(6)
迎えた、京譲祭2日目。
俺たちにとっては、本番当日だ。
『はーい、ただいまメイド喫茶をやってまーす! ミス京譲のあられもない姿をぜひー!』
『こちらでは只今お化け屋敷をやっておりまーす! 怖すぎて失禁者続出! 男女で入ればおかしな空気になること間違いなし! ぜひいらしてくださーい!』
『ただいま3―1教室にて、【桐橋卯月のラララ・性行為講義】を行っていまーす! 彼氏彼女が居る方もまだの方も、ぜひ勉強のために……って生活指導の森山先生!? やめて、誤解です! 別にわたしは彼との性のマンネリを卯月先生に見事に解決してもらったから宣伝を手伝っているとかそういう訳では……ええい分からずや! それだから奥さんと10年以上しないなんてことになるのよ! ……え、ほんとなんですか? 当てずっぽうで言っただけなのに……なんかごめんなさい。先生も行きますか、卯月先生の講座。泣かないで、大丈夫ですよ』
色々な宣伝の声が聞こえてくる。全体的に頭のネジが外れてるけど、何よりも最後のが気になり過ぎて気になり過ぎて……個人講座とかやってないかなぁ。
「匠くん……何をへらへらしてるのかしら?」
「あ、はひゃい、何でも無いですよ!?」
皐月が顔だけ笑っていて目が物凄く冷たいって言う器用な芸当を見せてくれている。おかげで心臓が活動停止寸前にまで追い込まれた。
本日2日目は一般公開日。昨日は京譲高校の生徒と先生だけで祭りを楽しんだけど、今日はここのOBOGやその他一般の人が大勢やってくる。
皐月と廊下を歩きながら、薫と更紗のアクションを待つ。今日の作戦は、2人の下地作りから始まる。
時刻は午前11時。学校の生徒も、一般の人も、京譲祭に来ようという人なら大方既に学校に来ている時間だ。予定ならばそろそろ……。
――ジジジ、ザザザ……。
聞き馴染みのあるノイズ音が聞こえた。よし、ナイスだと内心ガッツポーズを取る。
『えー、こほん、こほん』
スピーカーからは――放送部である、薫の声が聞こえてきた。
『みなさーん! 京譲祭、楽しんでますかーーーーーーーーー!!?!?』
『いえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!!!!』
『!?』
薫の声に合わせて、校舎中から勢いの良い声が聞こえてきた。普通だったらだだスベりするであろうこの煽りに対して、ハイになった若人は物凄いテンションで応じる。これも作戦の内なんだろう。
『良いですねー! 放送室まで皆さんの声ががっつりと聞こえてきましたよー!』
薫が滑舌良く捲し立てる。いつものキャラとは明らかに違うテンションに戸惑うが、同時に「あ、かっこいいな」とも思った。
『さてさて、本日の14時はこのお祭りのメイン企画『ステージパフォーマンスinロンドンが開催されますね!』
『いえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!!!!』
再び声の集合体が地鳴りを起こす。本当に校舎が揺れた気がした。
薫が口にした企画名に、相変わらずしょうもないなとため息を吐く。
なんでinロンドンなんていう頭の悪い名前が付けられたかと言うと、10年だか20年だか前の京譲祭の時に『なんか響き良くない?』という軽いノリで付けられたのだという。意味は無いが確かに語呂は良いよね、inロンドン。廃れずにそのまま残っているのだから、何だかんだ好かれてるんだなぁ、inロンドン。ちなみにこれを言う人は皆発音に拘っていて、「ィンランダン」みたいな発音をする。これが中々腹が立つ。薫の発音もやたら良くてイラッとした。
このステージパフォーマンスというイベントのファンは多く、毎年京譲生はかなりの割合で見に来るのに加えて、OBOGや一般客も相当数見に来る。体育館ってこんなに人が入るんだなと毎年驚く程だ。
薫は流暢な喋りを続ける。
『――そこで、今年はパンフレットに書いていない、とあるスペシャル企画をお届けします!』
『えー、なになにー!?』
薫の意味深な言い方に、周りの生徒が食いつく。年に一度のお祭り騒ぎが余程楽しいのだろう。
『内容は言えません、内容は言えませんが……ただ一言』
薫が一拍間を置く。
『絶対に感動するし、絶対に興奮するよ! あと場合によっては性的に興奮するかも!』
『一言って言ったじゃん!』
薫に対する皆のツッコミで、宣伝文句がまるで頭に入ってこなかった。何であいつ性的にって言ったの? 後で更紗に怒られるぞ?
