第五章 2 波乱の終宴

「やめて! 放して!」


 ラザールは無理やりカナリエルの腕を引っぱり、広間を大股に横切って出口の大扉にむかって進んでいった。


 ステファンはその進路をふさごうとして跳び出したが、近くにいた手下がすぐに先回りして立ちはだかった。

 短剣をなぎ払うように振りまわし、ステファンをたちまちもといた場所まで後退させてしまった。


「おまえたちも、存分に楽しむがいいぞ!」

 そう言い放つと、ラザールの姿は哄笑を残して出口のむこうに消えた。

 大広間が盗賊どもの野卑な歓声や笑いでどっとわき返る。


 ダブリードの注意がわずかにそちらにそれた瞬間、ゴドフロアは、スッと身体を後ろへ引くようにして首に突きつけられていた切っ先から逃れた。

 眼の前に後ずさってきたゴドフロアを壁ぎわにいた男が後ろからはがいじめにしようとしたが、ゴドフロアはまるで背中に眼があるかのようにむぞうさにひじをふるうと、男の顔面を直撃して吹っ飛ばした。


「手出しは無用だ。おれがこいつとサシで勝負する」

 ダブリードはニタリと不敵な笑みを浮かべ、出口への行く手をふさぐようにジリッと横へ動いた。

 同時に、手にした短剣をくるりと回して構え直し、身体を低めて戦いの体勢に入る。

 ゴドフロアはしかたなしにゆっくりと腰を落とし、応戦の構えをつくった。


 ステファンは四、五人に取り囲まれて短剣を突きつけられ、背中にゲオルをかばうような形で身動きできずにいる。

 フィオナは二人の男にあっさり捕まったが、脚をばたつかせて必死に抵抗した。

 一人の股間をみごとに蹴り上げ、いちどは敵の手を振り切ったが、またすぐに捕まって腕をねじり上げられ、口もふさがれて悲鳴さえ上げられなくなった。


 こうして、たちまちダブリードとゴドフロアの一対一の舞台はでき上がった。

 ほかの者たちは壁ぎわに寄り、二人の勝負の行方をじっくり見守ろうという構えだ。

 サシというくせに、ダブリードには、ゴドフロアに武器をあたえる気など最初からまるでなかった。

 たしかに身長はほぼ同等ながら、ぶあつい筋肉で固めたような肉体を持つゴドフロアとでは、ダブリードが短剣を構えてようやく釣り合いがとれているように見える。


 だが、ダブリードの顔には余裕の表情が浮かんでいる。

 ゴドフロアの眼がたびたび出口のほうへと向けられるのを、見逃さなかった。

 時間が過ぎれば過ぎるほど、カナリエルの運命は絶望的になっていく。

 ゴドフロアの不安があせりに変わる瞬間こそ、ダブリードに勝機がおとずれるときなのだ。


「ふんっ」

 気合いをこめて短剣を突き出す。

「ふんっ。やっ。それっ」


 右へ、左へ、左へ、右へと、ゴドフロアはくり出される刃を数センチの差でかわしていく。

 けっして眼をそらさず、閉じもせず、身体は傾けてもその中心に一本通った芯はまったくぶれていない。

 さほどすばやい動きには見えないが、切っ先の動きに惑わされない分、むしろ自在に攻撃に対応している。


 と、業を煮やしたダブリードは、突きをかわしてゴドフロアがのけぞったところに、無防備になった腰をめがけて鋭く回し蹴りを放った。

 だが、ゴドフロアはその動きを予期していた。

 蹴られた方向へ自分も跳ぶことで衝撃を弱め、同時にわきの下にダブリードのすねをがっちりと抱え、そのまま床に倒れこんだ。

