(3)

 薄暗い講堂の中で、全校生徒がざわざわと騒いでいる。

 小さな笑いの波があちこちから広がり、それらの波が合わさって一度大きな波になり、その後喧騒の空隙がぽかんと生じる。何百人といる空間なのに、まるで1対1で会話しているのと同じような現象が起きるのだなと思った。


 やがて、ステージ上に足音が響き、誰かが緊張で息を呑む音が聞こえた。

 ぼっ、ざざ、ざ……と音響チェックの音が聞こえて、間もなく。

 ステージ上に二筋のピンスポットが当たり、それが1つに集まって1人の生徒を照らし出した。そこには、生徒会長――名前は忘れた。だって男だし。関わりの無い2年生だし――が立っていた。

 生徒会長が、マイクを手に持ってこほんと咳払いをした。


「えー、ただいまより、第101000回京譲祭を始めます!」


『?????』


 生徒会長が極めて真面目な顔で言い放った言葉に、その場に居る全員が唖然とする。生徒会長はざわつく講堂の空気を察して、たははと苦笑いを浮かべた。


「そ、そうですよね、分かりづらいですよね」


『?』


「そんなね、回数を二進法表記で言ったら……」


『分かるかぼけぇっ!!!!!!』


「ぬはっ!?」


 生徒と先生が一丸となって発したツッコミに、生徒会長が奇妙な声を上げてのけぞった。ううん、彼、中々頭のネジが飛んでるようだ。気に入った。名前は今後も覚えないけど。

 生徒会長は何とか空気を変えようとしたのか、アドリブで話をねじ込んでくる。


「ええとですね、僕には来年高校生になる弟がいるんですけども。その弟が突然『お兄ちゃん、僕、高校デビューで茶髪にする! 薄めの黒寄りの茶色!』と言ってきまして……」


 弟さん、話し方可愛すぎるだろ。あと染めるにしても相当周りの顔色窺ってるじゃねえか。

 そこはかとないツッコミムードが漂う中、生徒会長は話の途中で急に言葉を止めて、中空を見つめて考え込んだ。


「……あ、間違えた」


『?』


 聞いている人みんなが、会長の言葉に首を傾げる。


「この話、今度の合コンのためにとっておいた『絶対すべらない話』だった」


『知るかぼけぇっ!!!!!!』


「ぬへぁっ!?」


 数百人のツッコミに、会長が再び動揺して変な声を上げる。


「あ、えーと、……すいません、更に間違いを重ねてしまいました」


『?』


「この話は『絶対すべらない話』じゃなくて、『本当にあった怖い話』でした。これから夏だし、女の子を怖がらせるのも楽しいかなって」


『そこからどう怖い話になるんだよ!!??』


 数百人のツッコミが、奇跡的なシンクロ率を叩き出し続ける。

 この会長やべえな……と思っていると、不意に壇上に大きな足音が鳴り響いた。慌てたようにピンスポットの1つが足音の主を照らすと、凛としたすらりと背の高い女子生徒が会長の下へ歩み寄っていた。あの子は確か……副会長だったか? 女の子だと年下でも結構覚えていられるものだな。ポニーテールが可愛いからぼんやり覚えてた。身体つきがむちむちしてるのもとても良い……って俺は何を考えてるんだ。俺の周りの女性に殺されてしまうぞ、マジで。


「会長」

「何だい、どうしたんだ副会ちょ……っ!?」


 会長の言葉を最後まで聞かずに、副会長が会長の頭をアイアンクローばりの迫力で掴む。あれ、可愛い女の子……アイアンクロー……あれ?


「これ、京譲祭の挨拶ですよね? 何やってるんですか? ねえ? ねえ!?」

「むぐぅぁあぁぁ……頭が、頭がぁ……っ!」


 突如巻き起こったバイオレンスな光景に、一同が息を呑む。外国の人に日本語を説明する時、この光景を見せて「これを『公開処刑』と言います」と言ったらとても伝わりやすそうだ。

 会長の足を若干浮かせながら(あの細身のどこにそんな力が……)、副会長が彼をじっと見つめる。


「それに……何ですか合コンって? わたしそんなの聞いてませんよ?」


 ん?


