序 章 2 谷間を覆いつくす巨影
そのとき――
「おやじっ」
兵士たちをかき分けて、かがり火の明かりの中に飛び出してきた者があった。
たちまち何本もの槍や剣に行く手をさえぎられ、小柄なその人影はかがり火の前で足止めをくらった。
「おまえ、何者だ! その服装はどこの軍の者でもないな。それに……」
誰何した南軍の兵士は当惑して言いよどんだ。
相手はどう見てもまだ子ども――しかも、まさかありえないことだが、女の子にしか見えなかったのだ。
短く切られた髪はむぞうさになでつけられているだけで、身体もまだふっくらとした女性らしさはほとんどない。
少女は突きつけられた槍の本数に驚きの表情を浮かべたものの、たじろぐような様子はまったくなかった。
印象的な大きな眼が、かがり火の光を映してきらきらと輝いている。
「マチウ……なのか?」
けげんそうにつぶやいたのは、ゴドフロアだった。
少女の出現に当惑した者たちは、その言葉を耳にしたとたん、さらにぎょっとしてゴドフロアのほうをふり返った。
彼女が『おやじ』と呼びかけた相手が、ほかならぬゴドフロア当人だということに気づいたからだ。
思わず乱れた兵士たちの槍の穂先をスルリと機敏にくぐり抜けると、少女はたちまち盾をかざした兵士たちのすぐ眼の前まで進み出た。
「だれか銃を貸して!」
兵士たちにむかって、少女が呼びかけた。
いきなりそんな要求を突きつけられ、彼らがそろってためらっていると、少女はいらだたしそうに地面をひと蹴りした。
「おやじ、銃をあたしによこすように言って。それと照明弾も」
一瞬の間はあったものの、ゴドフロアはうなずいた。
「この子の言うようにしてやれ」
銃を手にすると、少女はすぐに別の者が差し出した照明弾を筒先にこめ、なんのためらいも見せずに頭上めがけて引き金を引きしぼった。
ヒュルルルルル――
笛のような音色の唸りをあげながら、照明弾が薄い硝煙の帯を引いて上昇していく。
だが、それは、頂点まで達する前に、何かに衝突して失敗した花火のようにはじけた。
多くの者の眼が、照明弾に――いや、照明弾の上昇を途中ではばんだものに注がれた。
夜霧にぼんやりとかすんでいるが、中途半端に燃えつきかけている照明弾が、何かに突き刺さったように宙空にとどまっていることだけは、見まがいようがなかった。
「つぎを撃て」
ゴドフロアが鋭い声で命じる。
「はっ」
つぎの照明弾は、少女が撃った場所から一〇メートル以上離れたところで打ち上げられたにもかかわらず、やはり同じ高さで炸裂した。
つぎの弾も、またつぎの弾も同じだった。
――何かが頭上にある。しかも巨大なものが。
にわかに信じられることではなかったが、それはもはや疑いのない事実だった。
両側に高くそそり立つ崖にはさまれた場所だからこそ、その空間を完全にふさぐように宙にとどまっているもののぞっとするほどの大きさが、だれにも実感された。
照明弾は、北方軍からも、そして南方軍の後方からも、つぎつぎ打ち上げられた。
そのうちの何発かが巨大なもののわきや前後をやっとすり抜け、上空高くとどいた。
そこからの明るい光を浴びて、頭上に黒々としたシルエットの全体が浮かび上がった。
正体が何かはわからなくても、想像を絶するその大きさは双方の兵士たちを圧倒するには十分だった。
「飛空艦だ」
頭上をにらみつけて、ゴドフロアがつぶやいた。
ひくうかん?
「これが、敵の……」
「スピリチュアルの飛空艦か!」
だれもがその存在の噂を耳にしていたし、戦場のはるか上空を悠然と横切る姿を遠目に目撃したことのある兵士もいた。
しかし、これほどの至近距離でその威容に接した者は、ほとんどいないはずだった。
しかも――
「なんか、またでかくなってないか?」
「そ、そういや……」
ゴドフロアの周囲にいる者たちにさえ、動揺が走った。
「下降してきているんだ」
「逃げろ、圧しつぶされるぞ!」
真下にいた者ほどあわてふためいて駆け出した。
その波に押されて、あっという間に中心のかがり火の周囲から人影が消えていく。
それを待ちかまえていたように、逃げる兵士たちの背後にむけて飛空艦の下部のゴンドラから一斉射撃がはじまった。
「くそっ」
手もなく倒されていく部下たちをふり返り、ゴドフロアが吐き捨てた。
彼にはスピリチュアルのねらいは見え見えだった。
最初の射撃は、南北両軍の中に混乱と猜疑の種をまき、同士討ちか、あわよくば、両軍が互いを裏切り者とののしり合うような戦闘状態に突入させようという意図だったのだ。
それがさほどの効果を上げなくても、いずれは飛空艦が正体を現し、その威容で圧倒し、地上の両軍を谷の両側へ追い散らして背後からねらい撃ちする。
双方にかなりの損害をあたえると同時に、同盟をしばらくは有名無実のものにしてしまう作戦なのだ。
わからないのは、極秘にすすめてきたはずの連携の協議と、今夜ここで南北二軍が同盟の誓いをかわすことが、どうしてスピリチュアルにかぎつけられてしまったのかだが、それは今問題にしてもしかたのないことだった。
「おやじ」
その声で、ゴドフロアは我に返った。
気がつけばそばには少女一人が残っているだけだった。
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