(2)
この高校の文化祭――京譲祭は、今年も例年通り5月の中頃に行われる。
俺たちが皐月を助ける為の舞台は、この京譲祭だ。
毎年金曜が公休になって、木曜の午後はクラスや部活ごとの出し物や企画準備に充てられる。
ただでさえ祭りでテンションが上がるというのに、授業が一日半無くなるものだから、毎年はしゃぎすぎる輩が少なからずいる。はしゃいで生活指導の先生にどつかれるバカも居れば、カップルでいちゃいちゃと「致して」しまっているのを卯月先生が何組も見付けたりしている。卯月先生だけ他の先生や生徒に比べてそういったバカップルどもの発見率が異常なのは、自身の性欲レーダーが故なのか。
ちなみに先生は生徒がしているのを見た時も特に怒ったりはせず、それどころか「お前、この角度ではこの子は感じづらいぞ。少し角度を上に……そうだそうだ、おお、早速吹いたな。よしよし」「うむ、左の方が弱いようだな。左を重点的に吸いながら突くと……ほぅら、あっと言うまにとろけただろう」「裏筋を重点的に舐めてみなさい。なるべくねっとりと……そうそう。もう数分、咥えないでいいからひたすら玉と裏を舐めてみなさい。そうすれば完全に彼は君の虜になるぞ」などという具体的アドバイスを【行為中に】行っている。マジであの人頭おかしいだろって思うんだけど、如何せんそれでカップルからあまりにも慕われて、カップルによっては2人揃って先生を師匠呼ばわりする人までいる。
その噂(全然誇張されてない噂)が回りに回って、先生は影で「エロ
……俺、先生のことどんだけ喋るんだよ……。
そんな京譲祭目前の、木曜の午後。
俺と皐月は、青春の喧騒に包まれた校舎をのんびりと歩いていた。
薫と更紗はそれぞれ部活に行っていて、部活に入っていない俺はクラスの出し物も無い為に暇だった。
校舎の中は、学年や部活を問わず様々な人が入り乱れて、慌ただしい声を上げている。
そんな声もよく耳を澄ませば、わくわくと楽しそうな声音なのが分かる。
よく、耳を澄ましてみる。
『おーい! そこの角材取ってくれー! 今日中にステージを組み上げたいんだよ!』
『ちょっと男子ー! ちゃんと肝試しの準備して……きゃあ!? なによもう、急におどかして……ばか……』
『なんで!? なんでかぶりもののカボチャを俺に振りかざす必要があるの!? なあ、答えろよ!?』
『おい、エロ神さ……卯月先生がうきうき顔で歩いてるの見たぞ。きっとレーダーに引っかかる何かがあったんだ。後をつけてみようぜ』
『ねえ、さっき壁に新聞を貼ってる背のちっちゃな女の子が【京譲祭くらいでしかこの部の存在をアピール出来ないもんね……クラスメイトにさえ知られてなかったんだもんね……うふふ……】なんて悲し気なことを言ってたんだけど』
『ああ、わたしも見たよその子。でもその後男の子がやってきて【だ、大丈夫だよ! きっと地道な活動をしていけば、ね! ね!】って必死に励ましてた。あの感じを見るに何かもう秒読みって感じだね。っかー、もう、爆ぜれば良いのに!』
『お、エロ神様が止まったぞ。お、おい、まさか本当に……って、うおお!? やべえ、エロ神様に気付かれた! 逃げろ……って足超はえぇぞあの人!? ハイヒールなのになんで!? ぎゃあぁぁぁぁぁ……』
『…………』
う、うん、まあ、楽しそうだよな、うん。
「なんていうか……卯月先生、濃すぎるわよね」
更紗が俺の隣でぽそりと呟く。うん、まあたしかに、キャラが濃すぎて尋常で無いほど目立つんだよな、あの人……。美人だし、あと、胸も――
「胸も大きいしね」
「うぐ……っ」
地の文を先取りされた。
皐月がぴたりと足を止める。何ぞやと思って振り返ると、周りに認識されてないことを良いことに、廊下の真ん中で自分の胸を掬う様に持ち上げた。
「っ!? ば、ばかお前、何やって……」
俺が急に大声を出した為、周りを歩いていた生徒が訝し気に視線を向けてきた。あそこの女子2人組が『あ、年上好きの性獣よ』『ほんとだ、妊娠させられないように気を付けなきゃ』とかほざいている。絶対に許さん。