 ダブリードは完全にバランスを崩し、ひざをひねらないようにするためにはゴドフロアの動きに合わせて転がるしかなかった。


 思わず受け身をとったひょうしに、短剣が手を離れて床をすべった。

 あわてて差しのばした指の先で、一瞬の差でゴドフロアにそれをさらわれていた。

 ほとんど同時に立ち上がったとき、両者の形勢は逆転していた。


「くそっ」

 ダブリードが吐き捨てたとたん、どこからかレイピアが空中を飛んできた。

 頭上でその柄をハシッとつかむと、ダブリードの凶悪な顔にまた笑みがもどった。

「きたないぞ!」

 ステファンは大声で叫んだが、もちろん賛同する声は上がらず、「やっちまえ」「ぶった斬ってやれ」と、ダブリードへの声援がつぎつぎ飛んだ。


 ダブリードの剣術は盗賊流の独特なものだった。細身のレイピアは突きを主とする武器だが、ダブリードは長い腕を利してぶんぶん振りまわしている。

 傍目には、かがり火の光で刀身がキラキラ輝くのが見えるだけで、どこをどう攻撃しているのかさっぱりわからない。

 だが、ゴドフロアは短剣を手にしただけなのに、すでに十分まともに戦える雰囲気をただよわせていた。


 キンッ、カキンッ、カンッ――

 レイピアの攻撃を受け流すたびに、鋭い金属音とともに火花が散る。

 ゴドフロアはもう防戦一方ではなく、いつでも斬りこめる体勢に入っている。

 苦しまぎれにダブリードが突きに出たところを、ゴドフロアは短剣とは思えない力強さで一気にはね上げた。

 キィィィィーン――

 長い弧を引いて飛ぶレイピアを澄んだ金属音が追った。


 レイピアは、フィオナを押さえていた男の頭上を襲い、壁にぶつかってはね返った。

 男が反射的に頭をかばったすきに、フィオナはその腕を振りはらい、ステファンたちのほうへむかって逃げた。

 ステファンは、何を思ったか、ごちそうの皿の真ん中に飾りつけられた色とりどりの高山植物の花の中に手を突っこんだ。

 引っぱり出したのは愛用のナイフだった。あらかじめ盛りつけのときにそこに隠しておいたのだ。

 フィオナをつかまえようとした盗賊の肩に、ステファンが投げたナイフが突き立った。

「ぎゃっ」

 たまらず肩を押さえて倒れこむ男に駆け寄ると、ナイフを取りもどしてから傷口を思いきり踏みつけてやった。

 フィオナを腕でかばいながら、横から斬りかかった男の剣を首をすくめてかわし、太ももを突き刺して戦闘不能にする。


 ゴドフロアはレイピアを失ったダブリードの横っ腹に短剣を突きつけ、包囲の輪をしだいに縮めてくる男たちを牽制しながら、徐々に出口に近づいていく。

 横手からいきなり剣で突きかかってきた盗賊の胴を蹴りつけると、そいつは軽々と吹っ飛んで、仲間を二人巻き添えにして壁に叩きつけられた。


「ステファン、行くぞ! ぐずぐずするな、ゲオル!」

 ゴドフロアは叫び、と同時に短剣の柄でダブリードのみぞおちを強烈に突いた。

「ぐううう……」

 さすがのダブリードも、たまらず身体を折って悶絶する。


 ゴドフロアは、その唯一の武器を広間の片隅にむかって惜しげもなく投げつけた。

 短剣は、包囲した男たちの間をすり抜けて飛び、ゲオルを押し倒して首をしめていた男の背中に突き立った。

 解放されたゲオルは、あわてて盗賊たちの背中を突きとばし、必死の形相でゴドフロアたちの後を追ってくる。

