(7)
そして、時刻は14時。
ステージパフォーマンスの時間を迎えて、体育館は熱気が満ち満ちていた。
『死ぬ程楽しむ準備は出来たかー!』
『うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』
司会の女の子がテレビのリポーターのような大きなマイクを持って、会場を煽りに煽っている。結構布地の少ないバニーガール姿なのは何でなんだろう。皆が喜ぶからですね。
「……匠くん、でれでれしてない?」
隣から皐月が囁く。ちらりと見やると頬を膨らませてむくれている。
「ばか言うな、俺の基準の厳しさを舐めるなよ。そんじょそこらの可愛いと言われてる人ぐらいで俺がでれでれする訳が」
「私にはでれでれする?」
「あ、はい」
「ん、よろしい」
食い気味に質問されて、反射で答えてしまった。考えずに本音を吐露してしまって恥ずかしい……と思ったが、皐月もよく見ると顔が赤い。どっちもどっちだ。
今、俺と皐月は、体育館のステージ袖の上手側にいた。ステージ企画の出演者の待機所になっていて、色んな服装の人たちがごった返している。結構騒がしいけど他のステージ中は観客の方が遥かに大音量で盛り上がっているので、特に気にならない。バンドやダンスの衣装を着て非日常を演出している人もいるが、制服で出演しようとしている人も多いので、俺たちが目立つことは特になかった。
ちなみに今回の作戦、薫と更紗は事前の煽り役で、本番は観客側から見守る立場と決めていた。最後の最後は俺と皐月がやるしかないのだ。
不安を覗かせる皐月の手をきゅっと握ると、皐月が頬を緩める。
司会の子はまだまだ場を温めようとしている。
『毎年大いに盛り上がるこの企画ですが、今年は謎の乱入予告がありましたねー!』
お、その話題も触れてくれるんだ。
『この企画は枠の設定がゆるゆるでして、正直いくら押しても問題無いです! だから乱入するならどんと来いやー!!』
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!??』
観衆の声が何故か疑問形だったので袖から覗いてみると、司会の子が客席に向かってお尻をふりふりと揺らしていた。どんな挑発の仕方だ。それ求愛の動きだろどう見ても。あ、こっちからだと思いっきり胸の谷間が見える。あ、やべ、下の方が痛い……。
「匠くん……?」
「あ、は、へぇい、何でございましょうか?」
底冷えする声に、しどろもどろで返す。
「何でかしらね、私、匠くんが優柔不断になっていないかと不安なの……」
「へ、へぇ、そうでやんすか……」
雑魚キャラ丸出しの返しをしてしまった。何でだろう、今まで皐月から聞いた不安という単語とは意味がちょっと違う気がする……。
「お、男は信じてくれた方がかっこよくなると思います……」
顔を背けながら言うと、繋いだ手に力が込められた。
「貞操的な意味でも、ね……?」
「は、はい、そうです、そうです」
何だろう、結構嫉妬深いんだろうか。これじゃこれから先中々大変――
「……バカ」
俺の手の甲を軽くつねって、俺の腕を抱きしめた。
あ、うん。
可愛いので、もう何でも良いかな!
こんなやりとりをしている内に、
『ちなみに私は乱入は大歓迎なんですが、先生方はそうでない方も居るかと思いまーす! その辺はまあ、上手くやってくださいねー!』
えらいざっくりとしたエールを送られて。
『さあ、それでは皆さん大いに楽しんでくださいね! それでは始まりますよー!【第40回京譲祭 ステージパフォーマンスinロンドン】!!!』
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』
体育館中が熱狂に包まれた。
だから何でinロンドンなんて訳の分からんフレーズがくっついてるんだよとは思いながら。
――俺たちにとっての、本当の祭が。
今、始まる。
『――はい、ありがとうございました! 漫才コンビ【アビスと中西】のお2人でしたー! 皆さん、もう一度盛大な拍手をお願いします!』
司会の声に従って、大きな拍手が湧く。アビスって何だよ厨二感が過ぎるぞっては思ったけど、内容は思いの外王道な漫才だった。うん、流石このステージパフォーマンスに出演出来るだけはある。でもやっぱりアビスって何だよ。中肉中背のメガネ2人だったろ……って、あれ、パンフを見たら2人の名前が「中村」と「西岡」だと!? じゃあアビスってほんとなに!?
