第六章 7 葬送の風景
カナリエルの葬儀は、キール入城の三日後、生命回廊の中でひっそりと行われた。
参列したのは、車椅子に乗った寮母とシスター全員、そしてロッシュだけである。
それは、マザー・ミランディアの意志だった。
好奇の眼にさらされるのをさけるのと同時に、ずっとカナリエルの居場所だった生命回廊から、これまで数多く葬送してきた幼体たちと同じように悼んで送り出してやろうとしたのだ。
遺体は生命回廊の技術を用いて手厚く保存されていたため、彼女の姿はだれの眼にも安らかに眠っているようにしか見えなかった。
シスターたちが棺を載せた台車を引き、ロッシュが後ろから押して出口へと向かった。
出口の重い扉がゆっくりと開いたとき、まぶしい光とともに眼に入ってきた光景に、葬列に加わっている者たちすべてが息をのんだ。
外には一〇〇〇人以上もの人々が集まっていたのだ。
彼らは一様に黙りこくってたたずみ、すべての視線を葬列に注いでいる。
「なんということでしょう。ひっそりと送り出してあげたかったのに……」
マザー・ミランディアの車椅子を押したアラミクがつぶやいた。
「いいえ、よく見なさい、アラミク。あの人たちは、だれ一人として好奇心にかられたような眼をしていないわ。心からカナリエルの死を悼んで集まってくれたのよ」
たしかにマザー・ミランディアの言うとおりだった。
物珍しそうに眺める表情はどこにもなく、ひそひそ噂話をしているような者もいない。
驚くのは、フィジカルの使用人たちの多さだった。
涙を流しているのは、むしろ彼らのほうが多いくらいだった。
「慕われていたんですね、カナリエルは」
アラミクは、すでに真っ赤に泣きはらした眼に、また新たな涙を浮かべて言った。
そのとき、帝国軍の正装をした若者が、葬列の前に立ちはだかった。
「おれにも棺を運ばせてくれ。いっしょにカナリエルの救出のために戦ったんだ」
沈痛なおももちでロッシュに申し出たのは、バルトランだった。
すると、その後ろにつぎつぎと同じ正装をした兵士たちが進み出た。
追跡隊に参加していた者たちだった。
「おれたちも手伝う。台車にガタガタ揺られたんじゃかわいそうだ。みんなで手分けして墓地までかついでいくよ」
ムスタークが、ロッシュの肩をたたきながら言った。
マザー・ミランディアは、棺を台車から降ろしてもう一度その場でふたを開けるように命じた。
集まった人々は整然と列をつくり、色とりどりの高山植物に囲まれたカナリエルの美しい顔を見ることができた。
そして、あらためてその死を悼んで最後の別れを告げた。
兵士たちに担がれた棺はゆるやかな坂を下り、裏ゲートに向かった。
ロッシュがすこし後ろをついていく。
またさらに後方には、兵士たちが疲れたらいつでも代わりをつとめようとする男たちや、その場を去りがたそうな者が長い列をなしてつづいていた。
マザー・ミランディアとアラミクは、出口の扉のすぐ外でその葬列を見送った。
「寮母さま」
「なに? アラミク」
マザー・ミランディアは、もの思いから醒めたように顔を上げた。
「寮母さまがお倒れになったとき、病室の中でロッシュさまにうかがいました。寮母さまは、政略結婚のことをうすうすお気づきになっていらっしゃったようですね。カナリエルを逃がしてあげたのは、そのためだったのですか?」
「いいえ。それは、出ていくことを二人で決めた後で知ったことです。カナリエルにはもちろん知らせていません。カナリエル自身が脱出を望んだのです。わたくしは、それを手伝ってやっただけのことですよ」
「カナリエルは、どうしてブランカから出ていかなければならなかったのでしょう」
「自由になりたかったからです」
マザー・ミランディアは、あっさりと答えた。
「自由に……そうだったのですか。かわいそうに、自由になれるまできっともうすこしだったでしょうに」
「アラミク、それはたぶんちがいますよ」
「ちがう?」
「カナリエルは、旅立ったその瞬間から自由になれたにちがいないわ。あの子は、おびえて身をすくませているような娘ではありませんからね。わたくしの眼に狂いがなければ、あのゴドフロアという傭兵と若い商人のステファンがカナリエルを守って、その自由をきっと存分に味わわせてくれたと信じています。逃避行そのものが、カナリエルにとっては何にも代えがたい、貴重で、心躍る、すばらしい体験だったことでしょう。そんな自由を謳歌した娘が、ブランカにほかにいるでしょうか。カナリエルは、十分に幸せだったはずです」
マザー・ミランディアはかすかに笑みを浮かべ、噛みしめるように言った。
アラミクは黙ってうなずき、それから思い直したように尋ねた。
「では、寮母さまは、なぜロッシュさまにそれを教えてさしあげなかったのですか?」
「まあ、立ち聞きしていたのね、アラミク」
長い排気口をさまよって生命回廊にたどり着いたときのことを言っているのだ。
マザー・ミランディアは、ロッシュが同じ質問をしたとき、あいまいな答え方しかしなかった。
「すみません。でも、ロッシュさまは、そのことで今も悩んでいらっしゃるにちがいありません。お気を晴らしてさしあげれば、いくらかでも悲しみが癒えることでしょうに」
「そうかしら……。ねえ、アラミク、なぜあれほど多くの人たちが葬送に集まってくれたと思います?」
「それは……カナリエルの運命を哀れんで、深い悲しみを感じたからではないでしょうか」
「ええ、そうね。でも、それだけではないと思いますよ。あの中の少なくない人たちが、カナリエルと同じように、心の中で自由を渇望しているからではないかしら。カナリエルが自由を追い求めて旅立ったことを感じとり、同感するところがあったから、居ても立ってもいられずにここに来てしまったのでしょう」