皐月は眉根を寄せて、「むぅ……」と唸りながら自分の胸を揉む。豊満な双丘が制服の上からでも分かるくらい露骨に形を変えて、その様にごくりと息を呑む。
「ちょ、おい、皐月……?」
「……卯月先生の方が、大きいわよね、やっぱり」
「……へ?」
皐月の言葉に、身体の力が抜ける。
「え、なに、皐月、お前ひょっとして卯月先生にひっ」
言葉を最後まで言い切る前に、両頬をつねられた。痛くはないがまともに喋ることが出来ない。にひって何だよにひって。全然笑ってねぇよ。
皐月は俺の言葉を封じると、天使のような笑みを浮かべた。なんでこの状況で天使のような笑みを浮かべることが出来るんでしょうか。
「匠くん」
「ふぁい(はい)」
「……わたしに言いたいこと、特に無いわよね?」
「…………」
げ、言論弾圧、反対……。
しかし、このプレッシャー以上に、俺の頬をむにむにと弄って楽しそうに微笑む皐月があまりにも可愛すぎて。つねられているのに頬が緩みそうになる。
「……何にやけてるのよ、匠くん?」
「……らんれもらいれふ(何でもないです)」
実際緩んでた。
真顔になった皐月に頬を弄ばれることしばし。やっと解放されて、再び2人で並んで歩き出す。
「……みんな、楽しそうね……」
皐月が物憂げに呟くと、廊下の窓から柔らかな風が吹き込んで、彼女の艶やかな黒髪がさらりと揺れた。美人の物憂げな表情は、それだけで一枚の絵になる程の魅力があるのだと言うことに気付く。
「……そうだな」
言葉少なに答えて、周りを眺める。しかし、今は意識のほとんどが皐月に向いていた。
「私、この光景を見るのが6回目なのよね」
「……っ」
皐月が何気なく口にした言葉に、今まで絶望の中生きてきた皐月の時間に目眩を覚える。
「あ、留年したって意味じゃないわよ? 高校生で喫煙出来る年になっちゃうなんて斬新すぎるしね」
「分かってるっての……」
しょうもないことを言っているが、これくらいではさっきの言葉の重みは消せない。
周りの生徒たちを見て思う。
みんな、この京譲祭が限られた回数しか経験出来ないものだからこそ。
もっと言えば、今のクラスや部活のメンバーで出来る京譲祭はこの1回しか無いからこそ。
目を輝かせて、時に励まし合い、時にぶつかり合い、そして京譲祭の3日間でめいっぱい輝くことが出来るんだろう。
だけど、それがもしも、無期限で何度も体験出来るものになったら。しかも、傍観者の立ち位置でしか見ることが出来なくなったなら。
その時、一体どんな顔をしていれば良いのだろう。
あまりに制限が多すぎる、不老不死のような皐月の状態は、心が壊れてもおかしくない程過酷なものの筈だ。
「……今年はみんなが、……何より、匠くんがいるからすごく気が楽なんだけどね。……去年と一昨年は、正直、結構しんどかったな……」
皐月が寂し気に笑う。今にも泣き出しそうな顔を見て、胸が締め付けられた。
「……正直、どうなるか分かんないけどよ」
頬をぽりぽりと掻きながら、必死で言葉を紡ぐ。
「現役で参加するのは、今年で最後にしよう」
「え……」
「俺は、皐月と一緒に卒業したい」
皐月が足を止めた。
「? さつ……き……っ?」
皐月の澄んだ瞳から流れ落ちる、一筋の滴に目を奪われた。
「……私、も……」
皐月の唇が震える。救いを求める手が俺の下に伸びて、俺は皐月の思いに応えるように手を繋いだ。
「匠くんと、みんなと、一緒に、卒業したいよ……っ」
涙が、ぽたぽた、ぽたぽたとリノリウムの床に零れ落ちる。悲しい涙なのに、どこまで綺麗な涙だった。
「……大丈夫だから、な?」
皐月を抱き寄せて、頭をぽんぽんと撫でる。幸い周りには誰もいなかった。皐月の身体は思っていたよりもずっと細くて、華奢で、どこか儚かった。
「うっ……ひっく、うん、うん、ありがとう……ありがとう、匠くん……っ」
俺の腕の中で、皐月がぽろぽろと泣き続ける。
この人を、絶対に助けるんだ。
――そう、心の中で固く誓った。
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