第三章 4 栄光を曇らせる醜聞

 ブランカにもたらされた報告は、いささか混乱していた。


 それというのも、派遣された小隊の隊長の判断が甘かったせいだった。

 彼らは、墓地に向かう急勾配の途中で、道ばたに座りこんでいる兵士と出会った。

 埋葬に同行していった警備兵の一人だった。

 騎馬隊が近づいてくるのに気づくと、兵士はあわてて立ち上がり、ファロンが墓地の手前で追いついてきて棺を再度あらためると言い出したことからはじまった、一連の出来事を手短に説明した。


「では、おまえはちゃんと最後まで見届けもせずに、ひとりでこっそり戦いの場から逃げ出してきたというのか?」

 隊長は、威丈高に馬上から兵士を見下ろしたままで話を聞き、最後に問題にしたのはそんなことだった。

「そういうことになりますが、しかし――」


「言い訳はいい。緊急事態などと言うわりには、のんきに休息などしていたようじゃないか。もうたっぷり休んだのだろう。ひとりで歩いてブランカへもどれるな?」

「も、もちろんです」

 意地を張ってそう見栄を切ったものの、警備兵は捻挫した足の痛みがさらに増し、その後も何度もへたりこむはめになった。


 小隊は、無惨な現場を眼にして、やっと事の重大さに気づいた。

 単に奴隷が逃亡したどころではなく、何人ものスピリチュアルの警備兵がまともに戦い、そのあげく手ひどい敗北を喫したことがあきらかだった。


 隊長は、同じ階級のファロンが顔面の片側を鮮血に染めて倒れているのを発見した。

 まだ息があることを知ると、部下の一人に急いで救護隊を呼びに行かせることにした。

 その際、もう一人の生き残りである縛られた警備兵を馬の後ろに乗せ、ブランカに事件の詳しい報告をさせるようにと命じた。


 部下はその途中で、まだよろよろと歩いているもう一人の警備兵をそのまま追い抜いた。

 自分が乗せている兵士のほうが最後まで現場にいたわけだから、当然経過をすべて知っているものと思いこんでいたのだ。

 乗せられている警備兵のほうも、自分より早く離脱した同僚が何をどこまで目撃しているかなど知るよしもなかった。


 小隊の兵士は、裏ゲートにたどり着くとファロンの救助を要請し、警備兵を降ろしてすぐに墓地へ取って返した。

 道中で三度もすれちがうことになったもう一人の警備兵には、声をかけてやるどころか、彼が乱暴に走り抜けていったために、足の悪い兵士はあわてて道のわきに倒れこんでよけなければならなかった。


 しかし、先にブランカに着いた警備兵が問われて答えることができた内容はといえば、いきなり戦闘が始まるまでのいきさつと、意識がはっきりもどってからのこと――つまり、いつのまにかロープで縛られていて、すでに奴隷の姿も棺を載せた台車も消えうせてしまった後の光景のことだけだった。

 呼ばれて裏ゲートに駆けつけたロッシュだったが、話を聞けば聞くほど、もどかしさがつのるばかりだった。


 ファロンが生命回廊の男子禁制の件をあらためて気にし、埋葬人の奴隷を問いただしに向かったことは、ラムドの報告ですでに承知している。

 そのファロンが何かを知っているかもしれないという可能性はあるが、重傷を負っているのではすぐに聞き出すことは無理だろう。

 ファロンと護衛の警備兵がほぼ全滅の憂き目に遭ったなどということは、当人たちの不名誉になりこそすれ、本質的な重大さはない。

 あんな無能で下衆な男の容態を案じるような感性は、ロッシュにはまったくなかった。


 救護と遺体の回収のための人員を派遣した後、しばらくして、その者たちの一人が、途中で動けなくなっていた警備兵を発見して連れもどってきた。

 坂のむこうから救護隊員の肩にすがってやっと歩いて来る、ほこりまみれの警備兵を見つけたのは、ロッシュ自身だった。

 手近にいた者をただちに迎えにやらせた。


「なに、女がいたって?」

 ロッシュは眼をむいた。

 警備兵が話した内容は、その点を除けば、最初の警備兵の間抜けな報告と腹立たしいほど大差なかった。

 しかし、それは決定的な違いだった。

「だれだった……顔を見たのか?」

 警備兵は、情けなさそうな顔で首を振った。


「そういえば……」

 ファロンと埋葬人のやりとりの間に、今考えてみれば女のものとおぼしき声が混じっていた気がする、と警備兵は言った。

 しかし、やりとりは声高なものではなかったし、内容を聞き取ろうにも警備兵はすでに距離が離れすぎていた。

 はっきり女だとわかったのは、さらに遠ざかってからふり返って、棺の中から立ち上がったその小さな人影を見たときだった。


「髪形はどうだった? 生命回廊のシスターの中で、思い当たるような娘はいないか?」

「髪は見慣れない形にまとめて上げていましたし、服装も若いスピリチュアルの女のものらしいとわかっただけで……。かわいそうに、ゴドフロアに人質にされたのだと思います」

 男は消え入るような声で言った。


 ロッシュは、急いで保安部へもどった。

「どうした。顔色が悪いぞ」

 クレギオンはいぶかしげにロッシュのほうを見た。


「長官。カナリエルが……連れ去られました」

 ロッシュは、声をしぼり出すようにやっと言った。

「なんだと!」

 沈着なクレギオンも、思わず腰を浮かせた。


「埋葬に同行した警備兵たちが、途中で襲われたのです。犯人は例の、生命回廊から出てきた埋葬人の奴隷です。棺の中には女が入っていたそうです。報告を総合すれば、その女は奴隷や棺を載せた台車ごと行方知れずとのことです」

