(8)

 俺と皐月がステージに姿を現すと、何とも奇妙な現象が起きた。


『あれは、さっきもステージに出てきた橘と……んん……もう一人、いるような?』

『え、あたしには何も見えないけど……』

『あれ、女の子がいるよな? 何かすげぇ綺麗っぽいけど……?』

『何であそこだけ、白いもやがかかってんだ? ドライアイスか何か?』


 人によって、皐月の見え方がまちまちだった。うっすらでも見える人と、まるで見えない人。

 皐月が蘇ってから、こんなに沢山の人に見られると言うことも恐らく無かっただろう。皐月も皆の反応の多様さに驚いている。


 俺たちは、まだ願い事はしていない。

 だからきっとこれは、お願いノートの効力が及ぶ範囲の未知の部分なんだろう。

 俺と皐月はステージの真ん中に立つと、横を向いて互いに見つめ合った。


――今回の作戦はこうだ。


 例えば、俺がお願いノートに「桐橋皐月を生き返らせてほしい」と書いても、きっと願いを成し遂げるには何かが足りない。親友でずっと一緒にいた姉の桜が、皐月が死んだ直後に同じことをしても足りなかったのだから。きっと、そのまま願い事をするだけでは不十分なのだ。

 初めこの事実に気付いた時は「じゃあどうすれば良いんだ」と途方に暮れた。しかし、喫茶店のマスターの話を聞いて、ノートをきちんと読み直し、皆と話し合った結果、「お願いノートの効力を強める手段は確かにある」という結論に至った。


 ならば、願い事をどうやって強めるか?

 マスターは告白をするとき、鉄棒で懸垂をしながら――なんていう、どこかの王道ラブコメで見た事があるような方法で告白をしたらしい。実際その効果が結果に影響を及ぼしたのかを確かめる術は無いが、マスターが聞いた不思議な声を信じるならば、恐らく効果があったのだろう。


 ならば、今回における願いを強める方法とは、一体何だ?

 俺たちは考えた。

 言うなれば、今回は「皐月を死んだ状態から生き返らせる」という状態ではなく、「生き返ったものの存在が不安定な皐月を、何らかの方法で安定した状態に持って行く」ということを目指している。姉が途中まで叶えてくれた願いを引き継ぐ形だ。


 では、今の皐月の状況はどんな状況だろうか?

 皐月は、お願いノートに関わった人にしか認識されない。

 そして、学校の外に出られない。その学校の中でも、生徒がいると考えられる時間内でしか活動出来ない。


 つまり、存在の認識が問題なのだ。

 皐月は今、この学校に縛られている。


 だから、この学校の生徒、及び学校外の一般の人が大勢詰めかけているこの体育館で、あることを行う。そして――皐月の存在を、この学校に、そしてこの学校の外に、認めさせる、認識させる。


 そしてこれは推測に過ぎないが……、この作戦は2人で行うので、一人の名前だけ書いたら、もしかしたらもう一人の行動は願い事に反映されず、徒労に終わるかもしれない。なので初めこの作戦を思い付いた時、これじゃ意味が無いのでは……と頭を抱えていた時、あることに気付いた。


『願い事は一人一回まで』


 この文言。


 これは別に、「一人一人が全く別の願い事をしなくてはならない」ということを言っている訳ではない。


 つまり――1つの願い事に対して、2人以上が連名でサインすることも可能なのではないだろうか、という結論に至った。確証はないが、明確に禁止されている訳ではない。この連名により、願いを強めるのだ。


 この作戦の為に、色々と準備を重ねた。

 放送部の薫と新聞部の更紗にお願いして、1人でも多くの人にこのステージイベントを見に来てもらう。姉の桜はこの場を大いに盛り上げ、俺と皐月への注目を集める。卯月先生は各所への根回しや他の先生の牽制を行い、この作戦をスムーズに行えるよう動く。


