第五章 Hijacking "Providence" 飛空艦強奪

第五章 1 完全支配の切り札

 ロッシュは謁見の間に入った。


 マザー・ミランディアが大扉のすぐ内側で立ち止まったために、ロッシュは、すでに中にいたツェントラーと二人でミランディアをはさんで並ぶような位置に立ち、謁見の間で起こる出来事を見守ることになった。


「つづけなさい」


 ふたたびマザー・ミランディアに命じられた執政のマドランは、うやうやしく頭を下げ、その途中でこっそりと皇帝のほうをうかがったが、石化したようにこわばった皇帝の横顔からは何も読みとれない。

 マドランはひとつ咳ばらいし、温厚そうなやわらかい口調をとりつくろって、あらためて各地の行政官を貴族に叙することによる新しい支配体制の説明を手短にくり返した。

 その場の列席者に対する再確認という体裁をとってはいたが、実際のところ、それは遅れて現れた寮母への説明だった。


「ブランカはどうなるのです?」

 マザー・ミランディアは、クレギオンと同じ質問を口にした。


「寮母陛下がもっともよくご存知のように、ブランカには、スピリチュアルの新しい生命をはぐくむ大切な施設が存在します。したがって、独身者の出会いとなる舞踏会や結婚式――すなわち親子の対面の儀式も、今までどおりここで執り行われることになります。ただ、幼年学校につきましては、スピリチュアルが若年の頃からより広く外部の世界に触れていく必要から、遠からず帝都アンジェリクへ移す予定です。夏と冬には長期休暇も設け、遠方の領地に帰って、家族との暮らしや領地の風土や人民にも無理なくなじむようにさせていきたいと考えております。ブランカは、子どもたちの声が聞こえなくなる分、すこし寂しくなるやもしれませんが、大きな変化はございません」

 マドランは如才なく話をまとめた。


「でも、どなたかの領地となるわけでしょう?」

「いえいえ。ブランカの重要性と、スピリチュアルの心の故郷、聖地であることにはいささかの変わりもありません。帝国じゅうでもっとも厚い庇護が、皇帝陛下ご自身から最優先であたえられることになります」

「それは、今までとまったく変更がないということ? それとも、陛下が直接統治されることになるという意味ですか?」

 マザー・ミランディアは表情ひとつ変えず、冷静な口調で、しかしたたみかけるように鋭く尋ねた。


「すべてが――大陸のすべての土地が、世襲の領主たちによって統治されるというのが、今回の大改革の主旨であります。皇帝陛下のご意志によっては、移封や領地召し上げ、あるいは新たな者を封ずるということもありましょうが……」

「そなたのまわりくどい言い方を取りはらってしまえば、つまり、こういうことなのですね。……まず、ブランカは皇帝陛下の統治下に入れられ、そして、選帝官の合議によって選ばれていたはずの皇帝位も、世襲制になるのだと」


 あっ――

 謁見の間に、声にならない驚きの波動が広がった。

「い、いや。そうではありません。選帝官は、選帝侯と名こそ変わりますが、構成する顔ぶれも同じですし、皇帝位が一代限りの終身制であることにも変更はございません」

 マザー・ミランディアは、あわてて弁明するマドランに、ふふんと鼻で笑うような感じでうなずき返した。


 ロッシュにもマドランの詭弁は容易に見透かすことができた。

 もともと選帝官は、実質的に国家権力の中枢から遠くて利害関係も薄い名流や元高官の中から、大局に立った客観的な判断が可能であるとして選ばれた名誉職にすぎなかった。

 しかし、いったん封土をあたえられて選帝侯となった者が、恩義ある現皇帝の意にそむくことができるとは思えない。

 すくなくともアンジェリクとブランカの両方を統治することになる強大な皇帝の権力が固定化してしまえば、選帝の手続きは形骸化していくだろう。

 それは世襲ということと同じだった。


「では、もう一つ。政治向きのことは、わたくしには無縁なことですけれども、帝国の最大の脅威と見なされている北方王国には、強大な王家が厳然として君臨しているはずですわね。マドランどの、さきほどそなたは『すべての行政区にスピリチュアルの行政官を置く』とおっしゃった」

