第五章 4 キラ星の脱出口
ゴドフロアの巨体が、業火を背にして仁王立ちしていた。
赤と黄色が入り混じったまぶしい炎が、通路を床から天井まで埋めつくしてまっすぐ真横に吹き抜けていく。
古くなってあちこちすき間ができた扉ごしに、奔流のような火がギラギラと透けて見えた。
扉は最初の地響きであっさり蝶番ごとはずれ、ゴドフロアの背にのしかかった。
ゴドフロアは両手足を狭い入口の壁に突っぱり、全身でその衝撃と圧力を受け止めた。
髪はすき間から吹きこむ熱風にめちゃくちゃにあおられ、着衣はちぎれんばかりにはためいた。
炎とゴドフロアの背との板ばさみになった扉が、悲鳴を上げるように激しくきしみ、ついにバキッと真っ二つに裂けた。
その瞬間、いきなり猛火は吹き去り、一寸先も見えない闇とつんと鼻を刺すきな臭い煙が地下通路に充満した。
「ゴドフロア!」
カナリエルが叫んだ。
扉の破片とともに、ゴドフロアが巨木が倒れるようにドサリとくずおれた。
衣服のあちこちで煙がくすぶり、肩口には火がついている。
カナリエルとフィオナがあわてて手近な衣装をかき集めてもみ消した。
ステファンは、手早く携帯用ランプに火をともしてかかげた。
熱風の名残りが煙とともに逆巻き、崩れ落ちた豪華な衣装が床じゅうに散乱している。
それがうまく爆発の衝撃をやわらげてくれたことはたしかだが、ゴドフロアが盾になってくれなければ、扉は爆風であっさり砕け散り、部屋は猛火になめつくされて、彼らはひとたまりもなかったことだろう。
と、衣装の中につっぷしていたゴドフロアが、ゴロンと仰向けになった。
「ゴドフロア、生きているのね!」
カナリエルは眼を輝かせ、顔にかかったボサボサの乱れ髪を指でかき上げてやった。
「ああ……」
うめくような声で答え、ゴドフロアは気力をふりしぼって上半身を持ち上げた。
「急ごう。ゲオルが、おれたちのために命がけで開けてくれた道だ――」
ゴドフロアが言うと、ステファンは神妙にうなずき、カナリエルは力なくすすり泣いているフィオナを励まして立ち上がらせた。
通路はしんとして、ひと気がなかった。
煙をすかして、どの部屋も扉が粉々に吹き飛んでいるのが見えた。あの瞬間にこの階にいて生き残った者がほかにいるとは思えない。
上の階の盗賊たちは、階段口から立ちのぼるもうもうたる煙に恐れをなして、降りてくるのをためらっているのだろう。
突き当たりの鉄の扉はぐんにゃりと曲がって、ゲオルの亡骸はもちろん、錠前の痕跡すら見当たらず、爆発のすさまじさを物語っていた。
半分開いた扉口から、キラキラした宝石が通路にまでこぼれ出している。
それを踏みしめながら宝物庫に入った。
ステファンがランプを頭上にかざすと、まるできれいに晴れ上がった夜の天地を逆さまにしたかのように、足元の床一面を埋めつくして色とりどりの光の粒が無数にまたたいた。
その光景にだれもが息をのんだが、言葉を発する者はなく、宝石に手を触れようとする者もなかった。
その輝きが豪奢であればあるほど、ゲオルが手をつけたもののささやかさが悲しく胸にせまってくるのだった。
小窓の位置はすぐにわかった。
目隠しに積み上げられていた石も、爆発の衝撃で外に吹き飛ばされていた。
コードのカギを窓わくにひっかけ、一人ずつ地上に降り立った。
そのとき、カーン、カーンと斧をふるう音が聞こえてきた。
盗賊たちが自分の手で厳重にふさいだ出口を、こんどは懸命になって打ち破ろうとしているのだ。
斧の音にせかされるように、ゴドフロアたちは城壁の下をぐるりと回って城門に達した。
干し草の中に隠しておいたわずかな糧食と装備を掘り出して急いで馬にくくりつけ、ゴドフロアはカプセルを背負うと、おのおのが一頭ずつにまたがった。
すぐには追跡できないように、残りの馬も放って草原のほうに追いたてながら城門の外に出る。
「ゴドフロアーっ!」
彼らの背後から、割れ鐘のような大声で怒鳴る声が聞こえた。
ひらめく遠雷の青白い光を受けて、骸骨がうずたかく積み上げられたような無気味な姿をさらすケルベルク城の頂上に、こぶしを高く振り上げている男の姿が見えた。
「逃げ切れると思うなよ。どこまでも追っていくからな!」
どす黒い怒りと怨念をこめたダブリードの叫びが、嵐の吹きすさぶ荒野に響きわたった。
ゴドフロアは馬の頭を返し、静かに仲間に呼びかけた。
「行くぞ――」