『ツッコミが校舎中から聞こえるのはすごいですねぇ……まあまあ、それは置いといて! ただいま校舎を駆け回る美しいウサギが皆さんに号外を配っております! ぜひご一読くださいねー! それでは、放送部部長、乙瀬薫がお届けしましたー!』
ぶつっという音と共に放送が終了する。あいつ、部長だったのか……。
何にせよ、ありがたかった。
これは、作戦の効果を少しでも上げるための宣伝だ。一人でも多くの人に集まってもらって、一人でも多くの人に「目撃」してもらいたい。そんな思いからこの作戦を練り込んだ。
「号外ですよ~! 号外で~す~よ~!」
これまた聞き慣れた声がして振り返る。見ると、更紗が大量の紙束を抱えて、小柄な体躯を活かして人の間を縫うように進み、本当のウサギのように素早く移動している。まるで花咲かじいさんのようにチラシらしきものをばらまきながら、汗をきらめかせて満面の笑みを浮かべている。仕事モードの更紗を初めて見て、先程の薫の放送と同様の衝撃を受けた。
「あ……匠くんに皐月さん。もう少しだね、頑張ろう! 一応これ、今回作った号外ね!」
更紗は俺たちの前で立ち止まるや否や、手短に言葉を伝えて俺に号外記事を渡すと、また足早に去っていった。よく見ると、ランダムにばらまいているように見せかけて絶妙に道行く人1人1人が受け取るように配っている。どんな手練れなんだと驚いた。
「何て書いてあるの?」
皐月が興味ありげに顔を覗かせる。その途端にふわりと甘い香りが鼻腔を擽って、昨日の出来事を思い出してしまった。
「……見てみるか」
顔を背けながら号外を皐月に見せると、皐月は首を傾げて俺の様子を見た。急に挙動不審になったらそりゃあ怪しむだろう。
「どうしたの? そんな童貞みたいな反応して……」
みたい、ではないわ。
「いや、何でもなふわぁっ!?」
皐月が号外を見るついでで何故か俺の耳を一撫でしたために、あられもない声が出てしまった。傍から見れば俺が1人で号外を手に妙な声を上げているという状況なので、周りの視線がとてつもなく痛い。
『何今の声……あ、あの人が年上フェチのけだもの?』
『そうそう、うわぁ~、女の子を見る目がやらしい~』
ちがうわ、これは皐月を見る目がいやらしいんであって、周りから見ると俺が周囲の女子をいかがわしい目で見ているように映るだけなんじゃい。
……皐月のことをいかがわしい目で見ていたのか、俺。否定出来ない……。
「どうしたの、匠くん。早く見ましょ……う……」
周囲のひそひそ話を意に介することなく号外を読み始めた皐月の動きが、ぴたりと止まった。
「ん? どうしたんだ皐月、そんな固まっ……て……」
俺も固まった。
号外には、こんなことが書いてあった。
『今年のステージパフォーマンスに乱入あり! 誰がこんな驚きを予想した!? 誰がこんな笑いを予想した!? 誰がこんな感動を予想した!? そして……』
途中でフォントが大きくなる。
『誰が、こんなエロさを予想した!?』
「なんでそこ推したの!?」
さては薫と相談してたな、おい!
思わずツッコんでしまい、再び周囲から冷たい目で見られる。俺たちが乱入する側だとバレては興醒めなので、口笛を吹いて誤魔化すことにした。
「匠くん、口笛が上手すぎて逆に注目を集めてるわ……」
皐月が複雑な表情で俺を見ていた。実際、ものの10秒程吹いただけで、俺の周りには人気のストリートミュージシャンの如く人が集まっていた。森でハープを弾いたらこんな風に動物が集まってくるんだろうか。
「……逃げるぞ」
「あ、ちょっと……っ」
皐月の手首を掴んで駆け出す。さっきの更紗ほどではなかったが、するすると人波の間を縫う様にして駆けていく。不思議と気分が高揚していた。可愛い女の子、それも年上でクラスメイトの美少女という、好みに合致する上に毎日顔を合わせる事が出来るという最強の女の子の手を引いているんだから、それもそうか。
数十秒走った所で足を止めた。校舎の端の方で、あまり人が通らない場所だ。
「はぁっ、はぁっ、もう大丈夫かな……」
腰に手を当てて皐月を振り向くと、
「……へ?」
素っ頓狂な声が出た。
皐月は壁に背中を付けて寄りかかり、胸に両手を当てて息を整えていた。
それだけなら、まあ、良いんだけど。
「んっ……んっく、はぁっ、ふぅっ、ふぅ……っ、くふぅん……はっ、はっ、はっ……」
「……………………」
全力で背中を向けた。
勃った。
え、なんでこの子、こんなエロい息遣いをしてらっしゃるの? 幼少期より荒い息遣いを叩き込まれてきたの? エロのエリート教育を受けてきたの?