「そ、そのとおりであります」

「ですが、『大陸のすべての土地が、世襲の領主たちによって統治される』ともおっしゃった。その二つが意味するところに矛盾がないのだとしたら、北方王国においてさえもスピリチュアルの統治者が君臨することになりますわね。いったい、そのようなことが、ただちに可能なのですか?」


 そのことについては、満場の貴顕たちもうすうす気づいていた。

 あまりにもマドランがきっぱりと言明したからこそ、彼らは驚愕しつつも黙って聞いていたのである。

 その場に居合わせなかったロッシュにも、マザー・ミランディアが言うように、どう考えても非現実的な計画に思われた。


「ここではっきりとは申し上げられませんが、それを可能にすべく、わたくしども文官が鋭意努力しております。どうかおまかせ下さるよう、お願いいたします」

 マドランは威儀を正し、深々と頭を下げた。

 しかし、マザー・ミランディアは言い逃れめいた言葉など耳に入っていないかのように、マドランがまだ頭を上げないうちにつぎの言葉を発した。


「しばらく前、わたくしのもとに一通の書簡が届きました。『皇女カナリエルを、アンジェリクへ寄越すように』という内容でした。その理由は、陥落したキールへの入城式典に参列させたいから、というものです」

 カナリエルの名前が出たことで、彼女の失踪の噂を聞きつけているらしい者たちの間でわずかにざわめきが起こったが、それよりもマザー・ミランディアが今そんなことを急に言い出したことをいぶかしむ空気が広がった。


「ミランディアよ。それは、余がそなたに宛てた私信だ。なにも、このような場で明かす必要はあるまい」

 重々しい声でさえぎったのは、皇帝オルダインだった。

「私信? そうなのでしょうか。ですが、カナリエルの結婚の日取りは、父親である陛下にすでにご連絡してありました。ご存知なかったとは思えませんが」

「知っておる。だが、おそらくそれぞれの手紙が、わずかの日数の差で行き違いになってしまったのであろう」

「それならよいのです。では、陛下は、ここにいるロッシュとカナリエルとの結婚をお認め下さっているわけですね?」

「それは……」

「二人の結婚式の日取りとキール入城式典の予定日は、まさに同日です。身体が二つないかぎり、両方に出席することは不可能です。しかし、スピリチュアルであれば、どのような者であっても結婚は本人の自由意志によります。結婚式が最優先されるのは当然のことですわ」


 その場にいる者たちは、キツネにつままれたようなきょとんとした表情で、謁見の間の前と後ろで取りかわされている奇妙な会話に耳を傾けていた。

 寮母が何かを強く主張し、皇帝がそれに言い訳するか、さもなければしぶしぶ同意の返事を迫られているかのような雰囲気だが、その意味がさっぱりわからないのである。


 事情を心得ているらしい執政が、皇帝を援護するような感じで、あわててやりとりの間に割って入った。

「ですが、寮母陛下。私は、ここに到着してから妙な噂を耳にいたしました。まもなくご結婚を控えているはずのご息女が現在、ブランカにいらっしゃらない、しかも、その行方さえ不明になっている、と。それは本当のことでしょうか?」

