(5)
翌々日。
土曜日の今日、俺と薫と更紗は昼間に学校近くの喫茶店に集まっていた。休みの日でも京譲館生は多く、あちらこちらで噂話に花が咲いている。男子がする噂はしょうもないものが多く、女子のする噂はがっちがちの悪意に固められた話が混じっていて怖い。男女でする噂は互いの性別間の距離を測りかねているのか、何ともインパクトの薄い話しかしていないようだ。俺周りに聞き耳立て過ぎだろう。
昨日の金曜日は、その前日同様に4人で様々な議論を交わしたが、いかんせん元となる情報が少ないからか、やはり話は進展しなかった。今日集まったからと言って話が進展するとも思えないが、それでも3人揃って同じ意志でここに集まっていた。
皐月を、助けたい。
その一心だった。
「んんん……何なんだろうなぁ……」
カフェオレを飲みながら、眉根を寄せて呟く。2人に投げかけているようで、その実虚空に投げ出すような勢いのない言葉。
「あれ、ちょっと匠……何してるのさ?」
「ん? おお……うおお、ほんとに何やってんだ俺!?」
全力で考え事をしていたら、カフェオレにガムシロップを三つ程入れていた。いつもなら一つも使わないのに。恐る恐る口に付けると、一周回って面白いくらい甘くなっていた。
「甘……っ」
辟易した顔で呟くと、更紗が苦笑いを浮かべた。
「災難だったね。……でも、ずっと考えてるんだもんね、仕方ないよ……」
「……まあ、な。ありがとう」
「ううん、いいよ。……」
更紗が言葉を止め、薫と目を見合わせて互いに苦笑いを浮かべた。本当にお似合いだな……なんで付き合ってないんだお前ら……などと思いながら、また考える。
「……薫。ルールの部分、もう一度読み上げてくれないか。書いた人の愚痴の部分は取り敢えず良いや」
「え? ああ、確かに、声に出したらまた何か認識が変わるかもしれないしね。わかった」
俺の意図をすんなり汲んでくれた薫が、メモを取り出す。
「ええと……。
『・日付、願いごと、署名を忘れずにする
・お願いノートに願えるのは1人1回まで
→あくまで「願い事は1人1回まで」
・願い事を書き、尚且つ二礼、二拍手、一礼をすることで願い事が叶うかどうかの審査が始まる
・審査中は辺りがそれっぽい光に包まれる。審査時間は3分。その間どう過ごすのかは自由』
……ううん……」
ここまで読んだ薫が、最後の愚痴の嵐の部分をじっと見つめる。
「この辺も大体はただの愚痴だけど……ちょっと気になった所があるんだよね」
「? 気になった所って……どの辺りだ?」
「ええっとね、『後はきちんと書いてても願い方がなってない人が多いこと多いこと。まあノートにそこまでは書いてないし、私が書いてもいけないからしょうがないんだけど』って書いてる所なんだけど」
「あ、そこはあたしも気になってた」
更紗が紅茶をくぴりと飲んでから同意する。
「確かに……そこは気になるな。愚痴が長すぎて流しちまってたけど、願い方がなってないっていうのは……」
「この言い方だと、匠のお姉さんがお願いした時も願い方が不十分だったってことになるのかな」
「ああ……たしかに、そうかもしれない。ノートに書かれた手順であれば、日付と願い事と署名をして、二礼二拍手一礼をすれば良いはずだけど……『きちんと書いてても願い方がなってない人が多いこと多いこと』と言ってるってことは、本来書くべきことはきちんと書いていても、それでは不十分ってことが有り得るのか……」
「そっか、じゃあ、どうすれば良いんだろう?」
薫の言葉で、また3人が押し黙る。
方法はあるんだ。何かがきっと。
しかし、それが浮かばない。
3人で唸っていると、店の主人が現れた。
「どうされましたか、3人揃って難しい顔をして。コーヒーのおかわりはいかがですか」
にこやかな笑顔に、3人の強張りが解れる。
「あ、じゃあおかわりをお願いします……」
薫がカップを持つと、主人の視線は薫に移り――そこから、メモに視線が注がれた。しかしすぐに視線を逸らす。
「やあ、これは失礼。プライバシーに関わるものを……おや?」
一度目を逸らした主人が、もう一度メモに視線を戻した。
「失礼ですが。これはもしや……お願いノートについての記述ですか?」
『え』
3人が驚きで目を瞠る。
「え、マスター……これ、知ってるんですか?」
尋ねながらも、知ってるとしか考えられなかった。ルールを見て分かる人なんて、あのノートを見たことがある人しかいないだろう。他の人に言った所でその人たちにはノートは見えないし、信じてもくれないだろうから、質の低い冗談だと思われるだけだろうし。
予想通り、マスターはゆっくりと頷いた。口の上に生やした上品な髭を撫でて、昔を思い出すように目を細める。
「ええ、そうです。私がまだ京譲高に居た頃です。忘れもしません。当時私は2年生でこのノートで出会って……ふふふふ」
これは長話フラグか……と思ったら、物凄く省略された。映画で言えば冒頭5分で終わった感じだ。
「あ、あの、マスターは……どんな願い事をしたんですか?」
まさかこれだけ年の離れた人からノートのことを聞けるとは思わなかったので食い下がる。マスターは俺の質問を特にいやがる訳でもなく、髭を撫でながら目を細めて遠くを見つめた。
「……私も、すっかり記憶が薄れてしまいましてな。詳しいことは思い出せないんですが」
そんな前置きをして、ううむ……と唸って微かに眉根を寄せる。そして何か思い出したのか、恥ずかしそうに目を伏せた。