「ふぅっ、あふぅぁ……っ、匠くん、どうしたの?」
「な、なんでもねぇよ」
「勃起したの?」
「なんで分かった!? ……あ」
振り向くと、目の前に皐月の顔があった。いたずらっぽく微笑んでいるが、その頬はほんのり上気していて。先程のダッシュの影響を色濃く残していた。
「うふふ……当たった、嬉しいわね。ばりばりの文学少女である私を引きずり回すなんて正気かと思ったけど、今の反応がとっても可愛いから許してあげる」
「……そ、そうか、よ……」
簡単にキス出来そうな距離で、顔が熱くなる。焦って顔を逸らすと、くすりと笑う声が聞こえた。
「匠くんの、普段エッチな癖にこういう時に照れるとこ、私は結構……」
「……皐月?」
皐月が何か言いかけた所で固まり、何事かと皐月が見ている方に目をやる。
ちょうど向かいから、2人の女の子が歩いてきていた。
1人は制服で、1人は私服。
よく見ると、制服の女子の方はどこかで見た覚えがあった。同学年で、クラスが一緒になったことは無い人だ。
皐月を見ると、視線はもう1人の私服で歩いている人に固定されている。
「お姉ちゃん、学校来るのいつぶり?」
「んー、卒業した次の年度は遊びに来たけど、その後大学が忙しくなって全然行ってなかったから……2年ぶりくらいかな?」
「そっか、お姉ちゃんも3年前は今のわたしと同じ学年だったんだよね。なんか不思議」
「あはは、そうだよね」
仲の良さそうな、他愛のない姉妹の会話が聞こえてくる。
……ん?
3年前は同じ学年……?
まさか、と思って皐月を振り返る。その表情には懐かしさや不安が複雑に入り混じっている。
「あの子……ね、私の元クラスメイトだよ。……桜ほどじゃなかったけど、結構仲が良かったなぁ……」
「……っ」
皐月の言葉を聞いた瞬間、「どっちだ?」と反射的に思った。
周りの人には皐月は認識されない。そしていまいち細かいことは分かっていないが、少なくともお願いノートに関わった人には認識される。
しかし、今学校で生前の皐月を知る人はほとんどいない。
ならば、元クラスメイト、それも皐月と仲が良かった人なら、どうなる?
様々な考えが頭の中を巡っていると、姉妹がすぐ近くまで歩いてきた。もうすぐすれ違う。
「あ、あの……っ」
皐月が、今まで聞いたことのないくらいに、小さく儚い声を漏らして手を伸ばす。
すると、皐月の元クラスメイトがこちらをちらりと見た。そして俺ではなく、明らかに皐月と目が合う。皐月の目が一瞬希望で輝いた――が、しかし。
「……?」
彼女は、皐月を見たものの、くりっと首を傾げて歩調を緩めることなく行ってしまった。
「どうしたのお姉ちゃん?」
「ん? 何でもない。知ってる人かと思ったけど、気のせいだったみたい」
「あはは、何それー。でさ、この後なんだけど……」
今の会話を聞くと、皐月は見えてはいたようだ。しかし明らかに、皐月と過ごした筈の記憶は抜け落ちている。
皐月が彼女に伸ばした手が、だらりと下げられる。その視線は、楽しそうにはしゃぐ姉妹の背中に注がれていた。
「……あー、流石にちょっと、今のはきついか……な……っ?」
声を震わせながらも気丈に振る舞おうとする皐月がいたたまれなくなって。
俺は、皐月の両手を握って、自分の額に押し当てた。
「た、匠くん? やだ、どうしたの? 私は大丈夫だよ……?」
皐月が慌てた様子で語り掛けてきたが、俺はふるふるとかぶりを振った。
「大丈夫じゃない、大丈夫な訳ない。辛かったよな、きつかったよな、寂しかったよな……? 大丈夫、絶対、絶対助けるから……! もし今回だめだったとしても、絶対諦めないから……っ!」
目頭が熱くなって、滴が頬を伝う。皐月の手に涙が触れると、皐月が俺の手の中から自分の手を抜き、俺をそっと抱きしめた。
「……ふふ、やぁねぇ、なんで匠くんが泣いてるの? そんなことしなくて良いのに……そんなこと、してくれた人、今まで……っ」
俺の背中に回された手が震える。滲んだ視界で皐月を捉えると、皐月の澄んだ瞳からほろほろと涙がこぼれていた。
俺も抱きしめ返す。驚く程華奢なその身体は、小さく震えていた。
「ありがとう……匠くん、ひっく、ありがとう……やっぱり私、不安なの、怖いの、寂しいの……っ。何にも確証が無い中で、それでも匠くんや皆に頼って、すがって、それでも不安なの……っ」
「……そうか、そうか……大丈夫、大丈夫だから……」
皐月の背中をぽんぽんと撫でる。
本番直前のナーバスになりやすいタイミングで、今の出来事はどれ程辛いものだったろう。
どれだけ想像力を働かせたところで、俺に皐月の気持ちの全てを汲むことなど出来ない。
それでも、そばにいることは出来る。
だから、支えよう。
今、俺と抱きしめ合っている――長いこと苦しんできて、それでも負けずに生きてきた、この素敵な女の子を。
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