「まあ。執政ともあろう方が、出所もよくわからない怪しげな噂などのことを、寮母のわたくしに問いただそうというのですか。そのようなことに答える必要を認めません」

 マザー・ミランディアは、マドランの質問をあっさりはねつけてつづけた。

「陛下、もう一度お尋ねします。カナリエルとロッシュとの結婚を、お許しいただけるのですね? いえ、お認めになるのですね?」


「余は、カナリエルの……あの子の、本人の意志を……もういちど確かめたいのだ」

 皇帝の返答は苦しげで、やはりなぜか歯切れが悪かった。

「では、あなたは、そのためにわざわざアンジェリクからおもどりになられたのですか?」

「それも、ある。が、もちろん――」

 皇帝に最後まで言わせず、マザー・ミランディアはさらにたたみかけた。

「カナリエルに結婚を思いとどまらせるためですね。あるいは、強制的に結婚を中止させるために」


 ロッシュはハッと息をのみ、すぐ横にいる寮母の顔を見つめた。

「あなた方が画策しているのは、北方王国の王太子との政略結婚でしょう。カナリエルを王家に嫁がせ、合法的に北方王国を乗っ取るつもりなのです」

 マザー・ミランディアがきっぱりと言い切ると、こんどこそ満場の貴顕たちが「あっ」といっせいに驚きの声を上げた。


 ロッシュは、一瞬にしてすべてのカラクリを理解した。

 たぶん、王太子本人をキールの式典に列席させるような段取りになっており、その場でカナリエルと二人並べて大々的に婚約を発表し、帝国と北方王国との確固たる結びつきを印象づけようという意図だったのだ。

 マドランら文官たちが努力しているとかいうのは、その交渉のことにちがいなかった。


 二人の婚姻が実現すれば、両国間の和平を確立するだけにとどまらない。

 強大な二重権力の出現は、いまだに南部地方のあちこちに隠れひそむ抵抗勢力の戦意を奪うには、絶大な効果があるはずだった。

 しかも、北方王国にもスピリチュアルの世襲の支配者を置くという建前も、特例的な形ではあるが実現することになる。


 しばらく沈黙を守っていた皇帝は、玉座の上でおもむろに脚を組みかえると、声の調子を変えてマザー・ミランディアにむかって口を開いた。

「〝政略結婚〟というのは聞こえのよくない言い方だな。乗っ取るなどというほど陰謀めいた話でもない。フィジカルの国家や名家の間ではめずらしくもないことだ」

「ほう。とうとうお認めになりましたわね」

 ミランディアは勝ち誇るように言ったが、その眼は油断なく皇帝にすえられていた。


 皇帝は、しかし、たじろがなかった。

「しかも、スピリチュアルの女とフィジカルの男の婚姻関係だから、二人の間に赤子が誕生することはありえない。つまり、世継ぎとなれるのは、カプセルから生まれるスピリチュアルの子ども以外にないことになる。その子は、帝位と王位の二重の継承権を、生まれながらに約束されることになるのだぞ。つぎの代の子も、そしてまたつぎの代の子も……な」

 皇帝はあらぬ方向へ視線をやり、まるでそこに未来の子孫たちの幻影が見えるかのように、かすかにほほ笑んだ。

 今の言葉によって帝位を世襲化する意図まで認めてしまったことなど、まるで意に介していないようだった。


「あなたは、そんなことになったら、ご自分の娘が遠く離れた北方王国の宮廷でつらい孤独をかかえたり、もしかしたら、孫ともども生命の危険にさらされることになるかもしれないとは、お考えにならないの? ……いいえ、それだけではありません。そんないびつな形の結婚は、当人たちにとっても、両国にとっても、けっして幸福な結果をもたらすはずがありませんわ」

「そなたは、あまりにも長い間、じめじめした暗い地底に閉じこもりすぎたのだ。光輝く世界を想像できぬのであろう。外に出て風渡る広大な大陸を眺めわたしてみるがいい。そのすべてを、われらの娘が手の中におさめることができるのだぞ。これこそが帝国の支配を永続させる最後の切り札なのだ!」

