱え上げると一目散に走り始めた。

「え! ど、どうしたんでありますか、運搬物っ!」

「何ぼさっとしてるんだ。逃げるぞ、ポンコツ!」

「ト、トドメは刺さないのでありますか?」

「あれぐらいの傷、どうせすぐに治される。だったらこのまま街(シティ)まで逃げたほうが得策だ!」

 言いながら振り返ると、竜は暴れながらも氷を噛み砕こうと、必死にもがいている。あのまま竜が魔術を発動していれば傷口が裂け、倒せていたかもしれないが……。

 どうやら世の中、そんなに甘くないらしい。

「悪いが、俺の仕事はこいつらを無事届けることなんでね。お前の相手をすることじゃない」

 竜が引き留めるかのように雄叫びを上げるが、俺たちは構わず走り続けた。

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