第三章 3 怪鳥軍団
異変に気づいたのは、カナリエルのほうが先だった。
「ゴドフロア……」
押し殺した声でささやいた。
ちょうど、ゴドフロアの横に降りてきたところだった。
ゴドフロアもすぐに気づいた。
数メートル離れたところを、小さな岩のかけらが転がり落ちていったのだ。
「こんどはしっかりロープを結んでおけ」
カナリエルは大きくうなずき、手ごろな岩を選んで念入りに命綱を巻きつける。
ちょうどそのときだった。
頭上に広がる青空が、いきなり翳ったような気がした。
ゴドフロアとカナリエルは、はじかれたように同時に顔を上げた。
なんと、二人の男が空中を飛んでいた。
肩マントをはためかせ、大股を広げた格好は、まるで巨大なコウモリを思わせる。
眼のところだけに細い切れ目が入った面頬が、鈍い反射光を不気味に放っている。
警備兵の制服とはちがって、戦闘用のものものしい装備だ。
上空から一方の兵士の姿が急接近してきたと思うと、手にしたレイピアをゴドフロアめがけて振り下ろした。
ギャイイイン――
耳から数センチのところで火花が散り、砕けた岩の破片が身体に降りかかる。
とっさに身体をひねっていなければ、ゴドフロアの頭はぱっくり割られていただろう。
兵士は攻撃すると同時に横の岩壁を蹴りつけ、ふたたび宙に舞い上がった。
すると、それと入れ替わるように、もう一人が接近してきた。
そいつは、岩肌から二メートルほど離れた空中を横手から滑るように近づいてくると、レイピアでゴドフロアの胴を横殴りに切りつけた。
キィーンと、澄んだ金属音が反響する。
カプセルの脇にくくりつけてあった短剣を、ゴドフロアが寸前でなんとか抜き放ってレイピアを打ち返したのだ。
「なんだ、こいつらは。鳥か?」
ゴドフロアは、宙を舞う二人の姿を交互に見やりながら、吐き捨てるように言った。
「コードという丈夫な細ひもで身体を吊っているのよ。巻き上げたり、ゆるめたり、胸元で自由に調節できるの。リールといって、スピリチュアル兵士の独特な装備よ」
たしかに、よく見れば、二人とも首の後ろのあたりから細いひもが延びている。
股を奇妙な形に開いているのは、身体の向きを調節したり、うまくバランスをとるためだろう。
このままではつぎの攻撃に耐えられない。
ゴドフロアは命綱を結んだ岩に片手ですがり、なんとか半身を虚空のほうへ向けた。
その直後に、最初の兵士がもどって来た。
通り過ぎざま、ゴドフロアの顔をねらってまっすぐレイピアを突き出してきた。
ギンッ――
ゴドフロアの短剣は、相手の必殺の一撃をはね返した。
はじき飛ばされたレイピアはキラキラと陽光を反射しながら谷底に落下していき、武器を失った敵はそのまま反対側のほうへ飛び去っていった。
「おどかしやがって。だが、正体がわかってしまえば、対処のしようってものもある。ようするに、振り子みたいにぶらーんぶらーんと揺れながら攻撃してくるわけだな。一度かわしてしまえば、二撃めまではどうしてたって間があく」
ゴドフロアは、自分のほうの命綱をさらにきつく岩に巻きつけ、体勢を安定させた。
「気をつけて。二人だけとはかぎらないわ」
「なあに、つねに一対一ということなら負けやしない」
しかも、向こうはひもにぶら下がっている。
短剣対レイピアの不利はあっても、一撃の強さでは、やはり地に足をつけているほうが上回るのだ。
しかし、二人めは意表をついて、斜め上方から急降下しながら襲いかかってきた。
「あっ!」
カナリエルの眼の動きでそれを察知したゴドフロアは、ふり向きざま短剣をかざし、あやういところで斬撃を受け流した。
やつらは壁面を蹴るときの強さで弧の大きさや角度を自由自在に変え、なおかつ途中でコードの長さも変えてくるのだ。
スピリチュアル兵個々の身軽さに加えて、連携して攻撃する訓練もそうとう積んでいるにちがいない。
「くそっ。いつまでも悠長につき合っていられるか。……そうだ。カナリエル、命綱を手首に巻いておけ」
「え――」
「この際、何でもやってみるしかない。やつらを混乱させてやるんだ」
カナリエルが当惑している間にも、つぎの攻撃がやって来た。
それもなんとか切り抜けた瞬間、カナリエルが声を上げた。
「上を見て!」
新たな敵が出現していた。
しかも四人もいる。
そいつらは大きく飛翔することはせず、小刻みに岩壁を蹴りながら、するすると降りてくる。
ゴドフロアがにらんだとおり、いっぺんに多数が飛ぶと、互いが空中で衝突したり、コードがからみ合う危険があるのだ。
だが、最初の二人だけでは容易にゴドフロアを倒せないとみて、人数をかけて取り囲む作戦に出てきたということだ。
敵があと一〇メートルほどに迫ったとき、ゴドフロアはいきなりカナリエルの肩を突き飛ばした。
「きゃあっ――」