「ま、待て副会ちょ……綾乃! 話は、話はちゃんと、後で家でするから!」

「え」

「あ……」


 頭を掴まれた会長も、頭を掴んでいる副会長も、耳まで真っ赤になった。

 ……んん?

 おお。

 ふむふむ。

 ほうほう。

 へー?

 よし。

 ってしまおう。


「総員、思い思いの武器を構えて」


『了解』


 どこかで憎悪に満ち満ちた男子生徒――というか俺だ――の声がしたかと思うと、周りでじゃきじゃきじゃきと武器が構えられる音がする。おいおい、みんな一体どこにそんな武器を……おっと、制服の内ポケットに非常時に備えて入れておいたメリケンサックが。なんと奇遇なことだろう。


「オンユアマーク……」


 何故か国際大会のスタートの号令が入る。陸上競技とかが好きな人がいるんだろうか。というか俺だ。

 憎悪と殺意を込めて、めいっぱいの爽やかな笑みを浮かべる。

 会長と目が合った。どこかでまだ「助けてください」という意志を見せているが――

 知ったこっちゃないよね!

 深く息を吸い込む。これから正義を執行するのだと思うと、今まで数えきれない程吸ってきた空気がとても新鮮なものに感じられた。


――今日は良い日だ。


「GO!!!!!!」


『会長! 死ぃぃぃぃねぇぇぇぇ!!!!!!』


「ぎゃあぁぁぁぁぁ!?」


 次の瞬間、いつの間にか副会長が退避して会長だけが残されたステージ上に、弓矢、ボーガン、火炎瓶、ビール瓶、TENGA、マツタケ、バット、釘バット、木製バット等々が投げ込まれた。ラインナップにツッコミどころが多すぎるけど気にしない。会長は「ええい! 回し受けだぁ!」と言ってかっこよく腕を回したが、ごく普通に黒板消しがおでこにヒットして「ぬぐあぁぁぁ!」と妙にかっこいい中ボスみたいな声を上げていた。そして遠距離攻撃に続いて、近距離舞台(もちろん俺も含む)がステージ上に押しかける。


「ま、待て! 話せば分かる!」


 両サイドから武装集団に詰め寄られ、会長が慌てふためいた様子で命乞いをする。ばかめ、そんなものが通じる訳がなかろうに。


「会長。1つ質問したい」


 俺が1歩前に出て、人差し指を立てて質問する。


「な、何でしょうか?」


 上級生だと気付いたのか、会長が震える声で答える。


「単刀直入に聞こう。……週、何回だ?」


 俺は副会長が消えた下手を見つめながら聞いた。

 すると会長は腕を組んで、唸り声を上げた。


「……週何回という言い方よりは、一日何回という言い方をしないと正確な数字は出せないですね」

「……毎日してるのか?」

「はい。だってあんなに豊満な身体つきの上に、ベッドではドМなんですよ? それでいてどんどん感じやすく、可愛くなってるんだからそれはもうやめられな……あ」


 会長の声が青ざめる。

 俺は、徐に右腕を高らかに上げて、地味に得意技にしているスナップをばちんと鳴らした。

 そして、威厳に満ちた低い声で呟く。


「……殺せ」


『うおぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』


 戦争が、始まった。



「匠くん、流石の私でも戸惑ったわよ」


 開会式の後、喧騒に満ちた学校の中でも比較的静かな旧校舎の屋上のドアの前で、皐月と2人で話していた。


 あの後、会長は揉みくちゃにされながらも『違うんだ! 話を聞いてくれ! 綾乃とは幼馴染みでずっと好きで、話せば結構素敵なドラマになるくらい色々あったんだ! なあ、綾乃! お前も皆に言ってやってくれ!』と叫んでいた。ちなみにその直後、顔を真っ赤にした副会長が「あなたはいつも要らないことを……っ!」と忌々し気に呟いて、誰よりも激しく攻撃を加えていた。しかしその後しっかり介抱して保健室に連れて行くのを見かけた。2人が密着しているため流石に攻撃するのはやめたが、純愛なのは本当らしい。まったくもう、あんなにグラマラスな体型の美人と毎日だなんてけしから「匠くん、何かいやらしいこと考えてるでしょう」「ごめんなさい」なんで心の中を読まれたんだろう……。