 様々な人に迷惑をかけているのは百も承知だ。後でいくらでも謝って反省しよう。

 だから、今だけは――目の前の、皐月のことだけを考えさせてほしい。

 いくら練り上げた所で、仮定に仮定を積み重ねただけの、よく考えなくても穴だらけのアイディアだろう。


 それでも、やる価値はある――何故だか、そう確信していた。

 袖に置いていて、今しがたステージに出る際に持って来たノートを取り出す。

 高々とノート掲げると、客席がざわめいた。


『なんだあいつ、何で手を上げてんだ?』

『何だか、ノートのようなものが見える……?』


 そんな声が聞こえる。どうやら、このノートも皐月同様みんなの認識が曖昧なもののようだ。

 ノートを開き、中身を確認する。



【桐橋皐月を生き返らせてください  5月15日 橘匠 桐橋皐月】



――既に、願い事とサインは済ませていた。願い事をどう書くかは迷ったけれど、姉の願いを引き継ぐという意味でこの書き方にした。

 願い事と記名をしたこの時点では、まだ何も起きない。


 ノートを開いた状態で、床に置く。そして皐月と向かい合って見つめ合うと――どちらから言うでもなく、互いににこりと笑った。


 互いに半歩離れる。


 そして。


 二礼、二拍手、一礼。


『わっ、なんだ……っ!?』


 会場がどよめく。


 俺と皐月が顔を上げると、辺りは柔らかな白い光に包まれていた。皐月だけしっかり浮き上がって見えていて、他の人や景色がぼんやりとしてしまうような、不思議な光。


『さて、今は審査時間な訳ですが、君たちはこの時間をどう活かす?』


『え……』


 姿は見えないが、柔らかでいて威厳を含んだ声が聞こえた。

 もしかしたら、この声が神様なのかもしれない。

 常識外にも程があるけれど、今はそんな風にすんなりと考えることが出来た。


「匠くん」

「皐月」


 光の中で、皐月が俺に手を伸ばす。互いに呼び合い、距離を縮めて両手を繋いだ。互いの熱を交わし合って、もう二度と離れることの無いように。


『あれ、あんな女の人いた? あたし見えなかったよ?』

『さっきからいた気もするんだけど……なんだろう、すごく綺麗……』


 ぼやけた客席から、そんな声が聞こえてくる。どうやらあちらからは割とはっきりとこちらが見えているらしい。皐月は今なら皆に見えているようだ。サービスタイムなのかもしれない。ありがたかった、これならば、今から起こす行動の意味が更に大きくなる。


 大きく息を吸う。


「俺は!」


 今までの人生で、上げたことが無い程大きな声を上げる。

 大観衆と――目の前の愛おしい女性に、しっかりと届くように。



「桐橋皐月――あなたが、好きだ、大好きだ!!!!!」



 観客がどよめく。身体全体が沸騰したように熱い。でも、止まらない。


「いっつも下ネタばっか言ってくるけど、そのくせウブで、優しくて、涙もろくて……その全てが素敵で、全てが可愛い! もう、何もかも大好きだ!」

「匠……くん……っ」


 皐月の目が潤む。


「だけど、今のままじゃだめなんだ! 朝一緒に登校することだって、放課後寄り道しながら帰ることだって、休日にデートに行くことだって、そういうのを皆に見せつけることだって出来ない!」