カナリエルの身体が滑り落ちる。
宙吊りになった格好は、手首を縛られているようにしか見えない。
下を向いた兵士たちに動揺が走った。
「そこで止まれ! 人質を殺されたくなかったらな」
ゴドフロアが短剣をカナリエルがすがる命綱に近づけると、頭上の敵の動きがいっせいに止まった。
(やっぱりな……)
ゴドフロアはほくそ笑んだ。
やはり、この逃避行がカナリエルを脱出させるためのものだということは、まだ知られていないのだ。
ファロンとの戦いの最中に逃げ出した男は、二番めに襲いかかってきて、遠くへ蹴り飛ばされたやつだ。
たぶん、負傷して自分はもはや戦力にならないと判断し、異変を知らせるために早々に離脱したのだろう。
生き残ったもう一人は、ずっと気絶したままだった。
つまり、カナリエルがゴドフロアに短剣を手渡したことや、ファロンとやりとりした内容は、敵にはまったく伝わっていないことになる。
皇帝の娘であるカナリエルを盾にとっているかぎり、敵は数をたのんでやみくもに攻撃をしかけてくるわけにはいかないし、カナリエルが攻撃にさらされる心配もないだろう。
兵士たちがつぎにとった行動も、ゴドフロアが予想したとおりだった。
ゴドフロアの注意が上に向いているとみて、振り子運動をしている一人が、視界の外を回りこむようにして、下方からカナリエルを救出しようともくろんだ。
だが、真下にいるカナリエルに近づけば、当然、ゴドフロアのすぐそばをコードが通ることになる。
ゴドフロアは、その瞬間を待ち受けていた。
短剣をふるうと、カナリエルに手を差しのばそうとしていた兵士が、ぐらりと体勢を崩した。
スピリチュアルの独特の組みひもは弾力があり、短剣の一撃では簡単に切れなかった。
ゴドフロアはコードを手でつかみ、渾身の力をこめて短剣を叩きつけた。
「うあああァァァァァァァァァァァ――」
叫び声が、長い尾を引いて断崖に反響した。
支えを失った兵士の姿は、豆つぶのように小さくなって森の中に吸いこまれていく。
だが、そのすきに頭上から別の一人が岩壁にそってスルスルと降下してきて、その勢いのままゴドフロアの頭を蹴りつけた。
一瞬、クラッと意識が途切れ、首が倒れかかる。ゴドフロアの短剣は手からこぼれるように落下していった。
兵士はそこに停止し、不気味な面頬の中でククッとかすかに笑い声をたてた。
無防備に仰向いたゴドフロアの顔をさらに蹴りつけようとする。
ゴドフロアは迫ってくる靴底をすんでのところでかわし、その足首を抱えこんだ。
「は、はなせっ!」
相手は足をばたつかせて逃れようとし、レイピアをめちゃくちゃに振りまわした。
ゴン、ゴンと鈍い音をたてて、背中のカプセルにそれが当たる。
フッと、一瞬身体が自由になったような感じがしたと思ったら、なんと命綱がすっぱり切断されていた。
ゴドフロアはとっさに相手の後ろから腰にしがみつき、その勢いで兵士とともに虚空に飛び出した。
兵士は身体をひねって、レイピアを突き立てようとしてくる。
それを何度もかわしながら、ゴドフロアは兵士の背中をジリジリとよじ登った。
相手が完全にバランスを崩したために、二人の身体はコマのように空中をぐるぐる回転したが、ゴドフロアは冷静だった。
岩壁が迫ってきた。
衝突する瞬間、兵士の面頬をわしづかみにして、岩の突端に力いっぱい叩きつけた。
気を失ってレイピアを握る手の力がゆるんだところで、すばやくそれを奪う。
そして、背中のリールのすぐ上でコードをブツリと切断した。
兵士は気絶したまま落ちていき、ゴドフロアは残ったコードをつかんでぶら下がると、敵のやり方をまねて岩壁を蹴った。
ゴドフロアの前に、一挙に眺望が開けていく。
眼下には、まだ眼のくらむようなたっぷりとした深さの谷が控えており、ブランカの墓地から雪崩れ落ちるようにつづく断崖は、差し渡し数百メートルの幅で、ほぼ垂直に切り立っている。
横にそれる道はないということだ。
兵士たちのコードの先端がくくりつけてある岩場のあたりには、隊長らしき人影がひとつ見えた。
さっき新たに降りてきた四人のうち、ゴドフロアが墜落させた兵士以外に、一人はその場に留まって待機し、一人はカナリエルの身柄を確保しようと降下していく。
残りのもう一人が、戦闘に加わるために飛んだところだった。
ゴドフロアは、数秒のうちにそれだけの状況を見て取っていた。
(あとは、隊長どのの我慢がどれくらいつづいてくれるか、だな)
気位が高い分、スピリチュアルには、妙にフェアなところがある。
ここまでの戦いにしても、一挙に押し包んで攻撃しようとすればできないことはなかったはずだ。
ゴドフロアが意外なしぶとさを見せたことも、彼らの闘争心を刺激したのだろう。
相手が手強いほど、一対一の闘いを挑もうとしてくる。
