(4)

「冷静に、現状を整理しよう」


 教室で4人で四角を作るように座ると、俺は開口一番に言った。努めて明るく言った声の効果はあったのか、3人の目に幾何かの光が戻る。


「まず、これは言及するのは避けられないから言っておきたい。……恐らく、姉の桜が皐月を蘇らせてくれとお願いした件は、さっきの記号で言えば△だったんだろう」


『……っ』


 3人が息を呑み、俯く。敢えて手短に言って、すぐに話題転換をする。


「でも、ルールを見た限り、それ以外にも気になる部分は沢山あった。根拠はまだ何も無いけど、ただ願い事が△になっただけで終わりだなんてことは、無い気がするんだ」

「……え……?」


 皐月が顔を上げる。虚ろな瞳から送られる視線は、俺の周りを彷徨うに撫でていく。


「考えよう。あのノートには、まだ秘密がある」


 皐月の肩に手を添えると、皐月が力無く、でも、どこか吹っ切れたように笑った。


「……そう、ね。分かった。考えましょう。薫くん、更紗ちゃん、一緒に……闘ってくれるかしら?」

「……皐月さんが頑張ろうとしてるのに、僕らが頑張らない訳には行かないよね、更紗さん」

「そうだね、薫くん。……皐月さん、匠くん、頑張ろう」


 4人の意志が、おぼろげながら、揺らぎながらまとまった。


「まずは……書かれていたルールの整理をするか」


 切り出すと、更紗がすっとスマホを取り出した。


「それなら一応写メっておいたよ」

「おお、助かる」


 記憶が曖昧な所もあったし、メモだと漏れがある可能性がある。あの中の何がヒントになるか分からないから、写真があるというのはありがたい。現物を持ち出すのは何か恐いし。

 更紗の周りに3人が集まり、画面を見つめる。


「まあ、うん、まずは、な」

「そうだね、うん、まずは」

「そうね、まずは」


『神様って誰だよ!?』


 4人同時に叫んだ。


「この人、何者なんだろうね。だいぶ自由な人っぽいけど」


 と薫。

「人っていうか神様っていうか……とにかく、只者ではなさそうだな」

「ルールを書いてる人、何だか疲れ切ったサラリーマンみたいだったね……」


 更紗が目を背けながら言う。これから先働いていこうという意欲が見事に削がれる台詞だ。

 ふと皐月を見やると、艶やかな黒髪をかき上げながら俺を見つめた。


「まあ、こういう人たちが居るということね。何だか私の存在のシリアスさが薄れちゃったけど、受け入れましょう」

「お前すげぇ寛大になったな……」

「まあ、あれだけふざけた文章を見たらね……」


 皐月が顔を背けた。何か虚しくて泣けてくる。

 そして4人で改めてノートを見返す。


『……………………』


 しばし、押し黙った。

 気になる言い回しはある。それは、皐月も薫も更紗も同じ気持ちのようだった。各々が引っかかりを覚えているが、しかしその正体が何なのか分からない。それが、心のもやもやとして沈殿していく。


「……更紗。これ、ノートに写してコピーしてくれるか? あのノートを持ち出すのは怖いから、そうやって各々が考えておけるようにしたい」

「え、みんなにLINEかメールで送れば……って、あ、皐月ちゃん、ごめん……」


 更紗が皐月を見て気付き、しゅんとした様子で謝る。


「良いのよ。何だか不思議なものね。以前は携帯を持っていたのに、気付いたらそういった類が荷物から消えていたんだから」

「……小説とかは、どうやって手に入れてんだ?」


 官能小説なんて図書室に置いてある訳でもないから、気になる。

 俺の質問に、皐月はにっこりと微笑んで答える。


「ああ、あの小説? あれは卯月先生の私物よ。『これはきっとお前の性へ……趣味に合うだろう。読んでみると良い』と言って貸してくれたわ」

「何だお前ら……」


 心底呆れた声を上げてしまった。先生、絶対「性癖」って言おうとしてただろう。

 まったく、母娘で趣味が似るのは微笑ましい限りだが、それがエロとなるとまた……その、何て言うか……。


「……匠、なんでにやにやしてんの? 気持ち悪いんだけど」

「匠くん……どうしたの? 何だか目が罪を犯してるよ?」

「匠くんはあれね、そういう方面のことを考えているときの表情が分かりやすすぎるわね」

「ぐうの音も出ねぇ……」


 どうも、桐橋母娘は俺の身体の奥底の何かを燻るようだ。その何かが具体的に何なのかという言及は避けておく。

 と、こんな話をしていると。


「……もう、17時55分か……」


 教室のやや古めかしい時計を見てぽそりと呟くと、皐月の肩がびくりと震えた。


「……みんな、そろそろ教室を出ていってもらっていい? その方が――」


 皐月が泣きそうな顔で言葉を言いかけた所で、俺は抱きしめて皐月の言葉を止めた。皐月がひゅっと息を吸い込んだ音が聞こえる。皐月の身体は思っていた以上に華奢で、今にも消えてしまいそうな程に儚げだった。


「……もう、俺たちはお前の全てを受け入れるから、大丈夫だから。……だから、最後まで一緒に居させてくれ」

「……たく、み、くん……っ」


 皐月の声が、微かに震えている。涙が滲んでいるということは、聞いていて分かった。薫と更紗は何も言わず、温かい視線を皐月に送っている。

 間もなく完全下校時刻の18時になろうとしている。


「匠くん、薫くん、更紗ちゃん。ありがとう、ありがとう……また、明日」

「ああ、また明日。いっぱい話そうぜ」

「うん、うん、うん……っ」


 俺の肩に顎を乗せて、皐月が何度も頷く。しっとりと濡れていく制服は、皐月が生きている証だった。


 きーんこーんかーんこーん……。


 チャイムが始まった、その瞬間。

 俺の腕の中に居た皐月が、ゆっくりと薄くなっていく。まるで存在そのものが消えるかのように、徐々に見えなくなり、感触も無くなっていく。

 ものの数秒で、皐月は本当に、消えた。死んだのではない、ただ、消えたのだ。

 肩を触ると、制服はまだ湿っていた。


「……ほれ見ろ、やっぱお前は生きてんだよ」


 皐月が消えた後も、皐月が流した涙は残っている。説明が難しい状態にはなっていても、あいつは生きているんだ。


「……まずは、皐月も見られるようにノートをまとめておこう。考えていくしかない」

「……うん、そうだね」


 薫が言って、更紗が頷く。

 更紗がその場でノートにまとめてくれて、コピー機のある場所に向かう。

皐月の席を名残惜しく見つめながら、俺たちは教室を後にした。

いつか、4人で学校の帰り道を歩きたいな……そんな願いが、ふと湧いた。

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