「え、ちょ、匠くん……っ!?」


 皐月が慌てる。けれど、今は審査時間だ。ありったけの本心をぶちまけないとだめだ。そんな気がした。


「だから、神様! お願いです! 皐月を、生き返らせてください! 皐月、お前はどうだ!?」


 めいっぱい声を張り上げて、皐月に促す。

 皐月が口元を震わせて、大きく息を吸った。



「私も……私も! 匠くんが……橘匠くんが、大好きです!!!!!」



 皐月が叫ぶ。その頬には、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれていた。


「いっつも私のことをエッチな目で見てるけど、本当に優しくて……そばにいると安心するんです! 全部……本当に、全部、大好きなんです!」


 皐月が俺の手を握る手に力を込める。


「でも、私がこのままじゃ……いくら匠くんといちゃつきたくても出来ないんです! 私、もっと匠くんとエッチなことがしたいのに!」


『っっっ!!??』


 会場全体、及び威厳のある声の主さえ吹き出した。


「ちょ、おい、皐月!?」


「良いの! これが私の本音なの! 私、匠くんと、ずっと一緒に生きたい……ずっと寄り添って生きていきたい。それくらい、好きなんです、大好きなんです!」


 皐月は捲し立てるように言い終えると、はぁはぁと息を吐いた。

 顔を上げた皐月と、目を合わせる。



『だから!』


『神様!』



『桐橋皐月を……生き返らせてください!!!!!』



 2人でそう叫ぶと――


「……んむっ」


 俺と皐月は抱きしめ合って――唇を重ねた。


『っっっっっえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?!!!?!?!?』


 会場から割れんばかりの声が飛ぶ。威厳のある声が「わーお! マジで! マジで!?」と興奮した声を上げる。意外と若いのかもしれない。


「んふぅぅ……っ」


 唇を重ねながら、皐月がうっとりとした声を漏らす。俺の腕に包まれた皐月は信じられない程細くて、唇は互いの境界線が分からなくなるほど柔らかい。


――このキスは、ただやりたくてやった訳ではない。ただしたいだけならこんな恥ずかしい状況を選ばないし。流石に俺もそんなすごい趣味は持ってないです。


 皐月は、疲れていた。


 この3年間、色々な人を見てきて、稀に自分が見える人でも気味悪がって遠ざけられたり、仲良くなっても卒業していって結局別れたり……。

 どうしたら良いかも分からないまま、途方に暮れたままで過ごす時間は、どれだけ長くて、どれだけ辛かっただろうか。時間の流れに置き去りにされたような、そんな人生。

 このままでは、願い事をしてもどこかで「どうせ何も変わらない」なんていう風に思ってしまうかもしれない。


 だからこそ、皆の前ではっきりと互いの気持ちを表明して、お互いに伝えた。そして、キスをすることで、生の実感を湧くようにしようと考えた。幸せを感じてもらおうと思った。


 こんな作戦だからこそ、皐月は初めは顔を真っ赤にして渋ったのだ。それはそうだろう。公開告白(しかも相互)に加えての公開キス。一生忘れられるものではない。


 それでも、だからこそ。

 俺や皐月がこの願いごとに込める気持ちは一層強まった。


 これが、どう転ぶのか――?

 皐月と抱きしめ合ったまま、キスをしていると、やがて白い光が薄れていき、その中で優しい声が微かに、けれどはっきりと聞こえた。


『【桐橋皐月を生き返らせてほしい】という願い事の審査時間が今、終わりました』


『……っ』


 皐月と2人で息を呑む。

 頼む、頼む、頼む……っ!

 柔らな声が、ふっと息を吐いた。


『願い事の効力をここまで強めようとしたのは、あなたたちが初めてですよ……橘匠くん、桐橋皐月さん』


 厳かな声が俺と皐月の名を呼ぶと。

 結果を発表します――という声がした。


 そして。



『その願い、聞き入れました。叶えましょう』



『へ……?』


 俺と皐月が声を上げた瞬間――


「た、匠くん……?」

「さ、皐月? 皐月!?」


 皐月が眩いまでの白い光に包まれる。まるで天国にでも連れていかれそうな神々しい光に、全身からいやな汗が噴き出る。


「皐月、行くな、行かないでくれ……っ!」


 必死で抱きしめていると、皐月が戸惑いながらも声を上げる。


「た、匠くん。なんだかよく分からないけど……多分、大丈夫、みたい……?」

「へ……?」


 皐月は自分の言ったことをよく分かっていないかのように首を傾げている。

 そんな中、皐月を包み込む光は益々その高度を増して、もはや何も見えなくなる。


「う……っ!」


 目を閉じても瞼の暗闇を裂いて注ぎ込まれる白い光に目が眩む。



――やがて、光が収まると。



「……へ? あれ? 皐月……?」

「た、匠くん……」


 腕の中に、確かに皐月はいる。一見何も起きていなかったようにさえ思えるが、何というか……今まで皐月の身体から漠然と感じていた違和感が、取り払われているような気がした。何というか、ふとした瞬間に消えてしまいそうな、儚さが無くなっているのだ。


『ふう……今回は大仕事でした。今まで彼女の魂の半分程が極楽に残っていたので、現世での彼女の存在があやふやになっていました。なので、彼女の魂を極楽から引っ張ってきたのです』


 威厳のある声が若干疲れている。

 え、ていうか、今この人、何て言った……?


