第一章 4 ファロンの疑惑
重い扉が、左右に分かれて開いていく。
片側に整列しているスピリチュアルの兵士たちは、一様に頭をたれて哀悼の意をあらわす姿勢をとり、棺を載せた台車が出てくるのを待った。
しかし、若い兵士たちの胸は高鳴っていた。
生命回廊で働くシスターたちの姿を見ることのできる、半月に一度のチャンスだったからだ。
彼らのいちばんの目当ては、皇帝の娘カナリエルである。
同僚だったロッシュとの婚約は知っていたが、そんなことで彼女の魅力に翳りが生じるはずがなかった。
台車の車輪のガラガラいう音にまじって、何かを引きずるような奇妙な音がしたが、それよりも彼らの全神経は、早くも閉じつつある扉の奥に引きつけられていた。
(え……マザー・ミランディアおひとりか? では、台車を押しているのは――)
「お、おまえは、奴隷のゴドフロアではないか!」
驚きの声が上がった。
台車を押して出てきたのが、いつものようにシスターたちでなく、むくつけき大男だったことにようやく気づいたのだ。
埋葬人と呼ばれる奴隷は、警備の兵士が検閲をすませた後に呼びつけられるのが慣例になっている。
「生命回廊は男子禁制ではなかったのか?」
すぐに不審の声を上げる者がいた。
別の兵士が自信なさそうにうなずいた。
「おい、棺の中を確認するほうが先だぞ」
うながしたのは、生命回廊の警備責任者のファロンだ。
ゴドフロアを密かに回廊に入れたのは、ほかの兵士たちが集まってくる前のことだ。
ファロンが男子禁制のことを知らないわけがなかった。
数日前、寮母に頼まれて、奴隷の中から屈強な者を何人か見つけるという仕事を引き受けてしまった。
寮母じきじきのお声がかりなど、めったにあることではない。
つい数か月前まで同僚だったロッシュが、今ではブランカの保安部の責任者の一人に抜擢され、しかも、ほかならぬ寮母の娘まで手に入れてしまったくらいだ。
万事が堅固に構築された既定のシステムで動いているように見えるスピリチュアルの社会でも、幸運はどこにころがっているかわからない。
ファロンは、上流婦人のしょうもない気まぐれをかなえてやるくらいのつもりで、ばれさえしなければ何の問題もない小さな規則違反を犯した。
独居房に放りこまれている奴隷たちから、比較的まともそうな何人かを選び、寮母にこっそり引き合わせた。
さらに、その中から指名されたゴドフロアを風呂に入れ、清潔な服装をさせたうえでだれにも知られずに連れてくるように、と言われ、「ああいうでかぶつがお好みか」といやらしい想像をしながら、その依頼にも応じた。
しかし、そのせいで着替え用の特大の胴衣などを探して最下層部のフィジカルの薄汚い住居群をうろつきまわるはめになったし、思いがけず寮母の美しい娘の顔を間近におがむことができたというのに、そのカナリエルからは手厳しくののしられた。
まさかそのゴドフロアが遺体を運んで衆目の中へ出てこようとは、思ってもみなかった。
これで禁制を犯した罪に問われたりしたら、たまったものではない。
棺のふたが取りのけられた。
ファロンはまっ先に棺の横にしゃがんで、手を差し入れた。検閲は形式にすぎないから、いつものファロンなら適当にすませて何も気づくことはなかったはずだが、妙な胸騒ぎがしていた。
カプセルの中に横たわっている遺体は、もう臨月に近い可愛らしい女の子だった。
ここまで育ってきた幼体が亡くなることは、めったにない。
周りの兵士たちの眼は、哀れをさそうその遺体に向いていた。
(む……)
ファロンは思わず手を止めた。
やわらかい羽布団が、カプセルを棺の中で安定させるために敷きこまれている。
その手触りに違和感を感じた。
ほんのりと奇妙な生温かさもつたわってくる。
遺体の入ったカプセルが温かいはずがなかった。
「おい。おまえの名は出すな、とマザーに言われたよ」
ファロンの思考をさえぎるように、低いささやき声が聞こえた。
ふり返ると、ゴドフロアが彼のほうにかがみこみ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
(何が起こっているのだ?)
事態の異常さは感じたものの、とっさにどうすればいいかの判断がつかない。
いずれにせよ、今ここで騒ぎが持ち上がるのはまずい、と感じた。
「よし、ふたを元にもどせ!」
ファロンは部下たちにむかって怒鳴った。
ゴドフロアが押す棺を載せた台車は、ゆっくりと坂道を下りはじめた。
墓地までの監視と護衛をかねた当番の兵士が四人、その前後を固めていく。
「おれの名は出さない、だと……?」
ゴドフロアの謎めいた言葉が、その隊列の行方を見守るファロンの頭の中でぐるぐる渦を巻いていた。
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