その後を追って、三頭の馬が雨の降りしきる闇の中へと駆けだした。
「止まれ。馬を降りて固まるんだ」
ゴドフロアが手を上げ、何度めかの同じ指示を出した。
それぞれが自分の馬の手綱を引き、ゴドフロアの背後に集まった。
女たちは不安そうに肩を寄せ合い、腰のあたりまである草の中にしゃがんで身をひそめる。
するとまもなく一〇〇メートルほど前方を、松明をかざした馬が猛烈な勢いで斜めに横切っていった。
「ちくしょう。しつこいなあ、まったく」
ステファンが舌打ちする。
暗闇の中を夜通し駆けとおせば、かなりの距離をかせげるし、黒鷲団も引き離せるはずだった。
しかし、敵もさる者で、見つかった馬を順に使って追っ手を放った。
嵐の闇夜の広大な荒野で、あえて逃亡者を探し出そうというのではない。
ある者は松明を高々とかかげて行く手をさえぎり、ある者は闇にまぎれて走り抜けることでおびやかした。
明かりや馬の足音が接近するたびに、立ち止まってやり過ごすか、やむなく回り道をするしかなかった。
思ったほど道を進めることができず、ゴドフロアはあせっていた。
(夜が明けたら、馬は捨てるしかないか……)
馬に乗っていれば、当然追っ手に見つかりやすい。
追ってくるのは、馬を乗りこなすことにかけてはスピリチュアルの精鋭にも劣らない野盗の群れである。
競争になったら、とても逃げ切れるはずがなかった。
「でも、歩きじゃ、山までたどり着くのだって大変だよ。食糧もろくにないんだしさ」
ゴドフロアがそのことを相談すると、ステファンが反論した。
たしかに、そのとおりだった。
徒歩だから見つからないという保証はどこにもない。
いったん見つかったら、もう逃げるすべはまったくなくなってしまうのだ。
結論の出ないまま、一行はまたしばらくだく足で用心深く馬を走らせた。
途中で丘の起伏の間に狭い窪地を見つけ、初めてまともな休息をとった。
その下に馬も隠せたし、ちょうど土がえぐれてひさしのようになっており、身を寄せ合えば雨の直撃をさけることもできた。
ゴドフロアが、彼らしくないぎこちない動作でカプセルを背中から下ろそうとしているのに、カナリエルは目ざとく気づいた。
ゴドフロアはぐっしょり濡れそぼった着衣をしぼろうと、そろそろと首から引き抜いた。
「まあ、ひどい火傷!」
カナリエルがそっと触れただけで、ゴドフロアは「ウッ」とうめいて顔をしかめた。
背中全体に赤い腫れが広がり、ぶつぶつと無数の水ぶくれもできている。
あの爆発による猛火を、扉ごしとはいえ受け止めたのだ。
その熱さはどれほどのものだったことだろう。
「ここに横になって。すこし楽になるようにやってみるわ」
カナリエルは、うつ伏せになったゴドフロアの背中をゆっくりとさすりはじめた。
「こんな状態で、よく重いカプセルを背負っていられたものね」
「そんなにひどいのか……だが、背負っているときのほうが、むしろ痛みは少なかったな。それだけ、おれとカプセルの中の子は一体だってことだ」
心配させまいとしてか、ゴドフロアはニヤッと笑って言った。
しかし、カナリエルは、カプセルが当たっていた部分の火傷が、不思議なことにほかのところほどひどくないような気がした。
(まさかね、この子が……)
カナリエルは横の壁に立てかけてあるカプセルをちらりと見やったが、すぐにゴドフロアの背中に当てた両手に精神を集中した。
見るにたえないくらいだった赤い腫れは徐々におさまり、水ぶくれはうそのように消えていった。
「スピリチュアルの力だ。すごいものだね」
ステファンが感嘆の声を上げ、フィオナは眼を丸くしておずおずとうなずいた。
「皮膚がただれたり破れたりしていなかったおかげよ。わたしにはこれがせいいっぱい」
ゴドフロアに衣服を返すと、カナリエルはぐったりと斜面にもたれて眼をつぶった。
夏とはいえ、高地の夜は冷えこむ。
寒さと疲労に加え、雨に濡れた身体からはどんどん体力が失われていった。
暗いうちにできるだけ進んでおくにこしたことはなかったが、いったん休むともう立ち上がる気力はなかった。
ゴドフロアは、震えて身を寄せ合う仲間たちを無理にせかそうとはしなかった。
カナリエルの治療は痛みを取ってくれただけでなく、心地よい眠気をさそい、いつのまにかゴドフロアの意識も遠のいていった。
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