第四章 4 魅惑の踊り子

「おお。ようやく宿の主人の到来だ! もう一度乾杯といこう。さあ、酒をつげ、つげ!」

 一段高くつくられた上座から、首領が大声を張り上げた。


 大広間は天井の高さが人の背丈の五倍ほどもあり、壁ぎわに並んだ円柱によってささえられていた。

 これほどの大空間が存在することがすこしもわからなかったのは、壁面に通じるのが小さな換気口くらいで、外にむかって開かれた窓がひとつもないからだろう。

 澱んだ空気のにおいがかすかにするが、南部産の香油がたかれていてほとんど気にならない。

 隅には大きくて立派な暖炉があり、気持ちよさそうな火が赤々と燃えていた。


 数十人もの盗賊たちが、壁ぞいにぐるりと敷きつめた絨毯にじかに座っている。

 首領だけは、一段高い台座の上でやわらかい大きなクッションに身体をあずけていた。

 そのすぐ横には、すそのたっぷりした黒いベルベットの夜会服をまとったカナリエルが優雅に横座りしていて、首領が差し出す盃にひざの上に抱えた大きなつぼから酒を注いでいる。

 手下たちの間を動きまわっているフィオナのほうは、貴族の娘風の、ふんわりとしてひだの多いジョーゼット織のスカート姿だった。

 上は、明るい柄物の生地に首と手首にレースがあしらわれた長袖を着ていたが、欲張った取り合わせがすこしもおかしく見えないのは、たぶんカナリエルがいっしょに見立ててくれたからだろう。


 しかし、この場でそんなスタイルのことがわかるのはステファンただ一人で、盗賊どもは着飾った若い娘が酌をしてくれるというだけで浮き立ち、大騒ぎしていた。

「おおい、こっちにもついでくれ!」

 呼び声のほうに顔を向けて、フィオナが「はい、はい」と愛想笑いで応じると、そのすきにいたずらで後ろから薄手のスカートをまくり上げようとする手が伸びてくる。

「きゃっ」と声を上げてあわててすそを押さえるが、ちやほやされてまんざらでもなさそうだった。

 ゴドフロアたちの場所は、入口からも上座からもいちばん遠い壁ぎわだった。


「酒は行き渡ったな。では、乾杯だ」

 首領が盃をかかげ、一座をぐるりと見渡して言う。

 盗賊たちはどっと沸き立った。

「乾杯! かんぱい!」

 盃があちこちで打ち合わされ、大広間はよりいっそうにぎやかになった。


 フィオナが酒つぼを抱えてやって来るのを待ちきれずに、自分のほうから出向いていく者もいれば、仲間とたがいにつぎ合って、一気飲みの競争をはじめる者もいる。

 そうかと思えば、座の中央の台に並べられたごちそうを舌なめずりしながらねらっていた者たちは、首領の分が取り分けられたとたん、われ先にと群がった。

 ステファンがつくった料理の皿はたちまち半分がた空になった。

 すると、城砦の外でつぶして焼いてきたものなのか、まだ湯気のたつ丸焼きの羊肉が威勢よく持ちこまれてきて、また大きな歓声が上がった。


「まったく、いい気なもんだね」

 手下たちにまぎれこんで自分たちの食い分をやっと確保して皿に盛ってくると、ステファンはあきれて言った。

 根が陽気な性格なだけに、盗賊であろうと何であろうと、いっしょになって騒げないのがいかにもうらめしそうだった。


 酒と食い物がたっぷりあれば、後は音楽だとばかり、笛や各種の太鼓、タンバリンやリュートまでどこからか引っぱり出してきて、古いポルカなどを陽気に奏ではじめ、さらににぎやかになった。

 座に居並ぶのが一見して凶悪な荒くれ者ばかりだというだけで、雰囲気は田舎の祭や繁盛している村の居酒屋と変わりない。


「ねえちゃん、踊ろうぜ」

 若い男に強引に手を引っぱられ、フィオナはあやうく酒つぼを取り落としかけたが、つぼは別の男に難なく受け止められて奪われた。

 空手になったフィオナは、ドッとはやしたてる声や口笛にうながされ、しぶしぶ座の中央に出た。

 音楽が軽快な曲に変わった。

 フィオナが北方王国の娘だと聞いて、その地方の村祭や宴会でかならず演奏されるダンス曲を選んだのだ。


 フィオナは最初こそ当惑ぎみだったが、小さい頃からなじんできたリズムに身体が自然に反応していく。

 貴族風のお上品な衣装には似つかわしくない、庶民的でこっけいなステップなどもためらうことなくこなし、それがかえって見ている者たちにはおおいに受けた。

 どんどん勢いが増していく独特の展開のダンスを、フィオナはひたいに汗を浮かべながら、とうとう最後まで踊りきってしまった。

 フィオナが思わず笑みを浮かべると、盗賊たちはやんやの喝采を送った。


「どうだ、こんどはおまえが、優雅なやつをひとつやって見せてくれないか」

 横に座ったカナリエルにむかって、首領が、好色そうな押しつけがましい口調で言った。

 カナリエルはずっと、すきあらば身体に触れてこようとする首領から距離をとり、酒を催促されたときにだけ、いかにも品のいい手つきで酒つぼを傾けていた。

 ふだんの快活なカナリエルを知る者からは、信じられないほど無愛想で冷淡な態度に見えたが、これほど美しい娘がつんとすました顔をして、しかも白い胸元や肩を惜しげもなくさらしたドレス姿でなまめかしく横座りなどしていると、それはそれで神々しい輝きを放つ美術品か何かのようで、近寄りがたい美しさをたたえていた。