 皇帝は思わず玉座から立ち上がり、手を虚空に差しのばして、そこにある果実か何かをもぎ取ろうとするかのように力強く握りしめた。


「いいえ、わたくしはけっして認めませんよ。新しい支配の形も、世襲制も、カナリエルの政略結婚も、いっさいをです!」

 マザー・ミランディアは、皇帝の夢想を打ち破ろうとするように鋭く言いはなった。


「なに、いっさいをだと? いや、おまえには、そんなことにまで口を出す権利はないぞ」

 皇帝は立ったまま、驚いて寮母を見下ろした。

「あります」

 きっぱりと宣言するように言うと、マザー・ミランディアは、玉座に通じる中央の通路へとゆっくり足を踏み出した。


「生命回廊には、歴代の寮母が記してきた膨大な『育児日誌』というものが存在します。新しい生命を生み出そうとしてきた、あらゆる試みと努力の軌跡が記されているのはもちろんのこと、そこには、ブランカにおいて彼女たちが関わってきたさまざまなことがらについても述べられています」

 マザー・ミランディアが歩みを進めながら語りだすと、一般のスピリチュアルには長く秘め隠されてきた生命回廊とそこに伝わる歴史を耳にして、「ほう」と興味を引かれて眼を丸くする顔と、「何の話だ」とけげんそうに眉をしかめる顔が半々だった。


「何百年も前のことですが、『スピリチュアルの使命は、混乱をきわめるこの世界に秩序をもたらすことだ』と強硬に主張し、賛同者を集めて外征に乗り出そうとした者がいました。そして、その人物に対して、当時の寮母が『やむなく皇帝という地位をあたえることにした』という記述が、はっきりと残っているのです」

 おお、という驚愕の声が、謁見の間を揺るがすようにわき起こった。


 と――左右から押し寄せるどよめきに翻弄されるかのように、マザー・ミランディアのか細い身体がユラリと横に揺れた。

「マザー!」

 思わず立ち上がり、不安そうに声を上げたのは、クレギオンだった。


 ロッシュは弾かれたように通路を駆け、あやうく倒れかかった寮母をささえた。

 マザー・ミランディアはすがるようにロッシュの手を握ったが、よろめきながらも前に進む足を止めようとはしなかった。

「これでおわかりでしょう。寮母と生命回廊を運営していく者たちこそが、もともとスピリチュアル全体の指導者だったのですよ」


 マドランが悲鳴を上げるように言った。

「し、しかし、いまさらそのようなことを言い出しては、われわれが現在直面している複雑な状況に対処していくことはできませぬぞ!」

「ええ、わかっています。でも、こうは言えましょう。皇帝は、あくまでも外界に対して力を行使する権限を持つにすぎない、と。生命回廊を擁するブランカを、その皇帝が支配下に置こうなどとは、思い上がりもはなはだしい!」

 きざはしの上の皇帝をひたと見据えながら発せられたマザー・ミランディアの声は、明瞭で、周囲を圧倒するように力強かった。


 だが、ロッシュにだけは、その声にかすかな震えが混じっているのがわかった。

 ロッシュの手をかたく握りしめている指が、真っ赤な色に濡れている。

 マザー・ミランディアは謁見の間に急ぐために平静をよそおっていたが、生命回廊でファロンに襲われたとき、実はかなりの深手を負っていたのだ。

 ロッシュに短剣を渡す前に、すばやく血のりを拭き取っていたにちがいない。

 ロッシュが大扉からつづく赤絨毯をふり返ると、そこに点々と黒くにじんだものの跡がつづいていた。


 寮母の言葉に驚いてか、その異変に気づいてか、クレギオンにつづいてあちらこちらで立ち上がる者があいついだ。

 マザー・ミランディアは、周囲のざわめきをよそにさらにつづけた。

「……そして、寮母の任務を、たとえ、生命の誕生をつかさどることと、一組の男女と子どもを結びつけて新たな家族をつくることに限定したとしても、当人同士が心から望んでいない結婚を、寮母が認めることはけっしてありません。その頭ごしにフィジカルとの政略結婚を強要しようなどとは、もってのほかです!」


 叫ぶように言い切ったとたん、マザー・ミランディアの身体は、ロッシュの腕をすり抜けるようにくずおれていった。

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