まあ、そんなことは置いておいて。
心臓がどくんと高鳴る。俺の手を、皐月が握った。
「……頑張りましょう」
「……ああ」
『さて、それでは次の企画なんですが――』
「ちょぉぉぉぉぉぉっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
『!?』
マイクを使った司会の声を、凛とした声が切り裂く。体育館をびりびりと震わせる程の裂帛の気合が篭った声は、一瞬で周囲を静まり返らせる。そして、人波をかき分けてステージに向かっていく存在に気付いた人たちのざわめきが、体育館の中心から外側へと波のように伝播していく。
声の主が、周囲のざわめきを気にも留めずにあっと言う間に最前列に辿り着く。そしてステージに片手を付けてふわりとジャンプすると、その人の艶やかな黒髪がひらりと舞った。おぉ……というため息混じりの歓声は、その跳躍の様の美しさを物語っていた。
その人――俺の姉、橘桜は、颯爽とステージに降り立つや否や、司会の子のマイクを奪い取った。
途端に、姉に向けて2本のピンスポットが当てられる。ピンスポットの出所を見ると、体育館上の照明卓付近で卯月先生が見えた。お願いしていた根回しをしっかりやってくれていた。先生は俺に向けてどや顔で胸を張っている。おいおい、そんなことをしたらワイシャツがぱっつぱつに……あれ、俺の手を握る皐月の表情が怖いぞ、おかしいな。
姉がすっと息を吸う。その音がマイクに乗ったことで、場が自然と静まった。一挙手一投足で大衆を操ろうとしているのだと分かる。
「わたしは橘桜。この学校のOGで、かつて生徒会長をやっていた者よ」
家では見た事がない、凛とした佇まいに心臓が高鳴る。
「わたしは今日、とある人を助ける為に、乱入させて頂きました」
姉の声に周囲がどよめく。
姉が、ちらりと舞台袖――つまりこちらを見やった。
俺と一瞬目が合うとにっこりと柔らかく微笑み、そして視線を横にずらすと――
姉の目は、しっかりと皐月を捉えていた。
「さ、くら……?」
皐月の手が震え、白い頬に澄んだ涙が伝う。
「…………」
姉は何も言わず、皐月に対してゆっくり腕を上げて……親指を、びしっと上に立てた。そして快活に、何も心配するなと言わんばかりに、破顔一笑する。
ほんの数秒の時間俺たちに視線を向けていた姉が、再び客席を見つめる。
「あ、これを言うのを忘れてました。……今、わたしがジャンプした時に『あ、パンツ見えそう……』と思って凝視したやつ、絶対たくさんいるでしょ!!」
『ええええええ!!??』
会場の心が一つになった。皐月も感動に涙を流していたのに、ものの一瞬でギャグ漫画みたいな顔になる。
そこ!? 今、そこなの!?
しかし姉の言葉に、3桁に上ろうかという数の男子が声を上げながらも目を逸らした。結構前の方にいるやつらだ。よーし、今の一瞬で全員顔を覚えたぞ。後で一人一人尋問して――
「そういうのはやめてくださいね。何故なら……」
ここで、何故か姉が腰に両手を当てて、ふんすっと息を吐いて胸を張った。あ、今胸に反応したやつ、一人残らず呪いにかけよう。「朝、遅刻しそうな時ほど靴を履くのに異様に手間取る呪い」な。超地味だけど超いやだと思う。
「なぜなら……わたしのスカートの中身を見ていいのは……弟の、現在3年生の橘匠だけよっ!!」
『なんだと!!??』
今度は主に野郎の声が一つになる。野太い。全然黄色くない。黄色くないしキモい。
「た・く・み・くん……? 桜の今の言葉は、一体どういう意味かしら……?」
ぎぎぎ……とまるでカラクリ人形のような動きで首をこちらに向けて、皐月がひどく人間味の無い笑顔を向ける。あ、今なら恐怖で死ねそうだ。
姉が言葉を続けようとする。皐月が俺の首と股間を掴む。ねえなんで股間も掴んだの? 今すんごい縮こまってるよ? ねえ、ねえ!?