 その証拠に、首領はついにカナリエルに指一本触れられずにいるし、そんな首領に気をつかっていることもあるだろうが、手下どもは酒をねだりに行くことさえできず、遠くからあこがれるようにその姿を鑑賞しているしかなかったのだ。


「……いいでしょう」

 カナリエルは酒つぼをわきに置き、悠然と立ち上がった。

「ワルツを――」

 演奏者たちにむかって注文すると、静まりかえった広間をいちばん下座までつかつかと歩いていき、そこでくるりと反転して伴奏を待つポーズをとった。

 ところが、楽器を手にした者たちが当惑して顔を見合わせている。〝ワルツ〟という音楽がどんなものを指すのか、彼らにはわからなかったのだ。


「ぼくがやろう」

 気まずい静寂が広間じゅうに広がったとき、ステファンが進み出た。

 かなりガタのきた年代物のリュートを受け取り、ちょっと弦の具合を調節してポロンとはじくと、見ちがえるように澄んだ音が流れ出した。

 それだけで、満場に「ほう」と感心したような空気がただよう。

 ステファンは軽くタン、タタンと本体を叩いて拍子をとり、いきなり演奏に入った。すると、その指先から心が浮き立つようなかろやかな旋律がこぼれだし、たちまちだれもが耳を奪われてしまった。


 ポーズをとったまま、美しい彫像のように立ちつくしていたカナリエルが、そのゆったりとした調べの中に、まるで泳ぎ出すように舞いはじめた。

 カナリエルは片手を宙にさしのべ、もう片方の腕で胸の前の空間をふんわりと包みこむようにしていた。

 三拍子のリズムに乗った足の運びは、ときに逃げるように小刻みに後ずさるかと思えば、つぎの瞬間には床をすべるようにして迫ってくる。


 ほかの奏者たちも、そのリズムをつかむと、ステファンとカナリエルの絶妙な呼吸にそっと寄りそうように、うまく調子を合わせて音をつけ加えていった。

 カナリエルは、黒い夜会服を揺らしながらくるくると身体を回転させ、壁ぎわにそって座を占めている者たちの前を、チョウか小鳥のように舞っていく。

 首領がどれほどの意味で〝優雅な〟と言ったかわからないが、その場にいるすべての者の想像をはるかに超えた優雅さが表現されていることはまちがいなかった。

 そして、だれの眼にも、そのダンスには本来は相手がいるはずだということがわかった。

 カナリエルの腕が抱き寄せるようにしている空間に、ある者は意味もなく嫉妬したし、またある者は自分をそこにあてはめて、うっとりと夢見心地にひたるのだった。


 大広間を一周し、ふたたび出発点にもどると、カナリエルは、夜会服のすそを指先でつまんで持ち上げるような、作法にのっとった可憐なしぐさの挨拶をして締めくくった。

 割れんばかりの感動の拍手と歓声の中を、カナリエルとステファンはそれぞれもとの居場所へもどっていった。


「見直したぞ、ステファン」

 ゴドフロアも手を叩いて迎えた。

「楽師にでもなるつもりで修行したのか?」

「いいや。小さい頃から音楽は好きだったけど、ピアノとかバイオリンとか、習わされるものはみんな嫌いだった。リュートはひとりで好きなように弾くことができたからね」

 いつものステファンらしくなく、こともなげに、むしろつまらなそうに答えた。

 しかし、ゴドフロアには、それだけでステファンが単なる田舎まわりの隊商の一員などではなく、かなり上流の裕福な家庭の生まれであることが想像できた。

 ステファンが弾いたような典雅な音楽も、ふつうの庶民には耳にする機会さえまれなものだった。

「でも、芸は身を助けてくれるなんて、大うそだね。こいつらにいくらきれいな音楽を聴かせたり、みごとな踊りを見せてやったところで、宴会の時間をすこしばかり引き延ばすくらいの役にしか立たないんだよ」

 たしかに、ステファンの言うとおりだった。

 ゴドフロアは、油断なく大広間を見渡しながらうなずいた。


 料理の大半は食い散らかされ、盗賊どもは酒にもそろそろ満足したようだ。

 酔っぱらって正体もなく眠りこんでくれるかと期待していたが、ふだんから限度をわきまえるように徹底されているらしく、酒におぼれるような飲み方をしている者はほとんど見当たらなかった。

