第5章 2人の時を進めるために
(1)
「へ……?」
翌日。
朝早くから俺と薫と更紗の3人は登校して、皐月の作戦の全容を伝えた。普段の大人びた振る舞いからは信じられない程気の抜けた声を上げて、ぽかんと口を開けている。そして見る間に耳まで真っ赤に茹で上がった。
「た、匠くん、君、自分が何言ってるか分かってる……?」
「分かってる。……だから、俺もこんな状態になってんだよ」
「あ……」
俺の変化に気付いて、皐月が小さく驚きの声を上げる。
俺も、真っ赤になっていた。鏡なんて見なくても分かる。首まで熱いから、きっと首まで真っ赤っ赤なんだろう。
薫と更紗が居る状態で言うのは死ぬ程恥ずかしい作戦内容だし、居なかったら居なかったで死ぬ程恥ずかしいのだ。どうしようもない。昨日はやたら緊張してほとんど眠れなかった。淫猥すぎる下着を身に付けた姉が夜這いに来なければ、もっと寝られたんだけど。何だったんだあのイベントは……。
こほんと咳払いを一つ。
「それで、その……皐月、協力してくれるか? もしいやなら別の方法を考えるから、心配しないでくれ」
言うと、皐月が顔を逸らし、可愛らしい流し目を送ってきた。そして2人の間の距離を縮めて、上目遣いで弱々しい視線を送った。
「ずるいよ。……私が断ったら、3人がせっかく頑張って考えてくれた作戦がぱあになるんでしょ? ……そんなのいや。……それに、別に、私は、その、この作戦自体はいやじゃないんだよ?」
「え……それってんむっ」
言葉を続けようとしたら、唇に人差し指を当てられた。むがむが言っていると、皐月が眉根を寄せて「うぅ……」と唸る。やけに可愛らしい態度に心臓が跳ね上がる。
「……私、やるよ。皆、協力してくれてありがとう。私、頑張る。匠くん、……本当に、ありがとう。……その、よろしく、お願い、します……っ」
「……っ、あ、ああ、頑張ろう。頑張ろう……っ!」
思わず皐月の手を握ってしまったが、皐月は驚きこそしたものの、やがてにこりと優しく微笑んでくれた。
さあ、ここからだ。
皆で、心の底から笑いながら生きられるようにするんだ。
「卯月先生、お願いがあります」
「おや、どうしたお前たち」
最初に向かったのは、職員室だった。卯月先生は俺たちが皐月も交えて4人で来たことに驚いたようで、ちらちらと皐月に視線を向けている。先生は応接室をくいくいと親指で差すと、優雅な仕草で立ち上がり、すたすたと歩いていく。俺たちもそれに付いていった。
「……何か、掴めたのか?」
全員がソファに座るなり、先生が尋ねてくる。俺たちの表情を見て察したのか、いきなり核心をついてきた。
「……はい。多分、行けます。というより、絶対成功させます。その為には、先生のご助力が必要なんです」
「ほう。……聞かせてみなさい。その作戦とやらを」
先生がぐっと前のめりになる。い、いかん、見えてはいけない楽園の谷間が……!
「匠くん、そういうのなら後で私がたっぷり見せてあげるから、今は視線を逸らしてちょうだい」
皐月を見ると、物凄くにっこり笑ってるのに目が一切笑ってない。ねえねえ、それどういう顔の仕組みなの? 怖すぎて心臓が止まりそうなんだけど?
「なななな何を言ってんだよ皐月? おおおお俺がそんなことすすすすする訳ないだろう?」
「匠がDJスクラッチをやってる……」
なんで薫に、俺が以前心の中でやってたツッコミをやられなくちゃならんのだ……。
何だか変な雰囲気になりかけているから、何とかして戻さねば……と思っていると、先生がふっと微笑んだ。そして何故か胸を寄せた後、小指で自分の唇をすっと撫でる。扇情的な仕草に、その場の全員が息を呑む。
「そうだな、橘は今日の夜は私の部屋でたっぷりとこの肢体を眺め、しゃぶり、嬲り尽してくれるんだもんな」
「ちょっと待ってくださいズボンが痛い」
「匠くん、後で足でしてあげるから。夜までに空っぽにしておくのよ。夜になる頃には、いくら誘惑されても勃たない身体にしてあげるから」
「ちょっと待ってツッコミが追い付かない」
何か先生と皐月が笑顔のまま火花を散らしてる。何これ怖い。
「橘はどちらが良い? 適度に熟れた身体を存分に一晩中味わうのと、クラスメイトのグラマラス美人に嬲られるのは」
「皐月のことも褒めるんですね……」
何なんだこの母娘。もっとも、皐月は先生が母親だってことは忘れちゃってるけども。……願いが叶えば、きっと皐月の記憶も元に戻るはずだ。きっと、きっと。
言葉の応酬が無くなったと思ったら、今度は皐月が俺に婀娜っぽい流し目を送って、艶めかしく舌なめずりをする。一方先生は足をゆっくりと組み替えて、ふくらはぎから太ももに指をつつつと這わせて誘惑してくる。あ、ちょっと本気でやばいやつだこれ。
「あの……卯月先生、皐月ちゃん……」
「おや、どうした上原」
更紗が小動物のようにちょこんと手を上げると、先生が優しい笑みを浮かべる。
「薫くんが、目を回して倒れました……しかも鼻血が出てます……」
