第二章 2 血塗られた葬列

 照りつける太陽が、埋葬人のゴドフロアの腕に浮いた無数の汗のつぶをキラキラと輝かせていた。


 もくもくと黒い煙を上げる、大きな焼却炉のわきにさしかかった。

 何台もの汚れた塵芥運搬用の荷車が横づけされ、半裸のフィジカルの奴隷たちがゴミの山と格闘していた。

 ブランカには、フィジカルの使用人までふくめると五万人近くの人間が居住している。

 そのブランカ全体から毎日出る膨大なゴミを、ここで一手に処理しているのだ。

 見張りにあたっている兵士たちは、強烈な悪臭と熱い煙にへきえきして、風上から遠巻きに奴隷たちの作業を見守っていた。


 焼却炉を通りすぎると、道はいちだんと凹凸がひどくなった。

 ここから先は、墓地に行くほんのわずかな者しか通らないからだ。

 じゃまになる岩が適当に取りのけられているだけの、かろうじて道と見分けられる痕跡が、山肌にひと筋のびている。


 台車は何度もつっかえて立ち往生したが、警護のスピリチュアル兵士たちはいっさい手を貸そうとしない。

 埋葬人をつとめる奴隷はカプセルが入った棺一つにつき一人と決まっており、台車を押していくのも墓穴に棺を納めて埋めるのも、すべての作業を自分だけでこなさなければならない。


