第六章 6 無言の帰還

 飛空艦プロヴィデンスは、皇帝の出発予定時刻ぎりぎりにブランカに帰投した。


 広場にはすでに、アンジェリクへもどる皇帝一行と見送りの群衆が大きな輪をつくってずらりと並んでおり、期せずしてプロヴィデンスを出迎えるような形になった。

 夜明け前に予告もなく離陸していった飛空艦のことは、ブランカじゅうを騒然とさせ、さまざまな憶測が飛びかったが、それがふたたび姿を現した今、うすうす理由を察して歓喜の瞬間を待ちうける表情が圧倒的な多数をしめていた。


 しかし、ロッシュとボルナーデを先頭に追跡隊の面々が降り立つと、悲鳴をおし殺すような異様な空気がたちまち人々の間に広がった。

 二人のすぐ後ろに、全体をすっぽりと白い布に覆われたものが、担架に載せられてしずしずと運び出されてきたからだ。


 不自由な脚を引きずりながら、保安部長官クレギオンがひとり前に進み出て、追跡隊の敬礼を受けた。

 本来なら、そこで任務完了の報告とねぎらいの言葉が交わされるのだが、彼らは厳しくひきしめられた沈痛な表情をして、互いの顔を見つめ合っただけだった。


 クレギオンが皇帝に向き直ってふたたび敬礼すると、オルダイン皇帝がそこに重い足取りで歩を運び、白布の端をそっと持ち上げた。

 五年ぶりに眼にする美しく成長した娘の顔が現れたが、そこにはすでに生命の輝きがなかった。

 皇帝は、死者の手を両手で握りしめる哀悼のしぐさもせず、無言のまま追跡隊の横をすり抜けて飛空艦の中に姿を消した。


 カナリエルの遺体は、きわめて異例なことだったが、クレギオンの指示によって生命回廊に運ばれて安置され、マザー・ミランディアの回復を待つことになった。


 カナリエル追跡隊による飛空艦乗っ取りとその後の軍事行動に対する処罰は、プロヴィデンス艦長ボルナーデがその際にとった行動と関連するため、アンジェリク側の判断を待ってから行われることになった。

 しかし、ボルナーデの主張はそのまま認められ、通常の任務からの逸脱とはされなかった。

 将軍、艦長に対する指揮権を唯一持つ皇帝からも、特別な意向やお言葉はなく、すべての処理はブランカの保安部長官クレギオンの手にゆだねられた。


 ロッシュからエルンファードに引き継がれた追跡隊の任務は、あの時点でまだ解除されておらず、また、隊員の個々は各部署の責任者当人か、責任者から追跡隊参加を認められた者ばかりであるため、参加者たちは全員、処罰の対象とはならなかった。


 残るは、〝私的な行動〟と主張してすべての隊員を巻きこんだロッシュの処分のみになった。

 しかしそれも、クレギオンが寮母を生命回廊からお連れするようにとふたたび命じた時点で任務は復活し、とる方法についてもロッシュの自由な判断にまかされたと解釈された。


 いささか強引な理屈ではないかという声もなくはなかったが、飛空艦強奪という無謀な行動自体が、そもそもクレギオンの黙認のもとで決行されたのではないか、という憶測がもっぱらだった。

 表立ってロッシュの罪を言い立てようとする者は皆無だった。


 今回の戦闘では、スピリチュアル側からは奇跡的に一人の犠牲者も出なかった。

 それをロッシュの功績とする声は、しかしながら、やはり上がらなかった。

 ただ、追跡隊に参加して戦った者たちの間では、そのことはまちがいなく高く評価された。


 ひとつだけ不思議がられたのは、参加した人数がもう一人いたのではないかということだった。

 はっきりしない原因は、守備隊の出発にまぎれこむために全員が最初から面頰をつけていたことと、参加できない隊員の代わりに部下や有志を連れてきた者もいたせいで、正確な人数が把握されていなかったからだった。

 姿を消したのは、もちろん、保安部から指名手配されていたファロンだった。

 しかし、たて続けに起こったさまざまな出来事にまぎれて、彼との関連が取りざたされることはなく、その行方も謎のまま残されることになった。


 だが、おおかたのブランカの住民の気分は、兵士やフィジカルを含めて、そのような煩瑣な事務手続きのことなどほとんど問題にしていなかった。

 拉致された恋人を奪還するために旗艦プロヴィデンス乗っ取りまで敢行したロッシュには、カナリエルを失ったことに対する同情とともに、悲恋の物語の主人公として、支持する声が若い女性を中心に高まった。

 しかし、ロッシュは軍規や主従関係をつぎつぎないがしろにした印象を持たれ、おおっぴらに賞賛するのがはばかられる空気があった。


 そこでロッシュ以上にもてはやされたのが、エルンファードだった。

 ロッシュの後を受けてねばり強く探索を続行し、嵐をついて持ち帰った足かせが決定的な手がかりになったことや、とくに夜盗の群れとの戦いを指揮し、先頭に立って闘って赫々たる勝利をおさめたことが、わかりやすい武勲としていたるところで嬉々として取りざたされ、さかんに語り合われた。

 戦闘に参加した追跡隊のほかの面々も引っぱりだこで、彼らの名前や顔も一時に知られるようになった。


 しかも、本来なら戦火からもっとも遠く平穏な場所であるはずのブランカのすぐ膝元で起こった事件であることが、その重大さや規模を越えて大きな話題となった要因だった。

 捕虜となった盗賊の口から、彼らがスピリチュアルの最初の外征の犠牲者の子孫であることもわかり、因縁深い歴史的な事実までが物語の興味をさらに盛り上げ、狂躁はさらに高まった。


 そしてそのことは、アンジェリクをも動かすことになった。

 皇帝と執政が仕組んだ政略結婚の挫折は外交上の大きな痛手だったが、それ以上に、新体制の構想そのものの悪印象につながってしまうことが懸念された。

 キール入城式典に招かれた北方王国の王太子にも、縁談の破綻の理由を説明する必要にせまられた。

 その事件がだれ一人予想もできなかった不幸な悲劇であり、皇女奪還のために最大限の努力が傾注された美談として伝えられなければならなかった。

 そこで、エルンファードを英雄として大々的に顕彰し、一兵卒にとっては異例の上級勲章を授与することが急遽決定され、直接キールへと召喚されて行った。


 余談としては、プロヴィデンスの副官が「皇帝の名を騙る通信があった」と告発する出来事があった。

 それに対して、通信所のムスタークは事実無根と主張して譲らなかった。

 ボルナーデも「航空日誌にそのような記載はない」と証言したことから、告発はあっさり却下されてしまった。

 思いがけず戦闘に参加して胸躍る体験をすることになった乗組員たちは、だれ一人副官を支持しようとはしなかったのである。


 最後にひとつ残された疑問は、「だれがカナリエルを殺したのか」ということだった。

 混乱をきわめる戦闘のさなかに起こったことだから、今さら犯人探しはむずかしく、最初から追及は放棄されてしまった。


 しかし、自分が撃ってしまったのではないかと疑う者と、自分が撃ったと確信している者が一人ずついることだけはたしかだった。

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