『ちなみに、極楽での彼女もこちらの彼女と並行して存在していたので、今の状態だと若干極楽の記憶が混在しています』

「へ?」


 え、この人、今何て言った!?

 目の前の皐月が、うーんと唸り声を上げた。


「な、何かしら……亡くなったはずのおばあちゃんと遊んでる記憶が……? 『転生の待ち時間が長くてマジしんどいわー』って愚痴をこぼすおばあちゃんとキャッチボールしている……? これは何……?」

「え、これマジなの!?」

『失礼な、ほんとですよ』


 神様が拗ねたように言う。

 何にせよ――と神様が言って、その声音が一層優しくなる。


『願いは叶えました。すぐには実感出来ないでしょうから、今まで出来なかったことを1つ1つ確かめて、確認してみてください。では、あなたたちの人生がより良きものとなりますように……』


 そんな言葉が聞こえたかと思うと、俺と皐月の頭がとても大きな、それでいて安心感のある手に撫でられた。生まれて初めて母親に撫でられた時もこんな感じだったのだろうかと思うような、そんな安らぎ。


 手が消えると、白い光がすぅっと引いていく。

 本当に、終わったのか?

 皐月は、もう、大丈夫なのか?


「匠くん……」


 俺を見つめる皐月の顔は、俺と同じような不安が滲んでいた。


 すると――


『うおお!? よく見るとあの女の人、どっかで見た事ある!?』

『ばか、うちのクラスにいるだろうが! 皐月さんだよ皐月さん! 確か……桐橋皐月さん!』

『橘のやつ、うちのクラスの高嶺の花中の高嶺の花と抱き合ってキスしてるだとー!? 許せん、焼き討ちだ! 焼き討ちだ!』

『あれ……あの子……皐月? 皐月なの!? うそ、本当に……?』


『え、えええ!?』


 周りの反応に、俺と皐月は面食らう。

 2人で見つめ合う。


「さ、皐月……」

「た、匠くん……」


 見た目や、抱きしめた感覚でこそ分からなかったけれど。

――みんなの反応を見て、うっすらと分かった。

 


皐月が、完全に、この世に生き返ることが出来たんだと。



『やったぁ……っ!』


 あまりの嬉しさに、皐月と抱きしめ合う。

 そして、


「んむ……っ」


 互いに引き寄せ合うように、唇を重ねた。


『うおおお!? またキスしやがったぁ!?』


 周りの怒号も、今は一向に構わない。

 皐月が目の前からいなくなることはもうないのだと分かって、それがあまりにも嬉しくて。


「んっ……匠くん、んんん……っ」


そして、唇を離しても、とろんとした顔で甘えてくる皐月が、あまりにも可愛くて。


「ん……んむっ、んふぅっ? んっ、んん……っ!? ……ぷはっ! 匠くん……んふぅぅっ!?」


――思わず、舌を入れてしまった。


「んふぅぅっ、んちゅっ、れろっ、ちゅぷっ、ちゅぷぷ……んはぁっ、やっ、だ、だめぇ……みんな、見てるからぁ……やぁん、んふぅぁぁっ、こんな、こんなこと……はむぅん……んふぅぅぅ……っ」


 皐月の表情が見る見る内に蕩けて、両腕がだらりとぶら下がる。皐月の身体からがくっと力が抜け、支えながらも皐月の口の中を貪る。

 あまりの幸せと、あまりの柔らかさと、あまりの甘さと、あまりの可愛さと、あまりの愛おしさに、このままどこまででも――


『何をやってんだこらぁぁぁ!!!!!』

「あ」


 会場全体が一体となったツッコミに、目が覚めた。

 唇を離すと、俺と皐月の口の間に淫猥な糸が伸びる。


「んふぁぁぁ……匠くん、匠くぅん……っ」

「お、ちょ、こら、皐月……っ!」


 発情した牝の目をした皐月が、俺の首に艶めかしく腕を這わせる。やばい、これ、どうしよう、でも止めないのも一興かも――


『止めろやぼけぇぇぇ!!!!!』

「ですよね! ごめんなさい!」


 結局この後、何とかして興奮した皐月を宥めた。

 


 締まらない流れではあったけれど。



 こうして、皐月は――桐橋皐月は、俺たちのいる世界に、帰ってくることが出来た。


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