 ゴドフロアは、力がある点でも、手際のよさでも、もっとも安心できる埋葬人だった。

 時間もまださほどかかっていないし、棺をひっくり返すような最悪のへまをしないことはわかっているので、警護の兵士たちはのんびりと後ろから歩いていけばいい。

 棺はいつもよりだいぶ重そうだったが、それを不審に思うような者はもちろんいなかった。


 もうひとつ坂を越えると、まず焼却作業の音や怒鳴り声が聞こえなくなり、さらに斜面をゆるやかに回りこんでいくと、煙がたち昇っている方向さえわからなくなった。


 兵士たちは暑さで口数が少なくなり、だれもが足どりも重くなってきた。

 遠くから見れば、いかにも葬列にふさわしい沈鬱な雰囲気に見えたことだろう。

 単調な行程はその後もまだしばらくつづいた。


「おい、待て。止まれ、命令だ!」

 いきなり後方から呼びかける声がした。

 ここを越えれば、あとは墓地にむかってなだらかな傾斜になって下るだけの場所にさしかかるところだった。


「ファロンどの……」

 兵士たちは上官のファロンだと気づき、あわてて足を止めて敬礼した。


 ずっと駆けどおしだったファロンは、彼らが立ち止まったのを確認してようやく速度をゆるめ、荒い息づかいをととのえながら近づいていった。


「どうなさったのですか?」

 護衛の四人の中で、リーダー格にあたる男が尋ねた。


「棺の中をもう一度あらためる。ふたを開けろ」

 ファロンは、意味ありげな表情を浮かべて命じた。


 棺の積み降ろしなどは埋葬人まかせだが、同じスピリチュアルである遺体への敬意を表すために、ふたの開け閉めだけは兵士が担当する。

 不可解な命令にとまどいながら、四人がそれぞれの持ち場に移動しようとすると、

「おれが手伝ってやってやろう」

 と言って、ゴドフロアがすっと棺に手を伸ばした。


 ファロンがひどく息を切らせていたように、スピリチュアルは身のこなしのすばやさや体格の立派さの割には、持久力や腕力にやや欠けている。

 大振りの剣ではなく、細身のレイピアを好むのもそのためだ。

 ゴドフロアが勝手に手伝ってくれるのなら、かなりの重さがあるふたを持ち上げるのはずっと楽になる。

 四人の兵士は、そろって棺の反対側にまわろうとした。


「あっ。やめろ!」


 いきなりファロンに怒鳴られ、兵士たちは驚いてそちらに顔を向けた。

 それがかえってあだとなった。ガタッと大きな音がしたと思うと、ゴドフロアが持ち上げたふたが軽々と空中を飛んだ。


 二人の兵士は、スピリチュアルらしいすばやさで鹿のように跳びすさってのがれたが、気づくのが遅れた残りの二人が直撃をくらって地面になぎ倒された。


「くそっ」

 ファロンは舌打ちし、レイピアを抜き放った。


 それよりはやく、台車の横にいた兵士がゴドフロアに切りかかった。

 相手が丸腰なのを甘く見て、大上段に剣を振りかぶった。


 ゴドフロアは、みごとな身のこなしで相手のふところへすっと身体を入れ、胸ぐらに丸太のような腕でひじ打ちをくらわせた。

 兵士の身体は数メートルも吹っ飛び、地上に頭から落ちて気絶した。


 つぎの男は、ゴドフロアが重い足かせのせいで自由に動けないのを見て取り、突きをくり出して体勢を崩す戦法に出た。


 ゴドフロアはよろめきながら後ずさり、棺にぶつかって尻もちをつく。

 ここぞと見て、兵士は渾身の力をこめた突きを放った。


 だが、後ずさったのも、尻もちをついたのも、ゴドフロアには計算ずくだった。

 見違えるほどの機敏さで上半身をひねって切っ先をかわすと、兵士のレイピアは誘いこまれるように台車の横っ腹に突き刺さった。

 それを引き抜こうとあせるところに、ゴドフロアは自由なほうの足で強烈な蹴りを見舞った。

 そいつの身体も大きな弧を描いて後方へふっ飛ばされた。


「手ごわいぞ。取り囲むんだ」

 ファロンは、やっと棺のふたの下からはい出してきた二人にむかって怒鳴った。


