第一章 3 傭兵ゴドフロア
「わたしに、この男についていけと……」
カナリエルは、かすれた声でやっと言った。
寮母は深くうなずき、カナリエルの視線をたどるようにして男を見た。
ゴドフロアと呼ばれた男は、小動物でも見るような無遠慮な眼つきでカナリエルを見下ろしている。
カナリエルが気圧されてしまうのも無理はなかった。
「たしかにこの男は恐ろしげに見えますが、フィジカルとは、いずれにしてもこんな風なものだと覚悟しておかなくては」
寮母は小さくため息をつきながら言い、念を押すようにつづけた。
「ついていくにせよ、ここでやめてしまうにせよ、それはあなたの決断しだいよ、カナリエル。ゴドフロアは、わたくしが何人かの候補に直接会ったうえで選びました。先の戦役で捕虜になった傭兵です。ほかの奉公人たちとちがって、スピリチュアルに仕えることを承諾せず、反抗的な態度もあらためようとしなかったために、奴隷の身分に落とされたのだそうよ。この機会をのがせば、彼は死ぬまでブランカを抜け出すことはできないでしょう」
「彼にとっても唯一のチャンス、というわけですね。でも……」
「あなたが気がかりなのはわかるわ。この男は自分の世界にもどれればそれでいい。でも、最後まで責任をもって、あなたを無事に逃がしてくれるのかどうか、と」
そのとおりだった。
足手まといになったら、いとも簡単に見捨てるのではないか――いや、自分だけを見逃してもらう交換条件に、やすやすとカナリエルをスピリチュアルに引き渡してしまうとか、どこかに売りとばそうとするとか、そうでなくても、変な気をおこして危害を加えてこないともかぎらない。
不安なことは、考えだせばきりがなかった。
「今さら虚勢を張ったり、媚びを売ったりしてもしかたありません。すべてはこの男しだいなのです。無謀なくわだてだということは、最初からわかっているのですからね」
寮母の言葉は、冷酷な宣告のようにカナリエルの心の中に響いた。
しかし、それを認めなければ何も始まらないのは、息苦しいほど動かしがたい事実だった。
カナリエルはごくりと生つばをのみ込み、あらためてフィジカルの大男を観察した。
野性的だが、粗暴というのとはちがうような気がする。
鋭い眼光には、知性のきらめきのようなものも感じられた。
スピリチュアル流の価値基準にはないものだが、〝精悍〟とはこういう男のたたずまいをいうのかもしれなかった。
単なる巨体というのでもない。
洗いざらしの粗末な胴衣を突き破って出てきたような腕と脚は、太いくせに無駄なものがいっさい削ぎ落とされたたくましさを体現している。
その迫力だけでも、相手から抵抗する気力を奪うのに十分だった。
「手に持っているものは、何?」
男は、カナリエルが指さしたものを、まるでそこにあることに初めて気がついたかのようにゆっくり見下ろした。
「これか……足かせの鉄球だが」
男が初めて口をきいた。
「どうして抱えているの?」
「入口のところでさっきのやつに言われた。ここにはいろいろ壊れやすい貴重な器材があるから、万が一何かにぶつけるようなことがあってはならない、と。それに、引きずるとひどい音がするのだ。おまえたちをうるさがらせないように、ともな」
立ち止まってから、もうだいぶ時間がたつ。
どう見てもかなりの重量がある鉄球を、男は不満の声も苦痛のうめきもいっさい上げずに保持しつづけていたことになる。
「床に下ろしてかまいませんよ。はやく言ってくれればよかったのに」
寮母があきれたような声で男に言った。
「おれは、傭兵だ。雇い主の命令は絶対だからな。死ねという命令以外は従うしかない」
男の言葉づかいは、ひどくぞんざいだった。
知恵が足りないのではなさそうだから、よほど人を人とも思わない不遜な性格なのだろう。
「それが傭兵というものなの?」
カナリエルは驚いて尋ねた。
「もちろん、建前は、だ。建前が立派であればあるほど、実態はその正反対――というのはそれほどめずらしいことじゃない」
男は平然と言い、にやりと不敵に笑った。
カナリエルは、それにつりこまれてつい笑ってしまいそうになった。
「あなたは、どちら?」
「どっちかな。そんなことは考えたこともない。生き残ることばかり考えてきた。生き残るには、今どうしなければならないかをな。おかしなことに聞こえるかもしれないが、傭兵ほど臆病なやつはいないのだ」
「今は、どうしようと思っているの」
「きまってる。おまえを連れて逃げるしかない。だから、こんなことまでしている」
あいかわらず抱えたままの鉄球を、ちょっと持ち上げて言った。
「わかったわ。あなたについて行くことにします」
カナリエルは思わずそう口に出していた。
実をいえば、そう言ったときのカナリエルは、この男ともうすこし話をつづけていたい、というくらいの気分だったにすぎなかった。
男には、どこかそんなふうにこちらの気持ちを軽くしてしまう不思議なところがあった。
「では、わたくしの計画というのを説明しましょう」
娘の決断がついたのをたしかめると、寮母は発光器をかかげてまた歩きだした。
こんどは、カナリエルの斜め後ろにさらにゴドフロアが従う形になった。
「ふつうなら今日が何の日にあたっているか、わかっているわね、カナリエル」
「はい。半月に一度の葬送の日です」
「そう。なのに、お休みにしました。あなた以外のシスターたちは、ここに来ません。どうしてなのかも、わかるわね」
