第四章 5 平和を恒久のものとする方法

 謁見の間の中に呼び入れられたのは、位階六等級以上の者だった。


 選帝官はもちろん全員そこに含まれ、大臣や将軍職の経験者のほか、代々積み重ねてきた功績による〝名流〟と呼ばれる家族の家長なども含まれる。

 基準となった〝位階〟というのは、もともと官位の序列を表すものだったが、時代の変化や職務の複雑化にともなって、しだいに実際の地位とかけ離れていき、勲功や実績を評価して歴代皇帝からあたえられる名誉称号という性格のものに変わってきた。


 すなわち、現在の帝国を動かしている体制とは、かならずしも一致しないのである。

 しかし、現役の文官や軍人だけで帝国の新体制を決めることになれば、当然、自分が保持している地位や職権を守ろうとする意識が、どうしても強く働いてしまうだろう。

 私心のない、大所高所からの視点を議論の場に確保するという意味では、位階六等級以上という区切り方は、ツェントラーにはそれなりに妥当なものに思えた。


 大扉は閉ざされたが、ツェントラーは、ブランカ側からの警護という名目で八名の近衛兵とともに謁見の間の内部にとどまることができた。

 それを命じたクレギオンは、きざはしの上の皇帝の横にはもどらず、現役の大臣、将軍などが居並ぶ第一列の端に座っている。

 大扉のすぐ内側から謁見の間を眺めわたしながら、ツェントラーは、最初から奇異の思いにとらわれていた。

 いや、というより、疑惑の眼でこの緊急の御前会議を見ていた。


 ツェントラーが感じたのは、謁見の間全体の奇妙な緊張感のなさである。

 新しい体制を構築するという提案に対する期待感は当然あり、皇帝の演説によってもたらされた高揚感も感じられた。

 ところが、これから話し合われることの内容によっては、現在の地位や立場にどのような変化が訪れるとも知れない者たちの間からも、動揺はおろか、さほどの不安感もただよってこない。

 それがどう考えてもおかしかった。

 クレギオンの横顔が見える。

 ツェントラーの観察眼が曇っているのではない証拠に、クレギオンの表情は警戒するように引きしまり、肩は緊張でこわばっている。


 考えられるのは、皇帝の意向がアンジェリクからの随行者たちにはすでに何らかの形でほのめかされているということだ。

 具体的なことがらは伏せられているにしても、彼らの地位や身分、あるいはそれに代わるものの保証があることは約束されているのかもしれない。

 では、ブランカ在住者たちはどうなのか。

 体制の変革によって大きな利害が生じるような現役の者が少ないのは事実だが、だからといって他人事のように関心が薄いとはとうてい考えられなかった。


(もしや……)

 事前に通知されていたのではないか?

 もちろん、皇帝や執政からの直々の書簡などではないだろう。

 知人や家族からの便りを装って送付されたのかもしれない。


 クレギオンには――

 と考えて、ツェントラーは小さく首を振った。

 直情径行とか、正直一途というような単純な性格ではないが、長年側近をつとめているツェントラーから見て、クレギオンが小揺るぎもしない信念と分け隔てのない至誠の人であることは疑いなかった。

 そのような通知があったとしたら、事実をそのまま明かさないまでも、ツェントラーにはなんらかの言及があるはずだ。もちろん、まったくそんな記憶はない。

(これは……)

 心に浮かんだ『やはり、陰謀なのではないか』という言葉を呑みこんだ。


 その直後に、皇帝が口を開いた。

「忠実にして賢明なる者たちよ」

 そう言って、ひとつ咳ばらいをした。

「余は、長らく勇将皇帝とか武人皇帝と呼ばれてきた。実際、親征して戦場に立ったことは数知れない。若い頃には、興奮のあまり剣を抜いて駆け出そうとして、そこにいるクレギオンに首根っこをつかまれたこともあったが」