 ゴドフロアは横に突き立っているレイピアをいとも簡単に引き抜くと、ゆっくりその場に立ち上がった。

 兵士たちはゴドフロアの驚くべき強さに気づき、あきらかに腰が引けている。


「行くぞ!」

 ファロンのかけ声は、ゴドフロアを威嚇するというよりは、ひるんでいる兵士たちを叱咤するためだった。


「やっ」

 最初にファロンが打ちかかった。


 ギンッ――


 まぶしい火花が散り、おたがいの刃がはじき返される。


 ファロンの手は強烈な一撃でしびれ、思わずレイピアを取り落としかけたが、そこにうまい間合いで横から兵士が斬りこんできて、ゴドフロアの追撃を制した。


 しかし、ゴドフロアはその連携を完全に読んでいた。

 さほど鋭くない切っ先をすんでのところでかわすと、返す刀で兵士ののど元をまっすぐ突き上げた。


「グオッ」

 けものめいた気味の悪いうなりを発して、兵士が白眼をむく。


 だが、思ったより深々と突き刺さってしまったために、ゴドフロアもレイピアを引き抜くことができない。

 それを見たもう一人の兵士が突進してくる。

 ゴドフロアはとっさに、串刺しにした兵士をレイピアごとそちらにむかってドンと突き飛ばした。

 相手は一瞬ひるんだものの、なんとか横っ跳びで同僚の身体をかわし、体勢を立て直した。


 ゴドフロアはまた武器を失ってしまった。

 倒れた兵士のレイピアを拾い上げるには、敵の剣の間合いに入らなければならない。


 ファロンともう一人がじりっと前に出た。

 その瞬間――


「ゴドフロア!」

 思いがけないところからかん高い声がして、ゴドフロアの横に短剣が出現した。


 それと、ファロンたちが突進するのがほぼ同時だった。

 ゴドフロアは、短剣の柄をつかむやいなや、横に一閃させた。

 ファロンの攻撃は横に受け流され、つづく兵士のほうは返す刀でレイピアをかるがるとはね飛ばされ、つぎの一撃であっさり腹を突かれてうずくまった。


「やっぱり……やっぱりそうだったんだな」

 ファロンはゴドフロアのけた外れの強さにたじたじとなりながら、うめくように言った。

 その眼はゴドフロアにではなく、棺のほうに向けられている。

 短剣をゴドフロアに手渡した人物がそこにいた。


「あなたは、あの……」

 棺の中で身体を起こしたカナリエルの表情が、みるみるこわばった。

「そうさ、こいつを回廊に連れていったファロンだ」


 ファロンは、舌なめずりせんばかりのしたり顔でにたりと笑った。

「おまえのせいで男子禁制を犯した罪を着せられそうになったうえに、あやうく脱走の手助けまでさせられるところだったぞ。だが、これで立場は逆転だ――」

 レイピアをかまえたまま、もう一方の手で胸のホルダーから手投げ用の小刀を抜き出し、カナリエルにむけてねらいをつけた。


「あなたは、母がせっかく目をかけてあげたというのに、その恩を無にしようというのね」

「おれを利用したあげく、最大の禁制を破ろうとしているくせに、よく言うぜ。これでロッシュとの結婚も破談だろうし、やつの立身出世も限界だ。すべておまえの気まぐれのせいだというのが、いっそ気持ちいいじゃないか」

「彼のほうが、あなたのような下衆な男よりずっとまともよ」

 カナリエルは、軽蔑するようにファロンをにらみつけた。

「ふん。今さらあんなやつのことを弁護してやるより、自分の命乞いをすることだな。おまえが逃亡をもくろんだことはあきらかだ。殺してしまったところで、そのくわだてをはばんだことには変わりないさ」

 おかしそうにククッと笑い、ファロンはレイピアをゴドフロアのほうに突きつけた。

「さあ、どうするゴドフロア。お美しい雇い主はもう破滅だぞ。見切りをつけてひとりで逃げるか? だが、おまえは知るまいが、ブランカからの脱走は、スピリチュアルはもちろんのこと、フィジカルの使用人や奴隷でも大罪だ。帝国中に手配書がまわる。とても逃げ切れるものじゃない。おとなしく剣を捨てろ」