 皐月は俺の顔を見て、呆れたようにくすりと笑う。


「まったく……ほんと、童貞の匠くんには困ったものだわ」

「おい。お前も処女だろ」

「…………」

「いや、本気で頬を赤らめるのやめてくれよ。すげぇどきどきしちゃうから」

「……ばか、えっち……っ」

「待って、急にしおらしくならないで。どきどきするから」

「勃ったかしら?」

「お前ばかじゃねぇのか」


 けろりとした顔で平然と言い放たれて、冷静にツッコんでしまった。

 薫と更紗は部活の企画の準備に行っていた。


「……明日ね」

「……そうだな」


 皐月の存在を元に戻すべく計画していることがある。

 その舞台が、明日の「全校発表」だ。

 名前は妙に仰々しいし学芸会のような言い方だが、その内容は全校生の前でバンドや弾き語り、アカペラ、ダンス、落語などなど……ありとあらゆる「生徒がやってみたいこと」をやるというものだ。全校生が立ち会う為にある程度クオリティが求められていて、実績が無い人や部の場合は事前に先生や生徒会が審査までしている。

――俺たちは、そこで、あることを実行する。

 その為に、卯月先生に協力を求めた。

 それもこれも、全てはお願いノートの効力を強める為だ。

 喫茶店のマスターから聞いた話や、ノートに書いてあるルールにあったことから、「こうすればノートの効力は強められるんじゃないか」という話を、徹底的にみんなで話し合った。そこで練られた策を、明日実行する。


「……勇気が、要るわよね」

「……そうだな」


 皐月が恥ずかしそうに俯いて呟く。さらりと前髪をかき上げる仕草が妙に色っぽくてどきどきしてしまう。


「匠くん。例えばだけど……」

「ん、どうした?」

「緊張しやすい人でも、一度自分が所属する部活で全国大会に行ったりしたら、その後のもっと小さな大会ではそこまで緊張しなくなると思わない?」

「まあ、そうだな。要は相対的な話だろ? より緊張する場所に行ってしまえば、今までがちがちになっていた場面が平気になるっていう」

「がちがち……そうね」


 待て。なんでがちがちに食いついたんだお前。

 皐月が俺に一歩近付いた。ここから上は屋上でまず人はいなくて、下は音が反響しやすい為に人が来れば一発で分かるし、死角にもなっている場所だ。皐月が指定した場所だったんだけど……まさか。


「ねえ、匠くん」


 皐月の声音が、ひどく艶っぽい湿り気を帯びる。手がこちらに伸びてきて、白魚のような指が俺の頬に添えられた。皐月の一挙手一投足から目が離せなくなっている。


「明日やろうとしていることは、とても恥ずかしくて、勇気がいること、よね?」

「あ、ああ」


 心臓が早鐘を打っている。


「だったら、もっと恥ずかしいことを、ちょっとでもいいからやっておいた方が良いと思わない?」

「そ、そうか、な……」


 声が震える。歯がかちかちと鳴る。

 皐月の瑞々しい唇が不意に近付く。俺の耳に押し当てるような仕草で、そっと囁いた。


「どこまでするかは、わたしたち次第だから……ね?」

「……っ」


 ごくりと息を呑む。気付けば、制服のズボンがぱんぱんに張り詰めていた。

 皐月の手が、俺の股間へと伸びる。そして上目遣いで俺を見つめると、困ったように眉根を寄せた。


「……わたしも、怖いの。どうなるか分からないから。……だから、少しでも、勇気が欲しいの。……ね?」


 ここまで蠱惑的に責めておきながら、急にこんなことを言われては……ギャップで頭がくらくらとしてしまう。


「……わかっ、た……っ」


 喉から声を絞り出して頷くと、


「……ありがとう、匠くん」


 皐月が、目を潤ませて微笑んだ。

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