――と、その時。
「こらぁぁぁ!! 橘っ! 何をやっとるかー!」
体育館の後ろの方から、野太いを通り越してごんぶとの声が聞こえた。生徒が慌てて道を開けると、そこには生活指導兼体育教師の西園寺先生と、その他若手の運動部顧問でガタイが良い先生が数人立っていた。西園寺先生は名前と見た目が不釣り合いすぎてずっと陰でイジられている筋骨隆々の人だ。力が強いから迂闊にケンカも出来ないと思い、憂さ晴らしにゲーセンのパンチングマシーンに挑戦したところ、【計測不能】を叩き出したという伝説を持つ。おかげで先生がこの学校に赴任してから、京譲生の行動範囲の治安だけ尋常で無いほど良くなった。
西園寺先生の登場に、姉が「げっ」とたじろぐ。
「っ!? うわぁ……花山先生、まだこの学校にいたんですか!」
「誰が花山だぁ! トランプなぞ千切れんわぁ! ……多分」
元ネタが分かるらしい。ていうかその呼び名でイジられるって中々だな……。あと何で最後に多分て付けたんだ。そこ否定しないと本当にいよいよ人じゃなくなっちゃうよ、花山先生。
「まったく……お前は在学していた時から変わらんな。まさか卒業して数年経ってからこんなことをやらかすとは……!」
そう言いながら西……もう花山でいいや。花山が歩き出す。するとまるでモーゼの十戒のように人が道を開けて、ステージへの道が開かれる。
「うぅ……どうしよう、わたし、花山先生は苦手なのよね……」
姉が弱気な発言をする。なんでマイクに乗せて言ったの? 花山がまた怒ったよ? 大丈夫?
「そこまでだ!」
――と、今度は、姉のすぐ後ろの、下手側から声が聞こえた。体育館中の視線が集まる中、颯爽と登場したのは……卯月先生だった。いつの間に移動したんだ……動き速すぎない?
「わー! 卯月先生! お久しぶりですー!」
「うむ、久しぶりだな、桜。ん? また胸が大きくなったのではないか? さては好きな男が出来たな?」
「もうやだぁ……先生ったら。そういう先生こそ、何だか色っぽさが増してませんか? 先生こそ好きな人が出来てたりして」
「はは、まさか」
「あはは、そうですよね」
『…………』
何故か姉と卯月先生が、同時にちらりと俺を見た。
なんで!? ねえ、何で今俺を見たの!?
「マイクに乗せていかがわしい会話をするなー! 桐橋先生、あなたは何を考えとるんですか!」
ステージ前まで来た花山が、生声にも関わらずマイクを使っている2人と変わらない声量で話す。
「これは恋バナであって、断じていかがわしい会話ではない。本当にいかがわしい会話をするのは……そしてついでに、私のスカートの中身を見ていいのは……橘匠だけだ!!」
「なんで今それを言ったーーーー!!??」
思わずステージに乗り出してツッコむと、体育館にいる男のほぼ全員から恐ろしい圧力の視線が投げつけられ、女子からは軽蔑の視線が放たれて突き刺さる。おっと、視線で人は死ぬんだね!
ステージに身を乗り出していた俺を、皐月が引っ張り込む。そして後ろから抱きしめると、菩薩のような表情で俺に微笑みかけた。
「匠くん、あなた、何なの?」
ごもっともです。
「えっと、その、ごめんなさい……」
「赤玉が出るまで頑張ってみる?」
「商店街のくじ引きかな!? そうだよね、くじ引きだよね!?」
「何を言ってるの? もちろん、性的な意味よ?」
「助けてー!」
俺と皐月がやりとりをする中、卯月先生が花山率いるガタイの良い先生たちをびしりと指を差す。
「今は邪魔しないでもらいたい。さもないと……」
意味深なことを言う卯月先生に対して、先生たちが首を傾げる。
「? 邪魔をすると……どうなると?」
「『生活指導(夜)』」
「うぐっ!?」
「『私的体験記(夜)』」
「なっ!?」
「『最近妻がこそこそ出かける』」
「うおおっ!?」
「『そうです、私はお尻の穴――』」
「やめろぉぉぉぉ!!」
卯月先生が謎のフレーズを言うごとに、ステージ前にいた先生が、花山を含めて一人ずつ撃沈して膝から崩れ落ちる。
「邪魔をすると……先生方が大事にしているものが詰まっているフォルダのファイル名やいかがわしい本のタイトルをバラします」
『もう言ってるわぁ!!』
先生方が魂の雄叫びを上げる。さっきとは違う意味で生徒たちが先生方から離れた。分かる分かる。特に最後のやつね。何が『そうです』なのか。
先生方を無力化した所で、姉と卯月先生が目を合わせ、にっこりと笑う。なんだか親友のように見えて、きっと在学中はさぞ仲が良かったんだろうなと思った。
2人がマイクを手に、一緒に話し始めた。
『それでは、この企画の主役であるお2人に登場してもらいましょう!』
凛とした美人が2人揃ってこんなことを言ったものだから、会場が一気にざわめき――歓声が上がった。
俺と皐月は手を繋ぎ、ステージに歩を進める。
姉と卯月先生は俺たちとすれ違うように袖に入ろうとして、姉は皐月と、卯月先生は俺とハイタッチを交わした。
さあ、ここからが、本当の勝負だ。
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