第二章 5 ロッシュの決断
私的に行動するとクレギオンには告げたロッシュだったが、数人の部下に必要な指示をさらにあたえ、自分の手でもいくつかの下調べをした。
あらかじめ提出されている書類では、本日の埋葬は予定どおり行われることになっていた。
一体分の棺と埋葬人を用意するように要請されている。
そうなると、生命回廊では通常どおりに業務が行われていたことになる。
ラムドの証言によれば、台車を押して出てくる埋葬人を見送ったのは寮母一人きりだったという。
かつて生命回廊で警備にあたっていたロッシュには、それが異例なことであることがわかる。
何人ものシスターたちの中に混じっていたカナリエルを見初めたのが、まさにその葬送のときだったからだ。
勤務のシフト表では、前夜からけさまでの夜勤はアラミクという名の女性になっている。
その顔にも見憶えがあった。
夜勤明けなら確実に部屋にいるはずだ。
ロッシュはここからは他人まかせにせず、自分ひとりで行動することにした。
生命回廊のシスターたちは、幼年学校の成績と適性や能力を厳しく精査されたうえで、階層の上下に関係なく選ばれている。
男子なら軍人と同じく実力が最優先される重要な職種であり、シスターに選抜された時点で、すでにスピリチュアル女性中のエリートだった。
カナリエルも例外ではない。
皇帝と寮母の娘だからといって特別扱いされたわけではないのだ。
アラミクは予想どおり部屋にいた。
夜勤明けとは思えないさっぱりとした顔で、すぐにドア口に出てきた。
知的でありながら優しげなまなざしが印象的な娘だった。
「今日ですか? シスターには全員、臨時のお休みをくださいました。それに、マザー・ミランディアが夜勤を代わってくださったおかげで、わたくしもゆっくり眠ることができましたから、お休みを十分に活かせます。シスター・フランのところへ、これからお茶をいただきに行くところでしたの」
保安管理官のロッシュにいきなり部屋を訪ねられて、アラミクはどぎまぎしながらもにこやかな表情で答えた。
ほかのシスターたちに確認する必要は、もうなくなった。
すくなくとも、今日の生命回廊は表向きの報告とはちがった状態になっているということだ。
シスターたちにも知られたくないような何かが起こっているにちがいない。
(だが、つぎにどうする……か)
昇降機を最上層に向かうようにセットしてからも、ロッシュはめずらしく迷っていた。
最初は、いったん生命回廊に向かおうとしかけた。
しかし、昇降機の操作盤には寮母の特別コードが打ちこまれていて、生命回廊行きがロックされていることがわかった。
その操作をするのは回廊を離れる際でなければならないから、寮母がすでにそこには不在だということを意味している。
もし仮に寮母が回廊内に隠れているのだとしたら、コードをだれかに教えるしかない。
そうまでできる相手は、カナリエル以外には考えられなかった。
だから、いずれにせよ、まずカナリエルに会うことだと考えた。
彼女といっしょなら、寮母との面会はすんなり可能になるだろうからだ。
しかし、そこで迷いが生じた。
まるで双子のように仲のよい母娘を前にして、はたしてマザー・ミランディアを問いつめるようなことができるだろうか?
話を切り出しにくいのはたしかだし、カナリエルに口裏を合わされてしまえば、どのようなことについてであれ、深く追及することはむずかしくなる。
やはり、直接マザー・ミランディアを訪ねるしかなかった。
ロッシュは、途中でセットを変更し、皇帝と寮母のそれぞれの居室のある最上階をめざすことにした。
寮母の部屋からは返答がなかった。
あるていど予想はついていたことだから、すぐに当初の予定どおりカナリエルのポッドに向かった。
だが、そこでもまったく同じ無音の反応に迎えられた。
ロッシュの脳裏に、早朝のカナリエルとの出会いがよみがえってきた。
頂上で声をかけたとき、彼女はひどく驚いた様子だったが、ロッシュのほうがむしろ彼女のうろたえぶりに驚かされた。
いつもなら、いい意味でふてぶてしいというか、ペロッと舌を出して、にこやかに笑っていなしてしまうようなところがあったのだ。
思いがけない行動をする娘だということは、交際をはじめてまもなく気がついていた。
その自由奔放さが、ロッシュにはなにより貴重なものに思え、くるくるよく変わる表情は、ほかの娘にはない魅力だった。
無防備な薄衣姿で朝陽を眺めていたのはいかにも彼女らしかったが、ロッシュに見つかったときの大げさな反応はもちろんのこと、その後のもの言いや態度も、どこかカナリエルらしくなかった気がする。
ロッシュは解錠器を取り出した。
ブランカのあらゆる場所に立ち入りを許されている保安管理官と、最高権力者の寮母にだけあたえられた万能のキーである。
(これを使うだけの意味はあるのか?)