「……当時は私も高校生だった訳ですから、まあその、色恋沙汰にも興味がとてもありましてね。それで当時気になっていた女性を……場所はどこだったか忘れましたが、呼びだしたんです。そして鉄棒に掴まりながら告白したらオーケーを貰えましてね……はは、お恥ずかしい限りです」
「え……」
それどこかで聞いたことある……というツッコミはひとまず置いておいて。
「ま、マスター。それ、もしかして鉄棒云々の直前にお願いをしたりしましたか?」
俺の質問に、マスターがまたも目を細める。数十年前の記憶を絞り出してくれているようだ。
「ええと……多分、そうだったと思いますよ、ええ」
「ど、どうして鉄棒に掴まろうと思ったんですか?」
「ううん……ああ、そうだそうだ。思い出しました。私は当時2人の男友達とよく一緒にいたのですが、私が告白をする少し前にどうやら2人もノートに何か願い事をしていたみたいでして。その時に彼らが『願い事は何か工夫をした方が叶いやすいみたいだ。俺たちもひと工夫して願い事をしたら叶ったぞ』と言っていたので……我ながら滑稽かなとも思ったんですが、当時まだ何も知らないなりにどうしたら叶いやすくなるかと思ってやってみたんです。それが功を奏したのかは分かりませんが……その女性が今の家内でして……」
『え』
3人揃って目を瞠ると、マスターが子供っぽくはにかむ。ダンディな髭とのギャップが素敵だ。
「今日は家内は居ないんですが、折角なので写真をお見せしましょうか。最近旅行先で撮った写真と、京譲に居た時の写真なんかも良いかもしれません。ええっと……」
まさかのノロケタイムが始まりそうになる。
「あ、ま、マスター。それはまた今度ということで良いでしょうか。あまりお時間を取らせるのも難ですし。貴重なお話、ありがとうございました」
「おや、そうですか……残念ですが、強制は出来ませんしね。それではまた今度お話しましょう」
「ええ、ぜひ」
マスターは今までより幾分親し気な笑顔を浮かべて礼をすると、俺たちから離れようとして――ふと足を止めて、振り返った。
「ああ、今思い出したんですが……告白をした時、頭の中で不思議な声がしたんです。『あなたのやり方は、この願いを叶えるに足るものでした。よって願いを叶えましょう』といった旨のことを言っていたかと」
「え……そ、そうなんですか?」
驚くと、マスターがにっこりと笑った。
「何かお悩みのようですから……今の私の話が力になれたのなら幸いです。上手くいったら、ぜひ私に教えてください」
「は、はい、ぜひ!」
「ふふふ、楽しみです。そうですね、その時は家内も交えて……」
などと言いながら、マスターが去っていく。あの人、まだノロケる気なのか。まさかの一面だった。
「……なあ」
膝の上で拳を握りしめながら、薫と更紗に呼びかける。何も言わずとも、3人それぞれの頭の中で思考が高速回転しているのが分かった。
「まだ、考えはまとまってないけど……もしかしたら、皐月を助けられるかもしれないぞ」
「うん、そうだね。話し合おう」
「ママに今メールした。帰りがいつもより少し遅くなるって。匠くんも薫くんもご家族に連絡しておいたら?」
更紗がふふっと楽しそうに笑う。俺と薫は頷き、俺は姉にメールを送る。
『今日、帰りは遅くなる。ご飯は食べてくるわ。ごめん』
返事は早かった。一分と経たない内に返ってくる。カフェオレを口にしながら画面を確認する。
『分かった。愛してる。裸で布団に包まってるから。部屋で待ってる』
「ごふぁっ!?」
「!? 匠!? どうしたの!? お姉さんと何かあったの!?」
「その聞き方おかしいだろ!?」
「匠くん、お姉さんと何かするの!?」
「やめろ、この雰囲気を台無しにするな!」
くだらないやりとりが、えらく久しぶりに思えた。
そこから、俺と薫と更紗の3人は飲み物と夜ご飯を注文した。マスターが自分の四方山話に付き合ってくれたからと、えらく割り引いてくれて助かった。しかしご飯を運ぶ時にどさくさ紛れで奥さんのノロケをしてくるのはやめてほしかった。しかしあれだけ嬉しそうに話されると、ノロケ話もちゃんと聞いてみたくなる。全てが片付いたら、また改めて聞いてみよう。
夕食を終えると、雑談を交えながらひたすら議論を交わした。
ノートに曖昧に書かれたルールのこと。
マスターの話に出た、マスター自身と2人の友達のこと。
それらから導き出される、皐月を助ける方法。
どれだけ考えても、きちんと正解だと分かる答えなんていうのは出てこない。
それでも、頭をひねりにひねって、夜まで話し合って考え抜いて導き出した結論は……ある程度、いや、きちんと、自信が持てる案だった。
「よし……じゃあこの案を、明日皐月に話してみよう。それで皐月がオーケーしてくれたら、卯月先生にも手伝ってもらうようお願いしよう。根回しをしないと厳しいからな、この作戦は」
「そうだね、きっとこれなら皐月さんを……」
数時間に渡る議論で、幾分疲弊した顔で薫が頷く。更紗も疲れ気味に頷いたが、それでも3人の目には強い光が灯っていた。
この作戦は、実際にやること自体は簡単だ。
あと必要なのは……勇気。
正確に言えば、羞恥に耐えうる、タフな勇気だ。
――待っててくれ、皐月。
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