「わたしを……ひそかに逃がすためですね」
カナリエルの声がふたたび緊張した。
「もちろん。でも、表向きの休みの理由は、何?」
「それは……葬送しなければならない遺体がこの半月の間に一体も出なかったからですわ、マザー・ミランディア」
「そのとおりです。スピリチュアルの幼体は脆弱です。わたくしたちがいくら手をつくしても、無事に誕生してくれる確率はかなり低い。ひどいときには、一〇体以上も同時に葬送しなければならないこともありました」
「ええ」
「では、もうひとつ。ブランカの出入りは厳重に監視されていて、表のゲートにいたる街道の途中には何か所も監視所があるし、歩哨もあちこちに立っています。たとえ寮母であり、皇帝の妻であるわたくしであっても、そこを何のとがめもなく通過していけるような外出許可を出す権限はありません。保安部に許可されたとしても、かならず監視がつきます。単に厳格であるというより、原則的に出入りを制限しているのです。そのいい例が、わたくしたちは手塩にかけて育てた幼体の埋葬にさえ立ち会うことはできず、出口で棺を埋葬人に引き渡してしまわなければなりません」
「そうか。だから葬送の日に合わせて、棺の中にひそんで脱出するしかないのですね」
寮母はうなずいた。
「裏のゲートも、もちろんそれなりに人の出入りはあるし、監視もきついけれど、大半は隊商だとか、ふもとの村から食糧を定期的に運搬してくる者たちで、表の街道を途中で曲がって裏口に回ってきただけのこと。いったん裏ゲートを出てしまえば、墓地や焼却炉につづくほうの道の警戒はずっと手薄なのです」
「そうなのですか」
ブランカをほとんど出たことがなく、外部の者との接触も経験したことのないカナリエルにとって、そんな話だけでもものめずらしかった。
「この二つの条件には、矛盾があるのがわかりますか?」
「葬送すべき遺体がない、ということですか? でも、棺の中に隠れるのなら、むしろ遺体がないほうが――」
カナリエルの問いかけに、寮母は悲しげに首を振った。
「棺の中は、あらためられるのです。出口の外で、さきほどのファロンも含めた何人かがその任に当たります。彼には、ゴドフロアを連れてくるように命じただけで、計画のことはいっさい話していません。今日も葬送が予定どおり行われると思っています。検閲といっても、死者を冒瀆するような手荒なことはしないでしょうが」
「では……」
不安げに問いかけようとしたカナリエルに、寮母はおっかぶせるように言った。
「わたくしは最後まで待ったのですよ。昨夜はアラミクと夜勤を交代して、一睡もしないで待ったのです。何のためであれ、子どもたちの死を願うなどということは、けっしてあってはならないことですが……。でも、ごらんなさい」
寮母は、斜め上方を指さした。
闇の中に、点々と緑色の小さな光が灯っている。
それを眼で追っていくと、通路にそってずらりと同じ光が並んでいるのがわかる。
「赤いランプがひとつもないでしょ。とうとう遺体は出なかったのです」
「計画は中止なのか?」
初めてゴドフロアが質問した。
いったん中止となれば、彼が自由の身になれる望みも遠のくことになる。
「いいえ。あなたがここに足を踏み入れた瞬間に、計画はもう後もどりできなくなったのですよ。男子禁制は、この〝生命回廊〟がスピリチュアルの手で運営されるようになって以来、一度として破られたことのない不文律。それを許したことだけで、わたくしは、何らかのとがめを受けることになるでしょう。最悪の場合、寮母をやめなければならなくなるかもしれません。だから、やり直しはありえないのです」
「母上!」
「心配ないわ、カナリエル。それくらいのことは、最初から覚悟の上です。わたくしだって、皇帝の妻でもあるわけですからね。帝国に〝皇后〟という称号はなくとも、いくぶんかの特権はあるのですよ。後のことは気にしないで」
「わ、わかりました。でも、遺体の代わりはどうするのですか?」
「これです」
寮母はひとつの緑のランプの前で足を止め、かがんで何かに触れた。
すると、そこから光が発し、闇の中に淡い青色に染め上げられた透明な円筒が浮かび上がった。
液体が満たされており、細かい泡が何本もの筋となってカプセルの底からたち昇っている。
その中に浮かんでいるものがあった。
ゴドフロアは、息をのんでそれを見上げた。
「これが、スピリチュアルの……赤ん坊なのか?」
〝生命回廊〟という名称からして、そして、寮母が手にした発光器のたよりない光がつくる影によっても、通路にそって規則正しく並んでいる円柱状のものが、保育器か何かそういったものだろうとはうすうす想像がついていた。
しかし、そこに見えたものは、ゴドフロアの予想を大きく裏切った。
すらりと伸びた脚。
自分の胸を抱くようにしている、細いが形のよい腕。長い指。
やさしげななで肩。
そして、まとわりつく泡にからみとられて炎のようにゆらめいている、一度も切られたことのない長いブロンドの髪――。
尋ねるまでもなく、それが女の子であることがわかった。
しかも、もはや赤ん坊とはとても言えないだろう。
どう見ても四、五歳に達した全裸の少女だったのだ。
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