 ゴドフロアは、出口を守っていた数人を素手で殴りつけたり投げ飛ばしたりして血路を切り開き、ついに通路に抜け出した。


「ゲオル、フィオナを連れて先に行け!」

 ステファンは二人を出口のほうへ押しやると、ナイフで敵を牽制しながらじりじりと出口にむかって後ずさった。

 強敵のゴドフロアがいなくなったことで、手下たちにわずかに余裕が生まれた。

「どうせ逃げられっこねえ。まずこの若造を血祭りに上げちまおうぜ」

 どの顔もニタニタと薄笑いを浮かべ、手に手に得物をかかげながら、ゆっくりと包囲の輪を縮めてくる。


 と、ステファンはポケットに手を突っこみ、何か丸いものを取り出すと、出口の左右に立てられたかがり火の中にぽいぽいっと放りこんだ。

 ポンッ、ポンッ――

 弾ける音は間が抜けていたが、白い煙がもうもうと吹き上がり、たちまちそのあたりの視界をさえぎった。

「煙幕だ。逃がすなっ!」

 男たちがいっせいに殺到する。

 だが、それがかえってあだとなった。

 ステファンが投げたのは護身用の小さな催涙弾だったのだ。

 煙にまかれた者たちは激しく咳きこみ、視力を失って、出口の前につぎつぎ折り重なるようにして倒れこんだ。


 ステファンは息をつめ、すばやく両開きの重厚な扉を閉じると、手近にあった鉄の燭台を取っ手に突っこんでつっかい棒した。

 これでしばらくは時間が稼げるはずだ。

 ゲオルたちが足をもつれさせながら階段を駆け上がる音が聞こえる。

 ステファンはほうっと大きな息をひとつ吐くと、その後を追って走りだした。


 その少し前、広間を脱出したゴドフロアは同じ通路に立っていた。

 耳を澄ますと、あえぐような女の声が聞こえてくる。

 大声で安否を問いただしたいとあせる気持ちを抑え、足音をしのばせて一歩一歩進んでいった。


(ここだ――)

 並んだ部屋のひとつに見当をつけると、わずかのためらいも見せず、扉を思いきり強く蹴りつけた。

 古びた木の扉はひとたまりもなく砕け散った。

 その衝撃でゆらめくロウソクの光の中に、寝乱れたベッドがひとつ浮かんでいた。

 ゴドフロアは、戦場でもついぞ味わったことのない不安に襲われて立ちすくんだ。

「カナリエル……」

 白いシーツの上にうつ伏せに横たわっているのは、肩を激しく上下させて荒い息を吐いている全裸の女だった。


 女がハッとして顔を上げ、乱れた髪の間からこちらを見た。

「ゴ……ゴドフロア!」

 ベッドからすべり降りると、身体を隠そうともせず、ゴドフロアの腕の中に飛びこんできた。

「大丈夫か……やつはどうした?」

 小刻みに震える身体を強く抱きしめてやりながら、ゴドフロアは尋ねた。

 カナリエルは首だけをまわしてベッドのむこうを示した。

 床の上に、毛むくじゃらの裸の足が端からにょっきりとのぞいて見えた。


「殺したのか?」

 カナリエルは、とんでもないというように首を横に振った。

「気を失っているだけ。……ほら、あのときのあなたと同じよ」

 ようやくカナリエルにはにかむような笑顔がもどったと思うと、気持ちがゆるんだのか、みるみる涙が盛り上がってきた。

「でも、怖くて……恐ろしくて……殴られたし……なかなか精神を集中できなくて……無理やり服を脱がされて……いやらしい手が身体じゅうをはいまわって……もうだめって思ったとき、やっと力がほとばしったの」