よく見ると、薫の目がマンガみたいにくるくる回っていた。更紗の言葉に何も誇張は無かったらしい。さりげなく目と目の間を摘まんだり、ティッシュで拭いたりと甲斐甲斐しく世話をする様は、カップルを通り越して夫婦のようなんだけど。何でこいつらまだ付き合ってないんだろう。
「……す、すまん」
「……ご、ごめんなさい」
先生と皐月がそれぞれに謝る。気まずい感情の出し方までそっくりで、思わず頬が緩んだ。
「さて、今夜橘が夜這いをかけてくるに当たって、私の勝負下着は何が良いかという話だが」
「初耳です。あんまりそういうことばっか言ってると本当に襲いますよ」
「え……」
「何で両手で自分を抱きながらちょっと嬉しそうな顔をしてんだあんたは!?」
「まあ茶番はさておき。……皐月の件だな。お前たちの考えを聞かせてもらおう」
先生が話を聞く体勢になったので(ここまでが長すぎた)、作戦の内容を話すことにする。
以下、その時のやりとりの抜粋。
「……で、お願いノートに書いてあったルールと、喫茶店でマスターから聞いた話を合わせるとこういうことが考えられます」
「ふむふむ。……少し暑いな」
「卯月先生。谷間なら私ので間に合ってます」
「薫くんが倒れました」
とか。
「それで、5月はあれがあるじゃないですか、あれが」
「そうだな、私が夏を前にテンションが上がって発情する時期が来るな。じっとりした日の夜にクーラーを点けずにマッサージ機ですると中々楽しいのだ」
「卯月先生。薫くんが痙攣してます」
「卯月先生、するのは夜だけですか? 甘いですね、私は起きてる間、場所を問わず常にチャンスを窺ってますよ」
「あんたらバカなのか」
とかとか。
「――で、このタイミングで、先生にその場を制して頂いて……」
「なるほど。それなら私がスーツを含め全ての衣服を脱げば、一気に視線を集められるな」
「頭腐ってるんですか?」
「ん? 透けた黒で良いのか?」
「あ、ぜひお願いします」
「それじゃあ今日の夜、プレ公開してやろう。場所は私の部屋だが、構わんな?」
「はい。分かりました。集合時刻ですが……」
「匠くん? 私今、履いてないわよ?」
「何だって!?」
「あー、ソファのざらざらが擦れるとひくついちゃうなー」
「おい皐月。何でお前そんな大事なことをもっと早く言わないんだ。俺たちの仲だろ?」
「俺たちの仲、って?」
「え、あ、いや、その……」
「ねえ、どうしてそんなに赤くなっているの? 匠くん」
「こら皐月、橘の顎を人差し指で上げるんじゃない。私にもやる権利がある」
「卯月先生。皐月ちゃん。匠くん」
『あ、はい』
「薫くんを殺す気でしょうか」
『……ごめんなさい』
とかとかとか。
こんなやりとりを経て、作戦の全貌を話し終えた。
多分、本来なら15分くらいで終わるやりとりに、かれこれ小一時間近くかかってしまった。取り敢えず薫は美女の誘惑を見てるだけで瀕死になって、更紗は怒ると顔が笑顔のままなのに本気で怖いということが分かった。
「よしっ」
一通り話を聞いた先生が、両膝をばしーんと手で叩く。にかっと豪快な笑みを浮かべて、俺たち4人を順に優しい瞳で見つめた。
「全力で協力しようじゃないか」
「ありがとうございます、先生。危ない橋なのに……」
「なあに、気にするな橘。皐月を助ける為ならこの程度何でもない。それに私とお前はあの夜ねっとりと愛し合った仲だろう」
「急にぶっこんでくるな。何を捏造してるんだあんたは」
「おお、すまなかった。ねっとりではないな、じっとりだな」
「何で俺が質感の描写の訂正を求めてると思ったんだ」
こんなやりとりをしていると、皐月がくすくす笑っていることに気付いた。
「皐月、どうした」
「いや、楽しいなーって。……こんなに楽しいと思えるのなんて、いつ以来か分からないから」
4人が一瞬複雑な表情を浮かべたのを見て、皐月が慌てて両手を振る。
「そ、そんなにしんみりしなくて良いよ? ……私、本当に嬉しいの。こんなに仲良くしてくれて、真剣に助けてくれようとしてる人たちが居ることが。……本当に、ありがとう」
「皐月……」
皐月の肩に手を置くと、皐月が俺の手に自分の手をそっと重ねて微笑む。その柔らかな笑みは、ずっと見ていたくなる程綺麗なものだった。
「お前たち。絶対皐月を戻すぞ」
『おー!』
「そしてその後で、橘の争奪戦だ」
『おー……おぉ!?』
ずっこけた。古典的なこけ方をしてしまった。
「まあ、本気はさておき」
「冗談じゃないのか」
先生の言葉に呆れながれツッコむ。そろそろ本当に貞操の危機を感じ始めた。
「これは確かに不確かな賭けではあるが……私は今、何よりもわくわくしている。後で大目玉をくらうかもしれないが、皐月が元に戻れるならば、そんなことは微々たるものだからな。さぁて、やってやろうじゃないか」
「先生……」
皐月が先生をじっと見つめている。その目にはうっすらと光るものが見えた。
さあ。
ここからが、本番だ。
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