第一章 5 〝大きなお荷物〟

 扉が閉まってしまうと、マザー・ミランディアは、出口のわきにあるキーパネルを操作して回廊の内側から厳重に施錠した。


 外から踏みこむことはできなくなった。

 これで計画が露見するのがすこしでも遅れてくれれば、カナリエルはそれだけ遠くへ逃げられることになる。

 もちろん、何か不測の事態が生じて娘がふたたびここへもどって来ようとしても、それも同じく不可能になったのだ。


 出口からつづく数百メートルの地下通路を引き返し、ふたたび漆黒の闇にかえった生命回廊を発光器の明かりだけをたよりに歩きだす。

 疲れた足取りだった。

 前方に何かが落ちていた。

 近づいていくと、カナリエルが手にしていた布の袋だった。

 中には娘が部屋からはいてきた屋内履きがつっこまれていた。

 棺の中に身をひそめるとき、この袋に入れてきたブーツか何かとはき替えたにちがいない。

 右手を見上げると、カプセル一本分の空間がポッカリと開いている。

 ついさきほどまで三人がいたのが、まさにこの場所だったのだ。


   ※      ※      ※


「どういうことですの? この子を犠牲にしろと……!」

 カナリエルは愕然としてつぶやいた。

 カプセルに接続されたさまざまな生命維持装置をはずしてしまえば、赤ん坊はいくらも生きてはいられない。

 その後も、カナリエルたちには墓場にちゃんと埋葬してやるような余裕があるかどうかさえ、わからなかった。


「犠牲にするのかどうか。それはあなたの気持ちしだいですよ、カナリエル」

「え?」

「わたくしにとって――いいえ、わたくしたち生命回廊で働く女たちにとって、生きている赤ん坊はすべて、ひとしく愛情を注ぐべき貴重な生命なのです。授精したての、生き物とは名ばかりの存在から、チューブのへその緒につながった手のひらに載るような胎児、そしてこのように誕生する寸前の子どもまで、わたくしたちの大切な赤ん坊であることは同じではありませんか。この子とほかの幼体たちに区別はないのですよ」

「ですが、せっかくここまで育ってくれたというのに……」

「わかりませんか。だから、あなたしだいだと言ったのです」

「わたしに、いったいどうしろとおっしゃるのです、マザー・ミランディア?」

 カナリエルは当惑して問い返した。


 そのとき、ゴドフロアが割りこむように言った。

「おい、話がちがうぞ。おれはこの女を逃がしてくれと頼まれただけだ。こんな大きなお荷物までしょわされるとは聞いていない」

「そう。ゴドフロア、あなたしだいでもありますね。あらためてお願いします」

 寮母が深々と頭を下げた。


「あっ!」

 カナリエルは大きく眼を見開いて、驚きの声を上げた。

 ようやく寮母が言おうとしていることに思い至ったのだ。


「このカプセルを持って……つまり、この子をわたしたちといっしょに連れて逃げろとおっしゃるのですか?」

「ええ。誕生が間近い幼体なら、生命維持装置をはずしても、すぐに息絶えるようなことはありません。それに、カプセルの中なら少々の衝撃くらいは平気でしょう。うまくすれば、ちょうど月が満ちて、無事に誕生を迎えられるかもしれない」

「そうなれば、この半月の間、せっかく一体も亡くなることなく無事に育ってくれた子どもたちが、すべて生き延びられることになるのですね」

「そのとおりよ。ただし、誕生の兆しがあらわれるまでは、けっして溶液から出してはなりません。カプセルごと運んでいかなければならないのです。できますか?」

 寮母は、カナリエルとゴドフロアの顔を交互に見やった。


 ゴドフロアは、仏頂面のままぼそりと言った。

「おれがいやだと言ったところで、どうなるものでもあるまい。おまえの腹ひとつだ」

 下駄をあずけられて、カナリエルはごくりとつばを吞みこんだ。

 ためらいがちにそっと唇をなめ、それからゆっくりと首をうなずかせた。

「わかりました。やってみますわ。これが、生命回廊のシスターとしての、わたしの最後の仕事なのですね――」


   ※      ※      ※


「わたくしには、これが最後の仕事になるわね」

 マザー・ミランディアはかすかな微笑を浮かべ、娘が残していった布の袋を拾い上げた。

 それをわきの下に隠すように抱えると、回廊にそって並んだ緑色のランプを道しるべのようにして、またゆっくりと歩きだした。


 一晩中かかって幼体を一体一体点検し、数日間はだれも手をかけずにすむようにさまざまな処置をほどこしておいた。

 よほどのことがないかぎり、生命回廊は正常に機能しつづけるはずだ。


 回廊の大扉を閉じて施錠し、カナリエルと落ち合った昇降機のところまでもどってきた。

 ほんとうは、このまま回廊にとどまったほうが見つかる可能性は低い。

 男子禁制の不文律を保安担当の責任者たちが尊重しようという気があるのなら、ここを捜索するのは最後になるだろうからだ。

 しかし、いずれにせよ、彼らに踏みこまれれば、この場所が汚されてしまうことに変わりはない。


 マザー・ミランディアは、くすりと笑った。

 すでに自分でゴドフロアを引き入れてしまったというのに、まだそんなことにこだわっているのがおかしかったのだ。


(そうだ、あそこがいい)

 その思いつきに満足して、うなずいた。


 昇降機が到着すると、中に乗りこんでカナリエルとは別の特別コードをキーパネルに打ちこんだ。

 これは、いわば生命回廊の外鍵にあたるもので、寮母だけが知っている。

 すべての昇降機をこの階に止まらないようにさせるのだ。

 保安管理官なら緊急用のコードを用いて解除することができるが、すくなくとも、マザー・ミランディアが回廊内にいないことを示すだけの意味はある。

 ブランカからカナリエルが消えたことは、自分が発見されないかぎり露見しないだろう。


 最上層から降下してきたカナリエルとは逆に、マザー・ミランディアを乗せた昇降機は、ブランカの頂上をめざして上昇していった。

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