 ゴドフロアはカナリエルの腕をほどき、涙で濡れた顔を見つめてうなずいた。

「おまえなら、きっと自分でなんとかすると思っていた」

「ばか」

 ゴドフロアははにかむように笑い、夜会服を拾い上げて手渡した。

「その格好で逃げるわけにはいかないぞ」

 やっと自分のあられもない姿に気づいて、カナリエルは引き裂かれた夜会服で胸を隠した。

「衣装部屋にさっき脱いだ服があるわ」

 ゴドフロアは通路にひと気がないのを確かめて、カナリエルを衣装部屋に入れた。


 そこに、階段の上から足音が聞こえ、先に脱出したはずのステファンが、ゲオルとフィオナをともなって急いで降りてきた。

 カプセルは、ゲオルと二人でやっと抱えている。

「だめだよ、ゴドフロア。上は出口も窓もぜんぶ厳重にふさがれちまってる。あいつら、だから余裕たっぷりだったんだ」

 そのとき、ドーン、ドーンと重く響く音がして、大広間の扉が二度三度とたわんだ。

 盗賊たちがかわるがわる体当たりしているにちがいない。

 ゴドフロアは、とっさに三人をカナリエルのいる衣装部屋に押しこんだ。


「どうする、ゴドフロア?」

 急いで着替える二人の女から意識的に眼をそらして、ステファンが尋ねた。

「おまえ、例の強力な火薬をなんとか使えないか?」

「使えるよ。でも、導火線をのばさないといけないんだ。短すぎれば自分が逃げるひまがなくなるし、長すぎれば途中で消されてしまう。どう使うかだよ」

 ステファンは、回収してきた革かばんの中から黒い塊を取り出して言った。


 外でバターンとひときわ大きな音が聞こえ、それにつづいていくつもの足音が入り乱れて通路に飛び出してきた。

「おまえら、上に行け。外に逃げ出せなくて、どうせどこかに隠れているはずだ。徹底的に探せ。おれは兄者に知らせる。おまえとおまえは、この階の部屋を順に調べろ」

 ダブリードの声だった。

 ゴホゴホとまだ咳きこんでいる手下どもを指図している。


 衣装部屋にひそんだゴドフロアたちは、ロウソクの光をおおい隠し、息を殺してそれを聞いていた。

 完全に袋のネズミになってしまった。

 通路の端のほうから、両側の部屋をしらみつぶしに調べている音がしだいに近づいてくる。

 沈黙の中で、ステファンがあちらこちらを指さして何かブツブツ言っている。


「ステファン、どうした?」

 ゴドフロアが声を低めて尋ねると、ステファンは興奮ぎみに言った。

「……たぶん、まちがいない。城の方角や通路の曲がり方から考えて、この通路の突き当たりの部屋が、宝物庫だ」

「それがどうした」

「脱出できる小窓があるんだよ。なあ、ゲオル?」

 ゲオルが大きく眼を見開き、それからぎこちなくうなずいた。

 ゲオルはその窓から入りこんで宝石類を盗んだのだ。

「あの鉄の扉には、大げさな錠前がかかっていた。あれを吹き飛ばせばいいんだ!」

 ステファンが眼を輝かせて言った。


 そのとき、ダブリードがわめく声が聞こえてきた。

「兄者がやられてる。くそっ、まだやつらは見つからねえのか!」

 階段を踏み鳴らして上がっていく足音がつづいた。


「……それは、ロウソクの火くらいでも爆発するのか?」

 ゲオルがおずおずとステファンに尋ねる。

「ああ。引火性が強いから、一発だよ。だけどそんなことしたら――」

 言いかけたステファンの手から、いきなりゲオルが塊をひったくった。

「何をするんだ!」

 ゲオルはスッと立ち上がり、扉に手をかけて震える声で言った。

「こうなったのは、みんなおれのせいだ……あんたたちを無理に引き止めてなきゃ……宝石なんかに手を出していなけりゃ……すまん、許してくれ……そして、フィオナを頼む……フィオナ、赤ん坊をかわいがってやってくれ!」

 言うがはやいか、ゲオルは通路へ飛び出した。


「待て、ゲオル――」

 ゴドフロアはその後を追おうとしたが、ゲオルは通路の途中で照明のロウソクをつかみ、もう宝物庫の前に達しようとしている。

 ゴドフロアはすばやく中にもどって扉を閉じた。

「衣装を崩してもぐりこむんだ。早く!」


 何が起ころうとしているのか、ステファンはだれよりわかっている。

 言われるより先に衣装の山に飛びつき、カナリエルとフィオナの上に引き倒した。

 自分も手当たりしだい衣装をかき集め、頭からひっかぶった。

 カナリエルは、衣装のすき間から、ゴドフロアが入口に立ったまま背中を扉にぴたりとつけ、両手両足を壁に当てて思いきり踏んばるのを見た。


 ドゴォォォォォォン――


 スピリチュアルの破壊兵器の飛来から数百年の時をへて、ケルベルク城にふたたび大地をどよもすような轟音が響きわたった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る