 ゴドフロアは、カナリエルから手渡された短剣をちょっと惜しそうに見下ろしたが、ほとんどためらうことなく放り出した。


 短剣は微妙なところに落ちた。

 ゴドフロアがすばやく手をのばせば、ふたたび手にすることが不可能な距離ではない。

 しかし、両手のふさがっているファロンが足で遠くへ蹴飛ばしてしまうためには、ゴドフロアとカナリエルの間に踏みこんで、どちらか一方から眼を切らなければならない。


「ゴドフロア、棺のほうへもう三歩寄れ」

 そうすれば二人を同時に見張ることができる。


 ゴドフロアは素直に従った。

 思ったより大きな歩幅で動き、二歩で十分な距離を稼いだ。

 ファロンは急いで短剣に近づき、横に蹴飛ばした。


 しかし、ゴドフロアはさらにもう一歩動いた。

 その足の動きは奇妙な動作をともなっていた。

 足首をグルンと回すようにしたのだ。


 こちらに踏みこんでこようとする動きでなかった分、ファロンは身構えるのが一瞬遅れてしまった。

 気がついたときには、ゴドフロアの足かせに鎖で結びつけられた鉄球がうなりをあげて側頭部にぶつかる寸前だった。


「ぐわっ」


 強烈な衝撃が走った。

 ファロンの視界は吹き飛ばされるようにあらぬ方向にずれ、そのまま暗転した。


 カナリエルは、棺の中から恐る恐る立ち上がった。

 遺体運搬車の周囲には、出来上がったばかりの凄惨な光景が広がっていた。

 ほこりっぽい空気には、生温かい血の匂いが混じっている。

 吐きそうな気がして、思わず両手で口元を押さえた。


 そこに立っているのは、たった一人の男だった。

 逆襲する隙をねらっていそうな者がいないかどうか確認しているのか、拾い上げた短剣をかまえて用心深く見まわしている。


「あ、ありがとう。でも……ひどいことになってしまったわね」

 何か言わなければならないような気がして、か細い声で男の背中にむかって声をかけた。

 その瞬間、カナリエルにとってほんとうに恐ろしく感じられたのは、見慣れた兵士たちの血まみれの死体よりも、むしろその男のほうだった。


「とどめをさすの?」

「そうしてほしいか?」

 ゴドフロアが、赤い血しぶきを頬に点々とつけたいかつい顔をふり向けて尋ねた。


 カナリエルはあわてて首を振った。

「やめて。名前までは知らない人たちだったのはさいわいだけど、みんな同年代のスピリチュアルよ。見憶えのある顔もあるわ。助かるものなら、命だけは助けてあげて」


「これは、ほんの序の口さ」

 男はすでにこと切れている兵士の死体を見下ろし、こともなげに言った。

「おまえだって、まさかこいつらが手を振って見送ってくれるなんて、期待していたわけじゃあるまい」


 さすがにそこまで楽観していたわけではないが、カナリエルが想像していたのは、ひたすら必死に逃げつづける自分の姿ばかりだった。

 恐怖や苦痛にたえる覚悟はしていた。

 しかし、自分の犠牲になるのがスピリチュアルの仲間だとは、具体的には想像したこともなかった。

 ……いや、いつかそういう事態に遭遇することになるかもしれないとはうすうす予想していたものの、いきなり最初からこんなことになるとは思ってもみなかったのだ。


「これが逃げるってことだ。まだまだやって来るぞ。おれたちの後を追い、おれたちの前に立ちはだかろうとしてな」

 カナリエルは震える自分の身体を抱きしめ、おずおずとうなずいた。


 ゴドフロアは、側頭部を鮮血で染めて倒れているファロンを指さした。

「こいつは、検閲のときに棺の中におまえが隠れていることに気づきそうだった。とっさに男子禁制に違反したことを思い出させるような言葉をささやいて、そのときはなんとかごまかしたのだ。こいつが一人で追ってきたということは、ほかの者にはまだおまえの逃亡がばれていないってことだろう。手柄をひとり占めするつもりだったのだ。しかし、遺体の埋葬に出かけたこいつらが予定どおりもどらなければ、すぐにもおれに対する追っ手がかかる。口をふさいだところで、稼げる時間にたいした違いはないさ」

 その言葉を聞いて、カナリエルはわずかに救われた気がした。

 とどめをささずにおいてくれるということだ。


 そのとき、台車の前方で、最初にひじ打ちで倒した男がかすかにうめいた。

 意識を取りもどしかけているようだった。

 棺を墓穴に下ろすために用意されていたロープを手にして、ゴドフロアはそちらに向かいかけた。


「あっ」

 カナリエルが声を上げた。

 彼女が指さす方向にゴドフロアが眼をやると、遠くに一人の兵士が逃げていく姿が見えた。

 まだ闘いがつづいているうちに、こっそり離脱したにちがいない。

 よろめくような足どりだが、足かせをつけられたゴドフロアでは、もう追いつける距離ではなかった。


 ゴドフロアは、うめき声を上げた兵士だけを手ばやく縛り上げ、急いで台車のところへもどってきた。

「どうするの?」

「もうこいつらにかまっている場合じゃない。すこしでも距離を引き離しておこう。さっさと棺の中にしゃがむんだ」

 ぶっきらぼうに言うと、いきなりゴドフロアは台車を力いっぱい押し出した。

 ガタン、ゴトンと、飛び跳ねるようなひどい揺れが台車を襲う。

「きゃっ――」

 カナリエルは、あわてて棺のふちにしがみついた。


 ほどなく前方に墓地を見下ろす場所に出た。

 比較的平坦で、ひろびろと開けた緩斜面がつづいている。

 そのむこうには、無数の灰色の点が幾何学的に並んでいるのが見えた。

 初めてここを訪れるカナリエルにも、それは墓石の群れだろうと想像がつく。


 ゴドフロアは最後の一押しをすると、足かせの鉄球を引っぱり上げて棺の中に放りこみ、カナリエルの上にのしかかるようにして棺の上に飛び乗った。

 台車はその勢いのまま猛烈な速度で坂を下りはじめた。


「キャアアアアアアアアーッ」


 カナリエルの悲鳴が、長く尾を引いて山腹に響きわたった。

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