すばやく計算をめぐらせた。
ロッシュは、保安管理官としての倫理感などという、自分で自分の手足を縛るような窮屈なものとは無縁だった。
生まれ落ちてからずっと、自分はそういうものの外にいるのだという、漠然とした、しかしあらがいようのない意識が彼の行動の基本原理だった。
ミランディアとカナリエル母娘の秘密を握ることになるかもしれなかった。
二人を追いこむことになるのか、守ってやる側になるのか。
しかし、そのちがいはわずかなことに思える。
すくなくともロッシュにとっては。
問題があるとすれば、二人にどのような感情を持たれるかだが、それとても対処のしようのないことではないだろう。
決断は早かった。
それと同時に、解錠器をキーボックスに押し当てていた。
ドアを開けてから、内側をかるくノックした。
部屋の中から反応はない。
遮光カーテンは開けっ放しになっていた。
何もかもがすっきりと片づけられ、整頓されているのが、一目で見て取れた。
ベッドもきれいに整えられている。
バスルームには鍵がかかっておらず、ノックせずに開けたが、やはり無人だった。
踏みこみ式の大きなクローゼットの中にも人の気配はない。
いちおうなくなっている衣装などがないか調べようかと思ったが、いくら質素を旨とするスピリチュアルでも、女性と男性では持っているものの数がまるでちがう。
早々にあきらめて扉を閉じた。
ロッシュは、あらためて寮母のポッドにもどった。
カナリエルの部屋に無断で入ったのは、いわば、寮母の部屋へ踏みこんでいく決断をかためるためだった。
そこにいる人物と対決することになるのは明白だ。
ロッシュがここまで築き上げてきたスピリチュアル社会における地位も、カナリエルの婚約者という立場も、微妙になるかもしれない。
しかし、生命回廊の男子禁制が破られたことなど、何か、もっと大きな事態のほんの一端でしかないという予感があった。
もう一度ノックし、応答がないのを確認してから解錠した。
遮光カーテンはきっちりと閉じており、空気はひんやりとしていて、人の気配はない。
昨夜はアラミクと夜勤を交代したということだから、そのままここへはもどってきていないということだろう。
ロッシュは、拍子抜けすると同時に思わず安堵のため息をもらした。
緊張もしていたし、禁忌を犯すような感覚も、やはりあったのである。
侵入したことを気取られぬよう、ほとんど何も手を触れずに、そのままドアを施錠して部屋の前に立った。
マザー・ミランディアはどこにもいない。
考えられる場所としては、あとは不在の皇帝の居室を残すのみだ。
しかし、いくらロッシュでも、さすがにそこにまで無断で立ち入ることにはためらいがあった。
(いや、もうひとつだけ、ある)
カナリエルのポッドと同じ階層にあり、歩いてもほんの数分で到達できるところだった。
ウォークを迂回して、足早にそこへと急いだ。
解錠器を使うまでもない。ロッシュは自分でそこの鍵を持っていた。
それに、前の二つの部屋とはちがい、ロッシュにはノックする必要さえなかった。
そこは、ロッシュとカナリエルの新居となる予定の夫婦用のポッドだったからである。
「やっぱり、ここにいらっしゃったのですね」
ベッドに座っているマザー・ミランディアにむかって、ロッシュは呼びかけた。
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