 どっと笑いが起こり、座はますますなごやかな空気につつまれた。

「だが、余は好んで戦争を起こしたわけではない。余が皇帝として過ごしてきた時代が、余にそれを求めたのだ。戦いにつぐ戦いは、長らくかたわらにあったクレギオンをはじめ、スピリチュアルの勇者たちに多大な辛苦と犠牲を強いた。将来のある有為の若者もたくさん失ってしまった。このような時代は、二度とくり返されてはならない」

 皇帝が最後の言葉に力をこめると、自然に拍手が起こった。


「キール落城がほぼ確実なものになってくるにつれ、余の胸には安堵とともに新たな使命感が抑えようもなくわき起こってくるのを感じた。『ここで手にする平和を、何がなんでも恒久のものとせねばならぬ。そして同時に、長らく尽くしてくれた者たちを十分にねぎらい、その功績に報いてやらなければならない』と。余は、それらをともに実現する最良の方法は何かと、ずっと頭を悩ませてきた。そして、ようやくその思いに見合うものを見つけたと思う」

 皇帝は言葉を切り、満場をぐるりと見渡した。

 謁見の間は人っ子ひとりいないかのように静まりかえっていた。

 クレギオンはきつく眉根を寄せ、唇をかたく結んで、一語も聞きのがすまいとするかのように背筋を伸ばしてつぎの言葉を待っている。

 たぶんツェントラー自身も、同じ表情をしているにちがいない。


「これから、それをマドランから発表してもらうことにする」

 第一列の、クレギオンとは反対側の端に座っていた執政のマドランが立ち上がり、壁ぎわをたどるようにしてきざはしを登って、皇帝の横に立った。

 それを見て、幾人かの者が眼をむいた。

 きざはしの最上段に登るということは、すなわちオルダイン皇帝の代理として発言するということだ。

 マドランが発表するものは、議論すべき提案ではなく、逆らうことのできない皇帝の勅命ということになるのではないか?


「皇帝陛下に代わって、わたくし執政マドランから申し上げる」

 クレギオンやツェントラーの不審の思いにまったく気づいていないかのように、マドランは、淡々とした実務的な口調で切り出した。


「現在、大陸にはいくつもの王国、自治州、城塞都市などが散在し、その間には、境界があいまいなまま無法地帯と化している地域、どこにも属さない広大な森林地帯、人跡未踏の山岳地帯なども存在している。これらをすべて整理して、境界を新たに設定し、約五〇の行政単位に区分けすることとする。そして、それらのすべてにわれわれスピリチュアルの行政官を置き、帝国の完全なる支配を確立する所存である」

 おおっ、と驚きの声があちらこちらから上がった。

 やはり、全体のことまでは知らされてなかったのだろう。

〝大陸のすべての区域〟ということは、互いに長らく全面戦争を回避してきた北方王国に対しても、直接に支配の手をおよぼすということである。


「また、行政官には、それぞれ爵位をあたえることとする」

「爵位ですと?」

 当惑の表情が、現役、退役をとわず、文官にも武人の間にも広がった。

「そのとおり。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という五つの爵位が、各人の位階と、行政区の大小、重要度などを勘案して、皇帝陛下から授与されることになる」


「スピリチュアルが、今さら貴族制をとるというのか?」

 発言者は思わず声に出して言ってしまってから、マドランが皇帝の代理として発表していることに思い当たり、皇帝のほうへおそるおそる視線を向けた。

 しかし、そう言いたい気持ちはだれにもよくわかった。

〝貴族制〟というのは、破綻した文明社会においても、かなり早い時期に古臭い政治体制として消滅してしまったものだったはずだからである。


「つまり、こういうことだ――」

 皇帝が口をはさんだ。

「今までわれわれは、せっかく征服した地域から撤退を余儀なくされたり、いったん臣従させながらその民に離反されたりということを、幾度となくくり返してきた。それは、われわれの支配がつねに〝占領〟にすぎず、軍隊が〝駐留〟することでしかなかったからなのだ。帝国軍をフィジカル兵で補完する仕組みを取り入れてからでさえ、絶対的な少数者であるスピリチュアルは、やはり外からの侵略者としかみなされなかった。いくら反乱を力ずくで鎮定しても、抵抗勢力を徹底的に叩きつぶしても、われわれが引き揚げてしまえば元のもくあみになってしまっていた。それでは意味がない」