そういうことでなければ、すぐにも隊長が上でゴドフロアの握るコードの根元を切断したはずだ。
絶対有利の状況には変わりがないだけに、ゴドフロアがどれだけ抵抗できるか、見てやろうという空気になっているのだ。
まず仕掛けてきたのは、最初から飛んでいる兵士だった。
こういう空中戦には人一倍自信があるらしく、わざとコードの長さと飛行コースをゴドフロアの軌道に合わせ、真正面から突っこんできた。
不慣れなゴドフロアのほうは、敵にちゃんと正対することさえむずかしかった。
最初の一撃はあっさり空を斬った。
相手のレイピアが背中のカプセルに当たったために、かろうじて命拾いした。
たちまち両者はすれちがい、前後に分かれていく。
カプセルに受けた衝撃でぶざまにくるくる回転するゴドフロアめがけて、隊長が大声で嘲弄するように怒鳴った。
「そんな格好では剣もまともに振るえないぞ。さっさと降伏するがいい」
周りからどっと笑い声が上がった。
(いや、まだだ)
さきほど宙に飛び出したときにゴドフロアが見て取ったものは、もうひとつある。
〝それ〟は、運がよければ、この危機を切り抜ける助けになってくれるかもしれなかった。
だが、〝それ〟がやって来るにはまだしばらく間がありそうだ。
どうにかして、少しでも時間を稼がなければならない。
だれもがゴドフロアと兵士の一騎打ちを見物するかまえで、さきほどからほとんど動いた者はいない。
宙吊りになっていたカナリエルを抱きとめた兵士も、その体勢のまま顔をこちらに向けている。
岩壁が迫る。
ゴドフロアは慎重に足を持ち上げ、両足の裏でしっかりと壁面をとらえて蹴りつけた。
空中に舞い上がった体勢は、見違えるほどぴたりと安定していた。
ふたたび二本のコードが交錯する。
鋭い金属音が響きわたり、ひときわまぶしい火花が散った。
「ほう。なかなかやるじゃないか」
兵士の中から、そんな声が聞こえた。
さらに三回めの飛翔では、飛行スピードでさえ見劣りしないほどになっていた。
ゴドフロアは敵を正面に見すえ、レイピアを上段に構えて突進した。
それに対して、相手は突きで勝負をつけようと、レイピアをまっすぐ後ろに引いた。
「あっ――」
その声は、カナリエルが上げたものだったかもしれない。
間を置かずに、兵士たちの驚愕の声が起こった。
レイピアを突き出した兵士には、いきなりゴドフロアの姿が消えたように見えた。
ゴドフロアは、コードを握るために片手をとられていることを逆に利用したのだ。
レイピアを上段に構えたのもそのためだった。
両手でコードにぶら下がり、衝突の寸前に両足を振り上げると、身体をくるりと丸めた。
相手のレイピアは、空を突き刺した。
その瞬間、逆立ちした格好のゴドフロアのレイピアが、後ろから敵の首筋をあざやかになぎ払っていた。
同時にコードが切断され、兵士の身体は血を吹き上げながら谷底へ落ちていった。
「くそっ。こんどはおれが相手だ」
もう一人、小さく飛翔していた兵士が名乗りをあげ、ゴドフロアの飛行コースへ入ってきた。
「もうその手は使えんぞ」
ゴドフロアが両手でコードを握っているのを見て、新たな敵があざ笑う。
そういうことではなかった。
カプセルや足かせの重みまでかかった身体をささえつづけるのは、もはや片手では限界だったのだ。
そっちの手はすでに感覚をあらかた失っている。
手を持ち替えたとしても、レイピアを構えることさえ危うかった。
(あと、すこし――)
頭上をふり仰ぐと、ゴドフロアは心の中でつぶやき、レイピアの刃を口にくわえた。
何のつもりか?
だれもが思ったにちがいない。
急接近しつつある相手は、もちろんそうだった。
いきなりゴドフロアがコードを両手でたぐりはじめたのを見ても、何を意図しているのかわからなかった。
それが理解できたのは、交差する寸前、すでに敵のレイピアがとどかない高さまで登っていたゴドフロアが、兵士のコードめがけて白刃をひらめかせたときだった。
「うわあっ」
驚愕まじりの悲鳴を残し、兵士は、手足をばたつかせながら墜落していった。
「卑怯だぞ!」
隊長が叫んだ。
「卑怯もくそもあるか。最初からなぶり殺しにするつもりだったくせに。そんなやつらを相手に、だれが正々堂々と戦うなんて言った!」
ゴドフロアは怒鳴り返し、方向を転じて、カナリエルのほうへ向かって飛んだ。
カナリエルを保護している兵士は、とっさにレイピアを抜き放ったものの、その体勢では満足に構えることもできなかった。
一撃めで兵士のレイピアを叩き落とすと、二撃めでコードを切断した。
落ちていく兵士と入れ替わるようにして、ゴドフロアは取り残されたカナリエルを太い腕の中にしっかりと抱きとめた。
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