第四章 4 不敗小隊隊長

 ロッシュはブランカへの帰途についた。


 墓地の手前の丘では、雷雨のせいで到着が遅れた救護隊が、日没がせまる中でまだ作業をつづけていた。

 このまま急いで馬をとばしたとしても、途中で行く手を暗闇にさえぎられるのは確実だったから、やむなく携帯用照明を持ってきている彼らの作業が終わるのを待ち、連れ立って帰ることにした。


 どうせ夜が明けるまでは、カナリエル追跡のための有効な手を打てる見こみはない。

 墓地の突端の崖の上には、フィジカルの兵士二人を交替で夜通し見張るように命じて残してきた。

 とりあえずやれることはそれくらいしかなく、時間はたっぷりとあったのだ。


 見渡すかぎりの山々から夕陽に焼けた部分がなくなったころ、ようやく出発となった。

 小隊が残した馬が加わったおかげで、台車を引かせる分を含めても、全員が騎乗できることになった。

 フィジカル兵には馬をあたえない規則だが、ブランカの直前になったら降りればいいだけのことである。

「道を踏みはずしたり馬からころげ落ちるのは勝手だが、死体を落とすのだけはやめてくれよ。そいつに崖の下まで拾いに行ってもらうからな」

 ロッシュが言うと、スピリチュアルとフィジカルの別なく、どっと笑いが起こった。


「さっきの急がなくていいという指示といい、あいかわらず人使いがお上手ですな、ロッシュどの」

 なれなれしく言いながら馬を寄せて来る者がいた。

「おお、ウォルセンではないか。久しぶりだな。救護隊の中にいたのか?」

「いたのかはひどいな。いちおうこの部隊の隊長ですぞ。いろいろ命令しておいて、今さらそれはないでしょう」

「すまん。しかし、おぬしの格好はフィジカル兵のものではないか」

「このほうが楽ですからな。スピリチュアルの軍装は、まったく作業向きじゃない……いや、作業向きではございません」

「その変な敬語はやめてくれ。『ロッシュどの』などと呼ぶのもな。ロッシュでいい」

「いやいや、えらくご出世なされたくせに、そんなご遠慮を申し上げ……いかん、やっぱりやめよう。自分で何を言ってるのかわからなくなってきた」

 ウォルセンは笑いながら、何かをロッシュのほうへ差し出した。

「これはおまえのマントだろう。わざわざファロンのやつにかけてやるなんて、ロッシュらしくもない優しさだな」

「おぬしが救護隊の隊長だとわかっていたら、もちろんほっといたさ」

 二人は顔を見合わせて笑った。


 フィジカル兵とまちがえるのも当然で、ウォルセンはロッシュよりさらにひょろりとした貧弱な体格だし、容貌も地味だった。

 剣術、乗馬、格闘技など、何ひとつとして得意な体技はないらしい。

 馬に乗った格好もかなり危なっかしかった。


 彼もロッシュと同期の帰還組だったが、最長七年間と定められている最初の従軍期間が満了してしまったために、自動的に帰されたのである。

 めぼしい功績はほとんどなかったということだ。

 救護隊のような閑職に回されたのも無理はない。

 不思議とロッシュと気が合ったのは、ウォルセンには他人に対する対抗心が皆無で、ほとんどの者がロッシュに対して抱く嫉妬心とも無縁だったからだ。


「おれの優れているところ? それは眼だ。視力だけはだれにも負けない」

 ウォルセンがそううそぶいているのを、耳にしたことがあった。

 それは彼一流の人を食った言い方であって、先頭に立って戦うよりも戦場をじっくり観察するのが何より好きなのである。

 戦いが始まると、自分の小隊の指揮をそっちのけにして、敵味方の軍勢がどのような動きをし、全体の戦況がどう変化していくか、興味深そうに眺めてばかりいるのだ。


 彼の小隊は、そんなウォルセンを守るためにいるようなものだった。

 無謀な突撃命令を受けることがないかわりに、身近に危機がせまっても撤退の指示さえ出ない。

 その結果、無防備な指揮官をひっかつぐようにして逃げ回ることにかけては、彼らはおそろしく機敏になった。

 ロッシュが同じ大隊に配属されてくるまでは、兵を死なせないことに関してだけいえばウォルセンの右に出る者はなく、『不敗小隊』などという皮肉まじりの呼び名をつけられていたほどだった。


「おれに三〇〇〇騎あずけてみろ。その五倍のフィジカルどもを蹴散らしてみせる」

 酒好きのウォルセンは、酔いにまかせてロッシュによくそんなことをささやいた。

 ロッシュが笑いながら聞いていたのは、それが身のほど知らずの大言壮語だからではなく、残念ながら、兵を臨機応変に動かすことに関しては、ウォルセンにさほど才能があるとは思えなかったからだ。

 それよりも、戦場の想定、兵力の配置、陣形、敵の心理や動きの読みといった、彼の大きな構想力や視野の広さに魅力があった。


 帝国軍には、ウォルセンのような極端に偏った才能を活かす仕組みがない。

 わずか一〇人の小隊で挙げられる手柄の範囲などたかが知れているし、そこでの功績が軍やスピリチュアル社会における栄達のすべての出発点となるのでは、勇猛さや個人の技能に優れていない者は、簡単にふるい落とされてしまうのだ。

 これは、あらゆる面に秀でた者こそが尊いとする、スピリチュアルの全人的な理想主義から来たものだ。

 その手始めとして、まずは戦場で個人としての技量と才覚を試そうという意図なのである。


 その考え方がまちがっているわけではない――とロッシュは思う。

 しかし、完全無欠な者は、指揮官一人でいいのだ。

 周囲を固め、補佐する者たちは、それぞれの持ち場で指揮官が絶対の信頼をおける存在でありさえすればいいのだ、と。


 ロッシュが何よりも歯がゆいのは、幼年学校以下の少年や子どもをのぞけば、ブランカじゅうの男性の中で、だれよりも自分がいちばん若いということだった。

「あの生意気そうな若造が――」

 という言葉ですべて片づけられてしまう。

 帰還兵の最年長だったウォルセンはもちろんのこと、裏ゲートの警備責任者のエルンファードも、後ろの台車の中に転がされているファロンも、そしてロッシュをあこがれの眼で見るラムドでさえ、実際はロッシュよりも一つ二つ年長なのである。


 これも帝国の兵制のせいなのだが、逆に言えば、能力に優れた者ならここからは年功序列によらず、実力でのし上がっていくことが可能だということでもある。

(いや、おのれひとりの栄達を望んでいるわけではない)

 だれよりも早く、だれよりも高く位階を駆け上っていけたとしても、それで孤立してしまうようでは無意味だった。

 ロッシュの大望には、周りを固めてくれる才能や戦力が必要なのだ。

 一時的な親しさからだったり、単なるあこがれからだったり、計算ずくだったりしない、心から共感して協力を惜しまない者たち――つまり、同志が欲しかった。


「ウォルセン。いつか私に力を貸してくれるか」

「ああ、いいとも。だが、救護隊長のおれでは、おまえがうっかり怪我したときくらいしか役に立てんが」

「もし怪我をしたときには、献身的で魅力的な女性の看護人にでも来てもらうさ。おぬしには、三万の敵を相手取って圧勝できる作戦を考えてもらおう」

「いいな。やっとおれの実力をわかってくれる司令官どのに出会えたよ」

 ウォルセンは馬上で、さも愉快そうにカラカラと笑った。

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