 皇帝の言葉に、多くの顔がうなずいた。

 大陸の統一が成ったからといって、単純に戦火が二度と起こらないと信じている者は皆無だった。

「では、どうすればいいのか? 占領者ではなく、真の統治者になることだ。われわれ自身が、これまでのように勝ったらまたすぐにアンジェリクやブランカへ帰ってしまうよそ者ではなく、その土地に根づき、民衆の心をしっかりとつかみ、ともに繁栄を築き、分かち合っていく、実質のある統治者になっていく必要がある。行政官というのは、仮の呼び名にすぎない。中央から期限つきで派遣される役人ではなく、それぞれの者が、あたえられた土地と人民をわがものとして永代にわたって大切に慈しみ、統治していく領主となるのだ。すなわち爵位とは、領主としての栄誉ある称号のことである」

 皇帝がきっぱりと言い切ると、謁見の間はこんどこそ波打つような驚愕で満たされた。


 それを見て、皇帝は得意そうに微笑した。

「だが、何を不思議がることがあろうか。われわれは長らく帝国と称してきた。帝国とは、数多の国々の上に君臨する超越的な存在をいう。なにも、北方王国や自治都市よりわれわれのほうが上だと、ただ見栄をはってきたわけではない。今こそ、名実ともに、帝国は帝国たるにふさわしい姿になるのだ!」

 満場の驚きは、万雷の拍手に取って代わった。

 ツェントラーでさえ、皇帝のその言葉には、眼を開かされる思いだった。

 軍事体制か、文治政治かなどと、これまでさかしらに帝国の将来をうんぬんしてきた自分が、ひどく狭い思考の中にとらわれた卑小なものに感じられた。


 貴族制というのは、統治の形としては封建制ということになるのだろう。

 それが実情に合った適切なものかどうかは措くとしても、スピリチュアルの大多数の想像をはるかに超える、画期的な大転換であることはまちがいない。

 もはや、これが単なる提案であるのか、それとも勅命であるのかは問題ではなかった。

 ここにいる貴顕たちは、一人残らず領地をあたえられ、貴族に列せられることが確実だった。

 あえて反対を唱えるとなれば、その大きな権利を放棄する覚悟がなければならない。

 同調してくれる者が一人いるかどうかさえ怪しいところだろう。


「では、ブランカはどうなりましょうか」

 質問したのは、やはりクレギオンだった。

「これは、クレギオン閣下――」

 答えたのはマドランだった。

「ブランカの実質的な責任者としては、当然のご懸念でしょうな。ブランカは、もちろんアンジェリクと並ぶ最重要行政区である。よって、皇帝陛下がじきじきに統治される直轄領となる。が、ご安心なされ。閣下には、現在帝国中でもっとも注目を集めているキールという重要拠点が、領地として陛下より賜ることになっておる」

 これなら文句はあるまいとでもいうように、マドランは得々として言った。


 そのとき、ツェントラーは、横顔にふわりと新鮮な空気があたるのを感じた。

 ぴたりと閉ざされていた大扉が細く開かれ、そこに一瞬ロッシュの顔が見えたと思うと、二人の間をさえぎるように、黒衣の人影がすっと謁見の間に足を踏み入れた。


「寮母陛下……!」

 きざはしの上で、マドランがうめくように言った。

 満場の人々の顔が、大波が返すようにいっせいに背後をふり返った。


「よい。つづけなさい」

 マザー・ミランディアは大扉のすぐ内側に立ち止まり、まるでマドラン一人に話しかけるかのように落ち着きはらって言ったが、広い謁見の間のすみずみまで、その声はしみとおるようにはっきりと伝わっていった。

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