 三〇人以上もいるやつらは旅の疲れもとれて、かえって元気づいているようにさえ見えた。

 盗賊どもが宴会の最後に楽しみにしているのは、ステファンたちをナイフ投げの的にして腕自慢をし合ったり、女たちを寄ってたかって乱暴することだったりするかもしれなかった。


「今夜のうちに脱出するぞ」

 ゴドフロアが小声で言った。

 ステファンは表情をひきしめ、そっとうなずいた。

「やつら、地下に隠してあったこの秘密の大広間で大宴会をやるってことにした時点で、ぼくらに正体がばれたり、ここがアジトだと知られたりしても、それでかまわないって決めたってことだからね」

「そうだ。そして、それを知られたおれたちを生かしておくつもりはないって、宣言したのと同じことさ」


 ゴドフロアは世間話でもするような口調であっさりと言ったが、その広い背中に身を隠すようにしているゲオルは、ガタガタと小刻みに身震いした。

「お、おれたち……やっぱり殺されるのか?」

「もちろん、おとなしく殺されるのを待つつもりはない。いつでも逃げられるよう、最低限の食糧や装備を積み残しの干し草の中に埋めてある。後は、どうやってやつらの手を逃れて厩までたどり着くか、だ」

「何か、きっかけをつくらないとね」

「うむ……」

 ゴドフロアがうなずいたとき、大きな足が眼の前に止まった。


「おい、ゴドフロア」

 ゴドフロアは、にらみつけるような上目づかいで丸刈りの男の長身を見上げた。

「おれの名を知っているのか」

「やっぱりそうだったか。それだけのでかい図体とふてぶてしい態度からして、うすうす見当はついていたがな。傭兵稼業をしばらくやったことがある者なら、おまえの噂はたいがいどこかで耳にしているさ」

「盗賊ふぜいのせりふでも、それはほめ言葉だと思わなくちゃならんのだろうな」

「ちぇっ、どこまでも口の減らないやつだぜ。頭領がお呼びだ。もの言いには注意するがいい。見かけは温厚そうにふるまってはいるが、ちょっとでも機嫌をそこねたら、それがおまえらの最期になるぞ」


 男は、まんざら脅しでもなさそうな表情で上座を見やった。

 兄弟だというが、巨体を持つ凶悪そうな弟でも、兄には頭が上がらないだけのものがあるのだろう。

 ゴドフロアは首領の前に連れて行かれた。

 みごとなダンスの間にも仮面のような無表情を崩さなかったカナリエルが、一瞬すがるような眼をしてゴドフロアを迎えた。


「おまえがゴドフロアか」

 首領は、かざした盃ごしに油断のない眼でゴドフロアを見つめて言った。

「そして、あんたはラザールだろう。こいつはダブリードか。黒鷲団とかいう野盗をひきいている兄弟だな」

 ゴドフロアがまったく臆することなく言い返すと、二人は同じように眼をむいた。


「……そこまで知っているなら、話は早い。どうだ、おれの配下に加わる気はないか」

「残念だが、盗賊は性に合わん。おまえたちはついでに傭兵もやるようだが、盗賊と傭兵はまったく別ものだ。傭兵は金しだいでだれの側にもつくが、それは命の代金だ。けっしてやましい稼業じゃない。戦う相手も兵隊や傭兵だから、殺されて文句をいうやつはいないだろう。だれかれかまわず襲いかかる盗賊とはちがうのだ。まあ、誇りなんていう偉そうなものはみじんもないが、他人の恨みをかうようなまねだけはしたくないんでね」


 いつのまにか、広間はしんと静まりかえり、だれもがラザールとゴドフロアのやりとりに耳をすましている。

「ふふん、よくもそんなことを言えたものだな」

 ラザールは、奇妙な薄笑いを浮かべて、ゴドフロアを見下ろした。

 ゴドフロアはそこに、皮肉というよりは怒りや軽蔑のようなものを感じ取った。

「どういう意味だ?」

「〝盗っ人猛々しい〟っていうのは、盗っ人のおれたちのことじゃねえ。そいつは、まさにおまえらにぴったりの言葉だってことさ」

「なにを、訳のわからないことを言っているんだ」

「とぼけても無駄だ。――ダブリード、あれを持ってこい」

 ラザールが命じると、ダブリードはどこからか小さな革袋をぶら下げてもどって来た。

「こいつに見せてやれ」

 ラザールが指さした彼の足元に、ダブリードがその中身をザラザラとむぞうさにあけた。


「えっ……」

 思わず声を上げたのはいちばん近くにいるカナリエルだったが、ゴドフロアもまったく同じ驚きの眼をみはった。


 革袋の中からこぼれ出たのは、両手ですくいきれないほどの、きらめく宝石と貴金属の数々だったのだ――。

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