「それが、カナリエルだったというのか?」

「確証は得られていません。が、まちがいありません。先刻ご報告したように、マザー・ミランディアは、私たちが入居予定の部屋にいらっしゃいました。その後、生命回廊のシスター全員の所在を確認しましたが、不明なのはカナリエルただ一人でした。簡単な引き算です。生命回廊から消えたのは、カナリエルなのです」

「そうか……」


「長官。どうか、私をカナリエルの捜索に行かせてください」

「すでに一個小隊が向かっておる。出動を命じたのは、おまえ自身ではないか」

 ロッシュは、悔しそうに唇を噛んだ。

「人選をまちがったかもしれません。彼らのせいで、重大な情報の入手が遅れてしまったのはあきらかです。それどころか、彼ら自身もカナリエルが奴隷といっしょにいることをまったく把握していません。あのような者たちにまかせておいては、さらに悪い結果を招くような気がしてならないのです」

「ロッシュ。気持ちはわからんではないが、責任者が首尾一貫しないのは、軍事においても政治においても、最大の悪だぞ。ここは自重するのだ」

「ですが……」

「まだある。先ほども言ったことだが、近親者を捜査や捜索にかかわらせては、保安部の権威が保てぬ」


「その点は、ご安心ください。幸いなことに、連れ去られた女がいたことを知っている者は、わずか数名です。彼らには固く箝口令を敷きました。カナリエルの名も、いっさい口にしておりません。その女がカナリエルだとわかっているのは、私ひとりなのです」

「うむ」

「どういういきさつや理由があったにせよ、カナリエルを無事に保護することさえできれば、今回の生命回廊にまつわる事件全体を穏便に収めることも可能でしょう。その逆に、カナリエルが関係していたことが露見し、なおかつ彼女の身に何かあったりすれば、ブランカじゅうが蜂の巣をつついたような騒ぎになりかねません」


「皇帝の娘の醜聞か。時期が悪すぎるな……」

 皇帝のキール入城が迫っている。

 ロッシュが生命回廊の事件で駆け回っている間にも、すでにその噂があちらこちらで聞こえていた。

 日を追うにつれ、ブランカ全体が急速に祝祭的な気分に包まれていくだろう。

 クレギオンも、その点に思いが至ると深く考えこんだ。


「お願いします、長官。今は公私混同などと言ってはいられません。皇帝陛下の娘がフィジカルの奴隷の手中にあるのです。ここでぐずぐずしていて取り返しのつかないことになったら、私は悔やんでも悔やみきれません」

 ロッシュがなおも懇願するのを、クレギオンは手を上げて制した。

「待て、ロッシュ。おまえの気持ちはわかった。事態がここまで来てしまった以上、穏便にといっても限界がある。たしかに、何らかの手を打たねばならん。そして、おまえが乗り出すことに今のところ障害がないとなれば、やはりおまえにやってもらうしかないだろう」

「ありがとうございます」

 ロッシュは、初めて顔を輝かせた。


「いや、はやまってはならん。おまえの腕を見こんで、というのは当然ある。しかし、それだけではない。おまえがその任務に成功を収める、ということに意味があるのだ」

「どういうことでしょうか?」

「わからぬか。事態を逆手に取るのだ。帝国は今や、輝かしい栄光へむかって歴史的な一歩をしるそうとしている。ところがそこに、小さくはあるが、高揚している人々の心に冷や水をあびせるような事件が、フィジカルの聖地ブランカで発生した。なんと、皇帝の娘の失踪という前代未聞の不祥事だ。帝国の栄光を曇らせる忌まわしい事件は、しかし、たちまちのうちに次代をになう有能な若者によってみごとに解決される。そして、その若者と皇帝の娘は、キール入城の記念すべき当日にめでたく結婚する――」


 それは、聞けばだれもが面映くなるような甘ったるい筋立てだったが、語るクレギオンも、耳をかたむけるロッシュも真剣そのものだった。

「つまり、救出の成功や、幸福な結末といった派手な事実によって、そもそもの原因や細かいいきさつから、衆人の眼をそらそうというのですね」

「そうなれば、祝賀ムードの盛り上がりも、いい意味で手助けしてくれるだろう。『この際、少々のつまらないことにこだわるな』と」

 クレギオンがにやりと笑った。


「わかりました。やってみます――いえ、かならず成し遂げます」

 ロッシュは、きっぱりと言い切った。

「そういうことだ。失敗は絶対許されん。これは、もはやおまえひとりの問題ではない。帝国の威信と未来がかかっているのだ。くれぐれも慎重に、そして果敢にな。念には念を入れて、新たに二個小隊を率いていくがいい」


「いいえ、私は一人で結構です」

「意地を張るな。もしもの場合に備えろ」

「いいえ。一人のほうがいいのです。この作戦には、失敗という結果があってはなりません。もし仮に、カナリエルがすでに死亡していたりしたら、そのときは……」

 ロッシュは、ふたたび唇を噛んだ。

「どうするというのだ?」

「カナリエルがブランカから連れ去られたという事実そのものを、最初からなかったことにしてしまいます」

「つまり……」

 クレギオンが息をのんだ。


「そうです。一個小隊は、奴隷に全滅させられたことにするつもりです――」

 ロッシュは青ざめた顔で、つぶやくように言った。

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