マザー・ミランディアの言葉に、アラミクは眼を開かされる思いがした。
どう見てもカナリエルとは関係がなさそうな者たちや、彼女にずっと関心があったとは思えないような人々が、心から彼女の死を悼む表情をしてあの場にいた。
その理由は、マザー・ミランディアの言うとおりだったにちがいない。
「ロッシュはだれよりも賢い子です。それがわからないわけがありません。でも、自分が追い求めているものに〝自由〟という名をつけるには、彼のそれはあまりに大きくて、さまざまな形をして、多様な意味合いを含んでいるのです。カナリエルの自由とは、あまりにもちがって見えます。それらをすべて探し出し、決着をつけ、理解しきったとき、はじめてそれが自由というものだとわかり、自分が自由になれたと感じることができるのでしょう」
アラミクは、あのときと同じように、またマザー・ミランディアの言うことが謎めいてよくわからなくなった。
それを察して、マザー・ミランディアがアラミクの顔を仰ぎ見た。
「寮母になってしまえば、なかなかブランカから出ていくことができにくくなりますよ。あなたはそれでもかまわないの、アラミク?」
「はい。たぶん、わたしの自由は、生命回廊で幼い子どもたちを育てることです。心を決めた今は、そう思えます。何より寮母さまというよいお手本もありますし」
「そう言ってくれるとうれしいわ。でも、スピリチュアルがすべて、ブランカの中に自分の自由を見出せるとはかぎりません。アンジェリクに住もうと、戦争でさまざまな土地へ派遣されようと同じです。それはやっぱり、スピリチュアルという殻に閉じこもっていることに変わりないのですからね」
「では、寮母さまも、スピリチュアルが大陸全土に散っていくという、新しい支配体制に賛成なさるのですか?」
「それとはちょっとちがうわね。どう言ったらよいかしら……そう、スピリチュアルもそろそろ大人になるべき時期なのですよ」
「大人に、ですか?」
「ええ、そうです。スピリチュアルとは、自分だけが純粋で正しいと思いこみ、成長することを拒んだ頭のよい子どものようなものなのです。穢れを知らないことを何かの特権のように考え、他人をいっさい認めようとしません。それが今までのスピリチュアルでした。しかし、人がいつまでも子どもではいられないのは自明の理です。大人にならなければならないし、大人になろうとしてあがきはじめたということでしょう。新しい支配体制というのも、きっとその現れなのです。それも、自由になろうとするひとつの形でしょう」
「大人になろうとすることが、自由になることなのですか?」
「子どもには庇護と教育が必要です。その中で成長するのです。子どもはいつか自立して、だれにも頼らずに生きていかなくてはなりません。厳しく、孤独で、不安にさいなまれることになります。でも、そうだからこそ生まれる希望や、ようやく手にできる喜びもあるはずです。そういうことの全体を、自由と呼ぶのですよ。それを求めて大人になるのです」
アラミクは完全に理解できたとは思えなかったが、カナリエルのとった行動と選択は、まさにそういうものだったにちがいないと確信した。
「では、ロッシュさまも、けっきょくは同じだというのですね」
「いいえ……ロッシュはだれよりも賢いがために、スピリチュアルのあり方すら疑うのです。そして、では疑う自分はいったい何者なのだ、と自問することになるでしょう。カナリエルがあっさり跳び越えた自由への障害を、それよりずっと大きい、いくつもの障害として乗り越えていかなくてはなりません。カナリエルは自由を手にし、ロッシュはそのカナリエルを喪ってしまいました。彼の旅は、きっと長くなるでしょうね……」
「長い旅に……」
アラミクは遠くを見て、ロッシュの旅にはきっとエルンファードも必要とされるのだろう、と想像した。
カナリエルの旅立ちにうながされるように、彼らも、そしてそれぞれの若者たちが、つぎつぎとそれぞれの形の旅支度を始めることになるのだろう、と。
「わたくしが想像するのはね、アラミク――」
「はい」
「カナリエルの旅はあまりに短かくて、ロッシュの愛を振り切ろうとして必死に逃げつづけたと思うと悲しいけれど、案外そうではなかったかもしれませんよ」
「自由になれたから、ですか?」
「ええ、もちろん。それに、カナリエルは人に愛される子です。旅がつらく厳しいものだったのならなおさら、あの子は傭兵の男や隊商の若者に懸命に守られたにちがいないと思うの。それはあの子が愛されたということよ。そうでしょう?」
「あ……ええ、たぶん……いえ、きっとそのとおりですわ」
アラミクは突然、驚きというより、心の躍るようなときめきを感じた。
「そして、あの子もその愛を感じて、彼らを心から愛したことでしょうね。そうやって想像してくれば、もしかしたらその愛は、さらにロッシュがゴドフロアに託してきたという女の子に受け継がれたとは考えられないかしら?」
カプセルから誕生した子のことは、ロッシュからミランディアにだけ打ち明けられていた。
公的には、カナリエルがブランカを脱出した日に葬送されたことになっている。
名も知れないスピリチュアルの幼児がどこかに生き延びているかもしれないという事実は、ミランディアとそれを告げられたアラミクしか知らない秘密だった。
「そうか……そうですよ。ええ、きっとそうですとも!」
アラミクはマザー・ミランディアの眼を見つめ、互いの笑みを確かめ合うようにニッコリと笑った。
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